はじめて、大衆演劇を体験する!の巻

TSUBAICHI 企画で募集しました、観劇ツアーは無事に終了しました。
「楽しかった~!」がまずの感想です。
昔は庶民の娯楽として、町々に小屋があったそうです。70代位の方々に伺うと、子供の頃
から時々行った経験がある…とのこと。私をはじめ「見たことがない」のは、戦後世代です。
また、娯楽が多様化するにつ入れて、大衆演劇も人気が翳り今では嘉穂劇場や、秋田県の
康楽館など、小屋の文化遺産的価値が注目されて、その存在価値で、脚光を浴びるように
なってきています。
全国万葉フォーラムin嘉麻の里で、土地のシンボルである嘉穂劇場を会場に、行事が行われた
ことを思い出します。私たちも万葉うたがたりコンサートをさせて頂きましたが、森進一や、
美空ひばり、椎名林檎が立った同じステージに立てた喜びで、大衆演劇の拠点と言うより、
老舗の劇場であるイメージが大きかったように思います。
国技館、相撲場のように桝席で、座敷型の観客席は、めずらしくてとても新鮮でした。
そのような潜在意識から一転、今回は道頓堀の町中のビルの地下。ZAZAという多目的舞台
が会場で、もちろんすべて椅子席でした。
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「かつき夢二」座長のかつきさんは九州出身だとか。そうそう筑豊の知人に香月さんがいます!
そっか~。
私たちは、好奇心満々で、顔見世ショーから、時代劇、そして歌謡ショーまですべてを
しっかり鑑賞しました。
顔見世で、劇団員の把握。劇では、殺陣あり、笑いあり、涙あり、適当にアドリブが入り、
私たちも無心になって楽しみました。
ショーでは、気になっていた「おひねり」の場面もありました。ファンと思しき叔母様たちが
数人前列におられましたが、座長が歌いながら舞台から客席へ降りた瞬間、一人の叔母様が
近づいてお札を胸元に…。確かピン札の2万円だったと思いますが、座長も上手に半襟の上
からピンで挟んで…(証拠写真がピンボケで残念。)
なるほど…とひたすら感心。
このような慣習がやはり残っているのですね。もちろんご祝儀は必要ですし…。
その座長、かつき夢二さんは、着物もかつらもいろいろ変身されましたが、やはり艶やかな
女性の姿が圧巻! 流し目のポイントも少し学びました(笑)。
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このマツケンサンバを彷彿とさせるキラキラ衣装の彼は、かつき慶二君です。(オカモヒイキ)かっこいい!!!
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劇団はおそらく「家族・身内の集団」であろうと思われますが、だんだんその関係や雰囲気で
想像ができるようになりました。
たくさんの劇団もきっとこのように受け継がれながら、座長として選ばれし人が中心に芸を
引き継いでいかれるのでしょう。大衆演劇は台本のない口移しの芸と聞きます。
また粋な衣装(着物)の柄や染め抜きや、豪華な帯、装身具にもうっとりとしました。
照明も華やかで凝っていて観客に「夢」や「元気」を与えるために、いろんな努力をして
おられることにあらためて感心しました。
娘たちの小劇場の芝居もそうですが、いわゆる「商業演劇」ではない特殊な舞台は、観客
動員や運営が本当にむずかしいと思います。
でもいきいきと舞台で演じられている姿に私たちもすっかり魅せられた感じです。
私も「表現者」としてもパワーをもらいました。
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今風な会場でしたが、入口には「水・酒・塩・赤飯」が供えて?
ありました。芝居の最後は座長以下、会場も全員で3本締め。
やはりこのような光景に日本人の風俗を見ました。
「楽しかったねえ」と言いながら外へ出ると、出演者のラインナップ。もちろん記念写真を
撮りました。でも近くで見ると美しい「美女」の座長の体格の大きいこと。顔もはやりの
「小顔」の反対で、びっくり(笑)。
やはり舞台姿の可憐さと迫力にすっかり騙されました???
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解散の前に、全員で法善寺横丁へ。法善寺の水かけ不動さんにお参りしました。
こんなに苔むして、まるでゆるキャラの「コケチャン」のようでした。
常時の水かけで「ゆつ岩群に草生さず」ではなく、君が代型でした。
「さざれ石の→ではなくて、今が代はお不動さんのコケの生すまで」でした。
さて、今日感激したかつき夢二一座の今後の活躍に期待したいと思います。
そして、私たちも大衆娯楽のこの舞台をまた絶対に見に来たいと思っています。
TSUBAICHI観劇ツアー第2弾、乞うご期待!!!

