バレンタインの2月

2月14日、バレンタインデーがやってきた。
世間一般のクリスマス同様、イベント化、またはビジネス化されて定着し、女性から男性へ
「愛が告白できる」公の日とし、またそのしるしにチョコレートを添えて…と言う習慣が
それなりの賑わいとなっている。
しかし我が家では、弟の霊名が聖ヴァレンティヌスで、聖人の祝日としてまた祝う日でも
ある。バレンチヌスは、恋人たちの守護聖人として信仰されてきた。
また、2月14日は彼の殉教の日であり、彼の名をとって、バレンタインデーとされている。
弟にとっては、家族から「チョコレート」をもらうことは、また意義があることなのだが、
本人はおそらくそんな意識はないように思われる(笑)。
なぜなら、2月15日から確定申告の時期に入り、税理士としてはもっとも忙しい時期であるから
と言いたいのだが、なんとそのような時期に弟は再び「忙しさの中で自分に挑戦をする」
第?弾をやっていたのだ。
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先日の大雪の翌日の2月9日、武庫川で行われたハーフマラソン10キロ完走のメール!
普段から忙しいなりにランニングしているのを見かけることはあったが、10キロも走るとは!
いつの間にエントリー? いつの間に練習? なんで今の時期?とびっくりしたが、
昼下がり通信にも書いたが、その後も信念に沿ってモチベーションを保ち続けていることに?
感心した。次もあるかも。(笑)
私も刺激をされて、負けてはいられないと思ったものの、新年早々体調不良や、アクシデント
続きで、今年になってなかなか自分のペースが作られない。
ちょっと悔しいと思いつつ、私も新年を迎えた時と同じように仕切り直し…かな。

老兵は死なず…。

マッカーサーの有名な言葉で「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と、役目を果たし終えた人は、表舞台から静かに去っていくことを述べた名セリフが思い出される。
都知事選で、細川さんと小泉さんのタッグマッチは実らなかった。
前日からの東京の大雪で、最終日の選挙運動も大変だったし、当日も投票率も上がらず、過去3番目に低い46パーセントは、有権者の半分も投票をしていないと言うことなので、選出された舛添氏は本当に「当選した」「信任された」と言えるのだろうか。
選挙の投票率の低さは、有権者の無関心というのか、「選挙権」の重みを自覚していない人が多いのか、政治に我々の声が届かない無念さか、自分の1票を無駄にしている人が多い。
残念なことだ。
前ブログで「老人力」を述べたが、敗れたものの二人の「反対勢力」は、一石を投じたように思う。論評は小泉さんの集票力の衰えを指摘し、細川さんの選挙戦を批判した。
しかしきっと彼らは表舞台からは去ったとしても「信念」を曲げることなく、脱原発を訴え続けることだろう。訴え続けていってほしい。
争点が「脱原発」と言うことで、国会では「原発再稼働」についてこの期間封印していた懸案を、議決に向けてあからさまに再開した。
3月11日がまた巡ってくる。
福島の悲劇はまだ終わっていないのに、やはり政治家には「対岸の火事」なのだろう。
ともかく細川さん、小泉さんお疲れ様でした。
私の回りには70代、80代の方々がたくさんおられるので、育まれた精神と愛国心と日本人意識をしっかり学びたいと思う。
「老兵は死なず。静かに見つめることあり、消え去るべからず」と言いたいものだ。

がんばれ、老人力!

