犬養先生、ご命日。

仕事場から出るときれいな夕焼けでした。お月さまは三日月。
いつもは車か自転車で向う犬養邸に、久しぶりに、本当に久しぶりに阪神電車の久寿川駅から
歩いて行きました。
駅舎もきれいになって変わってしまったけど、犬養先生と共に何度も歩いた懐かしい場所。
てみやげ?(お供え)の「うなぎ弁当」が、妙に楽しくて…。
時間は遅くなってしまいましたが、いつもながらに「おかもで~す。」と訪問。
床の間に神棚が設けられて、犬養先生の御魂がおられました。
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まもなく山内さんが来られ、吉本さんご夫妻と4人で楽しく談笑。
犬養先生の話も、この4人ではつい昨日のような出来事のように、話に花が咲きました。
しかし、もう満13年が経ちます。
山内さんは、つい昨日仙台の出張から帰ってこられたばかり…。
東日本の被災地で、気になる多賀城へも回ってこられたようです。話では想像以上の
被害状況です・万葉歌碑のある、市役所も建物そのものが危険で、近づけないとか。
がれきと、放置された車、人の気配のない商店街…といまだ荒廃したさまのままに
あらためてショックだったとおっしゃっていました。
宮城県に近い岩手の大船渡市。そこの復興のシンボルであるお菓子をおみやげに持って
来てくださっていました。「かもめのたまご」です。
目が悪かった犬養先生なら、本物の卵…と間違えられそうな和菓子?洋菓子でした。
お供えをしてから、さっそく「お下がり」と言って、「いただきま~す。」
犬養先生は、生涯で関東大震災と、阪神淡路大震災と、2つもの大きな震災に遭遇された
稀少な体験の持ち主ですが、それでも「生かされた」ことで、私たちに貴重な体験談を
残してくださいました。それを「語り部」として、山内さんが著作で私たちにも伝えて
くださっていますが、山内さんもまた、阪神淡路大震災で被災した当事者として、また
個人の立場から、一歩踏み出して高校の教員・教育者として、教育機関の震災対応の
メンバーとして、活動を始めておられます。
犬養先生もきっと、「山内君、頑張ってね」と応援しておられることでしょう!
犬養先生がお元気だったら、東日本大震災に何を思われたことだろうか…と思います。
日本の環境破壊は海岸線から始まりました。
その日本の海岸線に多く建てられた原発の設備。天災によって起こるべくして起きた
「人災」に、きっと黙ってはおられなかったはずだと思います。
万葉の「祝島」のニュースを見るたびに、古老が犬養先生と重なります。
今もなお、人間は「風土」とともにある現実を、私たちは実感させられています。
楽しい時間を過ごしました。先生も団欒に加わっておられたことでしょう。
今週は、高岡万葉まつりです。頑張って朗唱してきます…と誓いました。

8月7日 その1

大和路を歩く会の30周年記念講演会がありました。
山内英正さんと、坂本信幸先生です。
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富田敏子さんの率いる大和路を歩く会も、犬養先生の後押しで始まった当初から、
時代の変化や、状況の変化に対応しながら、犬養先生の選定された12のコースをもとに
万葉の故地を歩き続けて来られました。
結果的に、犬養孝先生の業績を後継されてきたことなどの意義を山内英正氏が、講演
「犬養孝先生と万葉の風土」という題の中で、評価されましたが、
本日の会を見ても、講師陣、ボランテイアスタッフ、参加者のお顔触れを拝見する中、
富田さんを中心としてみんなが、支えて、「続けよう」という意気込みが強く感じられました。
恵まれた会だと思います。富田さんも大変でしょうが、体に気をつけて頑張って欲しいと
思います。
我ら犬養3兄弟!!! 「万葉を歩く」富田さん、頑張れ。「万葉を歌う」妹より。

