ボランテイア感謝会

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新春の昼下がり通信にも書かせて頂いたが、私の「音楽療法」もどきのボランテイアが、
はや8年目となった。
日頃クリスチャンであるという高邁な!?意識はなくても、神様の恩恵に与っているという
感謝の意識は大きいので、月1度か、2度のオルガン当番くらいは、信者として当然の
義務、奉仕だと思っているが、しかし、あくまで自分のことだけに関わることばかりで、
他者に対する…というか、社会に対しての信者としての「奉仕精神」の欠如の呵責が、
いつもある。
単に自己満足の世界ではあるが、自分の能力を生かすボランテイアができることは、何より
なので、講習を受けたことのある、くくれば「音楽療法」というジャンルで、高槻市にある
ミス・ブール記念ホームという施設のデイサービスに、2か月に1回の訪問を続けている。
このホームで多くのボランテイア活動をされている方々(年間のべ1200名とか!!!)
を労い、またボランテイア同士の懇親を深めることも目的として、1年に1度、施設主催の
感謝会が行われるが、私は今回3年ぶりに参加することができた。
入所者の方が季節ごとにみんなで作られるタベストリーがあるが、昨日の飾り付けは
うれしい「椿」で、思わず記念写真。
このホームも開設されて30年とか。私が伺うようになってからも、施設の拡充や、増築など
恵まれた敷地が、時代の要請と並行するように、次々変化をしつつある。
昨日も今春開設予定の「個人住居」施設棟の見学をさせて頂いた。
バリアフリーはもちろん、木目調のなつかしい優しさのある建物で、個室や共同生活室や、
見るからに快適で、居心地のよい居住空間が作られていた。このホームは人気があって、
入所希望者が順番待ちとか。
設備もそうだが、私はお世話をしてくださる「人」の魅力が大きいのだと確信する。
今回の感謝会では、参加の職員さんは、私が普段お目にかからない特養の介護の方々が
多かったが、デイサービスでお目にかかる、介護、看護、生活相談、その他担当者の方々が
みなさん明るくて、感じが良いこと。
老人や、病人は、不思議なことに自分に対する人に敏感に反応する。入所の方々の安定は
心の安定からくるのだと思う。ホームが人気があるのはわかるような気がした。
実は私も、お世話役の方々にお目にかかるのも楽しみの一つになっている。
たくさんのご馳走や、おもてなしを頂き、大変恐縮した。
残念だったのは、職員の方々がお接待に忙しく、一緒に食事をしたり、ゆっくり話ができなかった
ことかな。みなさんこそ、時々はゆっくりと体を休めたり、楽しむひとときを作ってほしいと
心から願う。
夕方、外へ出れば、雪が舞っていた。
「音楽療法」は、次回3月14日に伺います! いよいよ春になってるかな…。

2月19日 祖父母追悼祭

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祖母が平成14年2月に亡くなり、ちょうど10年目を迎えることから、平成18年8月に亡くなった
祖父も昨年で5年を経たこともあり、祖父母を合同で追悼するミサを甲子園教会の松本武三
神父様にお願いして奉げて頂きました。
祖母の10年祭、祖父の5年祭の追悼ミサです。
松本神父様も偶然祖父母と同じ、姫路の出身でいらしたので、とても身近に感じてくださった
ようでした。
ただ、四旬節に入る直前の時期に、急遽お願いしたようなことになってしまいましたが、
両親も高齢になり、体調も一定でないようなので、いろんな懸案の事柄についてけじめを
つけておきたいという気持ちが強くなったようでした。岡本家の「法事」ということで、
せっかく行うのなら…と日程を探しましたが、娘をはじめ、甥や姪も結局都合がつかず、
特別の機会でしたが、両親と私・弟夫婦の水入らずで、ミサをあげて頂きました。
初孫である私が偶然、祖父母の二人ともの老後や最期に付き合いましたので、ゆかりも深く
このたびのミサの準備についてもしっかりまかされました。
追悼ミサの聖歌を決めたり、二人の写真を準備したり、神父様に二人のプロフィールを
お伝えしたり…と最小限の準備でしたが、祖父母のことをなつかしく思いながらこの日を
迎えました。
おばあちゃんが生きていたら、今年で100歳です!!! ふむ。
おばあちゃんがクリスチャンで、岡本家の家族も徐々に導かれていきましたが、熱心な
浄土真宗の信徒であった祖父も、本人の意思で亡くなる2週間前に洗礼を授かり、最期に祖母
の悲願が叶えられました。明治人間のワンマンな祖父でしたが、今頃天国では、おばあちゃんの
お尻に敷かれてるかも…と楽しく想像しています。
その祖父のおかげで、サロン経営にも寄与してもらっていますので、感謝せざるを得ません。
私ががんばることが、祖父の心に応えることであり、私が音楽を続けることが祖母の喜び
でもありますので、二人で私を見守ってくれていることでしょう。
きょうのミサでは、自らオルガン奏楽もしました。大役を終えて、ほっとしています…。
両親もほっとしたようですが、今度はお墓参りに行きたいらしい!!! もう~!