東京都知事選の選挙運動の真っ最中だ。
猪瀬前都知事の辞任で、思いがけず世の中に少し刺激が生まれた。
それも安倍政権や、霞が関を揺さぶるような「抵抗勢力」であることが愉快だ。
「殿、ご乱心」と言わしめた、細川前総理の76歳の出馬のメッセージは何だろうか。
その細川さんを全面的に支えるのも前総理大臣の小泉純一郎氏。
二人の総理経験者が、今世間の人たちに訴えなければならない現実を考える。
私の母は、昭和7年生まれの81歳。戦中派である。母が還暦を迎えた時に「孫や子の将来」
を案じて市民運動に参加していったことは、今でもその行動力に感心する。普通の専業主婦
だった母が今の私の年齢となって、社会参加をし始めたのは、限りある人生において「今
自分にできること」への使命感からだったように思う。
そして、まず食物の安全性から始まり、行政の不条理に義憤を感じ、市民オンブズマン活動
などでも活躍した。また大前研一さんの「国民主権」の平成維新を実現する会にも参加し、
今振り返ってもよくやったな…と感心するくらい社会活動にかかわっていた。今は年老いて、
勇退したが、心情は当時と変わらず、社会を見つめる視線は今も変わらないようだ。
そんな母や、今もなお、続けておられるお仲間もみんな年を重ねられた。
見まわしてみると、市民運動も母たちに続く世代が育っていない。
それは、伝統的な技を継承することや、文化・芸能活動もしかりで、後継者の不在は
どの分野でも同じ状況のようだ。なぜ、世代観ギャップが生まれてしまったのだろう。
戦争や被爆体験などや、平和・社会運動などで、活動されている人たちは、高齢化され、
激動の昭和時代を生き抜いてきた経験を語り伝えていく使命を強く、余生に託しておられる。
万葉のお仲間を見回しても、積極的に歩き、参加し、感動を求められる方々は60代以上の
方々だ。
「昔の日本はよかった」と懐古趣味ではなく、昔の日本と違い、「今はどこに向かって
行こうとしているのか」「日本人であることの誇り」「これからの日本ために」と、
愛国心や政治の貧困、社会の腐敗、教育の未熟を日々不安に感じておられる方々が、
まさに母たちの世代なのだ。
人生で体験されてきた激動の昭和時代を語り継ぎ、その経験を踏まえて教訓としたり、
同じ轍を踏むことなく…という切実な思いを私たち子どもたちはしっかり受け止めて
いるだろうか、理解できているだろうか、はなはだ疑問である。
戦争や被爆、被災や現実が何もかも風化しようとしている。
私はいろんな場面で70代、80代の方々の行動力やパワーに遭遇することが、偶然だとは
思わない。戦後の日本を支えてきた人々が、未だに日本を支えていたのだ。
細川さんが、政界を引退した時に「野に下っても違った角度から日本のために尽力を
惜しまない」と言われていた通り、今日まで環境運動やNPO活動で水面下で活動されて
きたようだ。
東北大震災を経て、福島原発の被爆地は未だ解決も見ていないのに、東京電力を税金で
支えて、検証もなく日本の他地域の原発を再稼働しようとしている政府、交付補助金に
頼る自治体の様子を見ていると、日本は誰のための国家であるのか問いたくなる。
「原発廃止」を明確に掲げて「一石を投じた」二人の元総理の勇気をたたえたい。
たとえ当選できなくても多くの「老人パワー」の行動がお二人に象徴されているように
思えてならない。
私は選挙の結果もそうだが、東京都民の意識に注目している。

歌会始めに思う。

きょうは、サラ・ブライトマンと取りだめていたNHKの「歴史ヒストリア」を
「鑑賞」した。BGMではなく、画面をしっかり見ながらという行為が自分では
めずらしく、貧乏性で「何かしながら…」と思うけれど、このたびはまあいいかと
と思いつつ、画面を眺め入る。
さて、15日は皇居の歌会始めだった。
今春のお題は「静」
それこそテレビのホッとニュースで様子を知ることができたが、やはりすべての作品の
秀逸は天皇陛下の御製と感じ入った。時代背景と共に本当に自然に表現されている。
「慰霊碑の 先に広がる 水俣の 海青くして 静かなりけり」
このような歌を詠まれるお人柄に心うたれる。そして、私はやはり皇后陛下の「母」
ならではの身近さ詠われたお歌も素晴らしいと思った。
「み遷りの 近き宮居に 仕ふると 瞳静かに 娘は言ひて発つ」
美智子さまと落ち着いた清子さまのご様子が手に取るように想像できる(笑)。
やはり現代的短歌より、私は受け入れやすいのは、やはり万葉人なのかも(笑)。 
平成万葉はまだまだ続く…。

これも日常なのね!

