雪やこんこん。

2010年もあとわずか。
思いがけない寒波の大晦日。天気予報は、日本中に雪の印が…。
我が家のねこも3度目のお正月を迎える。
過保護な母の購入した、ねこグッズの箱モノの中にまったりのひな。
人間の感覚と違い、「お正月がなんやねん!」とも思えるマイペース。
「♪♪♪ 雪やこんこん、あられやこんこん」の歌では、犬は庭をかけまわり、猫はこたつで
丸くなる!という、オーソドックスな歌詞もいまや死語となったようである。
犬は南極でもそりを引いて!というつわものだったはずが、今では衣服を着て、
ストーブの前に陣取り、毛皮を焦がすとか…。
我が家のねこ、はなも、こたつではなく床暖房の上にのびのびと寝そべり…。
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確かに昔?子供のころ?と違って、年末年始のドキドキ感や、ワクワク感がなくなり、
当たり前のように月が替っていく。
こんなことでいいのかな…と思いつつ、ブログ更新しています。(汗)
さて、2011年はどんな年になることでしょう。元気で、楽しくがんばるぞ!

私のクリスマス!

私たちの大切な歌姫、山口ひとみさんのクリスマス・スペシャルライブに出かけました。
会場は、ニッセイ同和損保フェニックスホールの地下、スーパードライ梅田店でした。
彼女は、毎週1回、定期のステージを受け持っていて、熱狂的なファンが多数の
人気抜群の専属歌手ですので、年に1~2度、大きな規模の山口ひとみさんのコンサート
が行われます。
今回は、世間の空気を読んで「懐かしい昭和の名曲と共に」というテーマで、
プログラムされていました。
ステージが始まると、山口さんの歌唱に合わせて大合唱状態!
これでは、「みんなで歌おう! 懐かしの歌」カルチャーやん???です。
みんな何かを求めているのですね。それも郷愁や思い出に癒される世代の人たち。
山寺さんと二人で出かけましたが、私たちもまったくの「お客様」で何の気遣いのない
立場の機会なんて本当に久しぶりです。ですから、心から楽しみました。
いつも山口さんは、着こなしも素敵ですが、今回美空ひばりの「津軽のふるさと」が
2部のプログラムの最初に入っていました。私が山口さんと再会した時の曲です。
一部から、お色直しをした、山口さんのその衣装は、私の隣を通る時小声で「岡本さんが
私と再会した時、津軽のふるさとを歌っていた時の衣装です…」って。
思い出の「心」を私にプレゼントしてくれた山口さんの心遣いに、ぐっときました!
ありがとうね。
久しぶりの「津軽のふるさと」をしみじみ聞きました。
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フリードリンクでほろ酔い気分で、思いがけないクリスマスデーを満喫しました。
忙中閑を与えてくださった、神様、メリークリスマス!!!

メリークリスマス!

雪のちらつく25日、10時から仁川カトリック教会のクリスマスミサに。
私は例年のオルガン当番でだったが、久しぶりに母も一緒にでかけた。
今年も本当にいろんなことがあったな・・・と思いながら、聞いていた福音書。
「初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。
この言葉は、初めに神とあった。万物は言葉によって成った。成ったもので、言葉に
よらず成ったものは何一つなかった。言葉の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった・・・。」
聞いていて「言霊」を思った。教会で聞くこの「言葉」は、「予言」や、霊的な要素が強いが、
やはり「言霊」だ。強い「信頼」「祈り」「誠意」に満ちた言葉は、実現に向けた力と
なってくれる。12月のコンサートの新曲「言霊の幸はふ国へ」をご紹介したが、言葉に
出して思いを託すことの「言霊」が、自分を、社会を支える目に見えないベクトルに
なることに宗教を超えた、古代からの人間の「心」を感じて、神父様のお説教を聞きながら、
しみじみ「万葉」との共通の部分を考えた。
ミサが終わり、外は、晴れているが雪が舞い散るホワイトクリスマス!
午後からは、私たちの歌姫、山口ひとみさんのクリスマスコンサートへ。
私自身が、クリスマスもお正月も返上の日々を過ごす中、思いがけない気分転換の
素敵なクリスマスデーを過ごすことができた。