七夕万葉歌碑

昨日、思い切って両親を連れて、再び「逢合橋」に行ってきました。
七夕まつりが終わり、町内や実行委員会の方々が、ササや、ライトアップの竹の撤去を
しておられる最中で、その道路に邪魔ながら、割り込んで駐車したせいもあり、実行委員長の
佐武さんや、事務局長の吉坂さんにもばったりお出会いしました。(汗)
準備や、あとかたづけや、暑い中本当にご苦労さまでした。
来年からは微力?邪魔かもしれませんが、私も参加してご協力したいと思います。
さて、肝心の歌碑の説明が後になってしまいました。
万葉歌は、
「彦星と 織女が 今夜逢う 天の川門に 波立つなゆめ」巻10-2040です。
作者未詳の七夕歌ですが、この歌を選ばれたこだわりがあります。
七夕歌がたくさんある中で、「おりひめの里、交野」で、「天野川にかかる、逢合橋」に
建立されることから、「牽牛」「織女」「天野川」の3つのキーワードが詠まれた歌に
絞られ(長・短歌合わせて3首あります)その中の逢合橋を思い「逢う」歌を選ばれました。
私が選んだのではなく、地元の方々の「この1首」でした。
書き下しとは言え、書きにくい文字が多くて、そうでなくても危うい即席書家の私には
大きなプレッシャーでした。
また、積極的に「絵画」の力で、各地、各所でボランテイア活動をなさっておられる真和子
さんとおっしゃるお若い素敵な画家のご協力で、歌碑を見た人が思わず微笑むような
「牽牛と織女」の絵を描いて下さり、彫りこまれました。
「絵のある万葉歌碑」は、世界でこれが初めてだそうです。…と思います!!!
犬養先生が、万葉研究者として歌碑の揮毫は「白文」にこだわられたことも納得です。
そして、万葉愛好家の門下生岡本は、これからの若い次世代に受け入れられるように、
書きしの万葉歌にしました。そして、イメージの湧き上がる「ロマンチックな絵」も
添えられた新しい万葉歌碑は、交野市の市制40周年記念の事業として建立されましたので、
私も新たな「万葉発信」のお手伝いができたことを本当にうれしく、光栄に思っております。
万葉歌碑研究家の中西さんによりますと、2050基目の万葉歌碑は、大阪府で34番目だとか。
一生に一度の幸せ体験をさせて頂きました。
両親も半信半疑! 見た後も半信半疑かも。「音楽」「万葉集」好きなことをさせてもらい、
物心ともに投資、援助してくれた両親に孝行ができたかな。
娘の人生を納得してくれていることと思いました。
    
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椿市のご紹介

本日は、6月8日!
8のつく日は「椿市」の日として、サロン開始当初から「賑わいの日」と決めて、午前は
サロンで「市」を、午後からは映像を楽しんで頂く時間として、解放しています。
お茶代くらいは…と500円を設定していますが、もらいそびれていて…。(汗)
これが、会社経営の立場として「甘い!」と周辺から指摘される一因でもありまして・・・とほほ。
さて、本日は少し中身を紹介。
犬養先生の著作本です。
高齢になられて、欲しい方に…と持ち込まれたものや、私の余剰本で、『万葉の旅』3巻や、
犬養先生のサイン本「万葉魂の歌」もあります。あと、万葉かるた(旧、ブテック社制作)
や、100年祭記念に制作した「犬養孝揮毫の万葉歌碑」や、「万葉の里」は、顕彰会預かりで
販売中です。
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また、万葉集関連本として、和田嘉寿男先生が魂と気力で書き続けておられる『万葉集巻3を
読む』
(巻4、巻6もあり)や、坂本信幸先生監修の『万葉の歌人セミナー5、大伴旅人・山上憶良』
、保育社の「万葉の歌・明日香、橿原」などがあります。
そして、スマイルゼロ円では、「私と犬養先生」(顕彰会出版)もあります。
また、茨城県の万葉歌碑を網羅された有馬潔子著「時のかけはし」(サイン本)や、
大阪大学工業会(OB)の東山良彦さんのスケッチ画集など、岡本三千代とゆかりの方々の
素晴らしい著作をご紹介しています。
もちろん、岡本三千代と万葉うたがたり会の作品集や、TSUBAICHIグッズなども…。
春から、犬養万葉記念館の宣伝も兼ねて、富田利雄さんスケッチの一筆箋を季節ごとに
楽しめるように置かせて頂いています。
一時は、「市」と言うことで、手芸品や、家庭での不用品なども机に賑わっていました。
なんでもOKですので、委託、譲渡、交換・・・「お宝」の有効利用できる場所として、ご利用
頂ければ何よりと思います。
私の希望は、たまに明日香村をはじめとして、故地をアピールする物販などもできたらいいなあ
と思っています。安くて新鮮な野菜だったり…。ベニバナや、赤米の穂などをみなさんに
お見せしたいと思っているのです。
さあ、今日は店じまい。来れない方には、ネット販売も受け付けます(笑)。
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コミュニテイデザイン、山崎亮さんに期待!

