これが青春だ!

梅と言えば、紀州、そして初春のこの季節です。
奈良女子大学で指導して頂いている坂本信幸先生が、3月でいよいよ定年退職を
なさいます。もうそんな「時」を迎えておられるのかと感慨がありますが、
1月末が、最終の授業となりました。3月21日には奈良女子大学の記念館で
「万葉集のこころとことば」と言うタイトルで、一般公開の最終講義があります。
万葉アウトドア派!?で、大和路を歩く会などや万葉カルチャーで故地の引率を
されている坂本先生は、奈良女子大学でも学生を対象に「万葉散歩」という
機会を設けて、学生を学内から外へ…と、机上の「万葉学」だけではない、「風土」を
通した万葉の学びも合わせて導いてくださっています。以前ブログで、奈良の京に
居ながらにして万葉風土に興味のない学生への嘆きを書き記したことがりますが、
今年の3年生の万葉ゼミの彼女たちは、その両方の楽しさを知り、「万葉専攻者」
として来年は卒論でがんばることになりましたが、坂本先生が退職直前に育て
あげられた貴重な置土産のゼミ生でもあります。(笑)
また私を含めて大学院生まで、今年は大変仲良くいい雰囲気の中で、坂本ゼミが
保たれたので、別れを惜しむ気持もあり、急遽「卒業!?(誰が???)ゼミ旅行」
が決まり、2泊3日で「紀の国から、熊野街道へ。そして伊勢神宮も」と言う
ハードな距離でしたが、坂本先生の高級車を自ら運転して頂き、2台連ねて
行ってきました。
私が「おめでたい」のは今更言うまでもありませんが、普段はおとなしい女子大生が
久しぶりに無邪気に「弾ける!」様子が可愛くて、ホッとしました。(母心?)
詳細は・・・これは潮岬です。写真のシーンにほのぼのします。
024.jpg
普段のストレスや現実から解放されたかな?
黒潮の海、水平線、青い空、満開の梅林。薫り高い梅の花。
自然に抱かれて、「春」の兆しをしっかり受け止めてきました。
私もちょっと個人的な取り込みがあり、後ろめたく揺れる気持ちはありながら、
やはり「行くぞ!」。帰宅して忙しいですが、でも万葉の故地世界や、歴史遺産の
深さに触れて心が和みました。行ってよかったわ。
先生、ゼミのみなさま「オバサン」がお世話さまになりました。

ネコニャンニャンの日

なかなか2ショットを撮るのがむづかしくなりました。
でも今年の寒さには、上等の毛並みの毛皮をまとっているにもかかわらず、
深窓の令猫たちは、床暖房と、ムートンのひかれた椅子、ストーブの前…と
本当に寒がり!!!、いや軟弱!、いやネコの生態系も変わってきたのでしょう。
両親も「ネコかわいがり」していますので、世の中の厳しさを経験することなく
暮らせる幸せな、はな、ひなでした。
TSUBAICHIでは、金曜日に中西さんの「百人一首の歌人」シリーズの講座を終え、
翌日、ちょうど奈良県主催の遷都祭の打ち合わせでしたので、奈良の県事務所に
出かけましたが、一時停車した、近鉄新大宮駅の踏切からさっそく受講したばかりの
「三笠の山に出し月かも」の歌の「御蓋山」を目の当たりに見ることができラッキー。
こんもりした「形」をはっきり確認できました。いつも春日の杜から見上げる
ことが多かったので、やはり「意識して」見ることは大事ですね。
和歌表現には「三笠の山」が有名であるからこそ、和菓子も「三笠」が発祥したの
ですもんね。
オリンピックにもちょっと期待外れ(失礼かな)と言うか、過大予測に踊らされて
いたというか、もうひとつ「ガンバレ日本!」の熱い気持ちが消化不良の毎日
です。(私は!)もちろん選手・競技などそれぞれの「ドラマ」には感動も
ありますが、「水をさす」ようなでいごとが多いのも事実でしょう。
関係者を含めてやはり「たるんでる!」と言われても仕方がないです。
4年前にハマッた、カーリングはやはり面白い。
これはメダルに届いてほしいと思いま~す! 頑張れ、目黒!
明日から、奈良女坂本ゼミの万葉旅行です。卒業は先生?

