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中谷 一先生を偲ぶ。

中谷
直接訃報をお聞きしていなかったので、この場を借りてお悔やみ申し上げたいと思います。大阪高等学校の時の教え子として、犬養先生とは長いお付き合いでした。旧制高校の名物「寮歌」がお好きで、万葉旅行中でも犬養先生もご一緒に歌われましたので、犬養先生の母校熊本五高の「武夫原頭に草萌えて」や、「大阪高等学校全寮歌」は今でも私は何となく歌えます。これは中谷先生のご参加の賜物と思います。眼科の専門でいらっしゃいましたので、犬養先生が80歳前後でご高齢でしたが「白内障」の手術を受けられました。その時の執刀医でもいらっしゃいました。犬養先生が大好きで、大好きで、ご自身の亡くなられる直前まで、お年始・奥様のご命日には訪問されていました。もちろん先生が亡くなられてからは、先生のご命日にも必ずお参りくださっていました。何か思われるところがあるのか、犬養先生以外の方の主催の会や除幕式・旅行には犬養先生が同行されても一切参加されず、阪大関係のみのお付き合いでした。また、犬養万葉顕彰会の2代目会長、扇野聖史さんが任期半ばで逝去された後、尾木さんの指名で中谷先生が3代目の会長となられました。その間、犬養先生のXdayや犬養万葉記念館の建設計画の再浮上したむずかしい時期を迎えられ、中谷先生と顕彰会の役員との協議がうまくいかないことがたびたびあり、早々に辞められました。その後を引き継いだのが第4代の女性会長の私ということになります。今、思い返しても「犬養先生との絆」は太く強いものだったと思いますが、みんなで交わって犬養先生を盛り立てていくタイプではなく、個人でずっと慕い続けてこられたそのスタイルこそが、中谷先生のお人柄だったのではと思います。医師の参加で、犬養先生も頼っておられたと思いますし、万葉旅行はとても安心でした。ビールが大好きで、潮岬で万葉旅行の世話役委員との交流会では浴びるほど飲まれる豪傑でした。亡くなられたのは残念ですが、大好きな犬養先生のもとへまた一人旅立っていかれました。私は、学生時代からのご縁でしたが、顕彰会での確執から、その後、犬養万葉記念館行事や、生誕100年祭や、命日祭など行事には一切参加してくださいませんでしたので、ずっと心に曇りを持ったままのお別れとなりました。仕方がないかな。ご冥福をお祈り申し上げます。

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TSUBAICHI5周年!「恩師犬養先生を語る」

2009年4月10日にオープンしましたオカモサロンTSUBAICHIも、無我夢中で
過ごす毎日が、はや満5年となりました。あらためて感慨深い思いです。
万葉うたがたりの活動拠点であり、仲間の音楽活動の場でもあり、また、万葉発信地として
スタートしましたが、手探りでのサロン経営は今から思うと(今でも)本当に気楽なことでした。
今後もひたすら「楽しく」続けていけたら・・・と願うばかりです。
お祝いのお言葉だけではなく、たくさんのお祝のお品を頂戴し、重ね重ね恐縮いたしました。
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皆様ほんとうにありがとうございました。
さて5周年を記念して、2日間にわたり記念イベントを致しました。
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初日の12日(土)は、私の大好きな犬養先生にこだわりたくて、山内英正さんと中西久幸さんに
ご講演をして頂きました。
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山内さんはサロンがオープンしてから、何回か「炉辺談義シリーズ」として、犬養先生のお話を
して頂いていました。今回は5回目。そして山内さんも甲陽学院を定年退職されたので、お話を
して頂くだけでなく、山内さんの「労いの会」も催したくて、懇親会には名物のTSUBAICHI宴会部が
出動いたしました(笑)。
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もう一人の講師、中西久幸さんはサロンでも和歌文学講座シリーズの講師をはじめ、蓄音機カフェの
案内人であり、サロン立ち上げのときからお世話様になっている恩人です。そして中西さんの
「犬養万葉かるた」の分析や、私たちの気づかない「犬養万葉」ファミリーの仕組みや特徴をよく観察して
おられ、今回はぜひにとご講演をお願い致しました。
お互いが仲間うちであるので、客観的にあらためて自分たちの在り様を知ることができ、興味深い内容でした。
甘党の山内さんのスウィーツパーティーはあらためてご紹介したいと思います(笑)。
犬養先生を通じてのご縁が、清原先生の教え子の方にも広がり、万葉風土研究会の方々が多く
来てくださって犬養ー清原ー山内の万葉ネットワークも繋がり、絆を確認できたことをうれしく思いました。
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大阪近辺だけではなく、茨城、和歌山、富山、愛媛、奈良などからもご来場頂きありがとうございました。

