やっぱり『万葉集』は魅力的!

萬葉学会の感想を少し…。
10月12日(土)初日は講演があり、「乾 善彦先生の万葉集仮名書歌巻の位置」と
       「品田悦一先生の畸形の文法~近代短歌における已然形終止法の生成」を   
        拝聴した。
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乾先生は『万葉集』の仮名を分析され、表記の個性や木簡資料との差異、部立ごとの特徴など、
字母の細やかなお話から、構成、成立論にまで及ぶ考察に、今更ながら「研究の視点」を学んだ。
品田先生は、近代短歌歌人の一人「斉藤茂吉」研究で、すでに著作もおありだが、講演では、
近代短歌に多く見られる疑似古典語法とも言える「文語」に着目され、万葉の言葉を使いつつも
(お手本のようにしながら)その言葉の既成概念からいかにして遠ざかるかという斉藤茂吉
作歌の手法などを伺ったが、元をただせば『万葉集』で見られる文法の形があって、近代の
短歌表現にどのように享受されているかという興味深いお話だった。             
翌日は朝から、研究発表があり8人の方々の発表を伺った。
特に興味があったのは昨年学会に入られたとおっしゃる帝京大学の木下先生で、ご専門は
薬学の方である。昨年の石見の臨地研修旅行でお知り合いになった。
そして、今年早速に発表される題が「日中間で見解の異なる海石榴はツバキ・ザクロの
どちらか」と「海石榴市」にこだわるオカモにとっては大変興味あるものだった。
萬葉学会では初めてパワーポイントが用いられ、資料に加えて花の写真や図などを説明して
くださり、ユニークな発表直後には思わず拍手が起こったほどだ。
私も椿は中国になく、中国へ輸出されて字があてられたというのは聞いたことがあったが、
遣唐使の携えた天皇からの献上品の一つに「椿油」があったことや、中国にはない椿の花に
よく似た「石榴」が、海外から取り入れたものとして「海石榴」という字が当てられた
のでは…とか、また、中国の文献などを参考にしながら、本草学と文学表現から「ツバキ・
ザクロ」の考証を伺い、私も直前にちょうど五島列島へ行き、隠れキリシタンのバラに代る
貴重な花として自生する「ツバキ」の話を聞いたばかりであり、日本古来の貴重な植物で
あったので、花十字として信仰されたことや、三井楽町には遣唐使ふるさと館があるが、
ツバキ油が遣唐使の持参した高級贈答品であったことにひとり感心し、私の中での共通の
話題に驚くばかりであった。木下先生ありがとうございました。
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また、学生さんや万葉学者に交じってUCLAからトークィル・ダシーさんとおっしゃる
米国の研究者が「万葉集巻1・2の歌がほぼ年代別に配列されているか」という、成立論に
ついて発表された。流暢な日本語にも安心したが、歴史とは天皇の言行、言動を中心とした
世界であり、万葉歌の配列がそれによって意図的に編纂されているのでは…と年代順と別の
系譜の論理が働いているのではないか…と発表された。
日本人であってもなかなか理解のむづかしいことを、外国人研究者もこうして日本文学について
研究をされているのだとうれしく思いながら聞き入った。
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その他、宣命の文章が何を参考として作られたかという考察や、人麻呂歌から詠む女性像や
『懐風藻』の序から、編者の知識や教養の出所を中国文献を検索して考察してみる発表や、
古写本の「読み」や歌の配列を検証したり、本当に『万葉集』の切り口というのか、いろんな
角度からの研究対象になり得る引き出しの多い、魅力的な「歌集」なのだと改めて感じた。
私は「万葉愛好家」と自認しているし、客観的に『万葉集』についていろんなことを知りたい
という立場なので、質疑応答で、研究の内容・方法・発表について様々なアドバイスが
なされる様子を見ながら、多様な話題を素朴に聞いて楽しませて頂いた。
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代表の内田賢徳先生のご挨拶にもあったし、私も同世代なので漠然と感じたことだが、
かつての著名な万葉集研究者の引用が少なくなり、それだけ研究も進化したということなのだと
思うが、私も少しさびしく感じた。また、芳賀先生が辛口で今後の研究に対する姿勢として、
文献の扱いや研究の視点をどこにおくか…ということなどを語られたが、個人にではなく、
確かに今の若い人たちには大事なことだと思った。
先人の苦労を思えばコンピューターの普及や資料の豊富さなどで、研究が安易に作業化して
いないか…と実際に思う。
時代を経て、萬葉学会も徐々に変化しつつあるのだろう。
わたしも大いに刺激を受けて帰宅した。やっぱり『万葉集』って楽しい。
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帰宅した翌日、14日の朝、最期の朝顔が咲いて「おかえり」って迎えてくれた。
花の形も変形したいびつなものだったが、とても愛しい。最後までつきあってくれてありがとう!