ミュージカル、アンネの日記を観て。

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山寺さんと観劇に出かけたのは、出演者にわがうたがたり会の歌姫、大岡美佐ちゃんと、
TSUBAICHIカルチャーヨガ講師の猿渡美穂さんが、出演している!というのが、第1の理由
です。
アンネの日記は、アンネ・フランクというユダヤ人の少女が、ナチスの迫害を逃れて家族と
ともにアムステルダムに隠れ住んだ2年間の日記ですが、ただ一人奇跡的に生き延びた
アンネの父が、残された日記をみつけて、ジャーナリストになりたかった娘の遺志を生かす
べく、世の中に公開された貴重な記録です。
西宮の甲陽園にアンネのバラの教会があることは知っていましたが、まだ行ったことは
ありません。資料館もあるそうですので、これを機会に一度訪問してみたいと思いました。
ミュージカルは、伊丹ホールで2日間の2回公演でしたので、都合のつく初日に出かけました。
私たちも娘たちの芝居を観たり、演奏会や舞台の機会を自分でも経験したりしているので、
どうしても多角的な目で見るようになっています。
今回の舞台は、美佐ちゃんも美穂ちゃんもオーデションから始まり、時間をかけて練習を
積んでいる様子も知っていたので、それだけに期待値も高かったのかもしれませんが、
「脚本のメッセージ」とミュージカル劇とのギャップや、舞台の流れや舞台装置も含めて
少し完成度が低いように思いました。
終演後、出演の二人には、「頑張ったね、お疲れ様でした!!!」と心から労いました。
二人とも自らの向上を目指して努力する、頑張り屋さんです。
出演者として、舞台の上では全力投球をして達成感があったことでしょう。
記念に1枚だけの写真です。
やはり大舞台だけあって、メイクも半端じゃない迫力!
お疲れ様でした。しかし雪の舞い散る、本当に寒い一日でもありました。

10年目の引っ越し

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娘の「楽園」だったかもしれないアパート「洛園荘」から、転居する時がやってきた。
京都では、下宿に伴い小倉・四条大宮、そして同志社大学を卒業する時にはこのアパートに
引っ越していた。
ただし、2年間だけという約束での入居だった。というのは、もう古くなった建物で、
2年後には取り壊しという予定だったようだ。そのせいで、入居当時から10室くらいの
文化アパートには、3人くらいしか入居しておらず、親として治安や安全性に不安もあったが、
2年後には引っ越すから…という言葉を信じて…それから10年。
大家さんの状況もあったのだと思うが、とうとう(強制)退去の時期が来た。
昨年秋に、3月の年度いっぱいで転出する通告を受け、それから転居時期の都合に合わせて
家さがしが始まったらしい。
娘もすでに30歳を超え、子離れのできない私としては気になることであったが、もう一人前の
女性であり、自立した自分の道を進むべく、できるだけ口を出さずに静観することにした。
これは私の大きな試練でもあるが、大きな進歩かも(笑)。
自分のことを振り返っても、反面教師でなければならない!!!
そして、転居の日は、手伝いに行けなかったが、翌日ともかく新居の確認と、転居後の
明け渡しの点検に出かけた。
思いがけず、いや気が付けば10年間過ごした娘の「ふるさと」の入口で記念写真。
さすが、パンダマークのサカイ引越センターに発注するところが抜け目ない!
親のカラーも口出しもない新たな「お城」作り」に、仕事の合間の片付けになるであろう
と思われるので、急がず1つずつゆっくりかたづけていきなさいね、とそれだけの私。
そして、私に輪をかけて親バカのつかさの祖父母(両親)はもはや、新しいマンションに
行きたがっている。
かたづいた頃に、家族みんなで京都見物となりそうだ。