交野が原の万葉歌碑

天皇誕生日の12月23日、交野の星田妙見宮の参道入り口に、万葉歌碑が建立され、
除幕式が行われました。私たちのお仲間で、万葉や歴史が大好きで、わが町「交野が原」の
七夕伝説の掘り起こしと、郷土文化の発信に尽力されている毛利信二さんが、この事業にも
協力しておられたので、楽しみにしていました。
朝方、雨もあがり、山寺さんと共に、星田神社の近く、星田妙見宮へ。
交野市は新興住宅地もあれば稲田もあり、開発途上かもしれませんが、見渡すと「交野が原」
という名前にふさわしい平野の広がりが感じられます。
3年前に交野市倉治の機物神社で、たなばたの万葉歌碑が除幕されましたが、今回こうして
新たな碑ができ、引き続き地元の方々が、がんばっておられる様子を拝見することができて、
うれしく思いました。
万葉歌は、
「織女(たなばた)の 舟漕ぎ出らし まそ鏡 清き月夜に 雲立ち渡る」
                  
(巻17-3900)大伴家持の21歳の時の歌です。ひこぼしのもとへ織姫が、船に乗って
出かけていく・・・歌は、日本の七夕歌は、男性から迎えに行く歌に趣が変化したと言われており、
中国式の発想を感じます。今日で、この周辺歌碑は5基になりました。
除幕式のあと、ご神体の星石?!(織女石)は、昔、北斗七星の3つの星が落下したその
一つという伝説の石だそうで、是非にみたいと、長い長い階段を昇り表敬してきました。
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この地域が七夕に関わる機物神社があったり、天上のロマンを思わせる星田神社、星田妙見宮
また逢合い橋や、天野川などがあります。近隣の枚方には牽牛石があったり、本当に地霊に
魂が宿るならば、このあたりは天空の里とも言うべき、ロマンチックな情緒があります。
今後は、日本に伝説をもたらした中国の行事を検証したり、日本で七夕で有名な地域との
交流や、まずは地元の誇りの文化として、毛利さんはじめ、みなさんが、楽しく関わって
おられるのを拝見して、私もうれしくなりました。
来年の七夕は、是非もう一度ここに伺いたいと思いました。除幕された歌碑は星田の森にあり、
秋の紅葉、春の桜が美しい四季折々の風情に恵まれたところのようです。
毛利さんのお心遣いで、帰りに、枚方税務大学校の「犬養歌碑」まで連れて行ってください
ました。久し振りです。「石走る…」の歌碑は、御影石で反射するので、写真に必ず人が写り
ますが、うまく「桜の木」のみのアングルで写せました。
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万葉のお仲間が集い、交野市のあらたな万葉のシンボルとなった歌碑の除幕式に参列できた
ことに感謝しています。
ただ、昼食会場に携帯電話を忘れ、本日奪還してきました!(時間がないのに…)!

