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中谷 一先生を偲ぶ。

中谷
直接訃報をお聞きしていなかったので、この場を借りてお悔やみ申し上げたいと思います。大阪高等学校の時の教え子として、犬養先生とは長いお付き合いでした。旧制高校の名物「寮歌」がお好きで、万葉旅行中でも犬養先生もご一緒に歌われましたので、犬養先生の母校熊本五高の「武夫原頭に草萌えて」や、「大阪高等学校全寮歌」は今でも私は何となく歌えます。これは中谷先生のご参加の賜物と思います。眼科の専門でいらっしゃいましたので、犬養先生が80歳前後でご高齢でしたが「白内障」の手術を受けられました。その時の執刀医でもいらっしゃいました。犬養先生が大好きで、大好きで、ご自身の亡くなられる直前まで、お年始・奥様のご命日には訪問されていました。もちろん先生が亡くなられてからは、先生のご命日にも必ずお参りくださっていました。何か思われるところがあるのか、犬養先生以外の方の主催の会や除幕式・旅行には犬養先生が同行されても一切参加されず、阪大関係のみのお付き合いでした。また、犬養万葉顕彰会の2代目会長、扇野聖史さんが任期半ばで逝去された後、尾木さんの指名で中谷先生が3代目の会長となられました。その間、犬養先生のXdayや犬養万葉記念館の建設計画の再浮上したむずかしい時期を迎えられ、中谷先生と顕彰会の役員との協議がうまくいかないことがたびたびあり、早々に辞められました。その後を引き継いだのが第4代の女性会長の私ということになります。今、思い返しても「犬養先生との絆」は太く強いものだったと思いますが、みんなで交わって犬養先生を盛り立てていくタイプではなく、個人でずっと慕い続けてこられたそのスタイルこそが、中谷先生のお人柄だったのではと思います。医師の参加で、犬養先生も頼っておられたと思いますし、万葉旅行はとても安心でした。ビールが大好きで、潮岬で万葉旅行の世話役委員との交流会では浴びるほど飲まれる豪傑でした。亡くなられたのは残念ですが、大好きな犬養先生のもとへまた一人旅立っていかれました。私は、学生時代からのご縁でしたが、顕彰会での確執から、その後、犬養万葉記念館行事や、生誕100年祭や、命日祭など行事には一切参加してくださいませんでしたので、ずっと心に曇りを持ったままのお別れとなりました。仕方がないかな。ご冥福をお祈り申し上げます。

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磯のつまま

7月29日、30日と2日間にわたって全国万葉フォーラムin飛鳥が開催されました。初日の懇親会席上で、万葉うたがたりミニコンサートの機会を頂きました。曲は昨年9月の鞆の浦で、新歌碑建立除幕式の記念に作った「わが鞆の浦」と、富山県高岡市の「万葉の母」尾竹睦子さんを追悼して捧げた「磯のつまま」を演奏しました。どちらも初めて聞かれた方が多かった最近の「新曲」披露となりました。P1120596

基調講演をされた慶応義塾大学名誉教授の藤原茂樹先生が、演奏後「磯のつまま」について私に声をかけてくださいました。

民俗学者の折口信夫氏の門下の藤原先生と同じく、「池田弥三郎氏」が、つまま=たぶの木の研究をされておられます。魚津で過ごされた時に、北陸一帯にタブの木が非常に多く、古代の照葉樹林としてのタブの木の森林体系と万葉集では1首しか読まれていないことの不思議もあるようですが、折口信夫生誕100年の記念にご出身の慶応義塾大学にタブの木を多数植樹されたそうです。三田キャンパスが浜離宮に近く、大学と離宮周辺までを含めたタブの木の森を目指されたとか。残念ながら構想は実現しなかったようですが、今でも大学にその時の記念樹や、掲示板があるそうです。それもあって藤原先生は「つまま」の歌を興味深く聞いたとおっしゃってくださいました。「なかなかいい歌でしたね」と言ってくださり、とても光栄でした。慶応のタブの木、訪ねてみたいです。

