忍坂街道まつり

万葉うたがたり活動を開始して、33年目にはいった。
明日香村の万葉の歌音楽祭などで、一般の人々にも「万葉を歌う」機会が増えてきた。
「音楽」に精通している人は多くても、はじめに言葉ありき…と、初めに『万葉集』が
ありき…で、「万葉歌」を歌える人は残念ながら少ない。
私が重宝して頂けるのは、肝であるそこが突破できる人が少ないからだと思う。
その中で、私が「万葉うたがたり」の後継者が現れたとうれしく思うのは、万葉うたいびと
と称する風香さんの活動を拝見してのことだ。
この度の忍坂街道まつりも風香さんの「万葉コンサート」があるので、いちどゆっくり
拝聴したいと思っていたので、この機会をずっと楽しみにしていた。
折しも、前日の万葉の歌音楽祭では、「泊瀬川」という桜井市を流れる地元の万葉歌の
歌唱で、満票で大賞を受賞されたことは、ブログに書いた通りである。
その翌日のコンサートということで、まさにステージに花が添えられた受賞となられた。
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風香さんとは、万葉の歌音楽祭を通してお知り合いになったが、「万葉を歌う」という
きっかけが、まず私の万葉うたがたりコンサートを見てくださったことに始まるそうだ。
万葉集を歌われることから「万葉故地」への関心は、万葉の旅につながり、そこで犬養先生
とも出会われることとなった。それは著書であり、歌碑であったり、先生の姿こそないが、
犬養万葉、風土文芸としての万葉を意識して、万葉歌の作曲にも繋がっていかれたことと
思う。そして桜井市忍坂の方々との出会いになられたことだろう。
「忍坂」とかいて「おっさか」と読む。ここには、額田王の姉、鏡王女のお墓があるところで、
ひそやかな奥まった谷間にあり、鏡王女の万葉歌の
秋山の 樹の下隠り 行く水の われこそ益さめ 御思いよりは  巻2-92
の歌がしのばれる静かな場所だ。
犬養先生の歌碑があり、道行く人も見落とすような、目立たない小川の川べりにある。
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そこを通って、山ふところに鏡王女のお墓がある。
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久しぶりでも静かな変わらぬ光景だったが、きれいに手入れされており、この場所を
大事にしてくださっている様子が伝わってきた。忍坂区で作成してくださった立派な看板で、
この地を訪れた人が、故地を理解できるように努力してくださっていることもありがたいことだ。
11月4日の忍坂の街道まつりには、多くの人が参加されていたが、それでも奥の谷には人影も
まばら…。人知れぬ里であってほしいが、万葉ファンには是非訪れてほしい名所である。
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風香さんのコンサートは、午後からのメインイベントとしてゆっくり聞かせて頂いたが、
日本書紀に、雄略天皇の歌として「隠り国の 泊瀬の山は 出で立ちの よろしき山
走り出の よろしき山の こもりくの 泊瀬の山は あやにうらぐわし あやにうらぐわし」と
載せられている、そこから忍坂のテーマソングとして作られた「あやにうらぐわし」は、
地元の子供たちも共に歌えるふるさと讃歌だ。
風香さんと子供たちが舞台でも楽しく歌唱された。「♪あやにうらぐわし」
               
ステージでの風香さんを拝見していて、自分の活動を省みる機会でもあった。
私は日本の各地で、犬養先生の頃からご縁を得て、関わっている故地があるが、風香さんには、
大好きな桜井・忍坂にしっかり軸足を置いて、ふるさと発信のお手伝いをなさっておられる
ことにうれしくなったが、今後も『万葉集』の歌は増えていくだろうが、忍坂のみなさん
との原点を忘れることなく、活動を続けていって頂きたいと思った。
しかし、歌曲の創作はもちろん、詩心もあり、語りも上手で、大変素晴らしいステージだった。
犬養先生へ報告、「舞台では、先生の書かれた文章の朗読もありましたよ。忍坂の
万葉かたりびとの存在をみつけました。風香さんの活躍に期待しましょう!」って。
風香さんの今後に期待!!!