谷中墓参

9月28日に西宮神社で犬養孝先生の15年命日祭を終えたことは、HPのトップページでも
ご報告した通りです。
そして、ちょうど10月に東京大学で萬葉学会が予定されていましたので、上京の折に
谷中の墓参を楽しみにしていました。
平成10年10月3日がご命日ですので、タイムリーでもありました。
私にとっては上野駅からもはや歩きなれた道です。
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ちょうど3連休ということで、墓地内の各所で「谷中まつり」が行われており、お花見と言い
物見遊山のスポットでもある「谷中墓地」の微笑ましく庶民的な様子を改めて実感しました。
帰りは日暮里から駒込経由、東大前へ。谷中墓地から紅葉坂を下って…。
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東大というのは、4年前に甥の卒業式で、さも親のような顔をして参列しましたが、その時も
犬養先生の「学び舎」を追憶したくて、赤門をくぐったことを思い出します。
昨年2013年の萬葉学会が、東京大学で行われる予定を聞いた時、「萬葉」が東大で語られる
機会が訪れたことと、母校でもないのに懐かしい気持ちがしました(笑)。
ピアノのレッスンで2回東大に来たことも理由のひとつですが…。
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東京大学文学部棟。広い構内で会場にたどり着くまでに、もう銀杏の落ちている銀杏並木を
抜けたり、初代学長の石造の前を通ったり、また、大学の新たな施設建設のために、発掘
調査をされているところもありました。
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レンガの積まれたあとや、井戸など、歴史的遺物のようです。東大は関東大震災でもその後の
火災等で、図書館の書物が焼けてしまったり、資料が消滅してしまったり…と痛手も多かった
そうですが、偶然に持ち出されて唯一残っていた校本萬葉集」の版に用いたと思われるゴム印を
学会当日、特別に公開してくださいました。
会場校としてご挨拶をしてくださった月本雅幸先生が、以上のような話題や、大学図書館の
震災などを経て歩んできた歴史や、残存の貴重な資料のお話など、大変矯味深いお話を流暢に
してくださり、とても印象的でした。
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私は亀井君(東大法学部卒)の大学で合唱の伴奏をするのに、ピアノのレッスンに2度伺い
ましたが、学生会館には、複数のグランドピアノがあり、その時に音大でもないのにすごいと
思いましたが、なんと文学部の教室にもやはりヤマハのグランドピアノが置いてありました。
品田先生の駒場にはパイプオルガンもあるとか。とても贅沢な設備がうらやましい。
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懇親会で、月本先生もドイツで10年ほどピアノレッスンをされたと伺い尊敬してしまいましたが、
東大の男子学生の二人に一人はピアノ経験がある…と聞き、勉学と両立する優秀な子どもたちの
現実?に、改めて東大生は教育環境の恵まれたこどもたちでもあることに羨望がありました。
肝心の学会の内容については…、またあらためて感想を書くつもりです。
谷中で犬養先生と再会することから始まった東京の旅は、帰りの新幹線に乗車する前に親友とも
再会できました。
昨年還暦旅行で帰りに撮った「東京駅」。やはりライティングされて、きれいでした。
私のようなオノボリさんは写真を盛んに撮っていました。もちろん私も!
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「KITTE]という旧東京丸の内郵便局をリニューアルした商業施設で食事をして、つもる話を
しましたが、時間切れ…。また来るね!と約束をして帰途に…。彼女のお誕生日の前日でもあり、
少しでも会えてよかった。
再び東京駅での記念写真です。充実した1泊2日の東京。翌日の臨地研修はキャンセルして、
翌日のTSUBAICHIでのサロンコンサートの準備のため帰宅しましたが、楽しかった!!!
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凛とした強さを学ぶ・・・。

