佐保山サロン万葉・歴史講座開幕!

昨年、平城京遷都1300年祭記念事業として、民間協力をされた佐保山サロンで、
私たちも10月に万葉うたがたりコンサートをさせて頂いたが、佐保山サロンの活動も
奈良時代=万葉時代と言うことで、今年からもう一段踏み込んだ内容として「万葉・歴史
講座」を起ちあげられることになり、まず第1回目は、坂本信幸先生の講演で幕明けされた。
私もようやく、大学院が一段落したことと、なかなか坂本先生にお目にかかる機会もなく、
久しぶりのこの講演会を楽しみにしていた。
暖かでうららかな「春のひととき」。
ぎりぎりになってしまい、まずお玄関先の小野寛先生の歌碑にご挨拶!
久しぶり訪れた佐保山サロンもいつも満員で、大盛会!
主の岡本さんのご挨拶が既に始まっており、遅れて失礼したが、「万葉・歴史」講座の
趣旨を話されたことだろう。そして坂本先生のご紹介があった。
今回のテーマは「万葉の雪」。
万葉集に、光明皇后の作として、
「我が背子と 二人見ませば いくばくか この降る雪の 嬉しからまし(巻8・1658)
という雪の歌が残されている。この歌の生まれてきた由縁を、151首ある「万葉の雪の歌」の
また、万葉集に「雪」の詠まれた歌の順を追いながら、お話してくださった。
自分の師事する先生のお話を聞く…というのは、あたりまえのようであるが、奈良女子大生は
あまり、姿を見ない。
犬養先生は授業でも機会は多くあったが、それ以外の講演会や、カルチャーなどで話される
機会は、また客観的に『万葉集』の話を聞き、自分自身の知識や視野が広がるいいチャンス
だったことを思い出す。ゼミの学生は当然のこと、誘い合ってできるだけの機会に参加し、
何度でも同じ話でも一生懸命に聞いた。
奈良女子大学の万葉ゼミの授業レベルはもちろん高度なものだが、そこから踏み出した
楽しさを感じる機会がないのだ。何をもって彼女らは『万葉集』を学んでいるのだろうと
何度か疑問に思ったものだ。
たかだか大学生の『万葉集』の知識は限られたものである。
いかに4516首をすべて読み、理解できなくても、総体を把握するだけでも時間は要する。
大学の演習や、たまたま出会う万葉歌は本当に数少なく、私が万葉を作曲していったのも
まず知っている「万葉歌」からであったことは、12月のコンサートでも述べた通りだ。
坂本先生は特に、大学以外の場所でのご活躍も多く、講演にしても万葉旅行にしても、
参加しようと思えばいくらでも機会はあるので、もっともっと先生から恩恵を受けたら
いいのに…。先生の話を大学以外にも、身近に聴けるほど幸運なことはないと思う。
学生は金銭的に気の毒…とよく言われるが、それは今も昔も同じ…。
「何に」お金をさくのかということだ。本を買うため、クラブのため、学会や外の機会に
参加するため、コンパのため…いろいろあるだろう。
でも、学生のための配慮、サービスも多分になされている。楽しく『万葉集』を学ぶことが、
私のように長く惹かれ、続いていくのだ。
きょうも佐保山サロンでお話を聞きながら、しみじみ「もったいないなあ」と思っていた。
お話の中の、吉野の雪の歌から、明日香古京の雪の歌を始め、藤原氏をめぐる人間関係の
延長線上で、再び光明皇后の雪の歌が登場することの「ドラマ」を本当に彷彿と想像する
ことができた。点と点が線になる面白さであった。
坂本先生の横には「朱雀」の幡が、そして、背景の庭園には玄武の幟が演出されて、いい感じ。
楽しく学んだひととき、先生、サロンのみなさま、ありがとうございました!

