凛とした強さを学ぶ・・・。

今朝の朝顔です。
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きょうも2輪咲きました。1本の茎だけのお花なのに10輪は数えました。
遅咲き、晩稲…tと表現してFBでご紹介してきましたが、
この時期に咲くことの稀少価値より、「ど根性」に近い生命力だけに
私自身が驚きとともに、力づけられているという毎日です。
昨年やはりほったらかしていた鉢から「桔梗」が育ち、紫と白の2本だった
桔梗が、仲良く「白地に紫色の斑が入った桔梗」が1本咲いたことをブログで
ご報告しました。
そのようなズボラな私がやはりほったらかしていたフラワーボックスから
思いがけず見つけた「二葉???」
普通なら、種をふやかし、それから土に蒔いて育てる「朝顔」の手順もない
どころか、この水不足、暑い夏を超えて8月に二葉を出したこの「力」に
私はなんだか、愛しくて、健気で、孤高の「強さ」にすごく感動したのです.
1本だけの細い細いツルで9月半ばからほぼ毎日咲いてくれます。
もうそろそろ終わりかな…とまだまだついた小さなつぼみを確認しながら
「ありがとうね」と話しかける毎日。
1日のはじめの清らかでさわやかな「気」を私に伝えてくれていることに感謝
しながら、来年こそはきちんと「朝顔」を生育する心機一転を図ります(汗)。
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西宮えびす神社観月祭。

今年の仲秋の名月は、望月と満月が一致する貴重な「月」であったようだが、
等彌神社の観月コンサートの宵から、連日晴れ渡った空に「月」が美しく輝き、19日の
当日までに毎晩帰宅の夜道が、心弾んだことだった。
その9月19日当日には、西宮文化協会のご依頼で、西宮えびす神社の観月祭の後の、
夕食会「月見の宴」で、万葉うたがたり会のゲスト出演の機会を頂いた。
時間的、また場所的条件からも考慮して、今回は万葉うたがたり会を代表して山口ひとみ
さんに出演してもらった。ピアノ伴奏も山口さんと呼吸の合う宮川真由美さんにお願いし、
万葉曲と秋の風情を味わって頂く音曲をご披露した。
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観月祭は、一般公開で、本殿の前に集合。まだ薄暮だったが、吹き抜ける風が心地よかった。
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午後6時から祭典が始まり、神官により祭壇に供物が並べられ、祝詞の奏上などのご神事があり、
その後、奉納の舞楽「原笙会」の女人の舞を初めて拝見した。
友人のお嬢さんが社中におられたり、噂には聞いていたが、このたびご招待を頂き、
じっくりと鑑賞することができたのは幸運だった。
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古代衣装の女性4人による「柳花苑」の舞いと、またかぐや姫の「平安の舞」は、現代曲
(東儀秀樹氏の曲)でアレンジされた舞いで、メロディーのある雅楽もよかったし、私たちは
しばし女性の舞いのあでやかさと、時代を異にした幻想の世界にひきこまれたような気がした。
かぐや姫は、衣装も時代もコラボしたかのようなファッション?にも見えて、舞楽と言えど、
現代を意識した形への試みをされているかのようにも思えた。
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関係者なのか、女人舞楽のファンなのか、ビデオやカメラで撮影をされている人も多く、
私も隙間からようやくとれたショットだった。
この観月祭が一般に公開されていることを知らなかったので、もっと多くの方々にも知らせて
あげて、この風雅なひとときをみなさんにも味わって頂きたいものだ。
ただ、ご神事・奉納の舞いで、宴席が遅れたため、山口さんのステージの開始が遅れ、準備
していたアンコール曲がカットされたのは残念だった。
でもお食事は、東京竹葉亭の「お月見特別料理」。
御馳走様でした。
帰りの月も美しく、今年の月夜は本当に素晴らしい中秋の名月だった!

