忘れられない日

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11月1日、平成19年度の富山県高岡市の市民功労賞授与式で、
本当に思いがけないことに、市民ではない私にも「特別感謝状」を
授けてくださったのです。
10月27日の高岡市の朝刊に記事が出たようで、現地の方々から早速お祝いの
お電話を頂きました。その時に記事の内容を教えて頂き初めて「感謝状」の
価値や重みを知ったような次第で、思わず武者震いをしました。
高岡市での当日の授賞式に出席し、頂いた感謝状がこれです。
そして、功労者の方々の中で光栄なことに私だけが、橘慶一郎市長に賞状を
読み上げて頂きました!ありがとうございました。
橘市長にご挨拶した時に、「犬養先生の100年祭にあたる今年に、差し上げた
かった・・・」と言って頂き、感激一入でした。
犬養万葉顕彰会の会長として、先頭に立って100年祭事業を行っております時
だけに、犬養先生の遺志を引き継ぐ「代表」として、顕彰会に感謝状を
頂いたような気がしますし、ともすれば、いま孤独になりがちな私に対する
犬養先生からの労いのご褒美のような気がして、「欝」は吹っ飛びました。
とってもとってもうれしいですし、恐縮ですし、信じられません。
高岡は犬養先生に導いて頂き、私が好きになって毎年通い、そして自慢できる
万葉のふるさとです。犬養先生が「僕はもう行けないけど、あなたたちは
行ってごらんなさい。町は万葉、万葉でいっぱいですよ!」とおっしゃる声が
聞こえてきます。それだけの私ですのに、本当にありがとうございました。
★急な旅でしたが、母と二人で出かけました。久しぶりに高岡へ行ってみたい
ということで・・・。どちらも母娘で水入らずで最後の旅になるかもしれないとも
思いながら・・・。
私の作った「高岡旅情」の場面を短時間でしたが二人で訪ねようと、
まわりました。古城の森は色づきて、つままのこずえ
秋風にゆれ、雨晴では、白波のはるけき方に雪の立山、峰連なりぬ!
だったのです。長年あり通ひ、私も初めて雪景色の立山連峰を見ました。
母との旅で、最高の思い出になりました。
折りしも新曲「眉山」を作曲中です。それも映画を意識して母娘をテーマに
製作中でした。今回のできごととタイミングのよさの巡り合わせに
不思議な気がしています。

パワーアップ!

行ってきました!
娘と水入らずの旅は、成人式以来、何年かぶり・・・です。
それも約束は、2年前???
12月23日に娘の守護神でもある「パンダ」の双子が誕生し、
普段の生活の「癒し」も含めて、「白浜・温泉・パンダ」の旅
となりました。
昨秋、「紀の国ラジオウオーク」で、和歌山県を注目しましたが、
タイムリーにも、万葉集で、斉明、天智、持統、文武天皇が
訪れたと言われる、日本最古の「行幸湯」、白浜、牟婁の湯に入って
きました。(崎の湯は休館日だった!残念。)
かなり熱めで、近隣のおばあさん達と会話しながら、しっかり
温まりました。古代のパワーを体中にゲット!
白浜から見る海は、空の青を映して、藍より紺く・・・。
細かい白砂は本当に白く、細かく、美しく・・・。
夜は、砂浜がライトアップされていました。
白浜アドベンチャーワールドでは、世界で最大のパンダ家族を誇る
パンダランドでほとんど1日を過しました。
信じられないほど間近に、伸び伸びと、いやアッケラカンと
自由に過す、パンダ君たちを見て、ほのぼのと幸せな気分に
なりました。写真は、アイドル状態の幸浜クンです!
可愛いーーー!!!
ここでは、心の中がしみじみ温もりました!再び、パワーをゲット!
親子で別れ際、今年これからのお互いのパワー全開を誓いあいました。
娘は2月の、東京池袋で芸術劇場の芝居に向けて・・・。
私は犬養先生の百年祭記念行事を控えて・・・。
また、ゆっくり二人で語り合える日を楽しみにしながら、
ガンバ!です。パンダ