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明日香村の春

2月2日には飛鳥坐神社で、西日本の3大奇祭の一つと言われる有名な「おんだ祭」
が行われます。
神社はきっと今頃準備で大変なことでしょう。ちょっとお天気が心配ですが…。
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明日香村、大和ひいては日本の国の五穀豊穣を祈って、農耕民族の日本人の信仰と祈りの
ご神事が今も続いています。
普段は静かな境内も「福の神」にあやかりたい人々の群れでいっぱいになります。
私は毎月講座で明日香村へ伺っているので、お正月に敬意を表しにご挨拶に行ってきました。
年中咲いているという「桜」も有名ですが、やはり坐神社ではすでに桜の開花が始まって
いました。
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久しぶりの坐神社には、犬養先生揮毫の歌碑がありますが、なんと昨年2基が建立され
増えていました。
1基は、境内の階段の横に「三諸の子守歌」(オカモいわく)が…。
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もう1基は拝殿手前の桜の木の横に…。加夜奈留美神社と同じ歌?
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建立が飛鳥古京を守る会となっているのですが、この会はすでに解散して消滅した会。
今頃なんで…なんだか釈然としない感じ…。想像の域ですが、残金・浄財の還元のような
気がしてならないです…(とひとりごと)。
しかし、坐神社の見どころが増えて、大変にぎやかになりました。
そうそう、私が犬養万葉顕彰会の会長をしていた時に、会員のおひとりから申し出がありました。
それは、犬養先生と一緒に歩いた和歌山県の「糸我」の桜の枝を持ち帰り、挿し木をしたところ
植木鉢で手に負えなくなったので、明日香村の犬養先生のゆかりの場所に移植して育てて
ほしいという申し出でした。移植地に悩んでいたところ、坐神社の飛鳥弘文宮司が快く
引き受けてくださり、宮司自らの手で植え替えてくださいました。
1メートルくらいだった桜が、「糸我の桜」がこんなに大きくなっていました。
残念ながら、花は一度も咲いたことがないそうで…。どうしてかしらん???
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飛鳥坐神社の正面も整備が進み風景がより美しくなりました。
さて、明日どれくらいの方々が訪れることやら…。ニュース報道があることでしょう。
私は、サロンで加藤ヒロユキさんのラジオ番組「涙のラブレター」の公開イベントがあり、
見に行くことができません。残念!!!