仲秋の名月、2題

今年は、奈良県の桜井市とご縁が深くなり、5月には、桜井市市民会館を守る会
の総会で、講演をさせて頂いたり、先日は「大和さくらい万葉まつり」で古代衣装
パレードの出演があったり…と2年前から三輪恵比須神社で万葉講座をさせて頂いて
いることから広がった輪でしょう、まさに「海石榴市」のえびす様に感謝です。
三輪恵比須神社のご紹介もあり、桜井市外山(とび)にある等彌神社の佐藤宮司より、
仲秋の名月に行われる6回目の「観月コンサート」に万葉うたがたりの機会を頂きました。
実は私は「とみ神社」は知りませんでした。鳥見山が榛原から見える山だと思っていたので、
桜井の鳥見山のふもとの等彌神社をこの度しっかり認識することができ、幸運でした。
人も集まりやすいように、毎年「敬老の日」と決めて行っておられますので、月齢には
多少誤差があります。
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リハーサルを終えて見えた月です。3日後に満月の夜を迎える月です。
この抜けるような青空も、これは前日からの台風18号の日本全国に絶望的な被害や影響を
与えながらの翌日、台風一過のウソのような光景です。
朝から雨も残り、テレビでは近畿一円「大雨洪水警報」は発令され、渡月橋の周辺の
桂川の氾濫を目にしながら、「きょう、本当にやれるのだろうか…。」と半信半疑で
2台の車に分乗して、万葉うたがたり会は現地に向かいました。途中淀川の河川敷も水に
つかっていて、びっくり仰天。しかも淀川大橋からこの状況を写真で写そうと言う人たちの
姿も多く…!?確かにめったにない光景が広がり、私たちはますます戦々恐々の気分でした。
台風の後は、手のひらを返したような穏やかな日となり、神社の中では、コンサート決行の
ためのあわただしい準備がなされました。雨でずぶぬれのところからの舞台づくりで、
神社の方々も氏子さんも、またイベント会社の方々も内心はおだやかではなかったはずです。
みなさんのおかげで、お客様も集まってくださり、時間通りのスタートとなりました。
その後は、「楽しかったコンサートのひととき」です。
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コンサートの後に「サンバDEツバキ」が聞きたかった…と言う声を頂き、ありがたく
思いましたが、今回は初めて聞かれる方への導入もあり、オープニングは「月の歌」
メドレーでスタートしましたので、ごめんなさいでした。
40分の時間を頂き、
夏の夜の夢・ムーンライトセレナーデで「月」を思って頂き、あとは「桜井市」を意識して
三諸の子守歌、「忍坂」の風音を聞いて頂きました。
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そして今回は、等彌神社…と言うことで、万葉歌碑もある「跡見山雪」の歌を是非作曲して
記念にプレゼントしたいと思い、新曲「ホワイトロマンス」という曲をご披露しました。
恋の歌なので、若々しく大変軽やかなポップス調の曲になりました。またみなさんに
手拍子を頂きながら、歌えたらうれしいことです。
最後まで多くのお客様に残って頂き、ご一緒に出演した岸さんや大西さんに、佐藤宮司も
加わって全員で「ふるさと」を合唱しました。
この等彌神社の近くにお住まいの方々をはじめ、鎮守の森で、音楽を通して満月を愛でながら
ふるさとに心を寄せるなんて、なんて贅沢なのだろうと思いました。
月は時間とともに高くのぼり、神社の杜の木々を通してこんな様子に見えました。
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本当に「月のかつら」を髣髴とさせます。神社の池にも映った月を佐藤宮司さんに教えて
頂き、思わず歓声! 2つの月を楽しませて頂きました。
「月がとっても青いから、遠回りしてかえろ♪」…いやいや、自宅に直行して11時半でした。
長い激動の一日。終わってみれば穏やかで心豊かな時間だけが印象となって残っています。
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誕生日を迎えて・・・。

