身近な大遺跡!

猪名川万葉の会を引き継ぎ、半年たった9月の講座の後に、会の方々のご配慮で、私が
より「猪名川」の地域に親しみ、馴染めるようにと、猪名川町の兵庫県の遺蹟としても
有名な「多田銀山」の遺跡を案内してくださいました。
私からすれば、阪神間から北に向かって伊丹・川西・猪名川町は、土地開発が進行していく
地域の印象があって、新興の住宅地が多く生まれ、新たな街づくりがなされているように
思っていました。
また、川西市や猪名川に沿った地域は源満仲に始まる多田源氏という、清和源氏の最初の
拠点となった「多田」の庄に武士団を作ったところで、ゆかりの多田神社や、「みつなか」
というのは会館名になったり…と漠然と知っていましたが、いやいやこのたび案内して
頂いた多田銀山は奈良時代の頃からの鉱山で、東大寺の大仏建立のための「金」が陸奥山
から産出され、大伴家持の「黄金花咲く」の万葉歌で有名なのは、万葉ファンの納得する
ところですが、なんとその東大寺大仏の土台となった銅は、ほとんどが多田銀山(銅山)で
採掘されたものだとか。すごい!知りませんでした。
その銀銅山に見学に出かけました。広い道を少し入ると緑の自然林が広がります。
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そして、「悠久の館」という記念館ができており(この建物の名前だけでは、なんの館か?
ようわからん???)道具や鉱石の紹介や、歴史資料などが展示してありました。
ひとまず見学をして、下勉強をしてからいよいよかつての場所へ出発。
結論から言いますと、鉱山の規模の大きさ、また未だに残る間歩(まぶ)の多さ、そして
鉱山の「町」の仕組みのわかる形跡が残り、長時間過ごしましたが、まだ余地を残す
くらいの大興奮の楽しさでした。
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青木間歩は中にも入れるので、暗くてヒンヤリした坑道を恐る恐る探検。教えて頂いた
場所は今でもはっきりと「金属」の含まれた鉱脈が残っていて、きれいです。
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私たちの住む場所からこんなに近いところに、歴史に残る大鉱山があったなんて。
そして、秀吉の頃などに最盛期を迎え、江戸時代には幕府の直轄地となり繁栄したようですが、
銅価格の暴落や、時代の波で、やがて昭和に企業として継続していた日本鉱業も閉山となり、
かつてをしのぶだけの場所になってしまいましたが、しかし思いがけない「多田銀銅山」の
知識を得て、感激して帰宅しました。古代からこの山峡の地が宝の山だったなんて…。
またお誘いしてみなさんをお連れしたい貴重な場所です。
猪名川町のみなさんは、もっと私に「猪名川」の魅力を伝えたいと思っておられるようです。
天文台があり、800メートル弱の山頂からは大阪湾まで見えるという、大野山や、
奇岩の屏風岩や、神社や公園など、見どころが満載のようです。
こうして「わがふるさと」を誇りとして暮らせることの尊敬と、また反対にわがふるさとを
理解しようと歴史に学ぶ姿勢が、素晴らしいと思いました。
それが「ふるさと作り」の思いにつながっていくのでしょうね。
大石さん、ご案内誠にありがとうございました。  
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