驚きません!(笑)

オリンピックといい、紅白歌合戦といい、国民的行事に熱中する
ミーハーな私は、中国で開かれたオリンピックの開会式も感動しましたが、
山の頂上からスノーボードで滑り降りる場面から始まった、バンクーバー
冬季オリンピックの開会式にも感動を覚えながら、テレビ観賞しました。
政治色も強いオリンピックですが、やはり世界の人々が集い、人間の能力の
限界に挑戦し、世界一を競いあうことは本当に素晴らしい!
スポーツマンシップ!という言葉が心地よく響き、選手たちが崇高にも見える
機会だと思います。
でも12年前の里谷多恵が金メダルを獲得した時の国旗掲揚、国歌演奏の時に
帽子も取らなかったと非難を浴びたことをまたも思い出してしまうようなことが
またも起こりました。選手村入村式・開会式にも出してもらえなかったスノー
ボード出場の国母選手の1件です。
私も「自分の娘の世代」の常識や成長度や、私たち大人との関わり合いなどを
見て来てもう何年間もうんざりしていましたので、別に驚きませんでしたけれど…。
ただ、朝青龍も同じ、国母選手も同じ、本人の未熟さと「教育」の不足の賜物!?
がこのような結果だという恥ずべき事実ですね。
受験戦争の中で「お勉強」のできる子が良い子? 運動能力が優れて、NO1に
なる子が良い子? そして認定された「良い子」にはチヤホヤという環境が
待っていて、個人主義の多様化した価値観の中で干渉することもしにくくなった
世の中。親子間で虐待が行われるようになった社会で、他人の子供に意見や注意など
できるはずもなく…。きちんとした人間が育つことが「奇跡」かもしれません。
あえて、日本人というべきなのか、いや立派な「人間力」を持つ国民を有する国家こそ、
次の時代の国造りの最大の国力であると思います。
人間の品格しかり、教育しかり、今の「若い人」の言動や行動の乱れは、やはり国の
戦略としての「教育」の秩序の箍がはずれてきていることの結果でしょうね。
国母クンも哀れな犠牲者だと思いますが、タチが悪いのは「本人」にその意味が
伝わらないことの皮肉でしょうか。
でも朝青龍は引退翌日からハワイでゴルフ三昧、国母クンももし金メダルをとれば
「終わりよければすべてよし! シャンシャン」と、これが罷り通る世の中が恐ろしい。
単なるオバサンの愚痴ではありますが、「日本」はオリンピックで期待される日の丸・
君が代ですら、平成11年の国旗国歌法でやっと法制化されて「認められた」くらい
国家意識が低いと思われてもしかたがないように思います。
三島由紀夫や司馬遼太郎も、ここにまで日本沈没の「憂い」が来てしまったのかと
嘆いておられることでしょう。しかし先見の明を持って国家ビジョンを描ける人も
もうそんなに多くはないのかも。私もずっ~と、日本沈没を心配しています。

万葉ラジオウオーク無事終了!