我が家のにゃんにゃん!(2/22)

やはり、きょうは癒しの家族のご紹介です。
なんとなく、つかず離れず、仲良く、仲悪く一緒のはなとひな。
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ねこにゃんにゃん 2月22日 2題

「大熊猫」
昨夜から今朝にかけて、新聞・テレビ等、パンダの来日に大フィーバーです。
中国を出たから飛行機・成田・高速道路…ずっとパパラッチ状態です。
パンダが亡くなってから、3年ぶりに上野にパンダが戻ってきた!とか、
町行く人へのパンダ゙についてのインタビューになんかヘン???
思わず電話で、東京の友人に話したら
「パンダは東京にしかおらへんと思ってるから興奮してるんやろう!」とのこと。
えーっつ、白浜にいるやん。神戸にいるやん。知らないの?
娘の愛する白浜のパンダ!良浜。かわいい~。
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ほとんどの東京人は「おそらく知らない」そうです。
そのせいか、神戸新聞の意地か、扱いは小さい! よっしゃ~。
「神戸」は既にパンダの定着した街ですもん。(笑)
東京は都会の砂漠と言ったり、異邦人いや異郷人の住む街とも言えますが、
東京だけにすべての「シンボル」が集まっているのはないのだ!
きっとこれから「見世物」となる比力・仙女の2頭はストレスがたまるだろうなと
心配です。
世界各国で、政権に対する暴動がおこる中、菅政権の話題より熱い「パンダ来日」。
やはり日本は平和なのね。
我が家のパンダ2頭です。
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卒業できるかな???

昨日、奈良女子大学の私の所属している文学部の日本アジア言語文化学コース
の今年度大学・修士卒業予定者の惜別会がありました。
先日、提出した修士論文の口頭試問があり、その結果も知らされぬまま昨日の会の
参加はちょっとした冒険気分でしたが、出席することで「追い出し」して
頂ければ…と希望も込めての出席でした。
登校最終日の昨日は、学部の総会と優秀卒論の発表会があり、その後に
惜別会…と学期末の最終行事でした。
卒論の発表者は3人でしたが、そのうち五島列島・福江島の岐宿出身の洗川志穂さんは
「志賀白水郎の歌10首」についてで、坂本万葉ゼミの後輩でしたので、とても
うれしく思いました。またもう一人の田中諾子さんは、「入水往生」という、日本の
社会思想史に当てはまるようなユニークなテーマを、それをいろんな文献から
考証していこうとする論文発表でしたが、彼女もまた、2年前に奈良女子大の坂本先生の
万葉散歩に参加していて、一緒にゼミ旅行にも行った仲間です。数少ない身近な人
たちの優秀な評価に、私はとっても誇らしく思いました。
そんな関係もあり、私が卒業云々より、彼女たちと別れることの寂しさで、惜別会に
参加した思いがあります。そして、(略して)日アの他のゼミの人たちとも交わり、
やはり「学年カラー」があるのだと感心しましたが、私の出会った彼女たちに共通する
のは、明るくて、元気があって、結束力のある、そして聡明で優秀な人たちでした。
出席してよかった!
卒業「予定者」に対して、ひとりずつに準備されたかわいい花束です。
しかし、やっぱり卒業できなかったら、洒落にならん!!!(汗)
そうそう、奈良女子大学は明治41年に奈良女子高等師範学校として設置されたのですが、
校庭に昭憲皇太后のお手植えの「花梨」があることを聞きました。
なんてや! 私の母校甲南女子学園の中学校から大学まで校歌は同じですが、なんと
「歌詞」は、明治天皇の御製と昭憲皇太后の御歌なのです。
昭憲皇太后は、ご自身のお子さんはなかった?ようですが、日本の子女の教育に尽くされた
ので、その心が詠われた御歌が校歌になったのだと聞いていました。
そっか、奈良女子大学こそ、最初の国立の女子の教育機関ですから、「女子教育」に力を
注がれた昭憲皇太后の足跡が残っていても不思議はない。ふむふむ。
思いがけない知識を頂き、卒業してしまうまでに、是非、キャンパスのお手植えの「木」を
探しだしたいと思います。
まだまだ知らないことあっぱいあるのだろうな・・。

