猪名川万葉の会、春の万葉旅行

毎月の第2水曜日は、猪名川万葉の会の講座日ですが、4月は11月の秋の万葉旅行に続いて、
2度目のバス旅行で、鳥取市の因幡地方へ出かけました。
日帰り強行軍ですが、3月23日に新たな高速道が開通し、より近く、より早く到着できる
ようになりました。
今回は因幡万葉歴史館や因幡国庁跡など、大伴家持の巻尾の万葉歌1首でふるさと創りを
されてきた、「国府町」を目的に出かけました。「ふるさと」など、唱歌の作曲家、岡野貞一さん
の出身地で、童謡・唱歌の「わらべ館」や、鳥取砂丘など、有名な観光地もありますが、
私たちは「あらたしき 年の初めの 発春の 今日降る雪の いや重け吉事」の歌に
こだわり、天さかる鄙の地に国守として赴任した大伴家持の心を旅に求めました。
私たちが学生の頃から訪れていた万葉歌碑の場所で、まず記念撮影です。
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案内をお願いしていた因幡万葉歴史館の学芸員の鎌沢くんの転勤で、急遽来て下さった
観光ボランテイアさんが、な、なんと、元国府町町長の木村肇さん。
国府町が鳥取市へ市町村合併後、引退されていたが、余生をこのように率先して地元貢献を
しておられるなんて、感激しました。
それにしても、私たちも偶然とはいえ、史上最強のボランティアにお世話様になれたことに
心から感謝しています。
木村さんありがとうございました。
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時間が限られた中で、今回の目玉は「万葉衣装体験」と「朗唱」でした。
猪名川では、講座が始まってちょうど1年ですので、万葉行事やイベント情報なども
ご紹介している最中なので、今回はチャンスだと思い参加者全員で体験してみました。
最初は遠慮がちだったみなさんも、いやはやすっかりその気になってくださり大成功!
男性もよくお似合いでした。犬養先生の歌碑の前で全員で記念写真!壮観です。
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日帰り旅行の限界もあり、国府町の中だけでも、あとは池田家の墓所だけ。
因幡一宮の宇部神社にも行きたかったのですが、遥拝でごめんなさいでした!
私の思いがかない、猪名川万葉の会の方々をお連れできたことで、満足しています。
『万葉集』の巻尾の大伴家持の歌1首を支えに、歴史発信、古代ロマンでふるさと作りを
してこられた国府町というものを、万葉を学ぶ方たちに見て頂きたかったですし、
明日香や大和地方ではない、万葉歌の背景を訪ねる「旅」として、よい経験をして頂けた
ことと思います。
そして、猪名川万葉の会の秋の旅行は「淡路島」に決まりました。

やっぱり忘れてた! 若菜祭

何か大事なこと…と、思い出しました。
4月7日は、山口さんのライブと、明日香村の犬養万葉記念館の若菜祭とが重なってしまったので
私は朝からの記念館神事だけ参加させて頂きました。
犬養先生の記念日には珍しい曇ったような雨のぱらつく朝でした。
明日香村の桜はどうかな…と思いながら、やはりまだちらほら。
1週間ほどしたら満開かなと思わせる感じ。でも記念館の庭の犬養歌碑にある「山吹」が
咲き始めていました。
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天候が悪かったので、飛鳥弘文さんの司式は屋内に準備された神棚の前で行われました。
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残念だったのは、必ず参加してくださった明日香村村長が、関さんと交替されてからは、
一度も参加してくださっていません。(2回目)
やはり「犬養先生」とのご縁が薄いせいでしょうか、前村長のような思い入れが少ないのは
仕方がないことかもしれません。
でもあえて来て頂くことで、明日香村と犬養先生について意識を深めて頂きたいと切に
願っております。
飛鳥弘文宮司の心尽くしのお説教を頂き、いつもながら感謝です。
今年は犬養先生の15年命日祭の年でもあり、記念館の弥栄を心から祈りました。
               
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そして、TSUBAICHIサロンへ移動したというわけでした。
大事なこと、書き忘れました。犬養先生ごめんなさい!(汗)

