松下昌子さん、さようなら…。

甲南女子中・高・大と10年間の同級生だった、岡橋(旧姓)昌子さんが、
亡くなり、先ほどご葬儀から帰宅した。
彼女は甲南幼稚園からなので、まさに筋金入りの「甲南漬」だった。
昨日の友人の電話の「まさか…」が、新聞記事は残酷な現実を伝えていた。
きょうの1時からのご葬儀に出かけたが、松下電器の副会長夫人ということで、
多くの方々の参列があり、私たち同級生はとりつくしまもなく遠巻きに様子を
見ていた。
喪主の松下正幸さんのご挨拶は、淡々と私たちに経過を伝えて下さったが、
松下家の「よき嫁」、4人の子供たちの「良き母」、私にとって「最愛の妻」と
言われたが、最高の賛辞を聞いて昌子ちゃんもうれしかったことだろう。
結婚が噂になった時、「おかはし」「おかもと」と出席順で隣り合わせだった
こともあり、新聞社や週刊誌の記者から私に問い合わせがあった思い出がある。
やはりビッグカップルとしての話題性があったのだろう。
松下家というと、松下幸之助の偉大さから、ナショナル(今はパナソニック?)
という大会社であり、御曹司との結婚!ということで、お嫁さんも「玉の輿?」
なんて思いがちだが、いえいえ私たち甲南生の間では、筋金入りの華麗なる一族の
お嬢様だったので、大阪商人の家系にはちょっと…なんて話が出たくらいだった。
その世間知らずの昌子ちゃんが、立派にお子さんを育て、内助の功を果たし、
松下家を支えてきたのだ。でも早すぎる…。
驚いたのが、先週19日がご長女の結婚式だったそうで、準備に忙しい…というのは
友人も聞いていたようだが、2年前からの発病をひた隠しにしながら、頑張ってきた
ことをご主人が語られたのを伺い、友人はみな闘病生活を知らなかったことを悔んだ。
結婚式をも届けるかのように、力尽きたようだ。まだまだ子供たちの将来が残って
いるのに…。
つらかったのは、昌子ちゃんのお母様をお見かけしたことだ。先に逝くなんて。
4人のお子様は、本当に品の良い素敵な方々で、昌子ちゃんの子育てが偲ばれた。
ご葬儀は、やはり松下家としての葬送だったが、私たちは屈託なく青春時代を
過ごした仲間たちとして、あの頃に戻ったように、棺に向かって「よしこちゃ~ん、
さようなら~」と叫んだ! 「また会おうね!」と心で呼びかけながら。
きょうのご葬儀で久しぶりに顔を合わせた同級生たち。
旧交を温めるには、あまりに悲しい場だったが、昌子ちゃんのおかげで顔を
合わせることができたのも感謝している。
きょうのお別れが夢であったらいいのに…。私がまた、名次神社方面へ行ったときに、
ピンポンダッシュしたら、昌子ちゃんを呼び出せそうな気がするな。
私も今春こけたように、久しぶりの友人たちもまた元気で再会できますように…。
心を残しながら散会した。
きょうはクリスマス。
夜空には、昌子ちゃんの「星」も出てるかも。ミサに与って、私も「今生きている
こと」に感謝の祈りを捧げ、主のご生誕を心から祝いたいと思う。
メリークリスマス!


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