かぎろひを観る会

今朝の早朝は旧暦の11月17日…大宇陀のかぎろひを観る会の日だった。
西宮は昨夜からの雨で、今日もお天気がもうひとつの上、気温が高くて(零下5度以下でない
とかぎろひは出ない。)今朝の現地の条件も悪かったにちがいない。
私たちも万葉うたがたり会の出演を機に、その後個人で10年くらい続けて、この「かぎろひを観る会」
に通った。
かぎろひが、出ても出なくてもひととき古代ロマンに心を馳せる、その心の共有が魅力だった。
裏宗久さんはじめ、地元の青年の方々が中心となってイベント作りや告知に努められて、
にぎわいのあった頃から、ここも市町村合併で、大宇陀町から宇陀市になり、観光協会?が
イベントをやるようになってから、私のように楽しみにしている者もいるのに、日程も
知らせてもらえないし、(旧暦を確認しろってか?)、チラシの送付も何もない。
単なる地元だけの年間行事ではなく、全国の万葉ファンを引き付ける貴重な追体験の機会で
あると思うが、熱意のなさが、だんだんイベントを縮小化させてしまっているような気がする。
今朝の暦を見ながら、「確か、今日だったよね。」と思いながら、
あの時、午前3時に出発して、かぎろひの丘公園に向かい、痛いような冷たさの丘の上で、
笹酒を飲み、いも汁を頂き、たきびの前で暖をとりながら、「その時間」を待ったことが
なつかしく思い出される。今年はかぎろひの丘に何人くらい集まられたのだろうと心を
馳せながら…。
第39回が終わり、来年は40回。節目の機会にはまた行ってみたいと思っている。
昨夜は満月で、夜は皆既月食という天体ショーも繰り広げられた。
そしてきょうは、12月22日…と冬至である。
かぼちゃを食べて、柚子風呂に入って…と優雅な信心ではなくて、「冬本番」である。
昨年の今頃は急な大雪で、全国的に交通も停滞した。今年は雪の便りもまだのようで、
週末はホワイトクリスマスになればいいな…。

めぐり逢ひて 楽しや式部の 百人一首!


今朝の甲子園は、朝からにぎやかだと思ったらアメリカンフットボールの全日本大学
アメリカンフットボール選手権大会の決勝戦「甲子園ボール」の日だったのだ!
今年は立命館大学と早稲田大学。
球場横の暗い阪神高速の下で、ブラスバンド、チアーガールの練習で若さが弾けている!
甲子園は、野球シーズンが終わっても賑わいがある。
そして、私はサロンへ。OFFにしか集中してできないこともあり…。
昨日は、今年最後のサロンカルチャー「和歌世界への散策シリーズ」で、中西久幸さんに
百人一首の講座をお願いしているが、紫式部の57番歌を取り上げて頂き、興味深く、楽しく
お話を聞かせて頂いた。
「めぐり逢ひて 見しやそれとも 分かぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな」
 
 の歌の「雲隠れ」と「夜半の月」に焦点をあてて、歌の背景にある紫式部の人生観や
夜半の月という、見えないものを見ているように「月」を詠むことを評価する藤原定家の
美学や、源氏物語への影響、発展や、ひいては江戸時代の人々の滑稽な紫式部歌の享受など、
多岐にわたってお話して下さり、再び歌の深さを考えさせられた。
不勉強な私は、昨日も百人一首の潜在的な抵抗をお話ししたが、『万葉集』についてよく
みなさんが、「むづかしい」とか「わからない」と言われる様に、書物でも、最初の出会いが
印象を決めてしまう危うさを自分でも再認識し、今再び学べることをありがたく思う。
奈良女子大学の大学院の授業で、文学史上において特に、藤原定家のすごさを思い知った感が
あり、中西さんが「なぜこの歌を定家が選んだのか」と問われることに、私ももっともっと
知りたいと思う。まだまだ続けて頂きたいこのシリーズ、来年1月はまず現地へ出向き、
嵐山の時雨殿で、次世代カルタの百人一首で遊び、ランチは湯豆腐!?でも食べて、と計画
している。本当に今年も1年間「私」が学ばせて頂いた。
中西さん、ありがとうございました。