忘れないうちに…。

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味真野万葉まつりの名品をご紹介しておきます。
「ほうばめし」
ホウバ焼きというのは、枹の葉の上や、包んで味噌焼きをするお料理は知っていますが、
これは何とほうば「おむすび」と言う感じです。
それもきな粉がまぶしてあって、「甘い」。
地元の方は「なつかしい」もののようですが、私たちはご飯が甘いというのがびっくり。
おはぎ感覚なら納得かな。福井県のケンミンショー的、初体験でした。
また、これはオリジナルで、新しいグッズ。
ハートの形の「鯛焼き、回転焼き」風、焼きまんじゅうです。
焼き上がりには、ちゃんと中臣宅守と狭野弟上娘子の姿があります。
パッケージにもきちんと「味真野」や「万葉歌」の説明が記され、配慮があります。
ともかく美味しかった!!!それに尽きるかも。
どんどん売り出していってほしいです

ようこそ!

ほったらかしのベランダの植木鉢から、何と去年楽しませてくれた桔梗の新芽が。
この1週間で10センチくらいに延びました。
育ち盛り…って感じです。
はじめは雑草かな…と思ったのですが、よくよく見て、よくよく考えてみると
「これって去年苗からそだった桔梗かも???」と思い当たり…。
手入れの悪さが、植物の生命力を知らしめてくれる結果となり…!!!
さて、どれくらい大きくなり、花が咲くのか楽しみにしたいと思います。

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がんばれ、桔梗! 負けるなオカモ!

