もうひとつの場面

8月の終わりを締めくくるように、今日・明日とあり、娘が演出補助(助手)
を務めた、「第15回 ビギナーズユニット」の2008年の公演に出かけた。
雨のそぼ降る京都市東山の青少年活動センターが会場だったが、「ここ」は
初めて出会った人々が、たった3ヶ月で1つの演劇作品を創り上げる戦場でも
あったところだ。演劇を目指す人、興味があって初めて参加する人など、経験も
年齢も環境も何もかも違う人たちが、心身さまざまな経験を経て、今日の
舞台を迎えたということになる。
娘は現役の舞台女優であるが、日常は演劇関連拠点のアトリエ劇研のスタッフ
として勤める一方、このような後進の演劇志望者のためのワークショップの講師や、
このビギナーズユニットの演劇助手は3回目で、一度私も見たいと思っていた。
劇団101号室(暫定劇団)の「僕の東京日記」という芝居は、私の青春時代でもある
1970年代の学生紛争と、ヒッピー(なつかしい!)の出現した社会・政治的背景の
時代の「下宿」で繰り広げられる人間模様のドラマだった。
もちろんぎこちなさもあるが、出演者たちが緊張の極みで熱演されたことに
まず心から労いたい。
私は「この芝居のために娘はどう関与・指導したのだろう。」という興味もあり
楽しく冷静に鑑賞することができた。
会場で立ち会う娘の表情を垣間見る。いつもと違う「お姉さん?」の顔に
なっている。先輩の顔だ。
自分の興業の時は、娘の素顔そのままだが、きょうは指導者の顔をしている。
きっと娘は自分で意識していないかもしれない。娘の別の一面を見た。
娘はきっと自分で演じるより、人を指導することのむづかしさを思い、
またその経験が自分に返り、毎回新たな学びとなっていることだろう。
私も過去、ピアノ講師として、自分が現役であり続けることが、生徒たちの
憧れと励みにもなり、先生も頑張っているのだという競争意識の姿勢を見せる
ことも大事だと信じ、頑張ってきた。娘も現役の女優であることが、彼らの
身近な目標となり、現実的なお手本として受け入れやすいように思う。
当の娘は、制作スタッフより女優のほうがいいらしいが、指導できることも
ありがたいことだ。チャンスに感謝!
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パンフレットの挨拶文に娘の姿勢を見た。ご紹介する。
ひとりではない。
ひとりのほうがいっそ楽だとどんなに願っても、それを許してくれない。
けれど、ひとりの存在が立ち上がっていくことが、集団にとって
どれほどの喜びか、ひとりの迷いが集団にとってどれほど切ないもので
あるか、それに気づいたときが本当の始まりなのかもしれない。
自分が存在する座標は、相対するもの、他人の存在がなければ、計り知る
ことはできません。演劇はその作業の連続です。
自分と観客、自分と演じる役柄、自分と一緒に芝居をするメンバー、どの
関係をとっても然りです。それを探り続けた末に現れるものは、演じるものの
「生きざま」そのものだと思います。
101号室の面々にとってこの3ヶ月は、その座標の測り方を探ってきた日々
でもありました。その中で彼らが選びとってきたものが、今日この日の舞台です。
3ヶ月間培ってきたものの結晶が、どうか鮮やかな光を放ちますように願って
います。そして、今年15回目を迎えるビギナーズユニットの歴史は、そんな
それぞれの新しい「生きざま」を生んできた歴史に他ならないと思います。
今ここに言葉を紡げることを心から誇りに思います。  
                    演出補 大熊ねこ(遊劇体)
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ふむ、実家にもめったに戻らず、でもこうして芝居に精魂傾けてやってるのだ!
まだ、明日もあり、ダメ出ししたり、最後の練習で微調整してるんだろうな。
いつもの親馬鹿ながら、ちょっと感動!ちょっと感心!ちょっと安心!
明日すんだら、温泉でもいくか!って声をかけたい気分です。

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