池田弥三郎さんと言えば、犬養先生を学問上で激しく対立された学者です。藤原先生の貴重なお話と共に、なつかしい思い出も思い出しました。藤原先生とは奈良女子大学でお目にかかった以来の再会でしたが、私が「万葉を歌う」ことを覚えていてくださいました。それもうれしかった・・・です。P1120585

尾竹睦子さんの大好きだったこだわりの場所。渋谿の﨑。つままの木と歌碑のある場所。今秋も訪ねようと思います。国庁跡ではなく「磯のつまま」です。

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石舞台の桜のNHK中継放送に・・・💛

小池百合子さんが同級生であったことで、昨年来、取材のテレビ放送に何度か出演させて頂く機会を得ましたが、このたびは本当に犬養先生からのご褒美かなと思う偶然のチャンスでした。NHK大阪放送局の橋本ディレクターが「明日香村の桜」に焦点を当て、中継地を探しておられた候補に「石舞台の桜」も入っており、その資料を探して犬養記念館に昔の石舞台の様子がわかる写真・資料がないかどうかと、訪ねてこられたのです。ちょうど私も記念館に在館しており、犬養先生の万葉旅行の歴史では欠かせない明日香村の写真群、また伊藤銀蔵さんコレクションや、名写真も残っており自慢気に提供いたしました。昔は田んぼの中の石舞台古墳であり、桜も植わっていなかったことに非常に興味を持たれたようです。そして、大木の桜に加えて、平成15年に植樹をした新たな桜のオーナーの一人が私であることをお話したことから、結果出演させて頂く機会を得たのです。
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夏の暑い盛りに植樹をした様子です。この植樹も明日香村観光開発公社が設立されて30周年を迎えられた記念の事業として行われたもので、このとき私は公社の理事を拝命しておりましたので、いち早くこの情報を知ることができたことを今思い出します。限られた募集でしたので、あとで知らなかった・・・と悔やまれた方も多くおられ、うらやましがられました。私は2口のオーナーで、娘の名と、万葉うたがたり会の名を記念に札に刻んで頂きました。中には長野県だったか、四神のロゴを作られた方もおられました。次の春には小さいながらも花が咲きました。
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そして、毎年桜の成長を楽しみに石舞台にも訪れましたが、3年前に突然札が外されており、公社の方に抗議したことがあります。風雪にさらされながらでも自分の名前が付いた「桜」を見ることの喜びに対する思いやりのなさに、がっかりしました。今回もこの植樹の写真をもとに、橋本さんがオカモ桜を特定してくださいました。
そして、橋本さんから「中継の出演が可能かどうか」の打診でしたが、4月6日と予定された放送日まで、桜の開花も遅れた分石舞台の桜中継が実現いたしました。
伺いますと、関西エリアには放映されるとのこと、両親をはじめ、親しい友人に急いで連絡いたしました(笑)。前日には全国放送も可能になり、夕方のならナビでも・・・と放送枠が増え、当日午前5時半からのリハーサルに立ち会い、本番・・・という次第です。明日香村の桜の情報が全国に流れる中、村民でもない私が出演させて頂いたことが奇跡でした。
4月⒉日に若菜祭も無事終わり、犬養先生の生誕110年をみんなでお祝いした直後でしたので、きっと先生が「オカモちゃんありがとう」とご褒美をくださったのだと思います。今、記念館の館長を受けるまでの犬養先生に導かれてできた明日香村とのご縁。そして桜の植樹を通して明日香村での自分の証のような記念となるものを得たことに今更ながら感謝しています。
生中継であっという間でしたが、よい機会を頂きました。視聴していただいた皆様には心から御礼申し上げます。
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NHK奈良放送局の大川アナウンサーが担当してくださいました。いい声でさわやかな語り口。ありがとうございました。

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寒中お見舞い申し上げます。

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新年早々、明日香村の犬養万葉記念館勤務でスタートいたしました。