味真野万葉まつり

ゴールデンウイークの週間は、予報と少しずれて不安定な天候でしたね。
5月3日・4日は、恒例の福井県越前市味真野地区の万葉祭りの日でした。私もかつて
出演させて頂いたこともあります。一昨年味真野観光協会の設立30周年記念の行事で、
私は光栄にも「ふるさとの誇り」という題で、記念講演をさせて頂きました。
もちろん万葉故地として友好・協力関係のある高岡市からも朗唱の会に誘う会の代表、
玉井さんも来られていました。
その時に30周年を記念して、3年がかりの事業を始められたことを知りましたが、昨年いよいよ
完成し、その完成式が万葉まつりの中で行われると言うことで、お招きを受けていました。
ブログにもかつて書いたことがありますが、事業内容は、味真野が狭野弟上娘子と中臣宅守の
贈答歌63首が詠われた背景となる万葉故地ですので、味真野の里を知って頂く手立てとして
ふるさと散策の道しるべ、万葉道標を歌の数だけ、すなわち63基建立されのです。
比翼塚に犬養先生の歌碑のある味真野苑から小丸城址まで、約2.2キロの距離です。
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TSUBAICHIバス旅行で訪れたり、建設中も味真野へは伺いましたが、完成した記念として
今回お招きをうけた私は、わずかな寄付しかしておりませんのに、協力者として立派な
感謝状を頂戴し、恐縮いたしました。(ホームページトップ写真)
私の名前を刻んで頂いた道標は、観光協会会長さんと連名ですので、やや大きめ?
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本当にうれしく、ありがたいことです。万葉故地に自分の魂を残すことができるなんて
思いもよらないことでした。
さて、年に一度の万葉まつりは、3日は曇り、そして完成式のあった4日は終日の雨。
4日にはメインイベント、味真野で主役の万葉歌人と、地元に伝わる謡曲「花筐」の主人公、
継体天皇と照日の前の2つのカップルが立派な輿に乗られて、その前後には文官、武官が
お守りしながら里を行列する「万葉行列」が有名ですが、例年に増して特別に準備された
機会であったにもかかわらず、無情の雨。直前まで検討された結果、止む無く中止となり
本当に残念でした。久しぶりに見たかった外部の私たちより、この日のために準備をして
こられた関係者や地元の方々の方が残念だったに違いありません。
地元の人々の理解や協力を兼ねて、万葉中学校で3年生になると衣装をまとい、行列に加わり
思い出作りをするのですが、こうして中止になってしまうと中学生が楽しみにしていた
3年目の地元らしい貴重な行事の体験ができなくなり、大人になってから、参加した子供と
参加できなかった子供の心に残る地元意識がきっと違うと思うのです。
「行列させてあげたかったなあ」としみじみ思いました。
万葉まつりは、味真野苑の駐車場を利用して、トラックの移動仮設舞台が作られて、
舞台発表などが次々行われました。舞台の背景の素晴らしい絵と書は、山本清子さんと
おっしゃる地元の幼稚園の理事長さんの作品ですが、お話を伺ってみると、美容院を経営
なさっておられ、万葉まつりでお茶席を開いてくれていた仁愛大学の茶道部の学生さんたち
の着付けも朝から大勢なさったそうですし、万葉菊花園に展示してある真柄十郎左衛門の
大きな大きな「人形」や甲冑を越前和紙や編みこみの技術でもって作られた、もはや器用を
通りこし、ご本人のチャレンジ精神が新たな制作を生み出される、すごい方ともお会いしました。
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私も久しぶりに訪れた万葉まつりでしたが、模擬店も若い人のオシャレなシフォンケーキの
カフェがあったり、地元ならではの越前そばはもちろんのこと、枋葉めしや、たけのこごはん、
また、新たに味真野恋の万葉焼という、タイ焼き風の焼きまんじゅうもあり、みなさんの
努力と時の流れを感じました。
舞台での催しも、以前のカラオケ大会のような、地元サービス的なものより、家族で
楽しめるようなイベントや、ふるさとの郷土色豊かな芸能や民謡などがプログラムに加わり、
また、地元の仁愛大学も共学となって男女の学生たちの積極的な参加に、若さや新鮮さが
感じられて、商工会中心の行事から、官や観光協会、民間の婦人会や大学生など、いろんな
立場の方々の参加に変化していた様子に驚きました。
そして、それが、いい感じでした。
雨の一日でしたが、かえって緑が萌えて、春爛漫の花盛りの様子がより美しく、
味真野苑でゆっくり堪能してきました。
一人で犬養先生の比翼の歌碑に順番にご挨拶し、朗唱してきました。
フォトギャラリーで庭園のお花をアップしますね。