「飛鳥を愛する会」会議

長年続いた「飛鳥古京を守る会」が1つの時代の役目を終えて、解散されたことは記憶に新しい。
犬養万葉顕彰会が解散した時と似たような会員状況が起因していることも否めない。
しかし、飛鳥古京を守る会に入っておられた方々の意を受けて、また、引き継ぎ「明日香村」を
多くの人たちが、愛し、守り、支えていくために「何か」「誰か」中心で導いていく「核」が
必要となる。
昨年春、坂本先生からご連絡を頂き、新たに「飛鳥を愛する会」を起ち上げ、考古学と
万葉集の先生方を中心に、再び「飛鳥ファン」のための組織が生まれた。
その組織運営の中に、私にも参加・協力の要請があり、発起会早々から欠席していたにも
かかわらず、会の役員に名を連ねてくださっており、大変恐縮した。
ただ、「私」は」1民間人であり、熱い思いを明日香に対してアプローチする時に、やはり
「会員」であることの意義は大きいと思うし、私も運営する側のメンバーに入れて頂けた
ことを心から感謝している。
それから約9か月…。総会・秋の旅行、何も参加できないままで気になっていたが、
ようやく初めて全体会議に参加することができ、会長の木下正史先生や、関大の橿考研の
先生方などともお目にかかることができ、よい機会となった。
また私が今回楽しみにしていたのは、秋に関村長が勇退された後、明日香村村長となられた
森川村長とお目にかかることだった。
冒頭、自己紹介もかねて丁寧にご挨拶されたが、雰囲気はロマンスグレイで、しかし
お若くて都会的な雰囲気の村長さんとお見受けした。
村長は、今明日香村のいろんな組織に馴染んでいかれることが先決で、きっと「飛鳥を
愛する会」もどのような会なのか、興味深く参加されていたと思う。
内外ともに明日香村が注目を浴び、明日香村の活気を増していくために、森川さんも
いろいろな構想を持っておられるだろうし、いろんな団体をどのように有効利用して
いけばよいか、思案中でいらっしゃるだろう。
村としての規模は小さくても、国家レベルの特別保存法で守られた地域でもあり、
いろんな懸案事項がある中、関村長以上に、新しい時代の明日香村を作るために頑張って
頂きたいと心から願っている。やっと名刺交換ができてほっとした。
そして、犬養先生のことを知って頂くために、私たちの30周年記念コンサートのビデオを
お渡しし、第2部の「万葉人生」の犬養先生を見てください!としっかりアピール。
見てくださっているかなあ。
首長の交代で、明日香村も新たなスタートを切られたことを実感した。
私もあらためて飛鳥を愛する会で何かお役にたてれば…としみじみ思う。
そうそう、事務局長の北村憲彦さんは、私と同じ年。また犬養先生と親しかった明日香村の
文化財課出身の方で、犬養先生のことをしっかり覚えてくださっている方がこの組織に
おられたことも幸いだった。
神に感謝!!!

勝負の時を迎える!