駆け抜けた日々、つづき。

3月25日はさすがにサロンへは行かず、久しぶりに整形外科のリハビリに…。
「よくなったら、てきめん治療には来なくなる!」と言われましたが、そうではなくて、
時間がとれないのが現実です。(痛いときは仕事どころではなかったですから…笑)
3月26日は、朝から大岡美佐(ちゃん)さんの秋のリサイタルの会場の下見と、チラシ、
ポスターの写真撮影もあり、「社長業」の1日。
28日は、山口ひとみさんが、ライブコンサートでお世話になっている心斎橋のアートクラブへ。
紹介者の方とオーナーのコンサートがあり、お礼もかねて表敬訪問に行ってきました。
そこでは、大阪場所を終えたばかりの関取「豪風」がタニマチと一緒にお客さんとして
来店しておられました!
体格の良さで目を引いて、お相撲さん大好きの私は大興奮!ニンマリでした。
意外な話題も楽しいものです。
そして3月29日は準備してきた「堺万葉歌碑の会」の歌碑めぐり万葉バス旅行。
堺万葉歌碑の会では代表の澤田富美子さんが、毎年春に歌碑めぐりを行っておられますが、
思いがけず、6月にご長男のおられる茨城県へ転居されるご決心を伺いびっくりしました。
高齢になられてずっと懸案の事柄だったようですが、堺の居宅も処分して、ご子息がおられると
いいながら、余生を新天地に求められることの勇気と決断に、澤田さんらしさを感じますが、
きっと万葉歌碑をはじめ、与謝野晶子関連の行事や、多くの人脈などに未練や執着もおありの
ことと思います。
サロンでの親しいお付き合いもそうですが、犬養万葉顕彰会で長年ご一緒に役員をやってきた
お仲間でもあり、お別れにあたって「私にできること」として、今春の堺万葉歌碑めぐりを
主催させて頂くことにしました。
できるだけ多くの方に澤田さんと一緒に「堺万葉歌碑」を見ていただくこと、澤田さんの
親しい方々にできるだけ参加して頂き、送別会を行いたいという目的のもと、結果的に
大型バスで56人が集合してくださいました。
そして、大仙公園のレストハウスもず野で、食事・懇親会と送別会の機会を持ち、犬養先生に
こだわられる澤田さんに贈呈した記念品は、今度転居される万葉故地、「筑波山」にちなみ
犬養先生書の高橋虫麻呂歌を彫り込んだ飾り板で、参加者全員の費用から出させて頂きました。
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また、澤田さんがお世話になられた恩人をお招きし、はなむけの言葉を頂きました。
もう93歳になられた和歌山大学名誉教授の角山榮先生、与謝野晶子研究家の入江春行先生、
沖縄から、堺市の広報も担当されていた、万葉愛好家の情報冊子「たまづさ」の編集長
岸本千賀子さんなどご参集くださり、私のほうが、感謝でいっぱいでした。
澤田さんも喜んでくださったことと、一抹の躊躇もあった、余計なおせっかいイベントに
少しホッとしました。
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転居されるまで、私たちのサロンイベントにも参加してくださるようですし、ご自身が
大阪でやり残したことを…とまだまだ意欲満々です。
この澤田パワーに圧倒されながら、年を重ねてもなお何事にも取り組んでいかれる「情熱」
は、見習わなければとつくづく思いました。
そして翌日30日は「甲南女子高校23回生の還暦同窓会」当日でした。つづく。