浄福寺仏教婦人会総会にて万葉うたがたりコンサート

昨年、思いがけなく母方の祖父の菩提寺で、万葉うたがたりコンサートの機会を得、
祖父を思い、感謝しながら、本当に感慨深く、演奏させて頂きました。
その時に檀家・門徒さんだけではなく姫路周辺の西本願寺系のお寺の関係者も来ておられた
ようで、1年後のオファーを頂いた浄福寺さんでこのたび演奏をさせて頂きました。
ホームページトップに書いたように、亀山御坊と言われる由緒ある本願寺のお寺の一つで、
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姫路の市内にあって静かで、このようなお寺の集まった場所があることが不思議なくらいで、
祖父の里、姫路の実法寺のひなびた雰囲気とは対照的なお寺でした。
婦人会の総会とお聞きしていましたが、私たちが到着した時には、婦人会の方々が、本堂、
庭園をくまなく丁寧にお掃除しておられ、その人数の多さにも驚きました。
この機会は、年に一度の婦人会の総会だそうですが、特に1か月前の4月1日に、87歳の
ご院さんから、59歳の若住職へ世代交代というのでしょうか、30年ぶりに新たな寺の顔と
なられる就任の儀式が執り行われたばかりで、その住職の最初の行事であるとお聞きして
いました。私たちも様子がよくわからなかったのですが、当日伺ってみてよく理解できました。
私の所属する教会にも婦人会という組織がありましたが、奉仕活動などでもお寺を支える
協力部隊です。お掃除もしかりでしたが、会が始まるとともに、きちんと衣装も揃われた
コーラス部が、賛歌を歌われたり、また、きちんと着替えて総会に臨まれたみなさんの
てきぱきとこなされる様子に、都会育ちの私は偏見ではなく「お寺」は、拝観するような
仏閣や、葬祭にお参りするお寺の感覚しかないので、私が教会で過ごすように、「お寺」との
お付き合いも日常生活の延長にある空間であること…を初めて実感した気分でした。
本当に、信教の自由とは、神仏様々ですものね。私には仏教とキリスト教の違いでした!
さて、大事な総会で、ゲスト出演の私たちは、初めて『万葉集』を歌で聞かれる方もあった
ので、できるだけ身近な印象のものに…と「万葉の春」をテーマに選曲しました。
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平城京のイラツメのヘアースタイルがよく似合う美佐ちゃん。
高い音域までの美しい声と歌唱力をほめて頂きました。歌姫に感謝。
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風邪をこじらして、めずらしく本調子ではなかったともちゃんでしたが、やはり安定感のある
歌唱に私は安心!
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今回はつけまつげを断念(笑)。年齢相応で勝負しました。最近いよいよ女性として
開き直りの境地。うたがたりに集中しました。
熱心に聴いて頂き、ありがたいことでした。そして途中から昨年2回もお世話になった
実法寺の真光寺の寺谷住職もお忙しい中来てくださり、ご縁を喜んでくださいました。
出演は3人でしたが、もちろん山寺さんが、マネージャーとして終始サポートしてくれました
ので大変助かりました。
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うたがたりの最後には、ご住職へのはなむけに額田王の「船出の時に」で門出をお祝い
致しました。親鸞上人の750年遠忌の記念紀でもあり、30年ぶりの交代式を行われた
浄福寺がますます発展、市民に親しまれるお寺となられますように…との思いを込めて。
きょうの日を終えて、私「岡本家」のルーツであえる姫路市の2つのお寺でコンサートを
させて頂きましたこのご縁をこれからも大切に紡いでいきたいと思いました。
TSUBAICHIでも「親鸞聖人」のお話をして頂きたいな…と真面目に考えています。