今朝の朝顔です。
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きょうも2輪咲きました。1本の茎だけのお花なのに10輪は数えました。
遅咲き、晩稲…tと表現してFBでご紹介してきましたが、
この時期に咲くことの稀少価値より、「ど根性」に近い生命力だけに
私自身が驚きとともに、力づけられているという毎日です。
昨年やはりほったらかしていた鉢から「桔梗」が育ち、紫と白の2本だった
桔梗が、仲良く「白地に紫色の斑が入った桔梗」が1本咲いたことをブログで
ご報告しました。
そのようなズボラな私がやはりほったらかしていたフラワーボックスから
思いがけず見つけた「二葉???」
普通なら、種をふやかし、それから土に蒔いて育てる「朝顔」の手順もない
どころか、この水不足、暑い夏を超えて8月に二葉を出したこの「力」に
私はなんだか、愛しくて、健気で、孤高の「強さ」にすごく感動したのです.
1本だけの細い細いツルで9月半ばからほぼ毎日咲いてくれます。
もうそろそろ終わりかな…とまだまだついた小さなつぼみを確認しながら
「ありがとうね」と話しかける毎日。
1日のはじめの清らかでさわやかな「気」を私に伝えてくれていることに感謝
しながら、来年こそはきちんと「朝顔」を生育する心機一転を図ります(汗)。
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西宮えびす神社観月祭。

今年の仲秋の名月は、望月と満月が一致する貴重な「月」であったようだが、
等彌神社の観月コンサートの宵から、連日晴れ渡った空に「月」が美しく輝き、19日の
当日までに毎晩帰宅の夜道が、心弾んだことだった。
その9月19日当日には、西宮文化協会のご依頼で、西宮えびす神社の観月祭の後の、
夕食会「月見の宴」で、万葉うたがたり会のゲスト出演の機会を頂いた。
時間的、また場所的条件からも考慮して、今回は万葉うたがたり会を代表して山口ひとみ
さんに出演してもらった。ピアノ伴奏も山口さんと呼吸の合う宮川真由美さんにお願いし、
万葉曲と秋の風情を味わって頂く音曲をご披露した。
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観月祭は、一般公開で、本殿の前に集合。まだ薄暮だったが、吹き抜ける風が心地よかった。
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午後6時から祭典が始まり、神官により祭壇に供物が並べられ、祝詞の奏上などのご神事があり、
その後、奉納の舞楽「原笙会」の女人の舞を初めて拝見した。
友人のお嬢さんが社中におられたり、噂には聞いていたが、このたびご招待を頂き、
じっくりと鑑賞することができたのは幸運だった。
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古代衣装の女性4人による「柳花苑」の舞いと、またかぐや姫の「平安の舞」は、現代曲
(東儀秀樹氏の曲)でアレンジされた舞いで、メロディーのある雅楽もよかったし、私たちは
しばし女性の舞いのあでやかさと、時代を異にした幻想の世界にひきこまれたような気がした。
かぐや姫は、衣装も時代もコラボしたかのようなファッション?にも見えて、舞楽と言えど、
現代を意識した形への試みをされているかのようにも思えた。
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関係者なのか、女人舞楽のファンなのか、ビデオやカメラで撮影をされている人も多く、
私も隙間からようやくとれたショットだった。
この観月祭が一般に公開されていることを知らなかったので、もっと多くの方々にも知らせて
あげて、この風雅なひとときをみなさんにも味わって頂きたいものだ。
ただ、ご神事・奉納の舞いで、宴席が遅れたため、山口さんのステージの開始が遅れ、準備
していたアンコール曲がカットされたのは残念だった。
でもお食事は、東京竹葉亭の「お月見特別料理」。
御馳走様でした。
帰りの月も美しく、今年の月夜は本当に素晴らしい中秋の名月だった!