乾さんの商品

TSUBAICHIで、立ち上げの時から何かとお頼りしている乾さんは、今は第2の職場につかれ、
時代を先取りする「開発事業」に携わっておられる現役のサラリーマンです。
本日、やっと本屋さんでゲットしてきた「fairy」という雑誌!女性誌と聞いていましたが、
探しました。(汗)なるほど、女性もアラカン???と反対の、ガール世代の雑誌でした。
実は、この頃はやりの「おまけつきの雑誌」と言うか、雑誌に付録として鞄であったり、
美容器具であったり、ポーチであったり、化粧品であったり…と、おまけが魅力で
雑誌がよく売れるようになったようですが…。この「fairy」の今回のおまけが乾さんの
会社の製品なのです!
右肩に「小顔マッサージ用美クロス」という文字が見えますか?(笑)
目元スッキリ、たるみも防止と書いてあります。
ピンクのこの可愛いクロスを3万枚準備されたとか。
このクロスは、遠赤外線効果のある植物エキスが練りこまれているそうで、血行が促進
されたり、筋肉が若返る(顔層筋というらしい)マッサージのためのものでした。
でもちょっと不思議。私の年代になら、シワやたるみに必要不可欠な気がしますが、
こんなピチピチギャルのおまけというのは、いかがなものなんでしょう???
では早速、マッサージして寝ようっと!

コンサート 宴のあと。

コンサートが終わってから、来場者のアンケートを拝見したり、人づてに当日の
感想や、エピソードや、後日談を聞いたり、私自身がコンサートテープを確認したり、
ブログと並行に、「12月4日」の記念日をしっかり胸に刻みつつあります。
会場も400名余の入場を賜わり、来れない方々の中には、祝電やお花を届けて下さり、
みなさまのお心遣いにも心から感謝いたしました。
大ホールなのですが、「大集会室」と言うネーミングに、来てびっくりされた方もあり、
「30周年」と言う規模を伝えきれていなかった面もあったようでした。
内容で消化不良な部分も残っており、終わってバンザイ!という気持ちにまだ、なれないのが、
正直なところです。個人の30周年ではあるけれど、万葉集に初めて触れる方に楽しんで
頂く為に・・・、また、プログラム曲も私の紹介したい曲にどこまでこだわれるか・・・などに
加えて、「万葉うたがたり」は、オカモのライブ感が魅力なのに、「日記」という形で
「読んだ」ことは、いかがなものか…といろんな意見を頂きました。
ただ、「普段とは違う舞台」でしたので、プロジェクトにおいては、時間の制約と、事前に
準備された内容が求められる整然とした流れを演出するためでしたので、また通常の
万葉うたがたりコンサートでは、臨場感あふれるライブ演奏をしていきます。それゆえ、
演出に苦しんだ分、今も私自身の中で、消化しきれていないのだと思います。
ただ、節目を越えた解放感はあり、次の万葉うたがたりコンサートをサロンでやる時の意欲や
構想など、新たな楽しみもできました。
仲間、人の運や、皆様のおかげで、30年も続けられたことが自分でも驚きでした。
総括はいろいろありますが、やっぱり『万葉集』のおかげで、恵まれた人生を過ごせたことに
感謝し、犬養先生、扇野さん、松田さんに今回のコンサートは、大成功だった!とご報告
することにします!
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憧れから、思い出となった大阪市中央公会堂です。

コンサート いろいろ (遊劇体)

