交野が原の万葉歌碑

天皇誕生日の12月23日、交野の星田妙見宮の参道入り口に、万葉歌碑が建立され、
除幕式が行われました。私たちのお仲間で、万葉や歴史が大好きで、わが町「交野が原」の
七夕伝説の掘り起こしと、郷土文化の発信に尽力されている毛利信二さんが、この事業にも
協力しておられたので、楽しみにしていました。
朝方、雨もあがり、山寺さんと共に、星田神社の近く、星田妙見宮へ。
交野市は新興住宅地もあれば稲田もあり、開発途上かもしれませんが、見渡すと「交野が原」
という名前にふさわしい平野の広がりが感じられます。
3年前に交野市倉治の機物神社で、たなばたの万葉歌碑が除幕されましたが、今回こうして
新たな碑ができ、引き続き地元の方々が、がんばっておられる様子を拝見することができて、
うれしく思いました。
万葉歌は、
「織女(たなばた)の 舟漕ぎ出らし まそ鏡 清き月夜に 雲立ち渡る」
                  
(巻17-3900)大伴家持の21歳の時の歌です。ひこぼしのもとへ織姫が、船に乗って
出かけていく・・・歌は、日本の七夕歌は、男性から迎えに行く歌に趣が変化したと言われており、
中国式の発想を感じます。今日で、この周辺歌碑は5基になりました。
除幕式のあと、ご神体の星石?!(織女石)は、昔、北斗七星の3つの星が落下したその
一つという伝説の石だそうで、是非にみたいと、長い長い階段を昇り表敬してきました。
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この地域が七夕に関わる機物神社があったり、天上のロマンを思わせる星田神社、星田妙見宮
また逢合い橋や、天野川などがあります。近隣の枚方には牽牛石があったり、本当に地霊に
魂が宿るならば、このあたりは天空の里とも言うべき、ロマンチックな情緒があります。
今後は、日本に伝説をもたらした中国の行事を検証したり、日本で七夕で有名な地域との
交流や、まずは地元の誇りの文化として、毛利さんはじめ、みなさんが、楽しく関わって
おられるのを拝見して、私もうれしくなりました。
来年の七夕は、是非もう一度ここに伺いたいと思いました。除幕された歌碑は星田の森にあり、
秋の紅葉、春の桜が美しい四季折々の風情に恵まれたところのようです。
毛利さんのお心遣いで、帰りに、枚方税務大学校の「犬養歌碑」まで連れて行ってください
ました。久し振りです。「石走る…」の歌碑は、御影石で反射するので、写真に必ず人が写り
ますが、うまく「桜の木」のみのアングルで写せました。
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万葉のお仲間が集い、交野市のあらたな万葉のシンボルとなった歌碑の除幕式に参列できた
ことに感謝しています。
ただ、昼食会場に携帯電話を忘れ、本日奪還してきました!(時間がないのに…)!


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