万葉歌みじかものがたり、出版記念会。

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学生時代に犬養万葉を聞かれてから、「万葉活動」が人生のライフワークになれらた
方は少なくありません。
このたび、『万葉歌みじかものがたり』を出版された中村博さんも、お仕事の第1線を
退かれた後に、心に残る万葉の灯を再び燃やされたおひとり。その延長線上の偉業です。
犬養先生の名著『万葉の旅全3巻』に登場する「万葉故地」309か所をまわられ、先生の
写された写真の場面、故地を追われるうちに『万葉の旅今昔』として全国掲載されたすべての
写真を検証してみようとすべての比較の写真を撮られました。
その達成感と共なる虚脱感から、次に山内英正さんの『犬養孝の万葉歌碑』の本に触発されて、
全国にあるすべての犬養万葉歌碑を訪ねられて、写真に収められました。
その達成感と再びの虚脱感…から、ついに大阪弁で万葉集を訳してみようということに。
それは、『万葉集』の注釈書が万葉歌に忠実なあまり、肝心の「歌心」が伝わらないのでは
…と常々思っておられたことと、若い世代に身近に受け入れられるための手段として、挑戦
されたというのは、万葉の魅力を若い人たちに「音楽」を通して伝えたいという私も同じ、
共通の思いです。
出版社が決まるまでに時間がかかられたようですが、「訳」はできているそうなので、
今回8月に2冊目が出版され、第10巻まで2~3か月に1冊の割合で、出版されて店頭に
並んでいくそうです。すごい!
私たち犬養万葉門下として、是非お祝いを兼ねた記念会をしおようと言うことで、サロンを
会場にすることもあり、私が代表世話人ということで、出版記念会を開催させて頂きました。
一部は、中村さんの「万葉人生」ともいうべき、今日までの道のりなどを講演していただき
ました。
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2部の祝賀会では、中村さんに「生きがい」を与えた『犬養孝の万葉歌碑』の著者、山内
英正さんはじめ、親しい方々のお祝辞など、食事をしながら和気藹々と楽しく集いました。
中村さんが阪大の混声合唱団出身とはつゆ知らず、犬養先生の甘樫丘の1号歌碑建立の時に
中村さんはOBで、山内英正さんは新入生で一緒に黛敏郎さんの「万葉歌碑の歌」を合唱
されたとわかり、中村さん、山内さんを中心に全員で「万葉歌碑の歌」を合唱しました。
いや~、思いがけない混声合唱団の先輩後輩でした。
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おっとりとされた奥様の内助の功、お嬢様の作られたクッキーの引き出物など、中村家の
様子もよくわかり、出版にあたってみなさんの理解があって、中村さんの夢が果たせること
をうらやましく思いました。
10巻まで楽しみです。
中村さんのおだやかなお人柄と、情熱あふれる偉業に心からエールを送りながら、
私も「元気」を頂きました。犬養パワーのせいかもですね。
おめでとうございました!!!
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春日大社「犬養孝揮毫記紀歌謡歌碑」建立

2011年12月23日(金)の天皇誕生日、奈良市の春日大社の境内に『古事記』歌謡の歌碑が
建立・除幕された。
「万葉の大和路を歩く会」10周年記念事業で、高円山のドライブウエイ展望所に大伴家持
歌碑が建立された時に、除幕の神事をしてくださったのが、春日大社の花山院親忠宮司だったそうだ。
その折りに花山院宮司が、春日大社にも犬養先生揮毫の歌碑が建立できれば…とお願いされる
ことがあったらしい。それから、21年目にいまや世界遺産となり、歌碑建立が不可能と
思われた聖地に、来年『古事記』編纂1300年紀を前にして、犬養先生が珍しく色紙に書いて
おられた古事記歌謡
「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し麗し」 倭建命(記30)
が、歌碑となり、春日大社の境内に誕生した。
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格式高い春日大社の導きに従い、除幕の儀(神事)は、春日大社のご本殿の前の御廊で行われた。
春日大社の回廊内の特別参拝はなかなか機会がないが、このたびは鳥が翼を広げたように
延びていると説明されている御廊で、参列者全員あげて頂き、ご神事に与らせて頂いた。
春日大社でこのような場所まで入れて頂いたことに感激!
西村禰宜のこの日の為に作ってくださった素晴らしい祝詞をしみじみ聞きながら、また
巫女の舞もあり、本格的な除幕の儀礼を行ってくださったことに心から感謝だった。
私は以前、犬養万葉顕彰会会長だったので、玉串奉奠させて頂いた中の代表の一人として
光栄な機会を頂戴した。
その後、貴賓館で直会が行われたが、その時にはかつての花山院宮司の跡継ぎでおられる
花山院弘匡宮司がお顔を出してくださり、春日大社とゆかりの万葉歌2首をご披露しながら、
喜びの御礼とご挨拶をしてくださった。そして建立された大木さんに感謝状を渡された。
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大木さんは先月自宅でけがをされて治療中。建立も短期間に予定が決まってしまったそうで、
そのハンデイを抱えながらの奔走と伺っている。また除幕式には、病気療養中の奥様もご参列
くださり、ただ体調が万全でないお二人のために、ご長男が東京から車で奈良まで送って
こられた。また、歯科医のお嬢さんが、お子さんを預けて大木さんご夫妻の介助に共に
来てくださったので、ご家族水入らずとは言え、ご家族のご協力あっての建立事業だった。
本当にありがとうございました。
春日大社の御廊でご神事が執り行われたので、歌碑は祝別のみ。紅白の花吹雪が舞い、
喜びとともに、歌碑が無事除幕された。18日に山内さんの出版祝賀会の時に、今日のこの
歌碑の除幕式のことが、情報公開されたが、古事記歌謡の色紙提供者が山内さんと言うことで、
新たな歌碑の裏面には、山内英正氏の名前も刻まれ、記紀歌碑1号記念でもあるこの新碑の
建立は犬養先生からの山内さんへのご褒美?のような気がした。よかったね。
凍てつくような底冷えのする寒い日だったが、心はホットに…幸せ気分だった。
久しぶりの奈良。帰りは春日大社から東大寺の二月堂方面へ歩き、秋にオープンした
東大寺ミュージアムへ。
立派な収蔵庫?ができた…と思いきや。興福寺も中金堂を再建中。
歴女ブームとなった、阿修羅像の人気たるや凄いが、「仏像」ブームもあって奈良のお寺は
今建設ラッシュ状態?
のどかにせんべいを食む鹿たちが、世の中の流れをどのように見ているのだろうか。
聞いてみたいものだ(笑)。
さて、夜は大阪・弁天町のレストランへ。歌姫大岡美佐ちゃんとバイオリニスト村田道代さんの
共演のクリスマスコンサートがあり、ささやかなクリスマス気分を求めて、大阪へ。
犬養先生、山内さん、おめでとうございました!!! 