指定管理者となって、3年目に入りました。ラストイヤーにふさわしく?、犬養先生の生誕110年の節目となり、犬養万葉顕彰会で私が会長を務めているときに1年がかりで100年祭を行いましたが、それからもう10年です。そして明日香村をこよなく愛される犬養先生が甘樫丘に登って「お月見」をされるようになってから、万葉の明日香路に月を観る会として、1つの風物詩として続けられてきたお月見の会が今年で50回目となり、半世紀の歴史を刻みました。今年の中秋の名月は10月4日のようです。前日が犬養先生のご命日にもあたりますが、先生が亡くなられた平成10年の中秋の名月が10月5日でした。その日がお通夜でしたが、葬儀会館へ行かずに明日香村へ足を運び、犬養先生を偲ばれたかたが何人かあったことを知っております。先生のたましひはいつも飛鳥にある。そして大好きな明日香村でのお月見の時にはたましひもそこにあり・・・。犬養先生と心を共有したいという思いに打たれました。奇しくも中秋の名月の時期が非常に似通っているので、私も意識するところです。「オカモちゃん、第50回はお月さまが僕だと思ってね」とおっしゃっているような気がします。そして今年の国民文化祭の開催県が奈良県で、ちょうど秋ごろに行事が集中しますので犬養万葉記念館としても、お月見の会を中心に、万葉の歌音楽祭や、光の回廊参加など、特色あるイベントを定着させるべく、「勝負の年」と発言しております。ことだまにあやかって「いや重け吉事」。私たちにも皆様方にもいいことがいっぱいありますように・・・。

切ない秋の夜長・・・。

同級生の弟さんが、急に逝去されました。クモ膜下出血でした。倒れられたと聞いた翌日の他界。あっけないことでした。還暦をとうに過ぎた私でも、ありがたことに両親は健在で、「親に先立つ不孝」だけは避けなければ・・・と思いますが、この世の中「命の残高」は神様しかご存じありません。まさに神様にゆだねながら日々を大事に過ごすことのみです。ですが、子どもの時から知っている友人たちの家族や兄弟、ましてや年下の人との「別れ」は悲しすぎます。そして、入院中のお母様がおられましたので、未亡人でいらした上に息子さんの「死」をどう受け止められたのか、身近なだけにあまりにも切ないです。

私も3歳違いの弟に、年の順で人生を全うしてねと冗談のように言ってきましたが、姉弟共にして60歳を過ぎると、二人とも世間的にもう「若い」などと言えない年齢になりました。ご冥福を祈りつつ、冷えてきた今夜の秋の夜長を過ごしています。

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岩本君がやってきた! ビバ! トゥジュール・サクソホンアンサンブル。

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音楽サロンTSUBAICHIで出会った優れたアーチストは、私の自慢でもあり、誇りでもあります。私のスタンスは万葉でも、何でもいつも同じ。「喜びや幸せはみんなで共有したい」ということです。

犬養万葉記念館でようやく実現した奈良県主催のムジークフェストという音楽祭に、私自身が大好きになったサウンドのサックスアンサンブルコンサートを開催することができました。大阪でのファンやお客様を呼ぶことより、まず記念館で演奏してほしいということで、地元対象のムジークフェストの機会に、岩本君の参加しているトゥジュール・サクソフォンアンサンブルの出演をお願いしました。

定員40名に何と78名のお客様の入場。心から感謝申し上げます。立ち見でも・・・と記念館の廊下に並ばれた方々の列を見て、普段と違った光景に一瞬信じられない思いでした。

うれしかったのは、岩本君のご配慮で、プログラムの中に「万葉・5楽章」があったこと。この曲は知る人ぞ知る、櫛田朕之扶氏作曲のサクスフォーン4重奏のための曲を演奏してくださったことでした。