ラジオウオークの楽屋にて

私たち万葉うたがたり会のスケジュールがきちんと決められているように、
朝、10時半から午後4時過ぎまでの長時間のラジオ番組は、細やかに台本に記された
予定に沿って、放送が進んでいきます。
今回は、毎日放送開局60周年とラジオウオークの30周年が重なり、テレビでも「ちちんぷいぷい」
で一部放送されました。
「ちちんぷいぷい」は、アナウンス部長!?(だったっけ)の、角淳一さんが、出演して
おられますが、角さんは、初代のラジオウオークの進行役のアナウンサーです。
ラジオウオークの第1回から関わられ、犬養先生が亡くなられた時は、スポンサーもなしで、
毎日放送のラジオウオークの方々が追悼番組を作ってくださいました。
角さんは、犬養先生や、クリエイト大阪の松田社長、そして扇野さんや私たちと今繋がる唯一の方です。
久し振りにお目にかかり、また30年続いたことを感慨深くお話ししました。
当日の参加の感想も、もっともしみじみと語ってくださいました。
イベント会場が、スタート・ゴール地点の明日香小学校と、風舞台とに分かれて進行したの
ですが、私たちと同じ明日香小学校組の控室は広々とした体育館で、数少ないストーブの
前に車座になり、毎年のお顔なじみの方もあり、和気藹々と過ごしました。
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こんにちはコンちゃんの近藤光史さん。柏木アナウンサーとのやり取りは絶妙です。
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ゲストのウオーキングドクターのデューク更家さんと。とてもフレンドリーなナイスミドル!
おしゃれで、スタイルもかっこいい! ウオークの実践も体験させて頂きました。
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ラジオウオークレポーターの井上政雄アナウンサーを見つけました。阪神ファンの私たちは、
MBSのタイガースナイターの実況放送担当者の井上さんに会えて、うれしくなりました。
前日沖縄キャンプの取材から帰宅したばかり・・・と日焼けで真っ黒でした。今年は優勝!
と言って下さり、みんなニンマリ!
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最終のステージでは、浜村淳さんも合流。グリーンのラジオウオークのコートは、浜村さんの
ファッションセンスに合わないとかで、毎年私服です。(笑)今年は、赤のコートにシャネルの
マフラー!かっこいいなあ。
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終日雪の降った、また足場の悪い行程を12000人の方が、歩いたそうです。
休憩する場所もなければ、寒さを凌ぐところもなく、みなさん本当に大変だったと思います。
打ち上げで、二人の卒業式がありました。
一人はメインで進行を務められた八木沙希アナウンサー。3月退社で、フリーアナウンサーの
道に進まれます。
ラジオウオークという大きなイベントに携わられた数年間は、自分の人生の中でもめったに
体験できない貴重な機会だったと述懐され、来年は1参加者として参加したいと涙ながらに
挨拶されました。美人だし、魅力的な方でした。
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そして、もう一人の卒業生は、解説者の青山茂先生。88才になっておられたのですね。
私もラジオウオークでは、長いお付き合いでした。犬養先生の晩年のように、青山先生も
健脚ですが、ご高齢になられてスタッフの配慮で、全行程を歩かれず、ショートカットで、
解説をされていました。先生自身で、30年を節目に勇退すると宣言されてのことだそうで、
現役の引き際は、むづかしいことから、惜しまれて去ることの美学を久しぶりに見ました。
ご挨拶で、人生の半分近くをラジオウオークで潤わせて頂いたと述べられ、本当にお幸せで
よかった!!!と思いました。青山先生、ご苦労さまでした。
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終わってみて、毎年とは違った疲れでしたが、ラジオウオークの仕掛け人、松田さんや、
企画の扇野さんや、出演の犬養先生も、こんなに長く続くとは夢にも思っておられなかった
ことと思います。その残党の一人として、今もなお出演させて頂く光栄に感謝しながら…、
また、30年間を見つめ続けたラジオウオーク史の証人として、私はここにいる!ことを
誇りに思いました。
30年を特集した冊子も作られ、なつかしく見ながら、人麻呂楽団での出演、犬養先生の
お供での参加。万葉うたがたり会の出演…と私の参加の形もいろいろ思い出があります。
途中で角さんが倒れられて、アナウンサー生命も危ぶまれたところから、完全復帰されて
30年にも参加されましたし、犬養先生や、松田さん、扇野さん、そして清原先生が亡く
なられた悲しみも超えての30年。さあ、来年はどうなることでしょう。
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ともかく30年、本当におめでとうございました。MBSラジオウオークバンザイ!

