「令和」のたくさんの贈り物。その1

2019年が暮れようとしています。明日香村の犬養万葉記念館も仕事納めとなった12月28日の今日、朝日新聞の夕刊に犬養孝先生の記事が掲載されました。平成の御代から新たな時代となった「令和」は、犬養先生が亡くなられて20年以上も経っており、犬養先生の没後建設された犬養万葉記念館も時を経て、「レジェンドの万葉学者、犬養孝」を伝えるために今はやむなく?!私が指定管理者として関わることとなった経緯もありますが、学習院の学生時代に修学旅行で飛鳥を訪問された浩宮徳仁皇太子を犬養先生がご案内されたことは有名ですが、その浩宮さまが新たな天皇として即位された新元号が『万葉集』から選ばれたこと、発表が4月1日の犬養先生のお誕生日だったこと、昭和39年発行の『万葉の旅』全3巻の下巻九州編の「梅花の宴」の1ページにまとめられたエッセイにはすでに「初春令月 気淑風和」の抜粋があり・・・と関連の連鎖が続きました。その後、5月からの令和時代となって「万葉ブーム」がおこり、『万葉集』に注目が集まりました。取材で犬養万葉記念館や館長の岡本が紹介されましたので、私もいくつかお話をさせて頂く機会を頂きました。しかし、秋には平凡社からの依頼で、「犬養孝と歩く万葉の旅」という新たな本が出版され、西宮市からは「レジェンドの万葉学者犬養孝を語る」というラジオ番組(さくらFM)で犬養先生を取り上げて頂きました。そして思いがけなく1月3日には全国放送のTBSラジオの朝の番組で壇れいさんのコーナーで犬養先生を紹介してくださるということで、打ち合わせも終わった年末、朝日新聞のスクープ記事です。犬養先生のたましひは不滅であることをまさに実感させられた思いです。(12月28日記)

 

 

おかあさんといっしょ💛

早くも令和元年の大晦日。あせりが先行しますが、開き直りの年越し!

MHKの教育テレビでは「おかあさんといっしょ」を放送中。60周年を記念した特別番組で、子育ての頃に親子して楽しんだことを思い出しました。そして今や不惑の年を超えた娘が大好きだった「じゃじゃまる」も登場。なつかしい! この出会いが今娘が役者をしている原点ではないかと母は思います。もちろん「にこにこぷん」の絵本も買い求め、私が楽しみながら読み聞かせをした記憶はありますが、2歳過ぎで、その絵本を「声色」を登場者のたびにすべて変え、何度も表情豊かに私たちにも聞かせてくれていました。我が子ながら器用な面白い子どもだと思っていましたが、今から思うと現在の「片鱗」だったかもしれません。ちなみに1歳2か月でよちよち歩きをし始めて、テレビの西城秀樹のYMCAを真似している写真も残っていますが、「歌って踊って、演じて・・・」と本当にユニークな娘です。

2020年新春には「落語」の舞台から仕事始めのよう。まあなんでも「やる気、本気!」の娘を見ていて、母は楽しませてもらっておりますが・・・。余談ですが私も甲南女子高校で有志が盛り上がり「落語研究会」(落研)の立ち上げを画策しましたが、あえなく却下されたことを思い出しました。その時は私は「じゅげむ」がレパートリーでした。やはり血は争えないかも???

と思いつつ、来年も元気で「役者稼業」に精を出してほしいです。母はいやがられても最強のサポーターとして追っかけるぞ!!!

 

令和の時、西宮市に万葉歌碑が生まれる!

週末の9月28日土曜日にいよいよ西宮市の私立の武庫川学院のキャンパスに万葉歌碑が建立されます。その除幕の佳き日に、万葉うたがたりコンサートでお祝いさせて頂くことになりました。

私の母校、甲南女子学園もすでに創立90周年を経ましたが、同じく阪神間で女子教育の一貫校として、名高い武庫川女子学院が今年創立80周年を迎えられました。特に大学の充実が素晴らしく、女子大ではありますが、総合大学と言っても過言ではない文系・薬学・建築などの理科系、工学系、また音楽・体育・家政など多様な女子専門教育の府で、私の母校の教育の混迷ぶりを見ていますとうらやましい限りです。犬養孝先生の風土文芸学の後継者として清原和義先生が教鞭をとっておられましたので、私たちも武庫川女子大学の方々とも長くご縁ができ、いまなお「万葉風土研究会」という清原ゼミOBの会の方々ともよいお付き合いをしています。今は影山尚之教授が万葉ゼミで学生を指導、育成なさっておられます。

