魅力がいっぱい、三井楽町。

ブログの記事もなかなか時系列で書けないのですが、FBに「三井楽万葉まつり」に
ついて写真中心にご報告しましたので、ブログでもう少し書き加えます。
三井楽町は平成17年の市町村合併まで、福江島の中でも独自に「西の果ての万葉の里」
として地元発信を努力しながら続けて来られました。
万葉ファンの誘致をはじめ、施設や環境作りにも取り組まれ、犬養先生の揮毫歌碑建立や
遣唐使ふるさと館の建設、地ビール産業など、平成の時代とともに地道な努力が実を結び、
有数の万葉故地として、しっかりと定着しました。
私たちも万葉うたがたりコンサートを3回させていただいています。
しかし、合併により五島市となってからは、市の一部地域となり、今までのような独自で
個性的な活動ができなくなったばかりか、経済的な負担の精算などで、町の活気が失せて
行きました。平成20年に私が個人的に訪れた時には、遣唐使ふるさと館は「道の駅」と
呼ばれ、お土産ものであふれていた棚が半分くらい空っぽで、その代わりに福江港の
ターミナルが玄関口として、大変立派になっていたことを思い出します。
今年の夏頃に、かつて役場で中心になって町づくりを果たされた谷川さんから連絡を頂き、
五島市となってから、三井楽町は「万葉まつり」として参加しておられた2月の「椿まつり」
も市の方針で、今後行事がなくなるかも…ということに対して、妥協しながらやってこられた
行事がいよいよなくなってしまうことの危機感と、もう一度地元の活性のためにも
私たちのような全国に広がる万葉ファンの協力を仰ぎながら、再び三井楽町の有志を中心に
がんばっていこうとしています…と伺いました。
そこで私には急遽11月に行うことになった「万葉まつり」の講演者を推薦してほしいという
依頼でした。
私も候補の一人ではありましたが(笑)、急な行事の決定で、秋の行楽シーズンは既に
予定の詰まった人ばかりでした。私も打診された2日間の予定では無理だったのですが、
17日だけなら…と16日に深夜便の博多からのフェリーでならば、17日の出演は可能と
言うことを申し上げていましたら、白羽の矢が…それでチャンスを頂いたわけです。
講演内容には「いつも皆が聞いて知っているような話(荒雄かな)ではなく、これからの
三井楽町のためにヒントとなるような話などを中心に…」とご希望がありました。
内容はずいぶん自身で検討しました。
結果、私の話が皆様にどのように伝わったかは気になるところですが、反対に朝から
予定されたプログラムは、子供たち中心に作られていましたが、それぞれになかなか
レベルが高く、おそらく地元では子供たちにしっかりとふるさと教育が行われている
のだと言う実感を持ちました。
その潜在力を如何に育て生かすかがこれからだと思いますし、並行して、地ビールに
替わる焼酎生産や、電気自動車のレンタルや、しまとく通貨という金券サービスなど、
五島市の新たな取り組みに、三井楽町も対応して、環境・設備面でも変化を遂げようと
しておられる途上であることを垣間見ました。人も環境も整いつつあります。
私自身がこの機会を楽しみにしていたこともありましたが、4年前に訪れた時からは
明らかににぎわいがありましたし、みいらくの遣唐使ふるさと館は「五島市」の象徴で
ある!という言葉をもれ伺い、あらためて心強く思ったことでした。
遣唐使の寄港地、万葉歌の荒雄伝説、五島の椿、そして極めつけは天智天皇の「むべ」
でしたね。
きりしたんの隠れ里として有名ですが、古代からの歴史がいっぱい刻まれた、やはり
ここは「万葉のふるさと」でした!!!
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