犬養先生、ご命日。

仕事場から出るときれいな夕焼けでした。お月さまは三日月。
いつもは車か自転車で向う犬養邸に、久しぶりに、本当に久しぶりに阪神電車の久寿川駅から
歩いて行きました。
駅舎もきれいになって変わってしまったけど、犬養先生と共に何度も歩いた懐かしい場所。
てみやげ?(お供え)の「うなぎ弁当」が、妙に楽しくて…。
時間は遅くなってしまいましたが、いつもながらに「おかもで~す。」と訪問。
床の間に神棚が設けられて、犬養先生の御魂がおられました。
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まもなく山内さんが来られ、吉本さんご夫妻と4人で楽しく談笑。
犬養先生の話も、この4人ではつい昨日のような出来事のように、話に花が咲きました。
しかし、もう満13年が経ちます。
山内さんは、つい昨日仙台の出張から帰ってこられたばかり…。
東日本の被災地で、気になる多賀城へも回ってこられたようです。話では想像以上の
被害状況です・万葉歌碑のある、市役所も建物そのものが危険で、近づけないとか。
がれきと、放置された車、人の気配のない商店街…といまだ荒廃したさまのままに
あらためてショックだったとおっしゃっていました。
宮城県に近い岩手の大船渡市。そこの復興のシンボルであるお菓子をおみやげに持って
来てくださっていました。「かもめのたまご」です。
目が悪かった犬養先生なら、本物の卵…と間違えられそうな和菓子?洋菓子でした。
お供えをしてから、さっそく「お下がり」と言って、「いただきま~す。」
犬養先生は、生涯で関東大震災と、阪神淡路大震災と、2つもの大きな震災に遭遇された
稀少な体験の持ち主ですが、それでも「生かされた」ことで、私たちに貴重な体験談を
残してくださいました。それを「語り部」として、山内さんが著作で私たちにも伝えて
くださっていますが、山内さんもまた、阪神淡路大震災で被災した当事者として、また
個人の立場から、一歩踏み出して高校の教員・教育者として、教育機関の震災対応の
メンバーとして、活動を始めておられます。
犬養先生もきっと、「山内君、頑張ってね」と応援しておられることでしょう!
犬養先生がお元気だったら、東日本大震災に何を思われたことだろうか…と思います。
日本の環境破壊は海岸線から始まりました。
その日本の海岸線に多く建てられた原発の設備。天災によって起こるべくして起きた
「人災」に、きっと黙ってはおられなかったはずだと思います。
万葉の「祝島」のニュースを見るたびに、古老が犬養先生と重なります。
今もなお、人間は「風土」とともにある現実を、私たちは実感させられています。
楽しい時間を過ごしました。先生も団欒に加わっておられたことでしょう。
今週は、高岡万葉まつりです。頑張って朗唱してきます…と誓いました。

8月7日 その1

大和路を歩く会の30周年記念講演会がありました。
山内英正さんと、坂本信幸先生です。
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富田敏子さんの率いる大和路を歩く会も、犬養先生の後押しで始まった当初から、
時代の変化や、状況の変化に対応しながら、犬養先生の選定された12のコースをもとに
万葉の故地を歩き続けて来られました。
結果的に、犬養孝先生の業績を後継されてきたことなどの意義を山内英正氏が、講演
「犬養孝先生と万葉の風土」という題の中で、評価されましたが、
本日の会を見ても、講師陣、ボランテイアスタッフ、参加者のお顔触れを拝見する中、
富田さんを中心としてみんなが、支えて、「続けよう」という意気込みが強く感じられました。
恵まれた会だと思います。富田さんも大変でしょうが、体に気をつけて頑張って欲しいと
思います。
我ら犬養3兄弟!!! 「万葉を歩く」富田さん、頑張れ。「万葉を歌う」妹より。