「えにし」とは不思議なもので、現在の武庫川女子大学の副学長山﨑彰さんがなんと大阪大学で犬養先生に万葉集を学ばれ、私とも同世代ですので、万葉旅行もご一緒に参加していた仲間と言えます。80周年記念事業として企画されていた碑建立についても、学院の名である地元「武庫川」を意識した万葉歌を碑面に・・・と1年以上前から決定していましたが、思いがけず新たな御代が令和となり、(万葉集に脚光が浴びたことはいまや周知のことですが、)80周年の記念の碑が万葉歌碑であったことが、私をはじめ思いがけない慶びでした。

そして、その大事な機会に万葉うたがたりの機会をくださいまして、お祝いの演奏を刺せていただきますことは、ほんとうにありがたいことと思っております。もちろん除幕式に合わせて記念の歌もご披露いたします。みなさまにどのように聴いていただけますか不安ではありますが、メンバーで練習を重ねるうちに大好きな曲となりました。

西宮市にとっても石柱のような碑がありますが、犬養先生の西田公園の揮毫歌碑に次ぐ貴重な万葉歌碑です。建立された後は、武庫川学院のキャンパスも今後はあらたな万葉故地としてまた旅人が訪ねてこられることでしょう。

除幕式も講演、コンサートも自由参加だそうです。コンサート会場も400名と伺いました。どうぞみなさんご参集くださいまして、令和を祝し、西宮市の新たな万葉歌碑の誕生にお立会いくださいませんか。みなさまのご来場をお待ちしております。

前回は、記紀万葉イベントで、阪神沿線の大学会場として中西進さんら研究者のご講演、そして岡本三千代と万葉うたがたり会も出演させて頂きました。以来の機会です。

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おめでとう! 

先日、父が卒寿の佳き日を迎えました。健康で、また母とともに夫婦で穏やかに過ごせる日々をありがたく思います。
今はすっかり悠々自適の日々ですが、外出も減り、交流も少なくなってる中、唯一「囲碁」だけは趣味としてこだわりがあるようで、やや足に自信がなくなってきたにも関わらず、「囲碁」に出かける日は雨が降っても台風が来てもなんのそののようです。それくらい好きなことがあることが不思議なくらい・・・。
今年は記念すべきバースデーだったはずですが、甥っ子の第2子誕生後で、弟家族は落ち着かず、私も娘も仕事があり・・・と、当日電話で「おめでとう」と伝えることしかできなかったのですが、娘の配慮で遅ればせにささやかな会食と「お祝い」をすることができました。
両親には孫が3人ですが、特に「初孫」が、娘の子であること(笑)と、一緒に暮らして成長を見ていたことから、娘のつかさがかわいくてならないようです。そのつかさが帰宅して一緒に会食し、ハッピーバースデーを歌い、ケーキでお祝いできたので「かずじい」は大満足のようでした。よかった!
父が「90歳」なんて信じられないのですが、娘も今年「40歳」・・・。そうだ、50歳でおじいちゃんになったんだ!若い!なんて思い出しながら、時の流れに感慨を覚えたことでした。来年もそろってお祝いしようね!
おめでとうございます!!!

菊の香に寄せる感謝♡

2014年の秋から明日香村にある恩師を顕彰した記念館、犬養万葉記念館の指定管理者となって丸4年が経った。4月の2期目からはお引き受けする条件として、記念館での勤務については自由にということで、老両親が心だよりにしていることもあり、館長講座やイベント日などに限り行き来しているのが現状だ。2期目になり、スタッフたちの努力のおかげもあり、記念館の日常が軌道に乗ってきたことは大変ありがたいことだ。
2014年の秋、あわただしくスタートした時から犬養万葉記念館に素晴らしい菊の花をご提供頂き、入館してくださった方々を楽しませてくださったが、以来毎年必ず季節になると声をかけてくださる河合幸子さん。あつかましい私は「ぜひおかせてください」とおねだりし、1期期間中の3年間毎年丹精して育てられた菊の花を楽しませていただいた。そして4年目の今日、記念館に再び菊の花を届けてくださったが、「先生、明日香で菊の花を作る人が、もう3人になってしまいました。高松塚で開催していた展示会ももう無くなりました。」とのこと。「1本ずつ命名された菊の花」を育て上げることの大変さは、時間と労力と愛情の賜物だ。高齢化も一因であると思うが、4月から選定し、挿し木をし、1本菊にするための支えや、手入れ、手間も大変なようだ。それでもその努力がまさに「開花」したときの喜びは一入なのだと想像に難くない。


