さようなら・・・。

「便りがないのは、元気な証拠!」というのは、あてにならないことを
わかっていながら・・・。一昨日、訃報を2件知り、大ショックを受けている。
北村久夫さん。河内狭山万葉楽習会をたちあげられ、病に倒れられるまで、
代表として地道に万葉の種を蒔いてこられた。
と言っても万葉専門家ではなく、「1万葉ファン」としての軌跡がある。
私との出会いは、阪神みどり会の万葉旅行。犬養先生のお供の私と犬養ファンの
奥様と一緒に参加されていた恰幅のよい、寡黙な紳士の印象が思い出される。
お二人とも小学校の先生のご夫妻で、北村さんが校長を勇退されて、平成8年に
まとめられた「愛しき日々」という冊子を頂き、「教師」として子供に親に
どんなメッセージを残してこられたかを拝見し、北村さんのお人柄を知った。
そして、最後に務められたのが富田林市立彼方小学校であったことから、
万葉集の「彼方」が地名か人名か、また大宰府の梅花の宴に壱岐守村氏彼方も
出てくることから、急速に万葉集への探究心が高まられて、奥様以上に熱心に
取り組まれるようになった。私も多くの研究資料を頂いている。
再生不良性貧血の病に冒され、急激に弱られたので、10年近く、ご自身の意欲と
裏腹に歯痒い時間を過ごされたことと思うが、地元で万葉グループを立ち上げられた
こと、彼方小学校に万葉歌碑建立(平成13年)の悲願を実現されたことは
北村さんの魂が息づいている証となった。
「彼方の 赤土の小屋に 小雨降り 床さへ濡れぬ 身に添へ我妹」巻11-2683
私には、もちろんうたがたり活動の応援をしてくださっていたが、北村さんの
弟さんが先に亡くなられたときに、「万葉集に兄が弟を偲ぶ歌がありますか?」
とお尋ねがあり、大伴家持が書持の逝去に対して詠んだ挽歌をご紹介したこと。
河内狭山楽習会で講師に呼んで頂き、お話をした時に、「二上山の見える場所」
に家を建てられたことを伺い、機会があるたびに、万葉に対する思いを感じさせて
頂いていた。
またクリスチャンだったことも知っていたが、入院されてからは、特に何度も
牧師さんに足を運んで頂き、話をすることを望まれ、安らかになっておられたと
奥様から伺い、切ない気持ちになった。このたびの私のコンサートに今回はご連絡が
ないな・・・と気になりながら、3月30日に帰天されたと聞き、1昨日まで知らなかった
事が悲しかった。
長年の闘病に付き添い、いつも明るく支えておられた奥様の存在も大きかった。
きっと奥様に心から感謝しておられることだろう。
おだやかであるが、きちっとご自分の意見を持っておられる姿勢は大好きだった。
5月18日が50日祭と伺ったが、万葉旅行の日なので行けない!!!。
私は近いうちに彼方小学校へ出向き、「万葉歌碑」の北村さんにご冥福をお祈り
してきたいと思っている。
ありがとうございました。また会う日まで・・・。
黒田基さん。扇野万葉の門下生であるが、「万葉旅行」でお知り合いになった。
「オカモのファン」と公表して、参加してくださり、最新カメラで、よくお写真を
撮って頂いた。海外旅行がご趣味で、ご夫妻で行かれるたびに「オカモのために」
お土産を探すのが楽しみと公言しておられ、恐縮だった。
おかげさまで、いろんな思い出の品々が私の手元にある(汗)。装飾品であったり、
飲食物であったり、様々に頂戴したが、黒田さんの思いやりは、私がネコが好き
ということで、必ずお土産にネコに関するラベルや、図柄や、ネコグッズであって、
私の好みに対する配慮も忘れずのお心遣いを頂いてきた。
1月7日、肝硬変で急逝されたと聞いた。黒田さんもコンサートに来て下さらなかった
けど、海外旅行中かなあ・・・などと漠然と想像していた。
忙しさにかまけて、大事な方々ときちんとお別れができなかったことが、悔しい。
ありがとうございました。また会う日まで・・・。


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