1月17日

11年目の忘れられない日。
被災した私の地元西宮でも、阪神淡路大震災の追悼行事があるのだが、
おだやかな晴れたきょうは、外に出ても、西宮周辺は何事もなかった
ようないつもどおりの日だ。
この現実が「風化」というのだろう。
私の同級生のお嬢さんが同い年で、2人も亡くなられた「命日」の
きょう、いつも娘を思う。
「生」と「死」の境目はとてつもなく残酷だ。
生かされた私たちは、それぞれなんとか生活を取り戻した。
愛しい家族を失われた方々にとって、「この日」は一生忘れることの
できない、重く苦しい、悲しみの日であろう。
あの時、私たちも親子の別れがあったかもしれないのだ。
私なら、きっと自分の人生はそこで1つ決着がついたような、
それからは、気が狂わんばかりに自暴自棄となり、生きる術を見出す
ことができないくらい、傷心の日々を過したことだろう。
・・・・・・友人達もそのような思いのまま時間を過ごしてきたかと思うと、
本当にやりきれない思いと、一方私たちが「生かされたこと」への畏れと
感謝を思わずにはいられない。
高校生だった娘も11年が経ち、青春を謳歌している。
平成7年1月17日、阪神地区に思いがけない未曾有の震災で、6000名以上の
犠牲者を出したこの事実を、被災した私たちは特に忘れてはならないし、
大きな教訓として今後の不安に生かしていかなければならない責任がある。
同じ日、4名の残虐な幼女殺害犯の宮崎勤被告に最高裁で「死刑判決」
がくだり、国会では、耐震偽造マンションの販売会社ヒューザーの
小島社長の証人喚問が行われている。
国民の目は、確実に「忘れられない日」から遠のきつつある・・・。
これも現実である。