新年早々、インフルエンザで、久しぶりに寝込んでしまったが、
仕事を持っている立場としては、思いがけない生活の混乱に、まともに落ち着いて
いられない半面、人様から隔離される病だけに、一定期間「ひたすら家で過ごす」ことの
両極の状況を今、楽しんでいる私がいる。
13日夜発病
14日半信半疑で診察ーインフルエンザA型判定(診察室でも判定直後から隔離!)
11月初めには例年のごとく予防注射もしていたし、しても意味がないと思うほど
インフルエンザには縁のない私だっただけに、ありえへ~ん(泣)。
帰宅後、タミフル服用開始。体も心も重く、寝間になだれ込み昏々と睡眠。翌朝まで
自分でも感心するくらいよく寝た。朝、37度7分が、夜には37度1分に。
15日朝には、36度1分の平熱に近くなった。やはり熱が下がると昨日は停止していた
頭も体も動き始め、「やる気」が出てきた。
医師に、インフルエンザの回復マップをもらっていて、完璧に守ると、21日に
社会復帰と言うことになっているので、ともかく数日間は「自宅蟄居」と言う生活を
如何に過ごすかを考えた。
まずインフルエンザ完治、体力回復、睡眠不足解消があってのことだ。
15日は、それでもまだ体を動かすことが大義で、ずっとたまっていたVTRをいろいろ見た。
特に「八重の桜」総集編4章を一気に見て、会津藩の悲劇や、八重が歴史に翻弄される姿に
大いに涙したが、肝心の「新島八重」の後世の社会貢献や生き様が省略されていて、
NHKの意図も総集編で理解できたような気がした。
VTRの他には、日中のテレビ番組の同じようなニュースソースにちょっとうんざり。
東京都知事候補の件、相模原の少女の生還、自衛艦の衝突事故…。
16日の今日は、あらためて「音楽」を聞いた。一度は見たVTRだったが落ち着いて
聞きたかったのだ。
「クリスマスの約束2013」「SONGSポールマッカートニー」「SONGスペシャル松任谷由美」
小田和正の音楽に対する姿勢にあらためて感心した。また彼の作曲の東北大学の
学生歌に感動した。
少し家事をする気分にもなり、インフルエンザの空気を入れ替えるべく、窓を開け放したが、
日中は寒くもなく、職場ではありえない心地よさだ。
穏やかな気分で、ブログを書く気分にもなった。
急に「江分利満氏の優雅な生活」というタイトルが頭に浮かんだ。
「オカモの気ままな静養日記」なのだが(笑)。
明日、17日は阪神淡路大震災から19年目が巡ってくる。自宅にいて、おそらくテレビも
新聞も終日伝えていくことだろう。例年、しっかり向き合って思い返すことのできなかった
私にとって、貴重な機会だとも思っている。
そして、当時からもまた19年生かされたことに感謝をしながら、しかし、19年前の
あの悲惨な現実を決して忘れてはならないと思うのだ。
時々、娘と震災の時の話をすることがあるが、被災した者しかわからないであろうあの
恐怖感は、生死の大きな運命の針、紙一重のことだったと思うこと。
その分、「生かされること」の重さを強く感じているし、人生をより深く生きたいと
思っていることは共通しているようだ。
緩やかな自由な時間。きっとこんな過ごし方は、もう少し老境に入ってからのこと
だと思うので、とても貴重な経験だと思う。
サロンで頑張っている山寺さんには申し訳ないのだが、私は開き直って楽しく個人ライフ。
明日は、本を読んでみようかな。
そうそう、朝晩寒い毎日、家にいると1日暖房しなくても体の余熱で過ごせることに驚き!
睡眠の大事さ、日中の太陽光に感謝。今日は今年最初の満月でした。

第2回 入江泰吉写真展はじまります!

