紀子ちゃんへの祝婚歌。

はじめて、トラックバックの書き込みを頂きました。
「全国万葉フォーラムin飯塚」の様子を客観的に、しかも詳細に
書いてくださっているので、感激です。
ありがとうございました。
私からの総括報告が先なのですが、ブレイクタイムに・・・。
11月23日(水・祝)に、ピアノ講師として初めて、教え子の
結婚式に招待して頂きました。
思い起こせば、ヤマハ音楽教室で講師を務める傍ら、昭和60年頃から
自宅でもレッスンを開業するようになり、今春転宅するまで約20年間
続けたことになります。
紀子ちゃんは小学1年生の時に私の門下生になりました。
女の子のわりには寡黙で、控えめで、目立たない生徒でした。
阪神淡路大震災の6年生の時、自宅が全壊し、お母さんと二人
「長い間お世話になりました・・・。」と挨拶に来られ、涙のお別れを
したことを思い出します。1年後、紀子ちゃんから「先生、レッスンを
お願いしたのですけど・・・。」という思いがけない電話。自宅を
再建されて、近所に戻ってこられ、レッスンを再開しました。
最近の子ども事情により、小学校高学年で既に「お受験」体制となり、
ピアノレッスンをやめてしまう子どもが殆どの中、紀子ちゃんは中学校で
ブラスバンド部に入り、トロンボーンに熱を上げ、私は阪急西宮球場で
毎年行われていた、2000人の吹奏楽の彼女の出演を見に行ったことも
あります。もちろん時間的制約の中、レッスンも中途半端になりますが、
高校進学・・・大学進学・・・状況が変っても、マイペースでレッスンに
通ってきてくれました。サテイやドビッシーなど近代音楽などが好み
だったようです。彼女が本当に「ピアノが好き!」ということで、
地道にレッスンを続けてきたことに、今、拍手を送りたいと思います。
大学生の頃は、我が家でのピアノ教室の子どもたちのクリスマス会の
お世話役をお願いしたり、私のコンサート(桜井)の受付に座って
もらったり、私も娘のように信頼して、公私に甘えていました。
さすがに、就職と共に連絡が途絶え(その頃から出会いがあった様子!)
今夏「入籍しました。」の1枚の葉書に仰天。そして結婚式のご案内に、
戸惑いながら、出席しました。
結婚式・披露宴は媒酌人・立会人・来賓もない、現代的な様相で、
時代の変化をまざまざ実感しました。(笑)
唯一の先生が私でした。「先生、何か弾いてくれますか?」と
頼まれ、「ピアノの先生だけど、万葉集を歌わせて!」ということで、
「祝婚歌」を弾き歌いさせて頂きました。
まだ若い二人ですし、我が子を嫁がせるような気分でもあり、
私と17年間の月日は、走馬灯のようにめぐり、すっかり感慨に耽った
ことでした。
うれしかったのは、最後に紀子ちゃんが伴奏して、新郎が歌を
披露した場面でした。決して上手ではない歌でしたが、彼女が
伴奏するということが、私にピアノへの愛着を示してくれたように
思えたのです。これからも精神的にピアノと一緒の生活ができたら
いいのにな・・・と願っています。
嘉穂劇場のコンサートのあとで、ガラガラ声だったことが、私の
心残りですが、祝婚歌を歌っている時に紀子ちゃんの顔が重なって
いました。そして、新郎に「反歌」のような男性であってくれることを
心から祈りつつ!!!
しかし、あの口下手で、ポーカーフェイスの紀子ちゃんの幸せ満開の
笑顔には、参りました!
愛は勝つ!


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