生きる権利

疾患を抱えて小さな命の灯を灯し続ける子供や、不慮の事故、過労死、
病に侵されても燃え尽きるまで生き抜く人々、たとえ植物人間になっても・・・。
この世に与えられた命はすべて尊く、「生きる」ことの困難はあっても、
誰にも侵害されることができない神秘の領域であり、平等な権利である。
神こそ人を裁くことができても人が人を裁くことはできない。
しかし、来春から日本でも裁判員制度の導入により、法曹関係者だけ
ではなく、私たち一般国民も参加し、人の罪を裁く。
そして、すでに裁判員制度は、欧米で行われているが、量刑まで決定するのは、
日本が初めてという。
しかし、裁判員制度が始まる前に「極刑」についての議論は必要だ。
きょう、光市母子殺人事件の差し戻し審の判決が下り、当時少年だった犯人に
「死刑」が宣告された。加害者の更正の可能性、人権などから、やはり
「命の重さ」を主張する人たちがいる。
しかし、全うに生活されておられた何の関係もない人の命を、理不尽にも
勝手に断ち切った少年の罪は、許されるべきではない。
年々凶悪な犯罪が増えるこの頃「生きる権利」を奪った罪の重さを
本人にも、また世間にも強く知らしめなければならないと思う。
「死刑」という刑罰は、論議されるべきである。しかし、人の「命」を
奪うことの罪は、自らの死で購っても足りないほど、許されざる罪なのだ。
今日の判決が、連日の信じがたいような凶悪犯罪の抑止効果になることを
願って止まない。
本村洋さんの9年間にわたる冷静な闘いと深い愛情で臨まれたことにも
大きな感動を覚えました。奥様とお嬢様のご冥福をお祈りいたします。


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