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今年も山口ひとみ親衛隊のご配慮に便乗して、万葉うたがたり会もお誕生日パーテイに
参加させて頂きました。
山口さんのお誕生日が「MBSラジオウオーク」の前日であるので、昨年は雪予報も気になりながらの
参加でしたが、今年は出演も見送りとなり(泣)、日程も3月20日になったので、心おきなく
参加することができました。
しかし、確定申告の聞き取り調査でちょっと遅刻…。
朝は、猪名川の引き継ぎもあったので、忙しい一日でした。
アサヒスーパードライのお店は、やはり「ビール」が中心のドイツレストランですので、
これだけ寒い日が続くとビールも…と、ちょっとお客様もいつもより少なめでした。
でも山口ファンはあちこちにご来場。ありがたいことです。
山口さんの今年のお誕生日のご挨拶で、「今年は節目の、勝負の年になりそう…。」と表明。
私たちの大切な仲間、山口さんが歌手生活を人生の半分の20年続けてきたことを祝って、
私たちが何かお手伝いできることはないだろうか…と思った時に、このつらつら椿株式会社
を利用して、山口ひとみリサイタルをやりたいと思いました。
それも彼女のスケール、エンターテーメントなど舞台の華やかさが想像できる場所を求め
11月25日(日)に、希望通りの大阪・梅田のビルボード大阪に決定しました。
今年は、その目標に向かって頑張る覚悟の言葉だったと思います。
私たちも全力を挙げて、山口さんのリサイタル成功に向けて努力を惜しみなくしたいと思っています。
山口さんには、音楽の育ての親ともいうべきアコーデオンの杉村さんがおられますが、今回は
岡本プロデユースで、音楽監督に、編曲・バンド編成もおまかせできる女性ピアニストの
宮川真由美さんに白羽の矢を立てました。
なでしこブームではありませんが、「女性の作る女性の舞台もええやん!」です。
宮川さんのご好意により、山口さんとのミニコンサートを経験して、より彼女を理解したい
ということで、先駆けて山口&宮川ジャズライブを行うことになりました。
それはもちろん、TSUBAICHI3周年のメインイベントとして、4月7日に行います。
私も鬼プロデユーサーとなって、山口さんの新たな面を引き出したいと思っています。
ますます魅力的なアラフォーです。
ともかくは、お誕生日おめでとうございました。記念写真のあと、大岡美佐ちゃんも仕事
終わりで駆けつけてくれました。
岡本母、園田・山寺姉、大岡妹のうたがたりファミリーは健在です!!!
 

 

 

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宮川さんと…。いい感じです。

犬養万葉を引き継ぐ…。

2月9日、突然の引き継ぎ会。
大阪府豊能郡豊能町の西公民館へ。
能勢電鉄は久しぶりだった。寒い日々が続いていたが、山下駅から妙見口の方向へ向かった
とたんに町の積雪の風景が広がり、この山間の地域の様子を実感した。
猪名川万葉の会を主催されておられた、桝川啓次さんの教室を引き継ぐことになり、急遽
講義開催日に一度でも参加して、講義を拝見しようと思い出かけたが、なんと受講生の
方々も寝耳に水の「最終講義」だったようで、受講生の戸惑いを思うと、こうして私が
来ることより、みなさんとのお別れの機会のほうが大事だったのでは…と気がさしたが、
桝川先生は、後任が決まったことの解放感と共に、受講生の方々にはここ1年間、健康上の
での理由と「勇退の時期」についてを考えて、ずっと自分自身と対話をされてきたことを話された。
4教室を20年以上教えてこられて、受講生の方々に対する責任と、ご自身がどこまでやれるかと
いうことについての不安と、猪名川の地で「犬養万葉」を語り継ぐという使命の中で、
果たして後継者が必要なのか、これで終わるべきか、いろいろ悩まれたようだ。
桝川先生と今回の橋渡しになってくださったご婦人は、TSUBAICHIのオカモゼミに参加
してくださっている方だが、その限られた世話役の方々の間で、いろいろ議論も交わされて
来たそうだ。
私のところへ打診があったのは、2月4日のこと。私も突然のことに固辞したが、桝川先生
とは、犬養万葉顕彰会にも長い間ご参加頂いており、犬養先生の生誕100年祭には、犬養万葉の
伝道者たちというコーナーでご紹介もさせて頂いていた。
その「犬養万葉」を伝えるという共通の志を持った一人として、私に信頼があったのだ。
ほっとされた桝川先生と裏腹に、突然の大役に、戸惑いながら、しかし犬養先生の晩年の
お仕事にご一緒して、「引き際」のむづかしさを私は体験している。
人には乞われても自分でコントロールできる間にけじめをつけることのむづかしさだ。
犬養先生には、結局教え子として、また傍らにいながら、老年・晩年の先生をカバー
仕切れなかったという悔いがずっと残っている。
それを思い出しながら、とりあえず引き継がせて頂くことにした。
20数年の生徒さんは、きっと先生が辞められる時には、ご自身も講座もやめようと思って
おられる方もあるはず。あと、やはり『万葉集』の学びを続けたい方に、万葉ロマンを
広めることが、私のライフワークとも重なっているので、1教室を受け持たせて頂くことと
なった。
『万葉集』に「猪名川」が出てくる。その大事な地名を冠にされた万葉の会を私は引き継ぐ。
微力ではあるが、桝川先生の灯された「犬養万葉」の灯を燃やし続けるために…。
犬養先生、どうか力を与えてください!!!