私のハートカレンダー

2007年まで、あと少し・・・。
今年もゆるやかに、時には激流に流されながら、時は過ぎていきました。
年を重ねると共に、執着と反比例に「時間」は残酷に思えます。
1月:父の喜寿の記念に家族全員が揃い、池田の不死王閣でお祝いが
  できた。父は可愛い孫3人に囲まれて、至福の時。
2月:7年ぶりに毎日放送のラジオウオークに出演できた。うたがたり会も
  不滅です!
3月:「戦艦大和」の旅をした。日本・平和・戦後・人間の心を
  あらためて考える機会だった。映画館で見たのも「タイタニック」
  以来・・・。船シリーズというわけでもないのですが・・!?
4月:釧路・岩見沢の旅。「丹頂鶴」「かたかご」自然は偉大だ!
  犬養先生に同行した除幕式の日が思い出された。
5月:6月のからの取り締まり強化に先駆けて、駐車違反で罰金。ショック!
6月:鳴門へ家族旅行。つかさと一緒の両親の笑顔は格別のようで・・・。
7月:祖父の洗礼と、老人ホーム入居という大転換期。家族の司令塔
  として、大事な局面での判断を優先させてもらった自負。
8月:祖父の逝去。尊厳を持って見送ることが、私の使命だった。
9月:葬儀に出席できなかったこともあり、自ら発起人として「お別れ会」
  を催すことができたこと。経済人としての祖父の偉大さを垣間見た。
10月:親友のご子息の結婚式に参列。感極まって、思わず涙した。
11月:リフレッシュ仙台旅行。両親との確執、万葉の人間関係の軋轢、
   うたがたり会の内部事情・コンサートの準備・不定愁訴。
   大殺界!?のような時期、娘の公演が仙台でありそれを理由に
   飛び出した。蔵王の雪、冬の気配、冷気が心地よかった。
   気分転換の旅は必要だ。
12月:万葉うたがたりコンサートin西宮。私を支えてくださる顔見知りの
   お仲間、なつかしい顔、初対面の方、ありがとうございました。
今、犬養先生生誕百年祭に向けて、気持ちはまっさらな禊の気持ちで
います。よい年になりますように・・・。

おとめ座2題(その2)

私もおとめ座生まれ・・・。
正直なところ、自分の年齢にこだわりはないのですが、「誕生日」に
年齢=数字をつきつけられると、さすがに実感を伴わない現実に!?
愕然とします。
昨年も浮かない気持ちでいたところ、娘から「ママ、おめでとう!
今年はいい年やないの!記念にこれ贈ります。」と、くれたのが、
この「赤星バンド」。
なんとタイミングよく、茶化してくれたわね!・・・と思いましたが、
かえって気分が開放され、開き直ることができたように思います。
そして、昨日まで「お守り」として、コンサートステージでも
講座のときも、旅行の時も、和服の時も、TPOに反しましたが、
あらゆる場面でも一度もはずすことはありませんでした。(笑)
すっかり色褪せてしまったけど、1年間「腕輪」から力を
もらった証かも・・・。
さあて、腕輪もきょうから、赤星からウイリアムズへと変化です。
「そんなもんあるわけないやん!」
きょうからまた、新たな1年がはじまりました。

おとめ座2題(その1)