第30回 MBSラジオウオークが終わりました。

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2日前の明日香村とはうってかわって、天気予報通りの「雪」「雪」「雪」。
会場の明日香小学校の風景です。
阪神高速は結局終日封鎖でした。
私は「出演者本人」ですので、ともかく電車で明日香入り。車窓は、東大阪のあたりから、
銀世界で、子供のようにうっとりと窓辺を見行っていました。
橿原神宮駅もタクシーがいない! ようやくつかまえた1台に乗って会場へ。
舞台のテントの雪下ろしをされていました。(汗)
前日、うたがたり会で急遽の「雪」「交通路」対策について、検討し、相談の結果、
富山など雪の多い地方へ仕事に行かれる経験のある、トモちゃんのご主人に頼ることに…。
会社の雪対応の車を借りて頂き、お仕事の途中に私たちの楽器を積み込んで頂きました。
そして、私以外のメンバーは、その車で全員無事に送迎して頂いたのです。感謝!
私たちに限らず、出演者は、車から電車に乗り換えたり、アクシデントの中、予定通り
にはいきませんでした。仕方がない! 私たちもリハーサル時間には遅れてしまいましたが
雪と極寒の中で、衣装で出演しました。雪の舞う舞台でした。
            
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今回は、私たちの出演も間際にやっと決定した通り、開局毎日放送の60周年記念番組でも
あり、テレビの「ちちんぷいぷい」も同機して放送されました。ですからゲストも多彩で、
明日香小学校の私たちと、テレビは石舞台古墳の風舞台のイベントと2か所で行われ、
いつもと違って、規模も大きい上、雪のトラブルもあり、出演者も自分のことにしか
集中できない環境で、私は結局今回のラジオウオークの内容は把握できないままでした。
みなさんが、スタートされる時に「明日香風」をラジオで流して頂きましたが、あとは、
明日香小学校の体育館で14時15分のオフステージの出演まで待機でした。
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30回ということで、30周年と同じ衣装で出演致しました。続く…。

明日香村の春

打ち合わせがあり、山寺さんとふたりで今年はじめての明日香村へ。
昨日の久しぶりの雨の余韻が残り、空も薄曇っていましたが、やはり村独特の静謐さに
あふれていました。
どこもまだ冬枯れの様子で、春の兆しは…というと、ありました!
昼食をした、石舞台古墳の近くの夢市茶屋のテーブルのお花に「お~っ!」
 
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ねこやなぎと紅梅です。色目と言い、やさしさと言い、気持ちがほっこりしました。
ねこやなぎも、やわらかい白い毛のものは知っていましたが、私たちの大好きな淡いピンク
のものは初めて見ました。
梅の花も、花びらや、花弁やがくや、花そのものが、細やかな細工の施されたまるで芸術品です。
食事は、名物「飛鳥鍋」御膳と、黒米カレーを頂きました。美味しい!
打ち合わせだけのはずが、帰りには夢市で、名物いちご「あすかルビー」や安くて新鮮な
野菜を買い込み、二人とも主婦としては大満足…。
大根70円、キャベツ1玉150円、ほうれん草1把100円…いかがでしょう!
11日には明日香村でラジオウオークがありますが、また買い物をしたくなりそうです。(汗)
しかし、11日はなぜか、雪予報が出ています。晴れ女の私たちに挑戦か!
「わが里に 大雪降れり 大原の…」の歌の如く、明日香の雪体験は、実は訪問者・旅人に
とっては大変魅力的ですので、雪景色にはちょっと期待もあって???
でも私たちの衣装も寒さと雪対策で、頭を悩ませています。
30回記念だし・・・。

クエを食え!