29日、久しぶりに「情熱大陸」を見た。
いきなり家島だったり、五島列島の福江島の半泊の地元活性の着手の様子だったり、
私の身近な万葉故地の意識の範疇の地域が映し出されていた。
家島は、遣新羅使人の
 家島は 名にこそありけれ 海原を 吾が恋ひ来つる 妹もあらなくに(15・3718)
の帰路の歌にも詠まれた「島」で、犬養孝先生の揮毫歌碑もある。
私も何度か訪れたことがあるが、播磨灘に浮かぶ家島諸島は、ちゃらんぽらんの大西浩仁さんも
行き来しておられたので、家島の民宿のご主人ともご挨拶をさせて頂いたことがある。
家島は漁業の豊かなところだが、島のおばちゃんたちがNPOを立ち上げ、海産物の商品化と
販売に活躍されていた。まずその協力者が山崎さんであったのだ。
番組では、またまた私には興味深い五島列島。限界集落の活性化の相談を受けて、山崎さんが、
地元住民をヒアリングしたり、人間関係を構築しながら、半泊地区の今後を考えていく様子
がレポートされていた。浜口さん…と言う名前は、地元には多い苗字で、私がお世話になった
浜口神父様も五島の出身で、浦頭教会にご家族が所属しておられる。そして神父、シスターを
数多く出された浜口神父の系図が、堂崎天主堂に掲げてあったことがなつかしい。
半泊教会も私は、ドライブで聖堂訪問した。
五島列島の映像は美しかったが、実際の海、島山、空、本当の美しさを体験した私たちは
今でももう一度行きたい万葉故地NO!である。
番組で懐古の思いも重ねながら、また、山崎さんの手がけておられる「コミュニテイデザイン」
という「言葉」「仕事」があることを初めて知ったが、私が一握の砂として、平成の大合併
後の万葉故地の地域活性の方向を考えている時に、救われたような気がした。
若き37歳。人と土地との繋がりを地域の特性に合わせて、新たなまちづくりに活用していく
デザイナーとしての山崎さんの今後の活躍を応援したい。若ければ門をたたいて共に協力
していきたいと思った。(笑)
もう一つ、もうあとのまつりだが、「私」の大学院での目的意識を今頃確認できたことだ。
山崎さんは、一線で仕事をするかたわら、東京大学の大学院で、論文をせっせと書いて
おられる。それは、画一化していない、いろんな地域・場合でのコミュニテイ・デザインの
経験を通して、論文に1つづつまとめていかれることが、ご自身のフィールドワークとして
ランドケープデザイン(周辺環境との調和に配慮した設計)が、新たに学問分野でも
認められていく実証の方法だからだ。
そっか~、私も「万葉うたがたり」を通して、活動の意味や、関わった万葉故地との関係や、
万葉故地の変化や、状況など、いっぱい「私の目」を通して考え、語れることがあったでは
ないか。「社会人として自分の実績を形にすること」そして、『万葉集』との関係において、
奈良女子大学なら、人文社会学科的要素であるが、山崎さんをお手本にするなら、再び
大学院で、実績をまとめ、研究論文に起こすことは、私にとってもっと身近な題材だったの
ではないかと思った。もちろん3年間の在籍は、『万葉集』研究の最前線を確認することや、
勉強手法の獲得や、いっぱい得るものはあったが、ブランクで、継続研究テーマがなかった
ので、「修士論文」だけが、浮き上がってしまったことが今でも悔やまれるのだ。
しかし、私にとっても新たな光明を得て、嬉しかった。
山崎さんの手がけられた福江島・半泊の今後を興味深く見ていきたい。
そして、私も五島列島に行き、大好きな、三井楽の方々に会える機会を期待しながら…。

古代のロマンの復元!

