ぴあのひすとりい

先日、7月30日から3日間、奈良の佐保山茶論で武久源蔵氏による
チェンバロ・フォルテピアノという古楽器の連続演奏会(チクルス)が
開催され、鍵盤楽器が身近な私は、同じくピアニストでもある山寺さんと
二人で初日しか時間は空けられなかったが、コンサートに出かけた。
佐保山茶論という、TSUBAICHIのコンセプトに近い「応接間」感覚のアットホームな
ご自宅の会場で、貴重なめずらしい楽器を目の当たりに鑑賞できるという魅力
に惹かれて、楽しみにしていたが、実際興味深く、目と耳で満喫させて頂いた。
(フォトギャラリーで楽器写真をアップしています。)
昨日、NHKの歴史秘話ヒストリアという番組で「ぴあのすとおりい~ピアノが
語る明治・大正・昭和」と言う番組があった。
明治は、国産ピアノの開発に挑戦した元紀州の藩士、山葉寅楠と東京音楽学校
初代校長の伊澤修二(元、信州高遠藩士)の物語。
私たちが講師を務めたヤマハ音楽教室の企業名「ヤマハ」は、この姓が「おこり」
だと思う…。西洋の仲間入りをめざそうと強烈な思いでのピアノ製作の事実と
今、学んでいる奈良女子大学にある「100年ピアノ」は、「山葉カン製」と
楕円形のシールが貼ってあり、製造番号からヤマハのグランドピアノの第弐号
だと言われている。明治42年に1000円で購入されたらしい。
ふむふむ…と感心しながらつながるものを感じた。
ついでに、大正期の天才ピアニスト二人の紹介があったが、なんと神戸女学院
の人で、神戸女学院は私にとっては、ややトラウマ。
女学院のピアノ科を目指しながら…挫折、甲南女子大へ。(でも万葉と出会えたもん!)
そして、昭和は太平洋戦争中、日米両軍がピアノを兵器とし、戦場に持ち込み
アメリカは戦場で演奏する戦地用ピアノ「ビクトリーモデル」を開発したことが
驚きだが、日本は敵の潜水艦や戦闘機の音を聞き分けるための「音感教育」に
使われたと知り…びっくり! 国民性なのかなあ。
ということで、たまたま「鍵盤楽器」、それもピアノが生まれるまでのチェンバロ
フォルテピアノ、そして昨日のピアノ物語…と、関心事の話題が連鎖した。
私はジルバーマンのフォルテピアノの音に、少しはまりました!!!


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