オリンピックがはじまってしまいました。(汗)
2月11日(木・祝)に無事?ラジオウオークも終了しました。
今回はもちろん平城京遷都1300年記念を意識して企画されたコースでしたが、
国や奈良県・奈良市の複合的に管理された「文化遺跡」なので、天下の毎日放送
と言えども、規制や使用のむづかしさの「枠」の突破ができなかったようでした。
集合・解散・移動等「大人数」は危険だということや、私たちのイベントを始め
機材の設置や、大音量を発するものはダメということで、肝心かなめの「平城宮跡」
はウオークコースとして立ち寄る場所扱い!?のようでした。
結局佐保川小学校で終日過ごした「万葉うたがたり会」としては、やはり
第2次大極殿址の基壇の上などで歌いたかったな!!!と思いました。
今回のテーマではありながら、近くにいて「平城京跡」を歩かずに帰ってきたことに
ちょっと悔いはあります。
私は機会もありますが、うたがたり会のメンバーは絶好のチャンスだったので、
お天気ならば、時間待ちの間に見学を促せたかもしれませんが、この雨の寒い中
出演してもらうだけでも申し訳なかったくらいで…(汗)。
11月3日(水・祝)には、平城京跡の特設舞台、まほろばステージで30分間
万葉うたがたりコンサートをさせて頂きますので、その時こそ、のびのびと
古代の歴史の息吹に囲まれて万葉歌を演奏させて頂きたいと思います。
第2回から参加の青山先生も80歳を超えられ(大正生まれとか!?)かつての
犬養先生のように、放送局のご配慮で全行程踏破を阻まれ、ちょっとご不満
そうでしたが、来年でこのイベントも30回ですから、本当に長寿番組となった
ものです。
思い返せば、扇野聖史さんの著書「万葉の道」を歩く!イベントとして、
広告代理店のクリエイト大阪の松田一二さんが、毎日放送に企画を持ち込まれ、
実現した画期的な「ラジオカルチャー放送イベント」が始まりました。
そして扇野さんの恩師でもあり、「万葉を歩く」大先輩でもある犬養先生の
出演は当然でしたし、第1回が1982年(昭和57年)に始まりました。
私はその記念すべき時から、犬養先生のお伴で参加しているのです。
その後、人麻呂楽団や万葉うたがたり会の出演の時以外は、犬養先生と一緒に
歩きました。なつかしいです。
必ず犬養先生にバレンタインのチョコをくださるご婦人や、犬養ファンの巷の人気を
目の当たりで見てきました。車で同乗したり先生の隣にいる私に羨望の視線が
集まっていた実感も思い出します。
犬養先生が亡くなられて、翌年の平成11年(第18回)に出演して以来、ラジオウオーク
とのご縁が薄れ、犬養先生の後、松田さん、扇野さんも亡くなられて、当初の
ラジオウオークのメンバーが姿を消してしまいましたが、ラジオウオークは毎日放送の
人気パーソナリテイの動員力もあって、新たなファンもでき、変わらぬ人気番組として
続いてきました。
そしてうれしいことに、平成18年(第25回)に7年ぶりにオファーを頂き、再び出演を
させて頂くことになったのです。とてもうれしかったことを思い出します。
私には「このイベント」はやはり犬養・扇野・松田さんあっての番組だと言う強い思いが
あるので、私が残党としてでも参加できることで「遺志を継いでいる」ような意気を感じて
います。
また、来年30回ということで、私たち万葉うたがたり会も30周年ですが、同じ
時代を歩んできたことに今頃びっくりしました…。(笑)
ラジオウオークでは、必ず「テーマコース」に沿った万葉歌を演奏させて頂いていますが、
これも「万葉を歌う」私たちの自負心でもあります。
ただし、30年の月日は私に残酷でもあり…。
ステージ上の黛まどかさんや、八木沙希アナウンサーなどの若さと美貌に本心から
惚れぼれしました。仕方ないっか!

これでいいのだ!

立春の昨日、2つの大きな事件の決着があった。
ほとんど同じ順序で取り上げられる報道番組にはめずらしく、どっちが先に???と
いうくらいばらついた2つの大きな事件。
1つは小沢一郎のゼネコン献金疑惑の不起訴。もう一つは、朝青龍引退「騒動」。
小沢一郎については、巨額な個人の資産や、政治資金で不動産売買?など不可解な
点も多いが、私は昨年来、自民党の一党独裁政治から画期的な民主党への「政権交代」
の実現が近づくにつれて、期待が高まるのと比例して「阻止」のための「抵抗」が
検察の手によって行われているのではないか…とずっと疑ってきた。
個人的には、かつて小沢一郎の「日本列島改造計画」を読んだ時の感動! 
政治家としてのはっきりした思想を持っていて、書かれていたことに共感し、
納得したことを思い出す。以来、比例の選挙では新進党、自由党に投票してきた。
また、小沢一郎の親分、田中角栄のロッキード事件の公判を欠かすことなく傍聴
してきた唯一の7奉行ということを知り、恩師に対する敬意を持ち、情に厚い面を
持ち合わせていた小沢一郎という政治家に私は興味を持っていたということもある。
民主党の顔、鳩山首相・小沢一郎を「潰す」ことで、政権交代の芽をつもうと
目論んだ大きな政治的圧力が、この1年間ずっとマスコミを抱き込んで報道し続け
国民の「民主党離れ」を促してきた。功を奏し、支持率は下がる一方で、肝心の
「新しい国の形」に着手し始めた民主党への期待の足を引っ張っている。
そして下野した自民党は「政治と金」の追及しか、対決できないのか。
ニュースも同じ繰り返しでうんざり。でも確実に民主党の印象を悪くしている。
返す返すも小沢疑惑が暗雲となり、今、民主党に覆いかぶさっている現実から
早く脱出してほしいが、こうした「公権力」の圧力というものの怖さを感じるし、
それだけ「政権交代」の意味が大きい事を物語っているのだ。ふむ。
この事実は後々「歴史」の中で証明されていくであろうが、自民党の作った
国の借金や、長年継続したままの公共工事の時間と人と無駄と悲惨な現実。
普天間基地移転も橋本政権下で決まったことを、何年たな晒しにしてきたのか。
民主党がさも窮地に陥っているかのごとくの報道に、それも私は気に入らない。
松下政経塾出身の若手政治家たちが多い民主党。政権運営の今後を大変楽しみに
している。坂の上の雲を目指して…。
もう一つは朝青龍事件。
彼に品格を問うのは無理。品格は養われるものだが、必ず自覚が伴っている。
しかし、「自覚する」意識も養われるもので、周囲の人間や環境が大前提だ。
力士として入門してきた時から、「外国人」という価値観や習慣の違うことから
始まってはいるが、その後は「人間」としての成長だから、これは品格ではなく
その人の「質」というか、中身の問題だ。
謙虚さや、感謝できる心を持ち、敬意をはらうことのできる人間というのは、
生まれつきではなく、やはり子供の頃から親・学校・社会から教育されて
知らず知らずのうちに学んで培われていくものだと思う。
だから、高砂親方も、相撲協会も、本人にもすべてに同等に罪がある。
昨日の報道は「引退」ということで、過去の偉業や記憶に残る一番などの
思い出話が多く流されたが、私はすごく違和感があった。
日本の相撲史で横綱が、過去から数々のトラブルを起こし、極めつけに傷害事件
を起こして「引退」すると言う、何という汚点を残してしまったことだろう。
情けない限りだ。
「解雇」と言う意見も多かったようだが、横綱への最後の「花道」か。
しかし「引退」で、1億円以上の退職金が出るそうだ。信じられない。
同日の2つの事件の終結の結果に、モヤモヤも残るが、ひとまず終わり。
「これでいいのだ!」かな?