食べることに夢中で、写真を撮るのを忘れました。
12月のコンサート終了後、山寺さんは、会計の精算を含めた残務整理、私は修士論文…と
相変わらず、2人ともが多忙な日々を過ごしていましたので、年初になってから、一度
ゆっくり美味しいものでも食べたいね!と約束し、予定していた日がやっと実現しました。
ようやくの二人、水入らずの打ち上げでした!
娘のアルバイトをしている京料理の「ほんざわ」さんは、冬場は、間人(たいざ)カニ、
ふぐ、アンコウ、クエ、イノシシ…と味覚が満載ということで、場所はそこでと決め、
今回は「クエ」鍋を賞味しました。
もちろん、私たちが行く日は、娘も一緒に食べる!という大前提でしたが!!!(笑)
山寺さんは、北九州の出身ですので、海の幸には恵まれて育たれており、なかなかお魚には
詳しいです。そして「ふぐ」も子供のころはよく食べた!…という日常的な体験もあり、
今回は「クエ」にしたというわけです。長崎県産のクエでした。
私も娘と数年前、パンダ鑑賞とクエ(和歌山県が有名)の旅に白浜へ行ったことがありますが、
まあ、クエ会席で、一通り食べたくらいで、うれしかったですが、あまり印象には残り
ませんでした。今回はいきなりお皿いっぱいのクエ(クエは1尾が40キロで100人前
くらいとれるらしい大物)と桶いっぱいの京野菜に感動。白ネギ、ミズナ、畑菜…。
あと忘れた???。雪の氷室となった地面から掘り起こすらしいです。
クエはフグよりも身が引き締まっていて、でも食べやすい淡白な魚でした。
ご主人が、おまけにふぐの白子をプレゼントしてくださり、娘と山寺さんは大喜び…。
こんな高級龍理には、焼酎じゃなくて、やっぱり日本酒よねえ~!と二人は意気投合。
私も「お酒の味のわかる大人の女性になりたい!」と思ったことでした。(汗)
おうどん、雑炊までしっかり食べつくし、体も心もホカホカ気分。
「ほんざわ」ご主人の、素材の仕入れから、鮮度のよい、地産の京野菜の選択まで、
こだわって、本物を食べさせてくださる信頼感が、お店の信頼を支えているのだと思いました。
もっと近ければ…、お得メニューの日替わりランチも毎日食べてみたい気がしますが、
また季節ごとに、旬の味わいを求めて食べに行きたいと思いました。
京都府立大学病院のすぐ近くですので、鴨川も近いです。
明日(今日)間人がにの予約が入っているそうで、水槽には、えらそうに緑タッグをつけた
カニ君が、11匹?いました。時価は、1匹18500円からです。すごい!
でも今日の予約で、全部皆さんの口に入っていなくなってしまうそうです。
すごい人気ね!
四万十川の天然うなぎも扱っておられますし、厳選された山海のグルメに圧倒されます。
では、次回を楽しみに…。
そうそう、飯塚の篠原夫妻にお薦めしようっと・・・(笑)。

もう少し…!

きょうは、大学院の最後の授業でした。予定では、今春で大学院生活にピリオドを打ちます。
思いがけず、病気で、1年間だぶってしまいましたが、3年は本当にあっと言う間でした。
ちょっと気持ちを引き締めて臨んだ授業。久し振りに見まわした校舎、キャンパス…。
1月22日に若草山の山焼きがありました。キャンパスからしっかり臨めます。
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どうして母校の大学院に行かなかったの?とよく聞かれます。万葉のふるさと「奈良」
「平城」の地にあるから、あり通ひ見む…でした。導いてくださった坂本先生に感謝です。
正門からの風景。この年齢になって、由緒ある奈良女子大学で学べたことは、幸せでした。
感慨を持って、パチリ!
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