次ちゃんの33回忌

毎年「8月12日」は御巣鷹山の日航機事故の追悼日として報道されるが、私、いや甲南女子校23回生の仲間にとっては、事故の翌年に亡くなった同級生、河原(高島)次子さんを思い出さずにはいられない。事故の慰霊祭が34回目なので、今年で33回忌を迎えたことになる。思いがけない第2子の出産時の事故に、喜びの報告のはずが「子供は生まれましたが、次子が亡くなりました。」というご主人の電話の声が今もわすれられない。
厄年に亡くなったので、私たち同級生はその後倍の人生を歩んだことになる。何と贅沢なことだったか。
私の趣味はすべて次ちゃんのおかげにある。もともと相撲が好きだった私に、九重部屋の横綱北の富士の後援会に入っておられた高島家のおかげで、高校生の私にもチケットを取ってもらったり、大阪場所の巡業場所へ遊びに連れて行ってもらったり、ちゃんこもごちそうになった。高島家が関取を招かれた時にも同席させてもらい…と次ちゃんとともに関取衆とも親しくさせていただいた。そう、横綱千代の富士が坊主頭で入門した時の頃だ。  また私は歌舞伎も最近再び熱心に出向くようになったが、これも歌舞伎の好きな次ちゃんに、三之助時代の市川新之助(先代故団十郎)のファンだった、次ちゃんに楽屋に連れて行ってもらったことがきっかけだ。やはり直接本人に出会って、感じる迫力・臨場感というその時の貴重な体験があるからこそだと感謝している。この年になって毎年本場所観戦をしたり、次期団十郎後継者の市川海老蔵に熱を上げている私がいる。
次ちゃんは自ら謡曲や仕舞のクラブにも入り、日本の伝統芸能については深く関心があったようだが、かたや英文科に進み、留学をし、ホームステイを受け入れ、国際的な活躍をも目指す前向きな人だった。小池百合子さんが出版したり、選挙の時は積極的に応援し、信頼にこたえる人でもあった。その彼女が、友人たちもそれぞれ結婚して子育てに急がしくなる同時期に「出産」であっけなく旅立ってしまうなんて・・・。そのときは仲良しの3人で、悲しくて信じられなくて、一生分の涙を流した。いまでも人生であれほど悲しかったことはないと思えるほどだ。長女は彼女のお母さまが、次ちゃんと出会えなかった次女は、ご主人の再婚されたご家庭で育てられ、私たちも数年前まではお母様の消息も存じていたが、とうとう今は途絶えてしまった。ただ彼女の生きた証である子供たちの幸せを祈るばかりである。
この年齢になって、残念ながら見送った友人が何人かいるが、とりわけ8月12日がやってくると毎年次ちゃんのことを思わずにはいられないのだ。今の私たちの娘よりも若い時期に次ちゃんをなくされたお母様の無念な気持ちも今はよく理解できる。8月15日(マリアさまの被昇天の祝日に。)
世の中は むなしきものと 知るときし いよよますます 悲しかりけり・・・。