七夕万葉歌碑

昨日、思い切って両親を連れて、再び「逢合橋」に行ってきました。
七夕まつりが終わり、町内や実行委員会の方々が、ササや、ライトアップの竹の撤去を
しておられる最中で、その道路に邪魔ながら、割り込んで駐車したせいもあり、実行委員長の
佐武さんや、事務局長の吉坂さんにもばったりお出会いしました。(汗)
準備や、あとかたづけや、暑い中本当にご苦労さまでした。
来年からは微力?邪魔かもしれませんが、私も参加してご協力したいと思います。
さて、肝心の歌碑の説明が後になってしまいました。
万葉歌は、
「彦星と 織女が 今夜逢う 天の川門に 波立つなゆめ」巻10-2040です。
作者未詳の七夕歌ですが、この歌を選ばれたこだわりがあります。
七夕歌がたくさんある中で、「おりひめの里、交野」で、「天野川にかかる、逢合橋」に
建立されることから、「牽牛」「織女」「天野川」の3つのキーワードが詠まれた歌に
絞られ(長・短歌合わせて3首あります)その中の逢合橋を思い「逢う」歌を選ばれました。
私が選んだのではなく、地元の方々の「この1首」でした。
書き下しとは言え、書きにくい文字が多くて、そうでなくても危うい即席書家の私には
大きなプレッシャーでした。
また、積極的に「絵画」の力で、各地、各所でボランテイア活動をなさっておられる真和子
さんとおっしゃるお若い素敵な画家のご協力で、歌碑を見た人が思わず微笑むような
「牽牛と織女」の絵を描いて下さり、彫りこまれました。
「絵のある万葉歌碑」は、世界でこれが初めてだそうです。…と思います!!!
犬養先生が、万葉研究者として歌碑の揮毫は「白文」にこだわられたことも納得です。
そして、万葉愛好家の門下生岡本は、これからの若い次世代に受け入れられるように、
書きしの万葉歌にしました。そして、イメージの湧き上がる「ロマンチックな絵」も
添えられた新しい万葉歌碑は、交野市の市制40周年記念の事業として建立されましたので、
私も新たな「万葉発信」のお手伝いができたことを本当にうれしく、光栄に思っております。
万葉歌碑研究家の中西さんによりますと、2050基目の万葉歌碑は、大阪府で34番目だとか。
一生に一度の幸せ体験をさせて頂きました。
両親も半信半疑! 見た後も半信半疑かも。「音楽」「万葉集」好きなことをさせてもらい、
物心ともに投資、援助してくれた両親に孝行ができたかな。
娘の人生を納得してくれていることと思いました。
    
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椿市のご紹介

本日は、6月8日!
8のつく日は「椿市」の日として、サロン開始当初から「賑わいの日」と決めて、午前は
サロンで「市」を、午後からは映像を楽しんで頂く時間として、解放しています。
お茶代くらいは…と500円を設定していますが、もらいそびれていて…。(汗)
これが、会社経営の立場として「甘い!」と周辺から指摘される一因でもありまして・・・とほほ。
さて、本日は少し中身を紹介。
犬養先生の著作本です。
高齢になられて、欲しい方に…と持ち込まれたものや、私の余剰本で、『万葉の旅』3巻や、
犬養先生のサイン本「万葉魂の歌」もあります。あと、万葉かるた(旧、ブテック社制作)
や、100年祭記念に制作した「犬養孝揮毫の万葉歌碑」や、「万葉の里」は、顕彰会預かりで
販売中です。
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また、万葉集関連本として、和田嘉寿男先生が魂と気力で書き続けておられる『万葉集巻3を
読む』
(巻4、巻6もあり)や、坂本信幸先生監修の『万葉の歌人セミナー5、大伴旅人・山上憶良』
、保育社の「万葉の歌・明日香、橿原」などがあります。
そして、スマイルゼロ円では、「私と犬養先生」(顕彰会出版)もあります。
また、茨城県の万葉歌碑を網羅された有馬潔子著「時のかけはし」(サイン本)や、
大阪大学工業会(OB)の東山良彦さんのスケッチ画集など、岡本三千代とゆかりの方々の
素晴らしい著作をご紹介しています。
もちろん、岡本三千代と万葉うたがたり会の作品集や、TSUBAICHIグッズなども…。
春から、犬養万葉記念館の宣伝も兼ねて、富田利雄さんスケッチの一筆箋を季節ごとに
楽しめるように置かせて頂いています。
一時は、「市」と言うことで、手芸品や、家庭での不用品なども机に賑わっていました。
なんでもOKですので、委託、譲渡、交換・・・「お宝」の有効利用できる場所として、ご利用
頂ければ何よりと思います。
私の希望は、たまに明日香村をはじめとして、故地をアピールする物販などもできたらいいなあ
と思っています。安くて新鮮な野菜だったり…。ベニバナや、赤米の穂などをみなさんに
お見せしたいと思っているのです。
さあ、今日は店じまい。来れない方には、ネット販売も受け付けます(笑)。
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コミュニテイデザイン、山崎亮さんに期待!