OSKと打打打団天鼓コラボ「ブラインド」

2月8日に久しぶりの「観劇」。
娘の芝居など、時々見に行きますが、「芝居」という表現で納得しています。このたびは
「観劇」という言葉にふさわしい、商業演劇というか、大衆劇というか、楽しみに出かけました。
今月は、少し時間に余裕がある分、お誘いやご案内の行事に外出することが多くなり、
このたびの「太鼓歌劇」という新しい舞台を見に行くことができました。
OSKの舞台も久しぶりですが、実は15年くらい前に「明日香村で月を観る会」の
アトラクションで、私たち万葉うたがたり会とOSKが共演をしたことがあります。
私の万葉曲「恋歌」に合わせてOSKのスター4人が古代衣装を着て踊られたのですが、
その時の振付師が、打打打団天鼓で太鼓の指導をしておられる伊瑳谷門取先生でした。
またその時ご一緒におられたのが、「ブラインド」の脚本・演出をされた北林佐和子さんで、
その時のご縁から、「昼下がり通信」を送ったり、打打打団の舞台のたびにご案内を頂いて
いました。
この公演の「チラシ」ももちろん頂いていましたが、偶然関係者から、チケットを頂いた
こともあって、急遽見ることができた・・・というわけです。
芝居については、翌日観劇した大岡美佐ちゃんがブログでご紹介してくれていました。

会場はFM大阪のあるなんばハッチで、昔の近鉄小劇場の雰囲気がありました。
今回、OSKと太鼓集団の初めてのコラボレーションという試みだったそうですが、OSKの
歌って踊っての華やかな舞台の背景に太鼓のバックがありましたが、BGMでもあり、リズム
セクションでもあり、まったく違和感のない舞台でした。また作品も「ブラインド」は、
小泉八雲の「耳なし芳一」を題材にして、しかし芳一は現代人の設定で、平家物語の壇ノ浦
合戦の亡霊とのやりとりのように描かれていました。
折しも「平清盛」年間がはじまったこともあり、見ておられた方は、きっと平家物語をより
身近に感じられたのではないでしょうか。
始まる前に、入口でバッタリ伊瑳谷先生と北林さんにお目にかかれ、久々のご挨拶ができました。
お二人とも恐縮してくださいましたが、私もいつも気になっていた方々でもあり、その舞台を
拝見できてとてもうれしかったですし、やはりっとても楽しかったです。
OSKは、宝塚歌劇と双璧の老舗ですし、やはりそれなりの追っかけのおば様方が来られて
いました。艶やかで華やかな舞台は目を惹きます!!!
打打打団天鼓の迫力は、やはり素晴らしいです! 太鼓の響きは日本人の「魂」を揺さぶると
言いますが、メンバーの二人の女性がいい。太鼓も叩ければ、横笛の音色も切なく、オール
マイテイの活躍に感心しました。やはりこの時代の活躍は「なでしこ???」
久しぶりに「楽しかった~!」と思える舞台でした。
やはり、エンターテーメントの真髄はお客様を楽しませること、元気を与えることだと
実感しました。次回のコラボ公演が楽しみです。