明日、1月10日から10日間、入江泰吉写真展始まります!
昨年3月、私のサロンで、「第1回入江泰吉万葉写真展」を開催させて頂きました。
この時は、大阪府立大学と入江泰吉記念奈良市写真美術館・高岡市万葉歴史館の
共同企画による「萬葉寫眞簡」という、ポストカード普及のための「写真展」でしたが、
ご来場頂いた方々には、喜んで頂いた上「次回はぜひ入江さんの仏像写真が見たい…」など、
入江泰吉さんの素晴らしい作品の数々に対して、「写真展」を再び開催してほしいという
声を頂いておりました。
私も、入江さんの仏像や古美術写真などが大好きで、「万葉」に特化しない本来の作品を
見たいと思っていましたので、私も再開催を強く望んでいた張本人でもあります(笑)。
音楽サロンですので、本格的なギャラリーでもなく、手狭な限られた空間での展示ですので
今回は12点ですが、珠玉の12点だとも感謝しております。
前回は、萬葉寫眞簡PRという目的もありましたので、大阪地区開催の写真展という名目で、
私どもが会場を提供させて頂いた形ですが、今回は、私たちが自発的に入江展をさせて
頂きたいという希望に応じてくださいました。
そして内容も「大和古寺とみほとけ」と決定して頂き、わがままな依頼を快く受け入れて、
作品の提供に応じてくださいましたことを心から感謝いたしております。
2014年の新春を飾るサロン行事として「大和古寺とみほとけ」展を開催させて頂くことは
本当に光栄なことです。
何人の方々が、足を運んでくださるか、楽しみですし、私たちも格調高い作品であらたまった
サロンの空間で、心静かにこれからのうたがたり活動のこと、サロン展開のことを
ゆっくり考えてみたいと思います。
               
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初めて炊いてみました!

1昼夜かけて、「黒豆」を初めて炊いてみました。
まあまあのできあがりに、ちょっと自信をつけたりして…(笑)。
2013年も多くの方々に温かいお志を頂きましたが、特に万葉故地の方々には、
名産品であったり、旬の農作物だったり、「福袋」の様な貴重なお品をたびたび
頂戴いたしました。
皆様のそのお気持がありがたいのと、私のあつかましさと甘えで、おかげさまで
何度も何度も豊かな気持ちにさせて頂きました。ありがとうございました。
今年の締めくくりはこれです。
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明日香村で新春に講演をさせて頂く奥山の米川さんから、「黒豆」をたくさんに
頂戴しました。「採れたままで、掃除も洗いもしてないけど…」と頂いた黒豆に
どなたかにあげようか、どうしようか…と思っていました。
まさにタイミング良く、後輩の加納真美さんが、大學の講師というキャリアウーマン
でありながら、大変家庭的な「マメ」(豆?)な方で、なんでもこなされます。
そして、先日2日かかりで、親しい方々のために黒豆を炊いてプレゼントをなさった
ことを伺い、感心した矢先でした。
一度、自分で炊いてみよう!と思い立ったのです。(笑)
昔と違い便利なお鍋もあり、お砂糖とお醤油があれば…と「ともかく」の作品?
ですので、次回はもっと上手に炊けそうです。
お砂糖の種類や、お醤油のこだわり、それから今回足りなかった「錆びたくぎ」と
重層とか、お料理レシピを見ると足りないものだらけ…(汗)。
でも味見をしてみるとまあまあなので、まあいいか!
もともとお料理は嫌いではないのですが、時間的に「手抜き料理」や速攻料理
が得意の私ですので(笑)、1昼夜かけてというのもお正月準備らしくて良かった
と思います。
黒豆を頂いたことと、毎年母からの味を作られる後輩の近況などが、思いがけない
チャンスとなりました!
年末きょう1日、あとは何年か越しの「かたづけ」の戦々恐々です(泣)。