29日、久しぶりに「情熱大陸」を見た。
いきなり家島だったり、五島列島の福江島の半泊の地元活性の着手の様子だったり、
私の身近な万葉故地の意識の範疇の地域が映し出されていた。
家島は、遣新羅使人の
 家島は 名にこそありけれ 海原を 吾が恋ひ来つる 妹もあらなくに(15・3718)
の帰路の歌にも詠まれた「島」で、犬養孝先生の揮毫歌碑もある。
私も何度か訪れたことがあるが、播磨灘に浮かぶ家島諸島は、ちゃらんぽらんの大西浩仁さんも
行き来しておられたので、家島の民宿のご主人ともご挨拶をさせて頂いたことがある。
家島は漁業の豊かなところだが、島のおばちゃんたちがNPOを立ち上げ、海産物の商品化と
販売に活躍されていた。まずその協力者が山崎さんであったのだ。
番組では、またまた私には興味深い五島列島。限界集落の活性化の相談を受けて、山崎さんが、
地元住民をヒアリングしたり、人間関係を構築しながら、半泊地区の今後を考えていく様子
がレポートされていた。浜口さん…と言う名前は、地元には多い苗字で、私がお世話になった
浜口神父様も五島の出身で、浦頭教会にご家族が所属しておられる。そして神父、シスターを
数多く出された浜口神父の系図が、堂崎天主堂に掲げてあったことがなつかしい。
半泊教会も私は、ドライブで聖堂訪問した。
五島列島の映像は美しかったが、実際の海、島山、空、本当の美しさを体験した私たちは
今でももう一度行きたい万葉故地NO!である。
番組で懐古の思いも重ねながら、また、山崎さんの手がけておられる「コミュニテイデザイン」
という「言葉」「仕事」があることを初めて知ったが、私が一握の砂として、平成の大合併
後の万葉故地の地域活性の方向を考えている時に、救われたような気がした。
若き37歳。人と土地との繋がりを地域の特性に合わせて、新たなまちづくりに活用していく
デザイナーとしての山崎さんの今後の活躍を応援したい。若ければ門をたたいて共に協力
していきたいと思った。(笑)
もう一つ、もうあとのまつりだが、「私」の大学院での目的意識を今頃確認できたことだ。
山崎さんは、一線で仕事をするかたわら、東京大学の大学院で、論文をせっせと書いて
おられる。それは、画一化していない、いろんな地域・場合でのコミュニテイ・デザインの
経験を通して、論文に1つづつまとめていかれることが、ご自身のフィールドワークとして
ランドケープデザイン(周辺環境との調和に配慮した設計)が、新たに学問分野でも
認められていく実証の方法だからだ。
そっか~、私も「万葉うたがたり」を通して、活動の意味や、関わった万葉故地との関係や、
万葉故地の変化や、状況など、いっぱい「私の目」を通して考え、語れることがあったでは
ないか。「社会人として自分の実績を形にすること」そして、『万葉集』との関係において、
奈良女子大学なら、人文社会学科的要素であるが、山崎さんをお手本にするなら、再び
大学院で、実績をまとめ、研究論文に起こすことは、私にとってもっと身近な題材だったの
ではないかと思った。もちろん3年間の在籍は、『万葉集』研究の最前線を確認することや、
勉強手法の獲得や、いっぱい得るものはあったが、ブランクで、継続研究テーマがなかった
ので、「修士論文」だけが、浮き上がってしまったことが今でも悔やまれるのだ。
しかし、私にとっても新たな光明を得て、嬉しかった。
山崎さんの手がけられた福江島・半泊の今後を興味深く見ていきたい。
そして、私も五島列島に行き、大好きな、三井楽の方々に会える機会を期待しながら…。