誕生日を迎えて・・・。

どうしてもブログに書いておきたいことがあった。沖縄旅行のことだ。
FBには、小出しで、旅の思い出を切り取って、早々に友人・知人たちに披露したが、
やはりこのたびの「旅」は、私たち親娘が、日本の歴史上、理解をしておかなくては
ならない、実際に現地を自分の目で見てみたい「歴史と歩む沖縄」だった。
戦時中を生き抜いた両親は、過去二人で日本各地をほとんど旅しているが、「飛行機」と
いう母の苦手意識がネックとなり残念ながら「沖縄」だけ、旅していない。
「戦争」の頃、やはり女学生だった母が、同じく沖縄戦にかり出された「ひめゆり」
以下、同世代の方々を偲び、追悼したいという気持ちを持ち続けていることは、ずっと
知っていたので、急場に決めた私たちの旅であったが、沖縄を選択したことを大変喜んで
くれた。そして母の分も一緒に祈ってきてほしいと思いも託されていた。
「お花代」まで預かり、親子3人の思いを胸に「沖縄」に向かった。
もちろん久しぶりに親娘でバカンスを…と思ったものの、お互いの共通の時間を作り出す
ことが、並みの苦労ではなく、この2泊3日が限度だった…。
でも行き先を「沖縄」に決めた時に、「美しい海・沖縄料理・美ら水族館・ぜいたくな宿」
など、旅ならではの希望と共に、「沖縄の戦地に佇む」ということについては、娘と自然に
共通の目的であったことは、うれしいことだった。
折しも8月15日の直前には、テレビ・新聞などで「終戦特集」の報道が多く特集されたが、
いつもならば特別な意識をせずに見ていたニュースも、さすがに旅を「沖縄」に決めた後は
とても気持ちが惹かれた。
特にTBSの『テレビ未来遺産“終戦”特別企画 報道ドラマ「生きろ」~戦場に残した伝言~』
と言う、今も「沖縄の神様」と慕う人たちがいる戦中最後の沖縄県知事、島田叡(あきら)の
実話のドキュメンタリードラマを見たことも幸運だった。
沖縄に降り立って、レンタカーでまずひめゆりの塔のある南部地方糸満市へ。
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左後方は、併設されたひめゆり平和祈念歴史館。女学生の証言集などを見ると、あまりの
むごさと、淡々と綴られた日記の重さにあらためて沖縄戦の犠牲を無念に思う。
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母の分も娘とともに、花を捧げ、やっと現地に立てた実感を感じた。
引き続き摩文仁の丘へ。県の平和記念公園として、資料館、塔など、多くの関連施設が、
建てられている。そして出身県で分類された墓碑銘の場所は、テレビなどでよくみていたはず
だったが、正面の抜けるように青い空、青い海、広がる水平線に、本当は静謐な島である
ということを思い知らされた気がした。
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二人で黙って海を見ているだけで、不幸な歴史とうらはらな素朴な島、沖縄を思い、怒りや
悲しさがよけいに募ってくる。戦争はなんだったんだろう。沖縄戦はなんだったのだろう、
と思う。
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そして、沖縄県知事の記念碑へ。島田さんのご遺体?は見つかっていないそうだ。
終焉の地とされている。兵庫県出身者であり、兵庫高校と聞くと身近な感じがした。
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沖縄戦で、沖縄の人たちは米軍ではなく、日本兵のための犠牲となり多くの人が亡くなった。
翌日、首里城や今帰仁城跡などを見学し、沖縄が「琉球王国」としての独立国の遺跡が
多く残っていて、御嶽と言う祈りの聖地や、聞得大君という女王国である独自の信仰や
風習の残っているのを見て、感心した。沖縄県に本土復帰は果たしてよかったのか。
世界遺産にも登録されているが、琉球固有の文化や遺跡に今回魅せられた。
当初、想像していた喧騒も全くなく、嘉手納基地のそばを通った時だけ、米軍基地の
規模や、近さや、Yナンバーの米兵の車なども見たが、2泊3日で回った沖縄は、最高の
空・海・自然美に恵まれた素晴らしい風土だった。時々にふれあう沖縄の人々は、愛想が
よくて、優しく親切だった。そして観光で賑わい、潤う島であることは間違いはない。
そう思うと基地移転などもってのほか、これ以上環境破壊をするべきではない。
基地問題も微妙だが、「撤去」が望ましいが、まず「凍結」。辺野古へなんてとんでもない
ような気がする。沖縄の人たちの島の誇り、観光立国の沖縄を思うなら、現状維持しか
ないのかもしれない。テレビでよく見る大規模集会は本土からの人が多いと聞いた。
私たちが感じた古い琉球王国の名残の多い島、沖縄は、道州制が叫ばれている今こそ、
「独立国家」としての狼煙を上げたいくらいだ。
戦争の爪痕が色濃く残り、払拭したいのに、未だに「戦争」のための米軍基地として
甘んじなければならない沖縄の現実に、同情もある。
でも私たちにとっては、穏やかな島、美しい島として大ファンになった。
また是非訪れたいと思っているし、娘とは2月の残波岬のタイガースの春季キャンプに
来てみたいね!なんて…。
万葉と同じ、現地に立って理解できることの多さに教えられた旅だった。