頂いた「椿の花」二題

もういくつ寝るとお正月♪の歌がふさわしいカウントダウンの時期になった。
26日に明日香での万葉講座を終え、私の今年の仕事納めとなったが、その時に
いつもかいがいしくお世話をして下さる勝川京子さんが、「先生、我が家に咲いた
椿です…。」と、枝ごと切ってきてくださった。白い椿。もう咲き始めたことに、
びっくりした。
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帰宅してみると、日本郵政からの不在票が入っている。
五島列島の松本さんからだ。私にむべを下さった方だ。
私は仕事上、時間的な制約があるので、いつ受取ろうかな…と思っている矢先に
差出人の松本さんからお電話を頂いた。「五島の椿」を入れてくださっていたので、
心配されていたところ、私が不在だったので、日本郵政から折り返し、松本さんに連絡が
あったらしい。再び私に届いたころには、もうお花もダメになってるかも…と松本さんの
残念そうなお言葉にびっくり。ええっ、五島列島からも椿の花がやってきたのだ?と
椿の偶然に驚くやら、今度は2~3日の遅配ロスが気になり、お花の状態が気になること…。
結局、今朝ようやく届いた箱を、ドキドキしながらあけたところ、やはりぐったりは
していたが、「水仙」の馥郁たる香りがあふれ、そして椿の小枝が松本さんの作られた
お野菜の上にともに入っていた。
おまけに名物のカンコロ餅も入っていて、まるで「福袋!」。
お花達には「ごめんね」と言いながら、急いで花瓶に水を張って、がんばれがんばれ…と。
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手狭で殺風景な我が家の玄関が、今、お花であふれている。
そして箱から出した時に、こぼれおちたお花は、可哀そうなので水に浸してやり…。
五島の椿は赤、ピンク、白とまるで「五弁の椿」のようだった。華やかで素敵。
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年末を迎え、節目の、ふと気持ちが緩んだ時に、明日香からも三井楽からも「椿の花」を
プレゼントして頂いた偶然に、すごく幸せな気分だったことと、今年もご苦労さまと
私に頂いたご褒美が「椿の花束」だったことは、まさに神様の計らいとしか思えない。
水仙の香りと、椿の花に満たされてただいまルンルン気分です。

父の誕生日

10月20日は、美智子皇后のお誕生日の方が有名ですが、実は私の父の誕生日でもあり…(笑)。
五島列島巡礼の旅から、あわただしく時間が過ぎましたが、今朝1カ月ぶりのオルガン
奏楽のお当番で、ようやく所属の仁川教会のミサに与ってきました。
旅で少しお親しくなれた水浦神父様にもお目にかかり、ホッとしました。
2週間のうちにすっかり秋寒の雨の朝となり、家を出てからやっと明るくなったくらい…。
時は流れていきます。
いろいろお祈りすることがありました。
高岡・五島・東京と予定通りにすべてのことがはかどったこと、犬養先生の命日祭を
無事終えて、谷中で報告できたこと、留守中の深堀神父様のご逝去、うたがたりのこと、
今になって信頼関係の揺るいだ私の未熟と無念、体調…と感謝や、お見守りやお恵みを願い、
回心や…とあれこれ抱えての御ミサですが、ちょうど父のお誕生日に教会へ行けたことも
ありがたいことでした。
満85歳になった父、来年も元気でお誕生日が迎えられますように…と心から思います。
教会では10月は「ロザリオ」の月。私のご奉仕した7時ミサのあとは、9時から子供ミサ
がおこなわれますが、きょうは「ロザリオ祭」で、子供たちがかつぐ「マリア様の輿」が
おいてありました。とても華やかで美しい!
しばし見とれていました。
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きょうのクリス神父様のお説教も「マリア様と共に歩んで頂き、神に近づく…」。
聖母マリアは、本当にすべての人々の「お母さん」です。
聖堂にもマリア像が飾られ、ライトアップにはちょっと驚きましたが(笑)、象徴的
だったので、電気も消された聖堂でしたが、写真を撮らせて頂きました。
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では、今から出勤します! 今日はサロンレンタルですが、「発表会」で子供たちの発表
だけでなく、講師演奏もあり、ヤマハ音楽教室の頃の賑わいを髣髴とするような1日に
なります。
いろんな音楽に浸って心の安らぎを得られるのは、本当にオーナー冥利です(笑)。

やっぱり『万葉集』は魅力的!