長月を迎えました。
なぜか、今朝の気配はまさしく秋!涼しい!
だまされないぞ!・・・です。
先日25日、娘が誕生日を迎えました。まさに、真夏の昼下がりに生まれ、
今年はその28年前を彷彿とするような暑さでした。
昼下がり通信は、これが命名の原点です。
折りしも、祖父の亡き後の生活の幕引きの整理に垂水に向かう
日でもあり、「生と死」「命」「親子」などについ思いが馳せられる
日でもありました。
娘は、中学生の「演劇部」から、今は「舞台人」を目指して、
大学で京都に住まいしてから、およそ10年間、自立し、親離れして!
生活をしてきたことになります。
彼女の目的ははっきりしていても、将来設計は未知であり・・・。
就職や結婚・・・と、周辺の人が社会的に認知する環境とはほど遠く、
ひたすら「芝居」のための「毎日」であることに、不安はありますが、
世界一の、もっとも理解あり、親バカである母は、娘の生き方を
全面的に応援し、エールを送りたいと思っています。
有名になりたいのではないと言う。経済的に恵まれるように・・・と
言うのでもない。ただ「演じていたい。それが幸せ。」というその
姿勢は、家族にも理解しがたいことです。
でも私は娘の部屋にある戯曲書や、原作本の数々を見て、「表現する
こと」に対する追求に努力している様子も垣間見ますと、芝居を通して
「表現すること」は社会を告発することや、問題提起をしたり、
メッセージをしていく社会的活動でもあるような気がして、娘にとっても
大きな「学び」だと思いました。
美人でなかったことが幸いして!?(親としては申し訳ない!)
「演技派」で勝負することを余儀なくされていますしね・・・。
本人は、白石加代子を尊敬しているようです。
「芝居」以外の心の隙間に、尋常ではない数のパンダグッズの癒しが
あるようですが、もう少し、心と精神に余裕と豊かさや艶が加わるよう、
素敵な「恋愛」が加わりますことも、母は密かに願っています。
親として、「娘」の授かった才能が開花していくことは幸せですし、
それを見続けていたいと思います。
そして、最大で最強のの理解者・サポーターでいたいと思っています。
娘・祖父を思い、そして自分の人生を振り返ってみて、真夏の昼下がりの
運命的な出会いは、今の「感慨」を想像する術もなかったですが、
私にとってかけがえのない「宝物」を与えてくださった神様に感謝です!
シェイクスピアの作品に出演した時の「妖艶!つかさ」です!

巨星、堕つ!

8月21日の朝日・日経の朝刊に告知しましたので、私も公表する
ことにいたします。
祖父が亡くなりました。あと2ヶ月で98歳でした。
おばあちゃん子だった私は、8年間寝たきりの祖母を見つめて
見送りましたが、その後、一人暮らしとなった祖父とは、
この2年間、私は実家であった垂水に通い、側面から老いの生活を
共に過してきました。それだけに悲しみより、見送った充足感と
感慨の方が大きいように思います。
また昼下がり通信に書かなければ・・・と思いつつ、残務で
ブログも滞ってしまい、ご心配をかけました。
岡本家の象徴でもあった祖父!天国行きの指定席券も入手していたし、
お盆で、おばあちゃんにもほどなく出会えたことでしょう・・・。
でも、いまだ信じられない思いと交差しながら、今日も垂水へ
祖父の人生の幕引きに・・・出かけています。

天国への切符★

7月20日、祖父がカトリックの洗礼を授けて頂きました。
ヨセフ岡本丸夫です。
家族の希望と、4年前に亡くなった祖母の悲願でもありました。
岡本家はもともと浄土真宗の家系ですが、祖母の影響のおかげで、
子供たちも孫たちも次々と神様に導かれていき、ほとんどが
カトリック信者となりました。
家長である祖父は、先祖の御霊の留まる仏壇に向かい、
両親の命日には必ず、熱心にお経を唱えていました。
子供の頃から私も耳慣れて「きーみょうーむーにょー・・・」と
歌のようにまねていました。今でも親戚の法事などで抵抗なく、
唱和できることが可笑しいですね。
祖父も今秋で満98歳。犬養先生と1歳違いです。
人生をまっとうしたあとには、祖父も淋しくないように、これから
家族が集う神様のそばで過せますように・・・。
また、明治人間のワンマン亭主だったけど、最後はおばあちゃんの
「願い」を一つくらい聞いてあげてもいいんじゃない・・・!と、
家族で「洗礼のお恵み」を望み、神父様にご相談しました。
認知症で穏やかになっている祖父は、セグラ神父様のお話を
黙って聞いていました。そして、受け入れることに・・・。
よかったね。おばあちゃんのお祈りが通じたね。
天国での再会が約束されたことに、感謝!