そして今日、明日香村公民館で講座があり、到着すると玄関先にも立派な菊の花が飾ってあった。やはりほとんどが河合さんの作品だった。
犬養万葉記念館では、門前と会館入り口と、室内と分けて置かせていただいている。河合さんが手塩にかけられた菊の花を私たちだけではなく、来館してくださった方が喜んでくださるだろう。「菊のご紋章」ではないが、日本人に身近な菊の花も年々見る機会が少なくなってきた。風物詩のように各地で見られた菊人形も、限られた場所でしか開催されなくなってきた。芸術的に菊を操る「菊師」が居なくなったからとも聞く。ヘタすれば「お葬式の花」の認識になりかねない。
「私、菊の花が一番好きですねん。香りもいいし・・・」と、おっしゃった河合さんの言葉が忘れられないのだ。咲くと華やかで格調も高くあるが、特別に目立つ花ではなくどこか謙虚で控えめな感じ。これは大いにご本人と通ずるところがあるような気がする。今日から菊の花によって彩られた記念館で、訪問された方々にも「秋の季節」を堪能していただきたいものだ。

オームの思い出。

オーム真理教の凶悪犯罪に対して、死刑宣告を受けた半分の罪人が本日死刑執行された。

24年という歳月は、私たち阪神淡路大震災で被災したものにとっては、忘れられない時間だ。平成7年1月17日に震災が起こった。すべての報道が地震1色だったが、3月20日に地下鉄サリン事件が起こってからは、阪神淡路大震災の報道は水面下のものとなってしまい、国民の話題、注目がすっかり震災報道から切り替わったことを鮮明に覚えている。被災者の私たちはオーム事件のことよりも日々の生活に追われたが、サリン事件によって国民の関心があっという間に移っていった。その後、東日本でも熊本でも「ずっと忘れてはならない!」という呼びかけのフレーズが叫ばれるように、まさに新たな事件・話題がおこるたびに悲しいかな、人々の心はそちらへ誘導されてしまうのだ。

さて、犬養先生が被災されて、翌日の100基目の高松塚の歌碑除幕騒動のあと、1か月間橿原ロイヤルホテルで過ごされ、その後武庫川団地の阪大教え子のマンションに仮住まいされた。そして数か月たって、久寿川の家を建て直すまでどうぞ・・・と宝塚の仁川にあるやはり教え子の方の建てられた1軒家を借りて、住まわれた。そこでは最低限の生活で、犬養先生は何もすることがなくて(できなくて)、1日中テレビの前で過ごしておられた。阪大生が冗談で持ち込んだオーム真理教の雑誌が何冊かあり、熱心に読んでおられた。そして連日サリン事件後のテレビ報道を見ながら犬養先生の記憶力のすごさというか、なんと麻原率いる幹部や、インタビューなどに応える信者たちの「ホーリーネーム」をすっかり覚えておられたのだ。一緒にテレビを見ていた私に「あの人は・・・って言うんだよ!」と得意げに次々と教えてくださったときは、本当に犬養先生の好奇心と記憶力に驚いた。(ちょっと楽しそうだった) 仕事どころか、なにもできない環境にあって1日中椅子に座って無為に過ごされる姿が気になっていただけに、この衝撃的なオームの話題は犬養先生の連日の関心事となっていた。私だけが知っているエピソードかも???(笑)

あれから24年。阪神淡路震災もオーム真理教も地下鉄サリン事件もまったく知らない若者が増えていると聞く。ならば、70年以上前の太平洋戦争などは若者にとってもはや風化してしまってるのだろうか。それも恐ろしいことだ。