志貴皇子ー大伴家持ー大伴旅人ー柿本人麻呂ー駿河采女の万葉歌をモチーフに作曲されていました。岩本君が私の出番を作ってくださり、曲の前に私が簡単な説明と朗唱をさせて頂き、みなさんに聴いていただきましたので、犬養万葉記念館ならではの演目となり、本当に感激と感謝でした。また、のちの記念館で特筆すべき出来事となりました。犬養先生も天上で喜んでくださったことと思います・・・。

定員の倍近いお客様も、当初はご不満もあったようですが、コンサート終了後はみなさん本当に「来てよかった。聴いてよかった。」と喜んで頂き、ほっと致しました。また次回に期待して、トゥジュールの方々の益々のご活躍と音楽での交流を楽しみにしています。岩本君、辻本先生、森下さん、山添さんありがとうございました。
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2015年2月1日、万葉の母逝く。

あらためてご報告と思いながら、時間が経ってしまいました。
尾竹さんとの写真を見ながら、ふと思い出したブログ。今は閉鎖した楽天ブログの1節です。
最高の思い出が作れた日でした。その半年後、ガンの発見、手術となりました・・・。

2013年4月
4月23日、24日と、久しぶりに高岡へ行きました。
昨秋の万葉まつりでは、バス旅行の経過地になってしまい、ゆっくりできなかったので、
高岡の「母」と呼ぶ尾竹さんに会いたかったことと、3月にTSUBAICHIでも開催した
入江泰吉展が巡回し、ちょうど高岡で行われていたこともあり、スケジュールの合間を縫って
出かけました。

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車で出かけたのですが、なな、なんと、行く手にくっきり見えるは立山連峰!!!
こんな機会はめったになく、興奮と感動で、予定そっちのけで「立山」の見える場所を
探し、ともかくたくさん写真を撮りました(笑)。

幾度となく訪れてもめったに見ることのできない光景でした!ラッキー!

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雨晴海岸では、尾竹さんと一緒に。ここは毎回訪れる最高のスポットです。

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尾竹さんを車に残し、久しぶりに越中の「二上山」を登山。
頂上で証拠写真です。ふたなみ273メートルがいつの間にか1メートル高くなったらしい?

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うれしかったのは、4月の終わりにもかかわらず、町の桜は終わっていましたが、二上山の
桜はこれからでした。めずらしい黄色の桜!!!

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そして、勝興寺の万葉歌碑のところにも、二上山の大伴家持像のところにも、古城公園の
中にもまだ「 」が咲いていたことは思いがけない喜びでした。
私のために、待っていてくれたのね!

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高岡市万葉歴史館での入江展は、さすがに赴きと落ち着きがあり、作品もより格調高く
展示されていました。私がうらやましかったのはこのコーナー。
やはり入江さんの「仏像写真」は魅力的です。
是非、TSUBAICHIでも今度は「大和路の仏像展」をさせて頂きたいとあらためて思いました。

尾竹さんともゆっくり過ごし、大好きな高岡市万葉歴史館でもゆっくり過ごし、この機会に
「立山」の光景を満喫できたことに心から感謝です。
やっぱり個人的な旅が自由でもっともリフレッシュできるひとときです。

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犬養万葉記念館の館長になりました!

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縁あって、今もなお大好きな犬養孝先生の犬養万葉記念館の指定管理者として、10月1日付けで、私が関わることに決まりました。

この年齢で?、今の生活環境で?、「引き受けたところで、どうやってやっていくの」と、私を知る方々のすべてのご心配の中、船出を始めました。

要請をくださった明日香村も、村の施設として存続を危ぶまれる中、私への期待もきっと不可能だった選択肢だったと思います。

明日香村もまさに「博打」気分かもしれません(笑)。再始動に向けて、建物もリニューアルしてくださり、11月1日オープンに向けて、明日香村教育委員会と一体になって準備を進めております。

ともかく手探りのスタートとなりますが、みなさんの協力なしには、私一人でとても運営していけません。どうぞ皆さまのご支援、よろしくお願い申し上げます。

とりあえずの11月1日から3日のオープニングイベント予定を掲載します。
準備でき次第、「昼下がり通信」や、「ご案内」をお手元に届けたいと思っております。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