1月17日

11年目の忘れられない日。
被災した私の地元西宮でも、阪神淡路大震災の追悼行事があるのだが、
おだやかな晴れたきょうは、外に出ても、西宮周辺は何事もなかった
ようないつもどおりの日だ。
この現実が「風化」というのだろう。
私の同級生のお嬢さんが同い年で、2人も亡くなられた「命日」の
きょう、いつも娘を思う。
「生」と「死」の境目はとてつもなく残酷だ。
生かされた私たちは、それぞれなんとか生活を取り戻した。
愛しい家族を失われた方々にとって、「この日」は一生忘れることの
できない、重く苦しい、悲しみの日であろう。
あの時、私たちも親子の別れがあったかもしれないのだ。
私なら、きっと自分の人生はそこで1つ決着がついたような、
それからは、気が狂わんばかりに自暴自棄となり、生きる術を見出す
ことができないくらい、傷心の日々を過したことだろう。
・・・・・・友人達もそのような思いのまま時間を過ごしてきたかと思うと、
本当にやりきれない思いと、一方私たちが「生かされたこと」への畏れと
感謝を思わずにはいられない。
高校生だった娘も11年が経ち、青春を謳歌している。
平成7年1月17日、阪神地区に思いがけない未曾有の震災で、6000名以上の
犠牲者を出したこの事実を、被災した私たちは特に忘れてはならないし、
大きな教訓として今後の不安に生かしていかなければならない責任がある。
同じ日、4名の残虐な幼女殺害犯の宮崎勤被告に最高裁で「死刑判決」
がくだり、国会では、耐震偽造マンションの販売会社ヒューザーの
小島社長の証人喚問が行われている。
国民の目は、確実に「忘れられない日」から遠のきつつある・・・。
これも現実である。

うたがたりコンサートの仕事納め!

12月5日、備前万葉うたがたりの会主催で、2年ぶり、2回目の
妙圀寺客殿を舞台に、万葉うたがたりコンサートをさせて頂きました。
岡山県備前市で始めた万葉講座から数年を経て、有志のご婦人方の
熱意・協力により、一昨年備前万葉うたがたりの会というグループが
たちあがりました。そして、行政主導の文化活動から自立して、
お世話役の方を中心に講座の継続、万葉旅行、そして今年は新たに
かるた会なども試み、すべて手作りで試行錯誤しながら行事の企画・
運営・実施に携わってきてくださいました。
本当にありがとうございました。
今回のコンサートも、はや2度目となり、園田知子と二人が伺いました。
日蓮宗の由緒あるお寺で、ご本尊様の前で私たちが背を向けて
演奏させて頂く事は、お上人さまのご理解のたまものだと思います。
前回ははじめてのコンサートということもあり、入場者の見当が
つきませんでしたが、100名以上のお客様がきてくださいました。
今回は会員の方々でアットホームなコンサートを・・・と打ち合わせ
していたのですが、それでも60名以上ご来場くださいました。
とてもうれしいことでした。
プログラムは、年末を控えていながら、次々に起こる殺伐とした事件や
「命」や「愛情」に対する屈折した人の心の社会の中で、もう一度
原点に帰ってみたい・・・という気持ちで「家族」をテーマにしました。
親子・兄弟・夫婦・・・万葉集から学ぶものは本当に大きいと思います。
参加者から「百人一首などの品のいい表現とは違い、万葉人の情熱的で
直接的な愛情表現に驚きました。」という感想を頂きましたが、熱心に
耳を傾けてくださったことにも感謝でした。
寒波の到来で今冬最高の冷え込みとなり、西日本にも初雪が降ったよう
です。そして私たちの最後の歌はもちろん「いや重け吉事」でしたが、
 新たしき 年を寿ぐ うたがたり 今日降る雪の いや重け吉事
となりました。甘酒を頂き、万葉を歌い、心も体も温まるステキな
1日を過せましたことを本当に心から感謝しております。
備前の会の発展と、私たちの万葉うたがたりの活動の来年の飛躍を祈り、
いいうたがたり納めができました。
さあて、いよいよ昼下がり通信に着手です!!!

