相生カトリック教会で。

9月12日に出かけた相生カトリック教会です。
小河スミ子さんのご葬儀で、オルガン奏楽をさせて頂きました。
昭和5年生まれで、81歳になっておられました。
国立姫路看護学校の第1期生で、看護婦として活躍された後、60歳で、
老人介護の時代の要請があることの先見性から、改めて福祉や介護の
勉強をしなおして、最後まで、姫路福祉保育学校の講師として、ヘルパー
の養成や指導にあたられ、生涯「職業婦人」として活躍された方でした。
棺の小河さんは、ご本人の遺志で、白衣・ナースキャップという誇り高い姿でした。
りりしくてかっこよすぎました。
私とは甲子園教会でのご縁で、お嬢様の結婚式でもオルガンを弾かせて頂きましたし、
音楽が好きで、うたがたりのコンサートにもよく来てくださいました。
私と最後のご縁は、2年前私が内緒で入院生活を送っていた時、同じ病院に入院して
おられたのです。特別に私に、病院のご好意で、憩いのフロアに寄贈されているピアノを
弾いてもいい…と許可をくださり、退院まぎわに気分転換…で何回か弾かせて頂き
ました。ピアノの音を聞いてつられるように、病室から老人や、車いすの方などが
出てこられ、喜んで聞いてくださいました。
その時に背後から「岡本さんじゃない?」と声をかけられたのです。
入院はオフレコ、化粧気もなく、寝間着姿で、ピアノを弾いている私に一体誰が声を
かけてきたのか、本当にぎょっとしました。
小河さんはリュウマチの悪化で、手足も不自由で、かつてのバリバリとしっかり者の
ご様子はすっかり失せ、まったくの病人のご様子で、私はそれもショックでした。
老人の入院の規則で3カ月で転院なので、ずっと入院ということではないようでした。
私のほうが退院が決まり、リリースしたばかりのCDを枕元にお届けし、お別れしてから
2年後の訃報でした。
お嬢様から、連絡とオルガンの依頼を受け、私がよくこの日、この時間があいていたと
思います。しかし、私のために時間の融通ができる日であったように思います。
なぜなら、実は私は、9月2日の初金曜日のオルガン当番をすっかり忘れてしまい、
すっぽかしてしまいました。
交通違反をしたり、すっぽかしたり、忙しいとはいえ、何か落ち着かない私に神様が
神様のところへ行く、チャンスをくださったように思いました。
そして、長年親しく、私が唯一入院していたことを知られた方でもあった小河さんをお見送り
できたことは本当に納得がいきました。
2日続きでしたが、JR線で瀬戸内海のおだやかな青い海を見ながら、しみじみ心を
休ませる時間を持てたこともありがたいことでした。
しかし、練習不足のオルガニストで、反省もしきりでした。
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さようなら、小河さん。


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