「私と娘」の共演が実現しました!!!
私と娘の親子関係をご存知の方々もたくさんおられますが、親子と言うよりは、まるで姉妹の
ような関係で過ごしてきましたので、世間の家庭の母子とは違っていたかもしれません。
娘は、舞台に立ち多くの人の前で「万葉」や「音楽」を披露する母親をごく当たり前のように
見て、育ってきたようですが、娘は娘で、音楽の環境よりも中学校から演劇部に入り、以来
「芝居」一筋でぶれることなく、我が道を歩いて行きました。そして入団した遊劇体も10年
選手になり、もう中堅女優となりました。私たちは、自分たちの個性や、形は違っても
「人に何かを伝える」表現者の道は同じと、お互いに尊重し合いながら過ごしてきましたが、
今回「岡本の30年」であるので、個人的な希望も叶えさせてもらってもいいのではないかと
娘との共演を希望し、実現したことは、先日ブログに書いたとおりです。
同志社大学在学の時からの京都暮らしで、親離れのできない私と違い、早々に一人で
生活をしていますので、顔を合わせるのも年に数えるほどでした。コンサートの朗読劇
のためにTSUBAICHIが練習場となり、11月になってから週に2度ほど団員が集まりましたので、
久しぶりに娘と顔を合わせる機会ともなり、コンサートが終わった今、遊劇体の練習が
なくなったことが、ちょっぴりさびしくなりました。
朗読劇の「万葉人生」の犬養先生に、ご存命の間は「つかさちゃん」と呼んで頂き、よく
かわいがって頂きました。6枚目のCDの富士山のジャケットに書かれた万葉歌は、つかさの
誕生の時に犬養先生が「つかさちゃんへ」…はカットしましたが、書いてくださった貴重な
書です。
ですから、劇団で唯一犬養先生を知っている者としての「思い」は強かったようでした。
舞台上で犬養節も披露し、恩師を娘がかわって顕彰し、追悼してくれたような気持です。
遊劇体の朗読劇は、犬養先生が大好きな明日香村村長には特に印象的だったようです。
数日前、明日香村の公社から、当日のテープを聞かせてほしいと連絡がありましたもん!
いろんな方をコンサートにお誘いしましたが、「わたしとつかさ」を知る方に、もっとも
見て頂きたかったので、私の両親をはじめ、それぞれの個性で親子が同じ舞台を務めた感慨を
共感して頂けたのではないかと自己満足しています。
コンサートをきっかけで、遊劇体のお仲間の方々とも親しくなれましたし、お世話になっている
主宰で、演出家のキタモトマサヤさんといろんなお話ができたことも有意義でした。
娘の世界は、私には計り知れない世界ですが、本人が夢と楽しさと甲斐を感じながら
頑張れる間は、応援していきたいと思います。自称、最大のサポーターですが、要するに
過保護な親ばかの母ですが、私もライフワークを持つ先輩として娘の目標にもなってくれます
ように精進あるのみ???です。
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コンサートあれこれ 「仲間」

1週間後、私はコンサート当日の音源をすべて聴き終え、やっと当日の流れを確認することが
できました。
自分の演出ですが、時間配分や、音楽がどのように聞こえているか、私の話のバランスはどうか、
いっぱい、気になっていることの確認です。もう終わってしまったことですが、やはりみなさんに
自分の思いが伝わっているかとても気になるところです。
特に「岡本三千代作品集」と銘打ったように(事前にどういう意味ですかと何人かの方に
聞かれました。)いつもの形の音楽を「作品」として、舞台にのせることでした。
土井さんという音楽監督のもと、昼下がり楽坊の弦楽四重奏、パーカッション、ギターなど
生でのオーケストラをバックに歌うことは、うたがたり会のメンバーにとっても気持ち良かった
ことだと思います。30周年の贅沢です。そして歌姫たちにもソロ曲でしっかりアピールして
もらいました。
大岡美佐ちゃんの「熊凝哀歌」
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山口ひとみさんの「祝婚歌」
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園田知子さんの「酒壷の抄」
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みんな、素晴らしく歌唱してくれました。丁寧に「心」を訴えかけ、「万葉の歌」がしっかり
伝わっていると思いました。テープで聴いてもうっとりと感動しました。
原稿を書いては、書き直し、時間を計っては、書き直し、日々の感情によって書き直し、
最後まで揺れた内容でした。結局挨拶も予定通りのことを言うのをやめたため、第一声を
噛んでしまうというみっともなさ。でも私は「お顔を見て話す」ことがいつもですので、
やむを得なかったと開き直っています。
うたがたり会の最強のメンバーで臨んだ今回、本当の「作品集」のご紹介として相応しい
レベルの高い「音楽」を提供できたことをうれしく思っています。
自分が作曲したとは思えなくて…(笑)
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