備前うたがたり会「新春かるた会」

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備前うたがたりの会も早いもので、10年以上のお付き合いです。
新たな方の参加もあり、ありがたいことですが、年間2回の講座だけでは、私のほうが
物足りなくて、バス旅行やかるた会などをして、みなさんとお目にかかる機会を少しでも
多くしたいと望んでいます。お世話役の方々には迷惑なことですが…。
2012年新春の集いをかねて、2月7日(火)かるた会という名目で集まって頂きました。
会場が「和室」ということで、遠慮された方があったと聞きました。「座ること」が
難儀な方が多いのは理解できます。(特に年配の方など、私の母もそうですし…)次回は
会場について配慮します!
新年のご挨拶と、今年は『古事記』が撰録されて1300年という記念紀でもあるので、
「大和しうるはし」の古事記歌謡をご紹介してから、いよいよかるた会開始。
「かるた会」は、お正月の風物詩として欠かせない遊びだと思っていましたが、この頃は
子供たちもにはあまり機会が無いようですし、また「家族」で遊ぶことも少なくなったようです。
越中万葉かるたをはじめ、地域で「万葉かるた」や「百人一首」などを学校ぐるみで行う
ことはあるようですが、私は「楽しさ」に戻るために、みなさんにご自宅にある「かるた」を
持ち寄って頂き、展示会をしたあと、その中からいくつかのかるたを使って遊ぶことで
童心に戻って頂いています。
今回もこれだけのかるたが集まりました。見るだけでも楽しい!!!
1枚目の写真のかるたは「百人一首」です。まるで版画のようですが、染められた絵画の
素材を裏打ちして個人で作られた作品です。
(中西久幸さんが見られたら、喜ばれるかも…。)
文字がくずし字ですので「読めない」ですから、百人一首を覚えている人がとりやすい!?
玄人向きのかるたでした。坊主めくりは大丈夫のようです(笑)。
始めは久しぶりで取れるかしら…とおっしゃっていたご婦人方も、団体戦や回がすすむと
調子が出てこられ、なかなか白熱したかるた大会になりました。
つぎつぎと勝ち進んだり、慣れてきたところで「万葉かるた」に!!!
その流れだと万葉かるたがむづかしいという変な先入観がずいぶん解消されるので、私は
「犬養万葉かるた」に馴染んで頂くのにオカモ作戦実行中です。
しかし、今回はいろんなかるたに熱中しすぎて、万葉かるたの時間があまりなく…。
でも参加者の皆さんが、「楽しかった!」と言って下さったので、ほっつ。
いつもながら、会場の和室には、私を歓迎してくださり、備前焼のうつわに「椿の花」を
いくつも生けて下さっていました。そしてお抹茶のふるまいや、心づくしのおもてなしに
心から感謝いたしました。
今年もまたみなさんと万葉を楽しんで頂きますが、次回は予定では、6月!
待ち遠しいいことです。

