犬養万葉顕彰会を終えて…。

はじめがあれば、終わりがある…。
永遠に終わりがないことを祈り続けていても、容赦なく現実に向かい合わされることがある。
昨日、2010年9月25日(土)をもって犬養万葉顕彰会が解散をした。
その解散の総会は、犬養万葉の心の拠点でもある明日香村で行い、80名近くの会員が
参集してくださった。
  
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平成20年10月3日の犬養先生の命日祭を最後に、私が会長を務めた第5期は終了し、
山内英正さんを代表として「犬養万葉顕彰会」は休会した。第6期を引き継ぐための
世話役や、手だてをいろいろと摸索した後の「休会」だった。
その後、休会中の顕彰会について議論・検討した結果、権威ある会をあいまいな形で消滅させる
ことは犬養先生に対して申し訳ないことだと結論を出し、解散のための準備に入った。
そして、2年後の秋の昨日、その日を迎えたのだ。
多い時には1500名くらいの会員を擁したこの会も、犬養先生が亡くなられてから以後は、脱会
されたり、亡くなられたり…とずいぶん人数も減少したが、「顕彰会」の名の通り、犬養先生の
没後、新たに入会された方や、平成19年の犬養先生の生誕百年に賛同してくださった方も
準会員として包含したので、最終的に全国で約523名の方々が、会員として名を連ねて
くださっていた。委任状も含めて有効数を確保できたので、解散決議案を出席者にはかり
ご承認頂いた。終結に向けて、役員で、企業マンで経験豊富な城山さんが、社会的に理解され、
常識的な内容で総会が進められるようにお骨折り頂き、心から感謝している。
そして、会員への約束通り、山内さん監修の生誕100年祭総括の「犬養万葉は永遠に」という
記念冊子を作成し、皆さんへの餞(はなむけ)とした。
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会場となった「かんなびホール」は、明日香村の社会福祉センターで、「太子の湯」で親しまれている
所だ。犬養万葉記念館の設立時には、事業部長であった吉田さんが、偶然所長としておられ、
当日の便宜も図って頂いた上、既に18日から3日間で終わって、既にかたづけられていた
「光のイベント」のオブジェを顕彰会の総会の参加者のために、再び展示して下さったり、
総会にも参加して頂き、ご挨拶をしてくださった。明日香村としての厚意を代表して示して
くださったことを本当にありがたく思った。
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当日は、代表者山内さんの都合で、午後からの開会になったので、午前中は有志で
「明日香村散策」を計画し、元副会長の水本さんが、下見をし、資料を作り、案内してくださった。
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役員で、犬養先生の歌碑を見るコースや、象徴的な甘樫岡など、意見を交換した後、やはり
顕彰会ならではのウオークを…と普段あまり歩くことの少ない、飛鳥駅の反対側の
古墳コースを歩くことに決めた。その後タイムリーに、そのコース上の牽子塚古墳が、斎明陵で
あろうと発表されたので、このたびの参加者もこのコースは、思いがけず興味深い散策
だったと思う。すべて運のよい運びだった。
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常に「先生、これでいいのですよね」と問いかけながらの準備だったが、明るく前向きに
お別れをすることが、「言霊」の世界なのだと思う。
会の結成時から、最後まで見届けてきた私にとって、思いがけない終末を迎えたが、
犬養先生を通して、顕彰会でいろんな方に出会えたし、多くの方に支えても頂いたことの感謝。
ひとえに犬養先生の「人徳」の賜物であり、それぞれが人生の一幕に「犬養先生」との縁の
誇りを感じておられることを私も含めて確信している。
最後まで尽力くださった、7人の侍の役員諸氏(オカモ・水本・鈴木・橋本・澤田・城山・山内)に
深く御礼を申し上げ、よい結束で最後までがんばれたことも私の喜びである。みなさんお疲れ様でした。
切なくも、でも肩の荷を下ろした1日。犬養先生、これでいいのですよね?
犬養先生、犬養万葉は永遠に…。

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