泉鏡花「お忍び」と中川芳三さんを思う。

10月17日から20日までの4日間、京都の五條会館での娘の劇団「遊劇体」の芝居に、いろんな方々がご遠方からも観劇くださいまして、誠にありがとうございました。
娘もいつのまにか中堅どころとなり、いろんな「役柄」を経験させて頂き、本当にありがたいことです。
私は熱心な娘のファンではありますが、当日まで、役柄や、物語の内容を明確に把握していないので、大変スリリングな期待感いっぱいで出かけます。
今回は芸妓さんの役でしたが、年齢的にも「風格」というのか、貫録と女らしさが加わり、見ている方も安定感がありました。

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遊劇体の「泉鏡花シリーズ」も2002年から上演が始まり、もう12年も経つのかという感慨がありますが、第1回の「紅玉」の時に、犬養先生の教え子で、「松竹」の重役でおられた中川芳三さんが、ふらりと見に来られていました。
中川さんは歌舞伎が好きで、大阪大学の経済学部から、松竹に入社されましたが、そのエピソードは犬養先生が生前よく語られていました。「先生、僕は歌舞伎が好きなので、どうしても松竹に入社したいのですが、どうしたらいいですか」と真剣に悩みを相談する中川青年に、犬養先生が「そんなに松竹に行きたいなら、毎日会社の門の前を掃除して、会社の人々に熱意を伝えなさい。」と話をされたそうです。その後中川君は松竹に採用された・・・と、どこまでが真実の内容かわかりませんが、中川さんはその後松竹で演出家として大活躍をされ、多くの歌舞伎役者を育ててこられました。また奈河彰輔さんと言うペンネームで、戯曲の作家としても活動されました。
「紅玉」の芝居でお目にかかった時に、私の娘が出演していたことに驚かれましたが、その時「僕は若手の芝居を観るのが好きで、時々見に行きます。」とおっしゃっていました。
その中川さんが、10月に逝去され、ちょうど遊劇体の芝居の直後でした。あれから12年・・・。時間の流れが、娘の成長をも実感させてくれたように思います。
中川さんとは、昨年の犬養先生の15年命日祭でお目にかかったのが最後となりました。犬養先生が亡くなられたあとも行事には毎回欠かさずご出席くださっていたことで、中川さんが犬養先生を慕われ、青年時代の「松竹入社」について犬養先生に生涯感謝をしておられたのだと思います。今頃はきっと天国で、犬養先生との再会を果たしておられることでしょう。

さて、遊劇体の戯曲公演も全12作中で、「深沙大王」「愛火」「稽古扇」「公孫樹下」「鳥笛」「日本橋」の本公演を残すのみだそうです。
私も最後まで付き合いたいものです。

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