明日香村散策

雨の一日、犬養万葉記念館主催の「万葉歌碑めぐり」に参加した。
講師が、私たちの敬愛する山内英正先生であり、2010年になって、
一度明日香村を「歩いて」みたくて、盟友の山寺さんも一緒に…。
晴女の私が、雨天決行の行事は久しぶりだったが、覚悟の上…。
なぜなら山内さんは「悪天候男!」で有名だからだ。
雨はもちろん、雷・台風・雪・おまけに停電など、過去の実績が
すべてを物語っている。(笑)
畝傍御陵前からスタートし、明日香村の犬養記念館までの6キロ
くらい。そろそろ飛散の花粉も雨でラッキー!
雨でけぶった景色が、かえって濃淡で美しく山並みが見える。
晴れた日を期待する学生たちに、犬養先生は「雨の日も万葉日和
なんだよ。」とおっしゃっていたことを思い出す。
山寺さんは、明日香村に来るのは「万葉うたがたりコンサート」の演奏で
来ているので、「歩く」ことはめずらしい体験だったと思う。
頭の中の知識と現地が少し結びついたことだろう。
私はもっと深呼吸のできるような気分を味わってほしかったけど…。
甘樫丘の犬養先生の歌碑と2ショット017.jpg
             
帰りは飛鳥駅前の夢市で、主婦の買い物。大根やブロッコリーやあすかルビーを
リュックにつめてっと! ホンマに帰りは買い出し部隊の様相でした。
明日香村の春にまた来ま~す! (下は山寺さんと「私」です!!!)

大熊ねこさん、がんばってます!

桃園会の東京公演に引き続き、29日・30日に、大阪府の施設、ワッハ上方ホールで
演劇集団「よろずや」第17回本公演に客演で出演させて頂きました。
小劇場の芝居としては会場がめずらしいと思っていましたが。派手な殺陣の場面が
ふんだんにあり、これは舞台と客席とを分断しておかないと危ないのかも…と
思いましたが、如何に???
芝居も、「幕末アクションホラー活劇」と位置づけられた!?慶応3年11月18日の、
「油小路の血闘」という新撰組から分離した新撰組参謀、伊東甲子太郎が結成した
御陵衛士という歴史上決して有名とは言えない実在の人物たちにスポットをあてた
作品でした。
私としては、時代劇がめずらしかったのと、娘が元花魁の役で、はんなりとした
京女を演じていたのが、楽しかったですね。それも着物姿で…。
女優と言うのは、いろんな「人物」を演じられてうらやましく思いました。
「役作り?」はきっと大変でしょうけれど…。
既に自分があって、そして職業として「自分以外の他人格を持つ」「別人になれる」
という経験ができることは、楽しいかも。
客観的な人間観察ができるわけですから「学び」でもあるでしょうね。
「配役」について、今まで特別意識しなかったですが、遊劇体の芝居が、現実的な
「特定された人格」的な役が少なくなかったからかしらん!?
つかさのおじいちゃん、おばあちゃんが見たら、喜んだと思いますが、
今回はパス! 残念でした。