この写真は、昨日明日香村飛鳥の「飛鳥寺」の西門の近くで、甘樫丘を背に植樹された
「つきの木」です。
2011年の2月11日に毎日放送の万葉ラジオウオークが30周年という記念の節目を
迎えたことを記念して、この記念植樹が行われました。
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第1回から企画や、準備に携わってこられた太田兼三郎さん(元毎日放送アナウンサー)が、
ご挨拶で、30年間に亘ってずっと関わってこられて、古代や万葉時代のラジオウオークの
コースは奈良県を中心に各所尽きないけれど、何といっても「明日香」の地は特別で、古代の
万博会場と言える魅力的な場所だったのではないかと述べられました。
飛鳥寺をはじめとする寺院などのパビリオン、古代の宮に見られる池、庭。謎の石造物は
水の流れるエンターテーメント、そして中大兄・鎌足の出会ったつきの木広場…と例えられ
太田さんのこだわりの中で、万博ならば「太陽の塔」にかわるシンボルとして、そびえたつ
大きなものが欲しい…、とそれが今回の「つきの木」の植樹となったことを伺いました。
何と楽しく、遊び心満載の洒落た発想だろうと感心しました。
そもそも30年前のラジオウオークが始まる時の会議に私も参加していましたが、クリエイト
大阪社長の松田一二さんが、ソニーのウオークマンを聞きながら「故地を歩く」発想と、
福徳相互銀行重役の扇野聖史さんが自らの足で歩かれて書かれた「万葉の道」と言う本を
売り出す方法として、両者が結び付いて生まれた企画でした。それを毎日放送のラジオ局局長
の郡庸一郎さんがラジオ番組の企画として、「ラジオカルチャー」「ラジオウオーク」という
ジャンル、機会を作ってくださったことが、今日に続いているのです。
そして、われらが犬養孝先生の監修と協力なしにはできないので相談しながらスタートした
イベントでした。30年も続いたのですね。すごい!
犬養先生は、第16回まで参加されました。17回は、気にしておられたのですが、私たちで
体調を思い、無理やり出演を取りやめて頂いたので、犬養先生が気にされて、気にされて
とうとう私が、その後1週間あまり経った、2月19日に二人で明日香村へ行ったのです。
その機会が犬養先生が明日香村へ行かれた最後になりました。(追悼文『明日香風とともに』
に寄稿しています。)
飛鳥寺の西門近くのつきの木広場を再現したい…目的でもあるので、このたびの植樹の儀式は
飛鳥寺の上島副住職の読経の中、行われました。
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昨日の雨以上に、豪雨の中西宮から出てきましたが、何と植樹のセレモニーの間は雨もやみ、
私たちは何と幸運なのでしょうか。青山・猪熊・上野先生ら出演者をはじめ、毎日放送、
毎日新聞社、明日香村村長・教育長など・・・スコップでつきのきに土をかけて…。
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これは、「木」に添えられた副碑です。このたびの「思い」がつづられています。
ラジオウオークでおなじみの柏木宏之アナウンサーが司会・進行で取り仕切ってくださいました。
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上島飛鳥寺副住職の「飛鳥は聖地である。日本の「聖地」である意識が、京として古代から
今の遺跡に至るまで続いているのだ。」と力強く述べられました。
ふむ、「日本の聖地」か!
そして、毎日放送のラジオ局の局長が、1400年の飛鳥の長い歴史に、古代を彷彿とさせる
「つきの木」のあらたな歴史が、新たに加わったことの意義を述べられました。
松田さん、扇野さん、お元気だったらこのような企画はお二人がなさったことでしょう!
良かったですね。我ら万葉衆はいまも健在です。
私も「万葉」の世界を率先して楽しむ一人として、「遊び心」に満ちた楽習を続けますね。
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最後に、私も横に立ち、植樹のつきの木の「大きさ」はこれくらいです。
そうそう万葉時代のつきの木は、今の「けやき」のことです。
ラジオウオーク30回おめでとうございます。31回目のコースはさて、どこだ!