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2014年は犬養歌碑に初詣。

新年、あけましておめでとうございます。
あわただしく2013年と2014年の区切りの時間が過ぎてしまいました。
黒豆は炊いたものの、お掃除も中途半端、買い物も銀行も人混みで嫌気がさし、
途中で帰宅する始末。
それでも新年を迎えられる「現代」に、私自身「新年を迎えること」の新たな気持ちや、
緊張感に欠けることを恥ずかしく思っています。
「忙しい~…」という弁解は、単なる自己弁護にすぎないことに気付きながら、流される
私に「喝!」です。
今年は初めて新年を自宅ではなく、出かけていましたので、初詣は是非にと決めていた
犬養先生の揮毫歌碑にご挨拶に行ってきました。
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名張の夏見廃寺の大伯皇女の万葉歌碑です。
娘とドライブでしたので、歌碑が私のこだわる「二上エレジー」の歌でもあることで、
元旦に娘と一緒に散策できたことをとてもうれしく思いました。
国の史跡でもあるので、大伯皇女が晩年過ごしたと言われる昌福寺の礎石を見たり、
平成8年に万葉うたがたりコンサートをした場所を尋ねられ、なつかしく説明しながら、
ひとときを過ごしました。
娘たちの劇団もここで「野外劇」でもできればいいなと思いました。
夜、ライトアップされたこの場所で、妖しい泉鏡花の世界が表現されるのもありです(笑)。
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夏見廃寺周辺はもちろん、人影もなく、静けさに満ちていました。
「犬養先生、今年もがんばります! やさしく見守っていてくださいね!」とお願い
してきました。
ブログを見てくださる皆様にも心よりご支援をお願い申し上げます。

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再会と素敵なお食事タイム

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茨城県の筑波山のふもと、下妻市在住の大木さんが久しぶりに大阪へ。
大木さんは地元東歌研究会の代表でもありますが、筑波山神社をはじめ、
個人でいくつも万葉歌碑を建立されて、それを地元に寄付し、ふるさと発信、貢献の
大きな原動力となっておられます。
ご縁を得てからずいぶん経ちますが、平成22年11月に、筑波山神社に犬養先生の墨書を
もとに高橋虫麻呂の「筑波山歌」の長歌の歌碑を建立された時には、なんとその歌碑の
裏面には提供者として私の名を刻んで下さいました。恐縮でこんな光栄はありません!
さて、再会とはもちろん大木さんともお久しぶりですが、写真に一緒に写っておられる
中国人の唐さんとおっしゃる、経済学者でもある若手大学教授と再会を果たしました。
大木さんが平成23年に春日大社に「大和しうるはし」の歌碑を建立され、除幕式の時に
初めて唐さんご夫妻にお目にかかりました。日本語も達者で、素敵なご夫妻でした。
きょうは、その時以来の再会のひとときでしたが、大木さんとお二人のお出会いに私も
お誘い頂き、とてもうれしいことでした。
昼食をしたのは千里ニュータウンの桃山台にある「スコーネ」というフレンチのお店でした。
千里ニュータウンの秋景色を楽しみながら到着しました。
唐さんの行きつけのオススメのお店ということで、お昼のランチでしたが、いやいや贅沢な
メニューで、とても美味しく頂きました。
せっかくの機会でしたので、前菜の次のメインデイッシュ以外はみんな違うものを注文…。
(お味見のトレードはしましたが)笑
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前菜もこだわりの無農薬野菜をピクルスにされたり、手作りのニシン漬けや、お肉のパテ
や、スモークサーモンなど具だくさん。色目もきれいです。
そしてメインは、肉・豚・魚で、大木さんチョイスは「蝦夷シカのステーキ、ブルーベリー
ソースがけ」。蝦夷シカと聞いて「鹿肉」に話題が及び、大木さんのご趣味の狩猟の経験談
を聞かせて頂き、興味深かったです。
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そして私はイベリコ豚の赤ワインソースがけで、よく言う「共食い」でした!
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すべてたべたことのある唐さんは、舌平目のムニエル、ホタテ添え!
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話も弾みながら、美味しいお料理に舌鼓を打ちました。そして手作りデザートは、パンプキン
プリンとガナッシュのケーキです。
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唐さんのオススメのお店の理由は、とても簡単でした。こだわりの食材に腕で「美味しい」
ことと、シェフと奥様のお二人のお人柄にあるようでした。それがアットホームな雰囲気で、
堅苦しくないフレンチレストランになっていて、唐さんも常連になっておられるのでしょう。
きょうは、私が「スコーネ」の宣伝部長として、ご紹介させて頂きました。
次回は、「ワイン」も選びながら、シェフご自慢のお料理を食べたいと思いました。
大木さんはなかなかこの場所が覚えられないということでしたので、大阪へ来られた時は
いつでもご案内いたしますよ!!!(笑)
千里ニュータウンも「紅葉スポット」がいくつかあるようです。
気持ちの良い、昼下がりでした。唐さんは春から中央大学へ転勤されます。
「スコーネ」のことを思うと、きっとおさびしいことでしょう!
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魅力がいっぱい、三井楽町。