三輪恵比須神社大祭(宵宮)に行きました。

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12月に三輪恵比須神社で私の万葉講座を開いて頂き、その様子はブログでご紹介させて
頂いた通りです。
そして、いよいよ1年に1度のえびすまつり(えべっさん)が開催されました。
2月5日(宵宮)・6日(大祭)・7日(のこり福)の3が日行われましたが、私たちの都合も
あり、メインイベントとも言われる宵宮の「鯛引き」行事の日に出かけました。
写真は、行事が始まる前に境内にスタンバイしていた、シンボルの「鯛」、鮮魚の鯛、
俵の3種の神事物です。(ホームページトップで、私が引いている写真は紹介済み)
三輪山というと大神神社が有名すぎて、JR三輪駅すぐのこの三輪恵比須神社は、万葉時代から
三輪山の南麓に海石榴市が開かれたゆかりから、古代最古の商売の神様、守護神として
由緒ある神社と言われてきました。しかし、観光客はおろか、世代交代などで地元の方々の
意識も年々薄れ、一部の方々が、神社の威光を地元の原点、誇りとして、内外ともにもっと
発信させたいと願われ、私たちも何か協力をさせて頂きたいと思うようになりました。
私もまず現状をしっかり確認したいと思い、今回のえびす祭りを楽しみにしていました。
宵宮は「鯛引き」という行列が象徴的で、有名だそうです。そこで、今年は特に行列用に、
大人・子供の衣装を作られて、一体感を出されました。衣装制作アドバイザーは、運よく
明日香村の劇団「時空」で衣装を担当しておられる本塚さんでしたので、100人力でした!
お祓いを受けて、出発した「鯛引き」行列は、町内を40分くらいかけて1周されます。
その間に本殿では「初相場奉告祭」という、この場で2012年の「三輪そうめん」の値段が
決定するという、地元ならではのご神事が行われました。
境内にいた私たちは、背広姿の男性を見かけましたが、その関係者だということはあとで
わかりました。そんなめずらしい「値段決定」の儀礼的行事などは、マイクなどで境内に
いても様子がわかるようになさればいいのに…と残念に思いました。
境内の人や私たちは、次のプログラムがいつ始まるのか…と、寒い中、様子がわからないまま
立ち過ごしていましたが、アトラクションに出演される方々のスタンバイも長~く大変だったと
思います。写真の2つめは、アトラクションの三輪の方々による「そうめん踊り」です。
小道具の、ざるとそうめんに見立てた「糸」をうまく操った踊りで、楽しみました。
伝統の踊り、地元の踊りのあと、最後は「河内おとこ節」に盛り上がり!? やや、
盆踊り状態!(笑)。
でも踊られる方はもちろん、見ておられる方々も、隣の私にいろいろ個人情報などを説明
してくださりながら、楽しく見ておられました。私も「生の声」を聞き、地域の連帯感や、
「村」の仲間意識を垣間見たような気がしました。
私たちは今回、初めてお祭りを拝見し、想像以上に盛り上がりを実感しましたが、今年は
例年になくにぎわったいたようで、隣のおばちゃんが、「今年はいつもとちょっとちゃうな!」
という声も聞かれました。それならよかった! 意識してマスコミ取材を受けられたり、
衣装を作られたり、宮司が新たに着任されたことも加えて、「変化」の兆しが参加者にも
伝わっていたようです。
仲良くなったおばあちゃんが、「明日はお店が出てにぎやかやし、明後日はごくまきと
言って90キロのお餅をまくから、午後4時においでや。」と声をかけてくださいました。
おらがふるさとの祭り…は健在だと思いました。
ただ、どこも人が減ったり高齢化して、ふるさと行事の協力者がない!という現状が
由々しきことです。そうは言っても「続ける」ことが最低条件でもありますし…。
「続ける」だけのことでも、「若い者やよそもの?は手は出しても口は出すな」という
タテ社会や、村意識も変えていかなければ、本当に次世代に何事でも引き継いでいけなく
なってしまうような気がします。
今回の三輪恵比須のお祭りを通しても、いろいろ感じることがありました。
私はこのブログ報告などで現地を知って頂き、訪れて頂くことを願っていますし、また、
3月には2回目の万葉講座が決まりましたので、地元の方々の意識を喚起して「万葉のふるさと」
という誇りと認識をみなさまにより高めて頂きたいと願っています。
このたびは、西宮えびす神社からも吉井宮司様が来てくださったとか。超にぎわいのある
西宮えびすとの交流ができて、お互いに情報提供ができたり、恵比須交流ができることも
今後楽しみです。
私たちの拠点TSUBAICHIも名前からしてももっと早く、三輪恵比須に敬意を表するべきでした(笑)。今、サロンのショーケースには、三輪恵比須の「福笹」が飾られています。