どうしてもブログに書いておきたいことがあった。沖縄旅行のことだ。
FBには、小出しで、旅の思い出を切り取って、早々に友人・知人たちに披露したが、
やはりこのたびの「旅」は、私たち親娘が、日本の歴史上、理解をしておかなくては
ならない、実際に現地を自分の目で見てみたい「歴史と歩む沖縄」だった。
戦時中を生き抜いた両親は、過去二人で日本各地をほとんど旅しているが、「飛行機」と
いう母の苦手意識がネックとなり残念ながら「沖縄」だけ、旅していない。
「戦争」の頃、やはり女学生だった母が、同じく沖縄戦にかり出された「ひめゆり」
以下、同世代の方々を偲び、追悼したいという気持ちを持ち続けていることは、ずっと
知っていたので、急場に決めた私たちの旅であったが、沖縄を選択したことを大変喜んで
くれた。そして母の分も一緒に祈ってきてほしいと思いも託されていた。
「お花代」まで預かり、親子3人の思いを胸に「沖縄」に向かった。
もちろん久しぶりに親娘でバカンスを…と思ったものの、お互いの共通の時間を作り出す
ことが、並みの苦労ではなく、この2泊3日が限度だった…。
でも行き先を「沖縄」に決めた時に、「美しい海・沖縄料理・美ら水族館・ぜいたくな宿」
など、旅ならではの希望と共に、「沖縄の戦地に佇む」ということについては、娘と自然に
共通の目的であったことは、うれしいことだった。
折しも8月15日の直前には、テレビ・新聞などで「終戦特集」の報道が多く特集されたが、
いつもならば特別な意識をせずに見ていたニュースも、さすがに旅を「沖縄」に決めた後は
とても気持ちが惹かれた。
特にTBSの『テレビ未来遺産“終戦”特別企画 報道ドラマ「生きろ」~戦場に残した伝言~』
と言う、今も「沖縄の神様」と慕う人たちがいる戦中最後の沖縄県知事、島田叡(あきら)の
実話のドキュメンタリードラマを見たことも幸運だった。
沖縄に降り立って、レンタカーでまずひめゆりの塔のある南部地方糸満市へ。
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左後方は、併設されたひめゆり平和祈念歴史館。女学生の証言集などを見ると、あまりの
むごさと、淡々と綴られた日記の重さにあらためて沖縄戦の犠牲を無念に思う。
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母の分も娘とともに、花を捧げ、やっと現地に立てた実感を感じた。
引き続き摩文仁の丘へ。県の平和記念公園として、資料館、塔など、多くの関連施設が、
建てられている。そして出身県で分類された墓碑銘の場所は、テレビなどでよくみていたはず
だったが、正面の抜けるように青い空、青い海、広がる水平線に、本当は静謐な島である
ということを思い知らされた気がした。
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二人で黙って海を見ているだけで、不幸な歴史とうらはらな素朴な島、沖縄を思い、怒りや
悲しさがよけいに募ってくる。戦争はなんだったんだろう。沖縄戦はなんだったのだろう、
と思う。
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そして、沖縄県知事の記念碑へ。島田さんのご遺体?は見つかっていないそうだ。
終焉の地とされている。兵庫県出身者であり、兵庫高校と聞くと身近な感じがした。
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沖縄戦で、沖縄の人たちは米軍ではなく、日本兵のための犠牲となり多くの人が亡くなった。
翌日、首里城や今帰仁城跡などを見学し、沖縄が「琉球王国」としての独立国の遺跡が
多く残っていて、御嶽と言う祈りの聖地や、聞得大君という女王国である独自の信仰や
風習の残っているのを見て、感心した。沖縄県に本土復帰は果たしてよかったのか。
世界遺産にも登録されているが、琉球固有の文化や遺跡に今回魅せられた。
当初、想像していた喧騒も全くなく、嘉手納基地のそばを通った時だけ、米軍基地の
規模や、近さや、Yナンバーの米兵の車なども見たが、2泊3日で回った沖縄は、最高の
空・海・自然美に恵まれた素晴らしい風土だった。時々にふれあう沖縄の人々は、愛想が
よくて、優しく親切だった。そして観光で賑わい、潤う島であることは間違いはない。
そう思うと基地移転などもってのほか、これ以上環境破壊をするべきではない。
基地問題も微妙だが、「撤去」が望ましいが、まず「凍結」。辺野古へなんてとんでもない
ような気がする。沖縄の人たちの島の誇り、観光立国の沖縄を思うなら、現状維持しか
ないのかもしれない。テレビでよく見る大規模集会は本土からの人が多いと聞いた。
私たちが感じた古い琉球王国の名残の多い島、沖縄は、道州制が叫ばれている今こそ、
「独立国家」としての狼煙を上げたいくらいだ。
戦争の爪痕が色濃く残り、払拭したいのに、未だに「戦争」のための米軍基地として
甘んじなければならない沖縄の現実に、同情もある。
でも私たちにとっては、穏やかな島、美しい島として大ファンになった。
また是非訪れたいと思っているし、娘とは2月の残波岬のタイガースの春季キャンプに
来てみたいね!なんて…。
万葉と同じ、現地に立って理解できることの多さに教えられた旅だった。