ブログの記事もなかなか時系列で書けないのですが、FBに「三井楽万葉まつり」に
ついて写真中心にご報告しましたので、ブログでもう少し書き加えます。
三井楽町は平成17年の市町村合併まで、福江島の中でも独自に「西の果ての万葉の里」
として地元発信を努力しながら続けて来られました。
万葉ファンの誘致をはじめ、施設や環境作りにも取り組まれ、犬養先生の揮毫歌碑建立や
遣唐使ふるさと館の建設、地ビール産業など、平成の時代とともに地道な努力が実を結び、
有数の万葉故地として、しっかりと定着しました。
私たちも万葉うたがたりコンサートを3回させていただいています。
しかし、合併により五島市となってからは、市の一部地域となり、今までのような独自で
個性的な活動ができなくなったばかりか、経済的な負担の精算などで、町の活気が失せて
行きました。平成20年に私が個人的に訪れた時には、遣唐使ふるさと館は「道の駅」と
呼ばれ、お土産ものであふれていた棚が半分くらい空っぽで、その代わりに福江港の
ターミナルが玄関口として、大変立派になっていたことを思い出します。
今年の夏頃に、かつて役場で中心になって町づくりを果たされた谷川さんから連絡を頂き、
五島市となってから、三井楽町は「万葉まつり」として参加しておられた2月の「椿まつり」
も市の方針で、今後行事がなくなるかも…ということに対して、妥協しながらやってこられた
行事がいよいよなくなってしまうことの危機感と、もう一度地元の活性のためにも
私たちのような全国に広がる万葉ファンの協力を仰ぎながら、再び三井楽町の有志を中心に
がんばっていこうとしています…と伺いました。
そこで私には急遽11月に行うことになった「万葉まつり」の講演者を推薦してほしいという
依頼でした。
私も候補の一人ではありましたが(笑)、急な行事の決定で、秋の行楽シーズンは既に
予定の詰まった人ばかりでした。私も打診された2日間の予定では無理だったのですが、
17日だけなら…と16日に深夜便の博多からのフェリーでならば、17日の出演は可能と
言うことを申し上げていましたら、白羽の矢が…それでチャンスを頂いたわけです。
講演内容には「いつも皆が聞いて知っているような話(荒雄かな)ではなく、これからの
三井楽町のためにヒントとなるような話などを中心に…」とご希望がありました。
内容はずいぶん自身で検討しました。
結果、私の話が皆様にどのように伝わったかは気になるところですが、反対に朝から
予定されたプログラムは、子供たち中心に作られていましたが、それぞれになかなか
レベルが高く、おそらく地元では子供たちにしっかりとふるさと教育が行われている
のだと言う実感を持ちました。
その潜在力を如何に育て生かすかがこれからだと思いますし、並行して、地ビールに
替わる焼酎生産や、電気自動車のレンタルや、しまとく通貨という金券サービスなど、
五島市の新たな取り組みに、三井楽町も対応して、環境・設備面でも変化を遂げようと
しておられる途上であることを垣間見ました。人も環境も整いつつあります。
私自身がこの機会を楽しみにしていたこともありましたが、4年前に訪れた時からは
明らかににぎわいがありましたし、みいらくの遣唐使ふるさと館は「五島市」の象徴で
ある!という言葉をもれ伺い、あらためて心強く思ったことでした。
遣唐使の寄港地、万葉歌の荒雄伝説、五島の椿、そして極めつけは天智天皇の「むべ」
でしたね。
きりしたんの隠れ里として有名ですが、古代からの歴史がいっぱい刻まれた、やはり
ここは「万葉のふるさと」でした!!!
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2014年度版「猪名川万葉植物園だより」カレンダーに寄せて