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沫雪の恋

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9月28日、猪名川万葉の会が主催してくださった「万葉うたがたりin静思館」コンサートが無事に終わりました。
桝川啓次先生から「犬養万葉」を引き継いで、万葉講座の大役を引き受けてから2年半。ようやく講座生の皆さんに本来の私の活動を見て頂くことができました。
万葉の愛好会は全国にたくさんありますが、猪名川万葉の会…と、「万葉故地」の入った会名はとても貴重ですし、素晴らしいです。
私もいつか「猪名川」の歌を形にしなければ…と思っていましたが、今回、コンサートを企画して下さったことが1つのきっかけとなりこの機会に「新曲発表」をさせて頂こうと、世間でも公約していました。
女に二言はない!!!です。(笑)
また、そのことが、猪名川町のアピールにも繋がることで、思いがけず、兵庫県から「平成26年度阪神北☆夢づくり応援事業」から助成金を頂けることにもなり、新曲の発表が1つの課題ともなったコンサートでした。
静思館という会場は、国の登録有形文化財の民家で、昭和初期の純和風建築物ながら、外国人を招くための最新の設備が施された稀少な館であるので、コンサート前に、参加者を会の大石さんに案内して頂き、見学して頂きました。
そして、私たちのコンサートは民家の中が会場ゆえ、台所の土間がステージとなり、ちょっと暗めですが、なかなか面白い趣となりました。手作りの横断幕もうれしいことでした。

今回は、4人の出演でしたが、新曲をより理解して頂きやすいように、縁の下の力持ちに協力要請! 万葉歌の題詞や左注をもとに物語を作り、歌の前にドラマチックに朗読をご披露しました。
私の演出に、時間を作ってくれた娘、大熊ねこの出演はありがたいことでした。さすがプロ! 朗読でドラマの臨場感が生まれました。

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新曲は娘子と若い駅使いの掛け合いでできており、歌姫もそれぞれに熱唱。

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さて、いかがだったでしょうか。ドキドキの私ですが、このチャンスに新たな曲作りができたことに感謝しています。
当日ジェイコム兵庫の取材があり、コンサートの様子の撮影や、終了後「猪名川」に対する私の思いなどもインタビューしていただきました。
今日(7日まで)放送があったようです。

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猪名川万葉の会の方々はきっと「新曲」誕生と共に、コンサートを無事開催できたことの達成感などで本当にほっとされたことと思います。いろいろご準備頂き、ありがとうございました。
同じ「猪名川」ゆかりの万葉植物園の木田隆夫さんも来てくださいましたが、ご厚意で、たくさんの秋の草花を提供してくださり、古民家の素朴さに草花が映えました。
ステージはもちろん、お部屋のあちこちに華道展かとみまがうほどのたくさんの生け花が飾られ、私たちのコンサートにまさに華を添えてくださいました。

今回は、私と山寺さんの2人楽坊。山寺さんも華麗なピアノさばきをご披露。衣装姿も素敵でしょう?。

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この「沫雪の恋」を猪名川から、兵庫県の万葉としてもまた発信していきたいと思います。切ないドラマ…。「万葉泣ける歌?」です。

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人麻呂の松

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思いがけないプレゼントが届きました。
甘樫岡に次ぐ、犬養先生の揮毫歌碑の2号碑は、島根県江津市都野津にある、柿本神社の人麻呂歌。昭和44年に建立された時は、背景に立派な「人丸の松」と言う樹齢700年の松の木がありました。松くい虫や風化で惜しまれながらとうとう「人丸の松」は伐採され、今は社務所ガラスケースに幹の一部が展示されています。
その松から「茶杓」が3本作られたという伝説?は知っていましたが、その時に一緒に作られていた「茶さじ」が私に…。まさに「お宝」!松の木そのものは、広島県の業者が買い取ったそうですが、払われた枝や残骸は地元の方が集めて今も残されているそうです。
幻の「作品」大事にします!