松下幸之助と明日香村と万葉集

交野市は、織姫の里「かたの」として行政もともに七夕浪漫でふるさと作りをしておられますが、
また、地元近くに本社のある松下電器産業に従事された方々も多く住んでおられます。
縁は異なもの、逢合橋の七夕まつりや歌碑建立の時の関係者の中にも、パナソニックの関係者
がたくさんおられ、年に一度、年初の交野市在住の「松愛会」というOBの新年会に私に何か
話をしてほしいということで、ご依頼を受けました。
「松下」さんは、3代目の正幸さんの奥様が、ブログでも書いたように、3年前に逝去され
ましたが、甲南女子校で、中・高・大と10年間の友人でしたし、幸之助さんは明日香村の
名誉村民ですよ!と申し上げたことから、「ぜひ、松下幸之助に関わることでお話を…」と
テーマも「松下幸之助と万葉集」に決まりました。
松下さんは、明日香村の古都保存財団を起ち上げられて、初代の理事長でもあり、
私自身が今まで聞いて知っていることと、今回の機会を得て、あいまいなことは確認して
おこうと思い、先日の「雪の日の明日香村行」になったわけです。
1月29日、風は冷たくても、青空の広がる素晴らしい朝、
交野市ゆうゆうホールで、10時半から30分間でしたが、170余名の参加者が熱心に聞いて
くださいました。今回は「万葉」を語るのではなく、また男性がほとんどで反応は如何に…と
心配でしたが、あとの懇親会では、次々と「創業者のお話を久しぶりになつかしく聞きました。」
とか、「あの時、私は本社から財団の事務局に配備されて仕事をしていました。」とか、
「若いOBによく松下さんのことを話してくれた…。」とか、様々な感想を頂きました。
私のほうが、みなさんの思い出話を通して、反対にあらためて幸之助さんのお人柄を知り、
松下さんの晩年のご様子と、それに対応された社員のご様子などをお聞きして、晩年の
犬養先生に対する私たちと同じ、敬愛と純粋な奉仕の精神を強く共感しました。
また私の話をきっかけに話が盛り上がり、4月5日には、松愛会のバス旅行に私も参加し、
和歌山県にある、松下さんの生家を見学したり、お墓参りのツアーに参加させて頂くことに
なりました(笑)。
その他、枚方には幸之助さんが住んでおられた家屋が西宮から移築されて保存されている
そうで、(松下一族は、西宮市名次町に住んでおられます。)それも見学させて頂けそうです。
縁あって「松下電器産業グループ」に就職された方々が、こぞって幸之助さんを尊敬し、
誇りに思い、いまだに語り継がれるご様子に、まさに松愛会の名の通り、会社を愛し、
幸之助さんのDNAがしっかり社員に受け継がれた素晴らしい「会」でした。
おりしもNHKでは昨秋放映された「神様の女房」が再放送されています。
私も講話の機会を得たことで、松下幸之助さんの偉大さをあらためて学びました。
今もなお、PHP出版、松下政経塾など、いろんな形で人を育て、人を作り、世の中に送り
出され、日本の人材発見、人材教育、社会貢献に大きな影響を与えている松下イズムに
喝采の1日でした。(平野大臣は、HPトップに載せた通りです。)
私こそ、参加させて頂きましたことを心より御礼申し上げます。


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