暴走老人と言われて…。

「なかなか面白い表現じゃないか」とご本人の石原さんの弁とか。
週末の都知事辞任から新党立ち上げ、国政復帰と話題になっている。
都政を投げ出す? 尖閣列島で日本を混乱させた? 無責任と言う声も多い。
母が私にどう思うかと聞いた。
私もきっと若かったら、「正論」を張って批判したかもしれない。
でも人生の半分以上を終えた私が実感することは、「生きている間に自分に何ができるか」
「人生に悔いないように、今自分のできることをやりたい」と思う、「余生」に限られた
時間の焦りだ。
実際に政権が変わっても期待外れどころか、ますます世の中は混沌とし、日本は沈没しよう
としている。尖閣だって、竹島も「寝た子を起こした」かもしれないが、石原さんが
日本人の誇りとして「領土」を守る言動、行動をとらなかったら、島国の日本はずっと
あいまいなまま国土地理院の認定の机上の「国土」論争が続くだけだったろう。
議員の身分にしがみつき、足の引っ張り合いだけに明け暮れる政治家たちにうんざりして
いたわたしたちに期待を抱かせたのは、橋下大阪市長だった。
彼も「大阪府」と「大阪市」の一元化のために「大阪維新の会」を中心に、地方行政を
改革するはずだったのが、国の体たらくに「日本維新の会」の船を出港せざるを得なくなった。
しかし、カリスマの橋下さんには、悪質で、人権を無視した個人の標榜攻撃で、足を
引っ張ろうとしていつ「見えない力」にこの国のお粗末さを感じた。
本当に「日本」のこれからを担ってくれる人がいるのだろうか。現れるのだろうか。
子供たちがこれから成長していく今から、国民の借金をかかえているなんて、いずれ年金が
破たんするかもなんて、何と夢も希望もない日本の未来だろうか。
石原さんが、薩長連合の歴史を引き合いに出して、「中身はのちに議論をしてもよいから、
ともかく志を同じくする者が集って、政界再編すること」を語った。「理念や政策の違いが
あるのに一緒になれるはずない」と言う他党。
でも最後の言葉が身にしみた。
「若者よ、がんばってくれよ。なんで80の俺がやらないといけないのか!」
専業主婦であった母も、今の私の年齢の時から、市民運動に参加していった。
孫や子供の将来のために、私がいまできることをしたい…と。
石原さんの持つ「日本の危機感」を私もずっと感じている。
石原さんの一石が、「何か」新しい方向を見出せるように…と祈らないではいられない。
母も私と同感だと言った。
父は横から「石原さんの自己満足じゃないか」とも言った。
自己満足でいいのよね。「自分で信念を果たした人生」として満足できたら本望やん! 
「暴走」は困るけれど、命がけの勝負に出た石原さん。私は理解できます。

身近な大遺跡!

猪名川万葉の会を引き継ぎ、半年たった9月の講座の後に、会の方々のご配慮で、私が
より「猪名川」の地域に親しみ、馴染めるようにと、猪名川町の兵庫県の遺蹟としても
有名な「多田銀山」の遺跡を案内してくださいました。
私からすれば、阪神間から北に向かって伊丹・川西・猪名川町は、土地開発が進行していく
地域の印象があって、新興の住宅地が多く生まれ、新たな街づくりがなされているように
思っていました。
また、川西市や猪名川に沿った地域は源満仲に始まる多田源氏という、清和源氏の最初の
拠点となった「多田」の庄に武士団を作ったところで、ゆかりの多田神社や、「みつなか」
というのは会館名になったり…と漠然と知っていましたが、いやいやこのたび案内して
頂いた多田銀山は奈良時代の頃からの鉱山で、東大寺の大仏建立のための「金」が陸奥山
から産出され、大伴家持の「黄金花咲く」の万葉歌で有名なのは、万葉ファンの納得する
ところですが、なんとその東大寺大仏の土台となった銅は、ほとんどが多田銀山(銅山)で
採掘されたものだとか。すごい!知りませんでした。
その銀銅山に見学に出かけました。広い道を少し入ると緑の自然林が広がります。
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そして、「悠久の館」という記念館ができており(この建物の名前だけでは、なんの館か?
ようわからん???)道具や鉱石の紹介や、歴史資料などが展示してありました。
ひとまず見学をして、下勉強をしてからいよいよかつての場所へ出発。
結論から言いますと、鉱山の規模の大きさ、また未だに残る間歩(まぶ)の多さ、そして
鉱山の「町」の仕組みのわかる形跡が残り、長時間過ごしましたが、まだ余地を残す
くらいの大興奮の楽しさでした。
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青木間歩は中にも入れるので、暗くてヒンヤリした坑道を恐る恐る探検。教えて頂いた
場所は今でもはっきりと「金属」の含まれた鉱脈が残っていて、きれいです。
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私たちの住む場所からこんなに近いところに、歴史に残る大鉱山があったなんて。
そして、秀吉の頃などに最盛期を迎え、江戸時代には幕府の直轄地となり繁栄したようですが、
銅価格の暴落や、時代の波で、やがて昭和に企業として継続していた日本鉱業も閉山となり、
かつてをしのぶだけの場所になってしまいましたが、しかし思いがけない「多田銀銅山」の
知識を得て、感激して帰宅しました。古代からこの山峡の地が宝の山だったなんて…。
またお誘いしてみなさんをお連れしたい貴重な場所です。
猪名川町のみなさんは、もっと私に「猪名川」の魅力を伝えたいと思っておられるようです。
天文台があり、800メートル弱の山頂からは大阪湾まで見えるという、大野山や、
奇岩の屏風岩や、神社や公園など、見どころが満載のようです。
こうして「わがふるさと」を誇りとして暮らせることの尊敬と、また反対にわがふるさとを
理解しようと歴史に学ぶ姿勢が、素晴らしいと思いました。
それが「ふるさと作り」の思いにつながっていくのでしょうね。
大石さん、ご案内誠にありがとうございました。  
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思い出の記「瀬戸内クルージング」