もうすぐ4才

久しぶりに対面。
母のベッドの抱き枕の上が、お気に入りのはな。
なんとなく、優雅にいや、怠惰に過ごしている風情。
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はなにいつも、なんでも譲りっぱなしのひなは、籐椅子の上でお昼寝。
椅子の色目が濃いので、写真的にはよくないですが、パチリ。
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秋冬ファッションの先駆けで、毛皮の私たちですが、残暑お見舞い申し上げます。
いや、もう暦ではすっかり「秋」でした!

敗戦記念日は聖母の被昇天。

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仁川カトリック教会の入り口にある、マリア像。仁川教会のルルドのマリア様である。
8月15日は、カトリックの教義でイエス・キリストの母であるマリア様が、聖母マリアと
して死後、天の栄光に上げられた祝日として、信徒は畏敬をもってミサが捧げられる。
私も珍しくオルガンの奉仕の機会を頂き、時間が取れたので緊張しながらミサに与った。
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この日の聖堂は、マリア様の大好きな清楚な百合の花が飾られ、暑さよりも爽やかさが
感じられた。
いつもオルガン奏楽も緊張をするが、今日は被昇天の祝日なので、間奏曲に「アベマリア」
を弾かせて頂いた。
水浦神父様のお説教の中で、「あえて言えば、日本の終戦記念日が被昇天の祝日である
というのは、我々日本人の悲惨な戦争を終結に向けて、マリア様の計らいや取り次ぎが
あって、終戦を迎えられ、結果的に聖母の被昇天の祝日に重なった…ことは単なる偶然では
ないのかも…と話された。
今まで、被昇天の祝日は終戦記念日という単なる意識にすぎなかったが、戦後68年も経て、
なお、特に長崎の原爆慰霊の日には、破壊されたマリア像や、浦上天主堂のミサや、
愛唱される「長崎の鐘」などを通して、私たちカトリック信者とはいまだ身近な過去の歴史
として忘れることのできない事柄だ。
きょう、被昇天の祝日の閉祭に「平和の祈り」を歌い、あらためて世界の平和、人の平和を
願ったことは、まさに神様に取り次いで頂きたいと強く思ったことだ。
大きな祝日に与れて、気持ちも晴れやかになった。神に感謝!!!

この夏の経験、その1

5月31日のことです。
一度行きたかった京都の鴨川の床料理。
老舗の料亭や、ずぼらやなど有名な「床」はあるけれど、京都も観光客向けに
南北に広く鴨川沿いのお店で「床」体験ができるようになりました。
テレビのグルメ番組などでもイタリアン・和食・中華。創作料理・・・となんでも選択肢は
あります。
京都にいる娘に「ランチ」にならつきあってくれるかな・・・と急遽出かけたのが
5月31日です。
もう日差しは「夏日」で、しかも京都とくれば他地域よりも「暑い!
しかし平日にもかかわらず有名店は、予約でいっぱい。
私たちは鴨川をだいぶ南下した、イタリアンレストランへ。
町屋の作りを改造した外観は日本家屋。中身は洋風なお洒落な建物でした。
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空いているはずでした。床に屋根がない!!!。
となりはこんな風に囲いがあります。
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しかし暑ければ、室内に移動もありということで、決行!
私たちはとてもラッキーでした。めずらしく風の吹きぬける日で、日差しは強いけれど
まだ我慢できる暑さです。
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優雅にコースランチを頼みました。
私は魚、娘はお肉です。
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開放感のある景色を見ながら食事をするのも気分が違っていい感じ。
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貴船のように「川の上」の床でヒンヤリとしたのではなく、大きな鴨川の川べりに張り出した
「床」なので、風情は全然違いますが、ちょっとお洒落で、優雅な気分を味わいました。
娘との食事は束の間だったけど、8月後半に久しぶりに旅行の計画を立てています。
あまりないことなので、「大型台風など来ませんように…」よ祈るばかりです。