紀子ちゃんへの祝婚歌。

はじめて、トラックバックの書き込みを頂きました。
「全国万葉フォーラムin飯塚」の様子を客観的に、しかも詳細に
書いてくださっているので、感激です。
ありがとうございました。
私からの総括報告が先なのですが、ブレイクタイムに・・・。
11月23日(水・祝)に、ピアノ講師として初めて、教え子の
結婚式に招待して頂きました。
思い起こせば、ヤマハ音楽教室で講師を務める傍ら、昭和60年頃から
自宅でもレッスンを開業するようになり、今春転宅するまで約20年間
続けたことになります。
紀子ちゃんは小学1年生の時に私の門下生になりました。
女の子のわりには寡黙で、控えめで、目立たない生徒でした。
阪神淡路大震災の6年生の時、自宅が全壊し、お母さんと二人
「長い間お世話になりました・・・。」と挨拶に来られ、涙のお別れを
したことを思い出します。1年後、紀子ちゃんから「先生、レッスンを
お願いしたのですけど・・・。」という思いがけない電話。自宅を
再建されて、近所に戻ってこられ、レッスンを再開しました。
最近の子ども事情により、小学校高学年で既に「お受験」体制となり、
ピアノレッスンをやめてしまう子どもが殆どの中、紀子ちゃんは中学校で
ブラスバンド部に入り、トロンボーンに熱を上げ、私は阪急西宮球場で
毎年行われていた、2000人の吹奏楽の彼女の出演を見に行ったことも
あります。もちろん時間的制約の中、レッスンも中途半端になりますが、
高校進学・・・大学進学・・・状況が変っても、マイペースでレッスンに
通ってきてくれました。サテイやドビッシーなど近代音楽などが好み
だったようです。彼女が本当に「ピアノが好き!」ということで、
地道にレッスンを続けてきたことに、今、拍手を送りたいと思います。
大学生の頃は、我が家でのピアノ教室の子どもたちのクリスマス会の
お世話役をお願いしたり、私のコンサート(桜井)の受付に座って
もらったり、私も娘のように信頼して、公私に甘えていました。
さすがに、就職と共に連絡が途絶え(その頃から出会いがあった様子!)
今夏「入籍しました。」の1枚の葉書に仰天。そして結婚式のご案内に、
戸惑いながら、出席しました。
結婚式・披露宴は媒酌人・立会人・来賓もない、現代的な様相で、
時代の変化をまざまざ実感しました。(笑)
唯一の先生が私でした。「先生、何か弾いてくれますか?」と
頼まれ、「ピアノの先生だけど、万葉集を歌わせて!」ということで、
「祝婚歌」を弾き歌いさせて頂きました。
まだ若い二人ですし、我が子を嫁がせるような気分でもあり、
私と17年間の月日は、走馬灯のようにめぐり、すっかり感慨に耽った
ことでした。
うれしかったのは、最後に紀子ちゃんが伴奏して、新郎が歌を
披露した場面でした。決して上手ではない歌でしたが、彼女が
伴奏するということが、私にピアノへの愛着を示してくれたように
思えたのです。これからも精神的にピアノと一緒の生活ができたら
いいのにな・・・と願っています。
嘉穂劇場のコンサートのあとで、ガラガラ声だったことが、私の
心残りですが、祝婚歌を歌っている時に紀子ちゃんの顔が重なって
いました。そして、新郎に「反歌」のような男性であってくれることを
心から祈りつつ!!!
しかし、あの口下手で、ポーカーフェイスの紀子ちゃんの幸せ満開の
笑顔には、参りました!
愛は勝つ!