つらつら椿株式会社で制作致しております、万葉花カレンダー「猪名川万葉植物園だより」
も今年で4刷目の2014年版ができあがりました。
このカレンダーの制作を思い立ったのは、それまで20余年の長きにわたってお親しく
して頂いていた、山口県下松市の万葉花写真家の岡田憲佳さんが、毎年素晴らしい
「万葉花カレンダー」を制作しておられました。
私もカレンダーに限らず、絵葉書や万葉花を網羅した文庫本や、岡田作品が大好きでした.
「岡本さん、万葉花の撮影は自然光で、朝にだけ撮影するのですよ。」と、自然に咲く
花の美しさや表情を、自然のままに撮り続けることにこだわっておられました。
そして私はいつものように、「岡田さん、今年のカレンダーはいつできあがりますか?」と
お尋ねしたのが3年前です。
お電話の向こうで「岡本さん、もう高齢になってしまって、今年から作るのをやめました。」
とのお返事にはしばし絶句しました。
その後、今年5月にご逝去の報が届き、何とも言えない寂しさがございました。
「万葉カレンダー」がもうないのだというショックと、私も毎年岡田作品を自分の作品の
ように自慢げにご紹介をしていましたので、それを楽しみにしてくださっている方々からの
お問い合わせもありました。
それが「TSUBAICHI猪名川万葉植物園だより」の制作を思い立ったきっかけです。
岡田憲佳さんのカレンダーは、もはや「芸術写真、作品」でしたが、私は恩師犬養孝先生の
ご功績のひとつである『万葉集』を身近に広めることが、万葉カレンダーの魅力、
発信力でもあったと思っておりましたので、なんとかならないものかと思いました。
幸運なことに、大先輩でいらっしゃいますが、同じ犬養先生の門下である、木田隆夫さんが、
定年退職されたのち、自宅の山林に万葉植物を植栽され、今では100種類以上の
万葉植物を愛情を注ぎながら育てておられますが、四季折々楽しめる万葉植物園として、
私たちにも公開してくださっていました。
ひょっとして万葉歌に関わる草木花を猪名川万葉植物園のご協力でご紹介できるのでは・・・と
私が手探りで制作をさせて頂いてからはや4年目となりました。
写真家でもあり、自ら印刷会社を経営しておられた岡田憲佳さんの「カレンダー」には
はるか及ばないものですが、万葉花を愛する私たちの思いを託した、また万葉歌で、
古代人が植物に寄せて詠った心情を少しでも理解して頂けるのではないかとこだわりを
持って作らせて頂いたカレンダーです。
岡田憲佳さんが亡くなられた今、「万葉発信」の遺志を引き継がせて頂いているという
自負を持って、あらためて感謝と追悼の意を申し述べたいと思います。
「岡田さん、ありがとうございました。」
そして一人でも多くの方々に一年を通じて楽しんで頂ける万葉グッズとして
お求め頂ければ、幸いに存じます。
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こだわりの「椿」の表紙は、友人の朝熊純一さんが書いて下さいました。
多くの方々のご協力、愛情のつまった作品ができあがりました。