越中悠閑春秋七歳

大伴家持研究の第一人者で、高岡市万葉歴史館の二代目の館長を務められた小野寛先生が、
本当に早いもので、七年間を経て退任されることになり、その送別会にお招きを頂いた。
平成16年に駒澤大学の大学教授から、日本一の万葉集研究施設の館長に転身された時、
明日香村の犬養万葉記念館の若菜祭で「家持とホトトギス」というご講演をしてくださり、
「私は今春から高岡市万葉歴史館の館長として赴任することになりました。大変緊張して
おります…。」というご挨拶を伺ったのが、昨日のことのようだ。
それから7年。小野先生の在任中の平成17年の開館15周年を記念して、「天平万葉」の
企画展があったり、平成21年には、高岡開町400年を記念して「越中国と万葉集」の企画展
など大きな事業が行われ、また、平成19年には犬養孝先生の生誕100年祭を記念して、
企画展示や、記念講演会に稲岡耕二先生を招いてくださり、大変ありがたく嬉しかった。
加えて、小学生へ出前講演、『万葉集』を富山大学の講座科目として招致された尽力など、
精力的に仕事をこなされた密度の濃い7年を過ごされたと思う。
私は犬養先生のご存命の頃から、小野先生を存じ上げているが、寡黙でシャイな研究者と
してのイメージが強かったので、高岡市万葉歴史館でお目にかかるようになってから、
明るい笑顔で迎えて下さり、生き生きと輝いておられる先生を拝見して、びっくりしたものだ。
先生自らがサービス精神を持って「学者」から、館のリーダーとしての「社交性」を意識して
発揮されていたのだと思う。
あまりお好きでなかった万葉朗唱も、万葉まつりですすんで詠われ、楽しまれるようになった。
小野先生にはまだまだ歴史館で頑張って頂きたいと思うが、今年で21年目を迎える歴史館で、
世代交代も果たされた。そして、次期3代目を託された館長は、坂本信幸先生である。
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このたびの送別会に関西から参加したのは、坂本先生と畏れ多くも私だけだった。
そして、挨拶と「高岡旅情」を歌う機会をくださり、壇上では小野先生だけではなく、
歴代万葉3市長が揃われ、会場の皆さんで大合唱した。万葉まつりのテーマソングがこの
ように高岡で行事のたびに歌って頂ける光栄を本当に感謝している。
ありがとうございました。
ブログタイトルの「漢文」は、当日の引き出物の一つである、エッセイ集の題名。
北日本新聞の夕刊で書いてこられたコラムをまとめられた非売品!
帰りのサンダーバードで一気に読んでしまったくらい、大伴家持・家持歌をエッセンスに、
身近な視点で読者にメッセージされた文章だ。これを読んで小野先生が過ごされた高岡での
7年間の生活・体験が、越中における家持を追体験しておられるように思った。
研究者としてもよい時間を過ごされたのだなあとうらやましく感じた。
私も短時間ではあったが、やはり渋谷の崎へ・・・。潮が引いて岩や海藻が目に付いたが、
やはり立山を背景にしたこの景色は、今も私たちを惹きつける。
さて、今度はいつ高岡へ来れるかな・・・。
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交野が原の万葉歌碑

天皇誕生日の12月23日、交野の星田妙見宮の参道入り口に、万葉歌碑が建立され、
除幕式が行われました。私たちのお仲間で、万葉や歴史が大好きで、わが町「交野が原」の
七夕伝説の掘り起こしと、郷土文化の発信に尽力されている毛利信二さんが、この事業にも
協力しておられたので、楽しみにしていました。
朝方、雨もあがり、山寺さんと共に、星田神社の近く、星田妙見宮へ。
交野市は新興住宅地もあれば稲田もあり、開発途上かもしれませんが、見渡すと「交野が原」
という名前にふさわしい平野の広がりが感じられます。
3年前に交野市倉治の機物神社で、たなばたの万葉歌碑が除幕されましたが、今回こうして
新たな碑ができ、引き続き地元の方々が、がんばっておられる様子を拝見することができて、
うれしく思いました。
万葉歌は、
「織女(たなばた)の 舟漕ぎ出らし まそ鏡 清き月夜に 雲立ち渡る」
                  
(巻17-3900)大伴家持の21歳の時の歌です。ひこぼしのもとへ織姫が、船に乗って
出かけていく・・・歌は、日本の七夕歌は、男性から迎えに行く歌に趣が変化したと言われており、
中国式の発想を感じます。今日で、この周辺歌碑は5基になりました。
除幕式のあと、ご神体の星石?!(織女石)は、昔、北斗七星の3つの星が落下したその
一つという伝説の石だそうで、是非にみたいと、長い長い階段を昇り表敬してきました。
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この地域が七夕に関わる機物神社があったり、天上のロマンを思わせる星田神社、星田妙見宮
また逢合い橋や、天野川などがあります。近隣の枚方には牽牛石があったり、本当に地霊に
魂が宿るならば、このあたりは天空の里とも言うべき、ロマンチックな情緒があります。
今後は、日本に伝説をもたらした中国の行事を検証したり、日本で七夕で有名な地域との
交流や、まずは地元の誇りの文化として、毛利さんはじめ、みなさんが、楽しく関わって
おられるのを拝見して、私もうれしくなりました。
来年の七夕は、是非もう一度ここに伺いたいと思いました。除幕された歌碑は星田の森にあり、
秋の紅葉、春の桜が美しい四季折々の風情に恵まれたところのようです。
毛利さんのお心遣いで、帰りに、枚方税務大学校の「犬養歌碑」まで連れて行ってください
ました。久し振りです。「石走る…」の歌碑は、御影石で反射するので、写真に必ず人が写り
ますが、うまく「桜の木」のみのアングルで写せました。
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万葉のお仲間が集い、交野市のあらたな万葉のシンボルとなった歌碑の除幕式に参列できた
ことに感謝しています。
ただ、昼食会場に携帯電話を忘れ、本日奪還してきました!(時間がないのに…)!