多賀城訪問記

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4月23日、多賀城址で記念撮影です。左近の椿、右近の桜です。
しかし、この桜がもっともよく咲いていて、今回多賀城、涌谷の桜は想像通り遅く、
このゴールデンウイーク頃に満開になったと思います。
思いがけず、行く先々で「椿」が盛りで、それも大木のこのような椿がたくさんありました。
震災から1年1カ月余り…。
写真のようなおだやかな光景を取り戻したところもあるでしょうが、多賀城から見下ろすと
うず高いガレキの山が視野に入りました。
嘉摩万葉を学ぶ会を立ち上げて、故郷に錦を飾られた川波さんと、坂本信幸先生の発案で、
昨年決定した「多賀城応援旅行」が、いよいよ実現しました。
遠方ということや、被災地であることもあって、時期や現地の受け入れや、参加者や、
いろんな事情が交差したむづかしい準備でしたが、川波さんの熱意と多賀城万葉の会の
方々の喜びと、共鳴した参加者の心が一つになって、本当に意義ある訪問となりました。
宿泊も万葉旅行では仙台市内ですが、多賀城を基点に、多賀城キャッスルプラザを会場と
して坂本信幸先生の万葉講演会と、引き続き、交流会が行われました。
外部から60名くらい、現地と合わせて100名ほどの方々が、講演を聞かれました。
多賀城の方は、きっと久しぶりに落ち着いて『万葉集』のお話を聞かれたことと思います。
「万葉の花」をテーマに、坂本先生監修の日めくり万葉集の映像もはさみながら、楽しく
学びました。坂本先生も2時間たっぷり話されましたが、きっとこの地でのご講演に感慨も
いっそう深い気持ちで、壇上に立たれていたことと思いました。
交流会では、各故地から参加者がありましたので、特別に全国万葉フォーラムin多賀城交流会
というお墨付きの会となり、多賀城の方々も「万葉ネットワーク」の心強さをしみじみ
感じられたことでしょう。川波さんからお誘いを受けて、私が参加表明をしてから、
ひょっとして…交流会で「歌って」もらえないかと打診がありました。
悩むヒマもなく、山寺さんと園田さんが一緒に行きたいと言うことで、「万葉うたがたり会」
3人娘が揃いましたので??? とりあえずカラオケ持参で、歌わせて頂くお約束は
いたしました。
その後、現地の鈴木さんから「当日を楽しみにしています。岡本さんが来られるのなら、
歌って下さるかも。それなら衣装も着てくださるかしら…と楽しみにしています!」と
プレッシャーのお便りが届き、いよいよ私たちも衣装持参で出かけたような次第です。
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ともちゃん頼みの舞台でしたが、季節がらお花見を楽しみに来たので「桜花」と、故郷
大和を歌う…「大和しうるはし」を歌いました。
山口さんや美佐ちゃん(歌姫)なら感動も深かったでしょうが…。
でも喜んで頂き、アンコールで「サンバDEツバキ」までも歌わせて頂きました。
私たちのステージからみなさんへ「元気の素」が届けば、何よりでした。
交流会の2次会で、多賀城の市議会議長の議員さんにお話を聞かせて頂きましたが、聞けば
聞くほど、17年前の私たちの被災の時と同じような状況が思い重なり、他人事では
ありませんでした。
しかし皆さんの恐怖と被害と絶望の原因は「津波」に集約されていました。
翌日、バスで涌谷町(陸奥山)方面へ万葉旅行をしましたが、百人一首の42番歌の歌枕の
清原元輔の「末の松山」にもご案内頂き、「波こさじとは」のやはり波が越さない
教訓の場所を確認してきました。残念ながら周辺地は開発して土地が低くなってしまって
おり、海岸から4キロ~5キロ内陸部のここまで4メートルの津波が来ていて、がれきが
家屋や塀や、あちこちを傷つけ、水の流れた跡を残しているのです。本当に信じがたい思い
でした…。
多賀城国府跡、多賀城址の高台から町を望み、かつて万葉旅行で訪れたことをなつかしく
思いだしながら、再び来れたことにも感謝し…。
つくしやタンポポが春を告げ、こんなのどかな旅をしてもよかったのだろうかと少し心配
もしましたが、多賀城も日々回復しつつある現状を私たちが確認し、また帰宅してから
みなさんにきちんと報告することも今回の務めであったと思いました。
解散の後、うたがたり3人組で、仙台までタクシーで海岸周辺の被災地を通ってもらいました。
運転手さんも津波で無一文、裸同然となられて復興住宅に住まわれていました。
海岸沿いの住宅と言う住宅は、基礎部分のみが残るまさに廃墟と化していました。
「ここに人の営みがあった」場所とは到底思えない、何もかもが無くなっていました。
逃げようにも逃げられない土地の様子、道、時間…。
絶体絶命のあの瞬間が悪夢であったら…と誰もが思っておられることでしょう。
残酷な悲しい光景でしたが、しっかり目に焼き付けてきました。
避難された方、亡くなられた方、不明の方、みんなのたましひがまだ留まっている土地。
神様はどのようになさるのでしょうか。
言葉の足りない報告記ですが、グルメ編は、ホームページトップでご紹介したとおりです。