谷中墓参

9月28日に西宮神社で犬養孝先生の15年命日祭を終えたことは、HPのトップページでも
ご報告した通りです。
そして、ちょうど10月に東京大学で萬葉学会が予定されていましたので、上京の折に
谷中の墓参を楽しみにしていました。
平成10年10月3日がご命日ですので、タイムリーでもありました。
私にとっては上野駅からもはや歩きなれた道です。
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ちょうど3連休ということで、墓地内の各所で「谷中まつり」が行われており、お花見と言い
物見遊山のスポットでもある「谷中墓地」の微笑ましく庶民的な様子を改めて実感しました。
帰りは日暮里から駒込経由、東大前へ。谷中墓地から紅葉坂を下って…。
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東大というのは、4年前に甥の卒業式で、さも親のような顔をして参列しましたが、その時も
犬養先生の「学び舎」を追憶したくて、赤門をくぐったことを思い出します。
昨年2013年の萬葉学会が、東京大学で行われる予定を聞いた時、「萬葉」が東大で語られる
機会が訪れたことと、母校でもないのに懐かしい気持ちがしました(笑)。
ピアノのレッスンで2回東大に来たことも理由のひとつですが…。
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東京大学文学部棟。広い構内で会場にたどり着くまでに、もう銀杏の落ちている銀杏並木を
抜けたり、初代学長の石造の前を通ったり、また、大学の新たな施設建設のために、発掘
調査をされているところもありました。
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レンガの積まれたあとや、井戸など、歴史的遺物のようです。東大は関東大震災でもその後の
火災等で、図書館の書物が焼けてしまったり、資料が消滅してしまったり…と痛手も多かった
そうですが、偶然に持ち出されて唯一残っていた校本萬葉集」の版に用いたと思われるゴム印を
学会当日、特別に公開してくださいました。
会場校としてご挨拶をしてくださった月本雅幸先生が、以上のような話題や、大学図書館の
震災などを経て歩んできた歴史や、残存の貴重な資料のお話など、大変矯味深いお話を流暢に
してくださり、とても印象的でした。
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私は亀井君(東大法学部卒)の大学で合唱の伴奏をするのに、ピアノのレッスンに2度伺い
ましたが、学生会館には、複数のグランドピアノがあり、その時に音大でもないのにすごいと
思いましたが、なんと文学部の教室にもやはりヤマハのグランドピアノが置いてありました。
品田先生の駒場にはパイプオルガンもあるとか。とても贅沢な設備がうらやましい。
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懇親会で、月本先生もドイツで10年ほどピアノレッスンをされたと伺い尊敬してしまいましたが、
東大の男子学生の二人に一人はピアノ経験がある…と聞き、勉学と両立する優秀な子どもたちの
現実?に、改めて東大生は教育環境の恵まれたこどもたちでもあることに羨望がありました。
肝心の学会の内容については…、またあらためて感想を書くつもりです。
谷中で犬養先生と再会することから始まった東京の旅は、帰りの新幹線に乗車する前に親友とも
再会できました。
昨年還暦旅行で帰りに撮った「東京駅」。やはりライティングされて、きれいでした。
私のようなオノボリさんは写真を盛んに撮っていました。もちろん私も!
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「KITTE]という旧東京丸の内郵便局をリニューアルした商業施設で食事をして、つもる話を
しましたが、時間切れ…。また来るね!と約束をして帰途に…。彼女のお誕生日の前日でもあり、
少しでも会えてよかった。
再び東京駅での記念写真です。充実した1泊2日の東京。翌日の臨地研修はキャンセルして、
翌日のTSUBAICHIでのサロンコンサートの準備のため帰宅しましたが、楽しかった!!!
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石見万葉の旅へ

邑南町の岩屋から、山中を通り、まず斎藤茂吉の鴨山記念館へ。
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芝桜の美しさで見逃しそうになったのは、「おきな草」
斎藤茂吉が好きで、山形から取り寄せて植栽されたそうだ。見いつけた!
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こじんまりとした館だったが、うれしいことに犬養先生の揮毫色紙も展示してあった。
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今日だけなぜか売られていた貴重なる「鴨山だんご」。ゲット!
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いよいよ、すぐ近い湯抱温泉地へ出発。
かつての邑智郡粕淵の山を明治の歌人、斎藤茂吉が柿本人麻呂の終焉の地「鴨山」と
断定したところだ。
学生時代も4軒しかない旅館に分宿し、4軒すべてで大阪大学万葉旅行の会の貸し切り状態に
なる、独特の万葉故地だった。
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懐かしい日の出旅館があった! 中村屋もある。しかしあまりの静けさに人の気配も
感じられない。いつからか時の止まったままの「湯抱温泉」がそこにあった。
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みんなで鴨山公園へ。奥に見えるのが「鴨山」です。現地の津目山。
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万葉故地として多くの人が認めている「志都の石室」は、海岸線(交通路)にある伝説地で
石見大田市静間の海岸にも立ち寄った。
立ち入り禁止の洞窟にちょっとお邪魔して、江戸時代の石碑を確認。
古代の神様がおられた場所は、こんな暗い狭いところだったのかしらん?(笑)
一路、宿泊地温泉津温泉へ。「ゆのつ温泉」と読む。