遅まきに感動の記録を残しておきます。
呉、大和ミュージアムのシンポジウム、コンサートの翌日、オプショナルツアーで、
「古代の瀬戸内海航路」クルージングで、万葉集・平家物語、そして豊かな自然と
環境の海「里海」をたっぷり1日かけて巡りました。
出発は、昨日の会場地、呉市の宿泊地クレイトンベイホテルのプライベート桟橋からです。
(かっこいい!!!)乗船して見た呉の港です。
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心配されたお天気もよし、絶好のコンデション。いやでも気分は高まります。
今は、橋でつながっている江田島と倉橋島をくぐり抜け、船は西へ。
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参加者が多く2隻の船の航行でしたが、私たちの船は甲板に上がれたので、やはり直接
風を受け、波をみて、肌で体感し、航海の行く手も堪能したかったので、私たちは
早々から甲板で過ごしました。(ほぼ終日甲板にいたので、9月に漁師やけとは…)
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一般的には、外海ではないので、穏やかな瀬戸内海でしょうが、このたびは、丸1日
船旅をするという試みでしたので、古代を学ぶ大変貴重な経験ができました。
瀬戸内海の風光明媚な景色の裏腹に、島々を潜り抜けながらの操行。手漕ぎの船で大変
だったことでしょう。時間の経過とともに変化する天候・風、波の様子、潮目など、
刻々と変化していきます。一喜一憂しながら、船旅をする実感を得ました。
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時には、潜水艦と出会いました。おー、やはりひそかに海を偵察しているのだ。
平清盛じゃないけど、海賊もいたことでしょうし、「海の上」という状況は、逃げ場がない
ことが悲壮です。ですから、船泊まりをする時は、心の落ち着きを取り戻すひとときでも
あったことと思います。航海を思い、行く先を思う。それゆえに、故郷を思い、家族を
思う。
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今回、上陸した「祝島」。
上陸は、私は2回目でした。島の火事の経験を踏まえて家屋の類焼を免れるために作られた
「石壁」作りの家並み。今では島を代表する文化財になっています。
しかし、200軒からの家に、半分以上が空き家とか。さびしい限りです。
その残っておられるおじいちゃんおばあちゃんが「将来の孫子のために残す大事なふるさと」
として守るために、体を張って、上関の原発建設の反対運動を行っておられるのです。
テレビでも何回も見ましたが、島のあちらこちらに「意志表示」の姿勢を見ることが
できました。
また、地元民ではない、若者たちが「祝島」のために「人々」のために、「日本」のためにと
協力活動を続けていられる様子も知りました。
島の人たち、協力者の方々、そして共感した私たち、みんながんばれ!です。
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前日からご一緒に参加してくださっていた祝島の橋部さんともお別れ。ありがとうございました。
ご紹介頂いた「神舞」は、是非見たいなあ。4年に一度でしたね。島を後にして再び海へ。
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船では坂本先生のご説明を聞きながら、次の上陸地は二神島。そして大崎下島に…。
この島は「大長みかん」で有名な場所。「檸檬焼酎」もあり、みかんジュースも100円で
飲みましたが、柑橘類が豊かに育ち、また島も明治・昭和の賑わいをしっかり残した賑わいの
島のようでした。観光誘致もしっかりできていました。
天神さんと、島の町並みです。
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大きな島ですので、私たちは御手洗港だけの上陸でしたが、この島までは呉市からバスで
行き来できるそうですので、散策にも楽になったようです。そして、これを陸続きというべき
なのか(笑)。
立派な天神社があり、またレトロな町並みはかつての島の賑わいの面影があり…。
もっと時間をかけて回ってみたい島でした。
帰着は三原港へ。1日をかけて体験したクルージングは、船が好きな人、苦手な人…と
乗った人たちの違いからも共通体験の「受け止め方」や「心境」はことなるはずです。
加えて「命がけの船旅」ですから、「つらつらら…」と心弾む気持ちはほとんどなかった
と思われます。
瀬戸内文化を考える会でしたが、このたびは平清盛ブームも加わって、古代からの瀬戸内
の歴史や風土を顧みる機会でもありました。
大変深い印象に包まれたクルージングでした。

晩稲?

今頃、朝顔の花が満開になってきました! きょうは7輪!!!
8月はまったく咲かなかったのにどうして???
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