祖父母を思う。

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今日は、8月の初金曜日。
祖父の命日が6日なので、ミサの中でご意向をみなさんに祈っていただきました。
最近、祖父の菩提寺、真光寺さんとのご縁や、サロンの実質オーナーでもあるので、私と
しては、祖父の最期をつきあった孫でもあり、特別な感慨や思いが残っています。
今日は 先日お墓詣りに固執した母とともにミサに預かりました。
読み上げられた祖父母の名前をしみじみ聞きながら、「天国でどうしてるのかなあ」
「天国でも夫婦げんかしてるかも???」「天国から私に叱咤激励してるかな」とか、
いろいろ…思い浮かべました。
祖父には特にいろいろうらみつらみがあっても今は恩讐の彼方?
犬養先生も今年で15年目の命日を迎えられますが、天国がにぎわうのは、ちょっと複雑です。
でも「また会う日まで…」ね。

意外な七夕見聞記

逢合橋のオープニングのあと、枚方の七夕まつりも案内して頂いたのですが、
京阪電車の枚方市駅から天野川沿いに交野線の線路があります。
今日・明日のみ3本に1本、交野市のゆるきゃら「おりひめちゃん」と枚方市のゆるキャラ
「ひこぼしくん」の描かれた電車が走っているそうですが、私が見たのは通常の機関車
トーマスの電車。聞けば、車内放送もトーマス君が行っていて大人気だそうです。
私も聞きたいな…。
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この天野川沿いも七夕飾りが続き、お祭りムードを高めていました。
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この天野川に沿って枚方から交野へ広がる地域を、「交野が原」と言い、平安時代には
都人たちのリゾート地として活躍し、遊猟地として、歌も多く詠まれた名所です。
そして今は、この「天野川」を中心に枚方・交野は七夕のまちとして町づくりが盛んです。
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河川の護岸工事もきちんとなされ、立派な象徴の川ですが、枚方で淀川に注ぎ込んで
おり、下記写真は、実は関西医科大学病院の9階レストランから見た様子です。
本流(淀川)に対して、手前が天野川の河口です。
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きょうの私の収穫は、実は昼食に誘って下さった鳥居さんのご案内にあったのです。
関西医科大学は数年目に枚方市に移転してきたそうです。この広大な敷地の大学と
ホテルのような大学の付属病院は、もと最盛を極めたクラボウの敷地だったそうです。
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やはり!
入り口近い小児病棟には、願い事を短冊に書かれた笹飾りがありましたが、なんと壁面に
交野が原の七夕伝説のご紹介があり、スケッチ画の額や説明板がありました。おー!
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また病院内を進むと、連絡通路の指示が「波線」になっています。
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きわめつけは、エレベーター。
天井にオブジェのような細工があり、乗った正面の壁が鏡になっていて、「天の川」の
イメージに作ってありました。
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説明を聞きながら写真を撮ったりする私とともに乗っていた患者さんが、「知らなかった」
と一緒に感心して聞いておられました。(笑)
初代の院長が、「七夕伝説」に興味を持っておられて、「遊び心?」も通じて、枚方市に
ふさわしいイメージの病院ができたとか。
市民が行き来する施設に、こうして町づくりのエッセンスも感じられることをずいぶん
うらやましく思いました。
階上から広がる景色を楽しみながら、あらためて交野が原の地形を確認できました。
明日は、いよいよ交野七夕まつりの本番で、各神社や、施設で行事が行われます。
私は、JR津田駅から12キロの七夕ウオークに参加し、逢合橋で朗唱させて頂きます。
では、おやすみなさい!