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あれから5年!

犬養先生の揮毫された歌碑のある、島根県邑南町の志都岩屋神社。
建立者の竹内正幸さんの出身地、ふるさとであるが、建立されてから5年ごとに歌碑への表敬
訪問をなさっておられる。
5年に1度と言うと、ずいぶん時間の流れを感じるが、実は私はお誘い頂いてから毎回
参加しており、今回で4回目の旅となった。
さすがに竹内さんも年を重ねられて、今回の旅はTSUBAICHIで企画してくれないかという
ご依頼を頂き、「島根・江津の旅~人麻呂を訪ねて~」として志都岩屋神社を訪れることを
メインに呼びかけた。
初めて参加される方のために、「石見万葉」の旅としてあらたな部分もコースにいれたり、
竹内さんに時間的な妥協を求めた。
大阪集合解散ではなく、広島を起点とすることなど、了解を頂きながら計画し、時期は
4月29日、30日とゴールデンウイークのはじめとなった。しかしこれも「八重桜」の開花時期を
考慮してのものだった。
10時に広島駅集合、人はバスに乗り込み一路、かつての島根県瑞穂町(邑南郡邑南町岩屋)
を目指した。

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5年ぶりの訪問に、犬養先生も喜ばれたことだろう。
副碑は、竹内さんの奥様、書家の美代子さんが書かれたもの。5年前の訪問は、前年奥様を
亡くされたばかりだったので、追悼の旅でもあった。それもきっかけとなり、昨年私たちの
TSUBAICHIで、竹内美代子さんの作品展をさせて頂いたことの感慨があった。
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そして、八重桜の碑。その後清原和義先生が来られた時にお手植えされたと言われる
「清原桜」。
過去15年前から参加している私だが、山ふところの桜故、咲いていたことがなかったのだ。
それで思案した決定した「旅行予定日」。
昨年は遅い桜だったので…のはずが、今年は寒さに反比例して町は早々に咲いてしまい、
私たちは不安を残しながらの出発だったが、「バンザ~イ!」咲いていました。
たわわな満開の八重桜が。
これも私にとってはこだわりポイントだったので、本当にうれしいことだった。
清原先生の奥様も「清原桜」目的の旅を気にかけての毎回参加だと思っていたので、
私も肩の荷が降りた気持ちだった。
「さくら君、やっと咲いているところを見てあげられたね!」
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感激したのが、地元の方々が心をこめて作って下さった山菜中心のお弁当。
じっと見ているだけでもなつかしさがこみ上げてくる。ありがとうございました。
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竹内さんの故郷を今も守ってくださる方々が迎えてくださった。
町会議員さん、神社総代、区長、そして歌碑が建立されたときに生まれた日高理沙ちゃん。
限界集落と言われるこの地を代表する人々だ。
みなさん、ご丁寧なおもてなしを頂き、本当にありがとうございました。
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これは参加者で唯一、裏山の頂上まで登った西本君の「証拠写真」。
私も登ってこの景色も見たかったなあ。「忘れがたき…ふるさと」♪ですね。
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心を残し、見送られながら、斎藤茂吉の執念の「人麻呂終焉の地へ」。
次は「鴨山」をアップします。