遊劇体主宰、キタモトマサヤさんのメッセージ!

【『戀女房』上演にあたって 演出者よりのことば】
 
 より鮮明になってきたことがふたつあります。
ひとつは、いつもどおりの鏡花さんだなあ、とあらためて納得するということでありまして
美しく聖なるものと俗悪なるものの、あからさまな対立構図の明快さ。そうして、未来への
といえば大仰に思えるかもしれませんが、私たちの今生きる時代への憂慮であり、批評眼の
見事さです。丁度100年前の1913年に発表された戯曲でありながら、私たちの国の、
今ある危険をはらんだ現状を、まるで予測していたかのような劇世界は、瞠目に値します。
焼け野原となった吉原をはじめ、その後もくり返し街を焼き尽くそうとする大火事が、
〈赤魔姥(あかまんば)〉というあやかしのものとして劇中に現われ、人と人との愛情ある
関係を、家族を、親子を、姉妹兄弟を、友人たちを引き裂きます…。
引き裂こうとします。まさに近年の大震災や原発事故という存在だなと、私なんぞは
思わずにはいられません。
そのことを強く意識した演出になるだろうと思います。
そしてさらに、この芝居では、再生をめざした不屈の精神と庶民の絆が描かれ賛美され、
幕を降ろすのです。
それからもうひとつは、〈演劇〉としての独自表現に、より重きを置いた芝居創りに
なるだろうということです。〈演劇〉であることを前提としたエンゲキ。
〈台詞〉と〈ドラマ〉とをしっかりと観客席に伝えるために、過分の装飾を剥ぎ取り、
俳優の身体を頼りに、信じて、稽古を重ね、よりシンプルに純化してゆきたいと考えます。
視覚以上に、聴覚に傾斜した演劇になるだろうということでもあります。
また、蛇足ではありますが、インターネットやテレヴィジョンに相当するシステムが
登場する「海神別荘」もそうであったように、人間冷凍機とでもいうべき医療機器が
登場する本作もまた、日本で最も古い時代に書かれたSF(サイエンス・フィクション)の
ひとつであるとみなすこともできるのではないでしょうか。
大作にチャレンジを続ける遊劇体の舞台を是非一度ご覧になってください(オカモ)