萬葉学会の感想を少し…。
10月12日(土)初日は講演があり、「乾 善彦先生の万葉集仮名書歌巻の位置」と
       「品田悦一先生の畸形の文法~近代短歌における已然形終止法の生成」を   
        拝聴した。
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乾先生は『万葉集』の仮名を分析され、表記の個性や木簡資料との差異、部立ごとの特徴など、
字母の細やかなお話から、構成、成立論にまで及ぶ考察に、今更ながら「研究の視点」を学んだ。
品田先生は、近代短歌歌人の一人「斉藤茂吉」研究で、すでに著作もおありだが、講演では、
近代短歌に多く見られる疑似古典語法とも言える「文語」に着目され、万葉の言葉を使いつつも
(お手本のようにしながら)その言葉の既成概念からいかにして遠ざかるかという斉藤茂吉
作歌の手法などを伺ったが、元をただせば『万葉集』で見られる文法の形があって、近代の
短歌表現にどのように享受されているかという興味深いお話だった。             
翌日は朝から、研究発表があり8人の方々の発表を伺った。
特に興味があったのは昨年学会に入られたとおっしゃる帝京大学の木下先生で、ご専門は
薬学の方である。昨年の石見の臨地研修旅行でお知り合いになった。
そして、今年早速に発表される題が「日中間で見解の異なる海石榴はツバキ・ザクロの
どちらか」と「海石榴市」にこだわるオカモにとっては大変興味あるものだった。
萬葉学会では初めてパワーポイントが用いられ、資料に加えて花の写真や図などを説明して
くださり、ユニークな発表直後には思わず拍手が起こったほどだ。
私も椿は中国になく、中国へ輸出されて字があてられたというのは聞いたことがあったが、
遣唐使の携えた天皇からの献上品の一つに「椿油」があったことや、中国にはない椿の花に
よく似た「石榴」が、海外から取り入れたものとして「海石榴」という字が当てられた
のでは…とか、また、中国の文献などを参考にしながら、本草学と文学表現から「ツバキ・
ザクロ」の考証を伺い、私も直前にちょうど五島列島へ行き、隠れキリシタンのバラに代る
貴重な花として自生する「ツバキ」の話を聞いたばかりであり、日本古来の貴重な植物で
あったので、花十字として信仰されたことや、三井楽町には遣唐使ふるさと館があるが、
ツバキ油が遣唐使の持参した高級贈答品であったことにひとり感心し、私の中での共通の
話題に驚くばかりであった。木下先生ありがとうございました。
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また、学生さんや万葉学者に交じってUCLAからトークィル・ダシーさんとおっしゃる
米国の研究者が「万葉集巻1・2の歌がほぼ年代別に配列されているか」という、成立論に
ついて発表された。流暢な日本語にも安心したが、歴史とは天皇の言行、言動を中心とした
世界であり、万葉歌の配列がそれによって意図的に編纂されているのでは…と年代順と別の
系譜の論理が働いているのではないか…と発表された。
日本人であってもなかなか理解のむづかしいことを、外国人研究者もこうして日本文学について
研究をされているのだとうれしく思いながら聞き入った。
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その他、宣命の文章が何を参考として作られたかという考察や、人麻呂歌から詠む女性像や
『懐風藻』の序から、編者の知識や教養の出所を中国文献を検索して考察してみる発表や、
古写本の「読み」や歌の配列を検証したり、本当に『万葉集』の切り口というのか、いろんな
角度からの研究対象になり得る引き出しの多い、魅力的な「歌集」なのだと改めて感じた。
私は「万葉愛好家」と自認しているし、客観的に『万葉集』についていろんなことを知りたい
という立場なので、質疑応答で、研究の内容・方法・発表について様々なアドバイスが
なされる様子を見ながら、多様な話題を素朴に聞いて楽しませて頂いた。
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代表の内田賢徳先生のご挨拶にもあったし、私も同世代なので漠然と感じたことだが、
かつての著名な万葉集研究者の引用が少なくなり、それだけ研究も進化したということなのだと
思うが、私も少しさびしく感じた。また、芳賀先生が辛口で今後の研究に対する姿勢として、
文献の扱いや研究の視点をどこにおくか…ということなどを語られたが、個人にではなく、
確かに今の若い人たちには大事なことだと思った。
先人の苦労を思えばコンピューターの普及や資料の豊富さなどで、研究が安易に作業化して
いないか…と実際に思う。
時代を経て、萬葉学会も徐々に変化しつつあるのだろう。
わたしも大いに刺激を受けて帰宅した。やっぱり『万葉集』って楽しい。
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帰宅した翌日、14日の朝、最期の朝顔が咲いて「おかえり」って迎えてくれた。
花の形も変形したいびつなものだったが、とても愛しい。最後までつきあってくれてありがとう!