コンサートあれこれ

コンサートの最大の喜びは、娘と同じ舞台に立てたことです。
万葉うたがたり会のお手伝いとして、ピンチヒッターを務めてくれたことは
何度かありますし、3枚目のCDの「君待ち草」は娘の歌唱で録音しています。
このたびは、娘がプロの道を歩んでいる役者の立場で、劇団ともども出演して
くれたことが、本当にうれしいことでした。昨年12月に会場を決めた時から、娘に、主宰の
キタモトさんに共演をお願したい…と頼んで欲しいと言いましたが、劇団で芝居の予定も
いくつかあり、色よい返事はくれませんでした。私のこだわりで、ラブコールし続けて、
遊劇体の出演の実現に至りましたが、どうやらキタモトさんは、娘の相談には快諾してくださった
ようで、どうやら、娘のほうが「母の個人的な舞台」ということで、逡巡があったようです。
私は、「万葉」は意識してくださるに違いないので、テーマはお任せしました。
10月にはキタモトさんが特別に力を入れて演出された遊劇体の大作があり、お忙しいのも
承知していました。いよいよプログラムの作成準備に入った時に「犬養孝万葉人生」であることを
知り、ずばり恩師をテーマに取り上げ、朗読劇を作ろうとしてくださることに、私が感激しました。
テーマを考えられた時に、図書館で犬養先生の本をたくさん読破されたと聞きました。
そして、「犬養先生」の人生を通して、生き方や、何を私たちに語りかけ残されたかを
劇を通して表現してみたいという主旨に、再び感謝の気持ちでいっぱいでした。
結果、懐かしく犬養先生を思い起こしてくださった方もあり、岡本の今ある原点の恩師を
知ってくださった方もあり、明日香村で顕彰してくださる関村長は、明日香村で再演を!と
評判は上々で、とてもうれしいことでした。
キタモトマサヤさんは、うちあげの時に、「華やかな照明、舞台、衣装のうたがたり会が
あるので、僕たちはその逆で、シンプルで照明も最小限で、衣装も含めてモノトーンの世界を
イメージしました。」とおっしゃいました。さすが演出家です。
朗読劇とは言いながら、動きがある立体的な舞台で、なおかつご配慮ある演出に、感心しました。
キタモトさん、遊劇体のみなさま、お世話様になりまして、ありがとうございました。
昨日、娘が犬養先生の御魂にお礼に伺いたいと言うので、パネルをお返しにあがりながら、
一緒にお礼を申し上げてきました。会場で見てくださっていましたか…って。

縄文人にあいういう

10月24日、午後2時からが千秋楽です。
娘の所属する劇団「遊劇体」の公演です。数年前から継続的に泉鏡花の全戯曲上演に
取り組んでいて、今回は久しぶりに劇団代表のキタモトマサヤ氏の尊敬される劇作家の
作品をキタモト流の手法で演出された意欲的な舞台です。
私は初日に見ました。
娘は「米子」という元気で明るいおばあちゃん役。孤老の1人であろうが、生命力に
あふれ、自己主張もあり、しかし人間の弱さも熟知している魅力的な人間を演じた。
社会の片隅にある当たり前の光景と、老人の生き様、「老い」との闘い、在日朝鮮人の
こだわりと、ま反対のしたたかな生き方…など、「笑い」の場面が満載の中にも
重いテーマが横たわり、「人間性」や「生き方」を問いかける、悲しい場面や、
切なさが心を打った。
このような「役」を通して、娘は何を思い、何を表現したかったことだろう。
私は、観劇してから、これからは「米子」めざして、がんばろう!!!と思った。
やはり「遊劇体」の芝居ははっきりした主張がある。
12月4日には、この劇団が私の30周年のコンサートの舞台に華を添えてくださる。
それも「犬養孝先生」がテーマで…。
あ~あ、千秋楽の舞台、もう一度見たいなあ!!!
私は今から万葉学会2日目に出席してきます。『万葉集』は、私の人生の背骨ですから。
今夜帰宅して、娘と祝杯をあげられるかな。