仁川カトリック教会と神父様への感謝…。

5年前に福江島を訪れた時に、今後、もう来る機会がないかもしれない…という
寂しさがありました。
その私に神様がくださったチャンスが10月5日からの長崎・五島列島巡礼の旅でした。
甲子園教会で受洗してから信者歴は30年近くなりましたが、震災の道路事情で行けなくなり、
仁川教会へ移籍してからはや18年です。仁川教会には私にとって身近な五島列島出身の司祭が
司牧しておられ、浜口神父様(故人)や、永尾神父様には特にお親しくして頂きましたし
現在は水浦神父様に導いて頂いています。
いつもミサのオルガンを労ってくださる水浦神父様が、それを察して昨年のうちから、
「岡本さん、来年楠原教会の献堂100周年の記念ミサがあるので、一緒に行きましょう。日程が
決まったら知らせますからね…。」と声をかけて頂き、願ってもないチャンスに「万難を排して
参加する」ことを心に決めていました。
今年になって提示された予定日は、高岡万葉まつりと重なっていましたが、1日のずれがあったので、
高岡は初日に朗唱の出演をして帰宅、翌日「五島列島巡礼の旅」に出発しました。
私の五島の旅はいつも福江島の三井楽町の「万葉イベント」が目的でしたので、今回水浦神父様と
旅した「巡礼の旅」は、今までと違った角度で「五島列島」を学ぶことができ、かくれきりしたん
の里として、迫害を受けたり棄教を迫られる中、教会や史跡を通して信仰を貫き通した先人の
生きざまにあらためて感銘を受けました。
先日の万葉講演のヒントとなったことも多くありました。
そして、水浦神父様のご出身の水ノ浦教会の教区の楠原地区に念願の教会堂が建てられて
100年ということで、献堂の感謝のミサが捧げられました。長崎から司教様も参列され、
いつもは静かであろう教会の周辺は、信徒、訪問者、私たちのような巡礼者で大賑わいでした。
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折しも台風23号が通過し、24号が到来する間の「佳き日」でした。
奈良女の後輩、洗川さんのご家族も楠原教会の信者さんでした。
この巡礼の旅があって、その後、1か月後に「三井楽町」へ伺えたことが、私には本当に
偶然ではないようなお恵みを感じております。
「初めての巡礼の旅」に導いてくださった水浦神父様に心から感謝を申し上げたいと思います。
同行の仁川教会の信者さんとお親しくなれたことも幸いでした。
その仁川教会のご厚意で、信者以外には使用することのできない、仁川学院のコルベ講堂で
大岡美佐さんが、コンサートを予定しています。
素晴らしいパイプオルガンがありますので、私のオルガンの師である尼子愛子先生に演奏を
お願い致しました。
多くのご協力を得ながらコンサートを開催できますことを感謝しております。
この機会をもって、彼女は万葉うたがたり会から脱会することになりました。
この会場、場所を提供できたことが、結果的に私の最大のはなむけとなりました。
数年間、万葉うたがたり会の歌姫として皆様に可愛がって頂きましたことに御礼を申し上げ、
「私の聖地」で素晴らしい足跡を残されることを念じております。

魅力がいっぱい、三井楽町。

ブログの記事もなかなか時系列で書けないのですが、FBに「三井楽万葉まつり」に
ついて写真中心にご報告しましたので、ブログでもう少し書き加えます。
三井楽町は平成17年の市町村合併まで、福江島の中でも独自に「西の果ての万葉の里」
として地元発信を努力しながら続けて来られました。
万葉ファンの誘致をはじめ、施設や環境作りにも取り組まれ、犬養先生の揮毫歌碑建立や
遣唐使ふるさと館の建設、地ビール産業など、平成の時代とともに地道な努力が実を結び、
有数の万葉故地として、しっかりと定着しました。
私たちも万葉うたがたりコンサートを3回させていただいています。
しかし、合併により五島市となってからは、市の一部地域となり、今までのような独自で
個性的な活動ができなくなったばかりか、経済的な負担の精算などで、町の活気が失せて
行きました。平成20年に私が個人的に訪れた時には、遣唐使ふるさと館は「道の駅」と
呼ばれ、お土産ものであふれていた棚が半分くらい空っぽで、その代わりに福江港の
ターミナルが玄関口として、大変立派になっていたことを思い出します。
今年の夏頃に、かつて役場で中心になって町づくりを果たされた谷川さんから連絡を頂き、
五島市となってから、三井楽町は「万葉まつり」として参加しておられた2月の「椿まつり」
も市の方針で、今後行事がなくなるかも…ということに対して、妥協しながらやってこられた
行事がいよいよなくなってしまうことの危機感と、もう一度地元の活性のためにも
私たちのような全国に広がる万葉ファンの協力を仰ぎながら、再び三井楽町の有志を中心に
がんばっていこうとしています…と伺いました。
そこで私には急遽11月に行うことになった「万葉まつり」の講演者を推薦してほしいという
依頼でした。
私も候補の一人ではありましたが(笑)、急な行事の決定で、秋の行楽シーズンは既に
予定の詰まった人ばかりでした。私も打診された2日間の予定では無理だったのですが、
17日だけなら…と16日に深夜便の博多からのフェリーでならば、17日の出演は可能と
言うことを申し上げていましたら、白羽の矢が…それでチャンスを頂いたわけです。
講演内容には「いつも皆が聞いて知っているような話(荒雄かな)ではなく、これからの
三井楽町のためにヒントとなるような話などを中心に…」とご希望がありました。
内容はずいぶん自身で検討しました。
結果、私の話が皆様にどのように伝わったかは気になるところですが、反対に朝から
予定されたプログラムは、子供たち中心に作られていましたが、それぞれになかなか
レベルが高く、おそらく地元では子供たちにしっかりとふるさと教育が行われている
のだと言う実感を持ちました。
その潜在力を如何に育て生かすかがこれからだと思いますし、並行して、地ビールに
替わる焼酎生産や、電気自動車のレンタルや、しまとく通貨という金券サービスなど、
五島市の新たな取り組みに、三井楽町も対応して、環境・設備面でも変化を遂げようと
しておられる途上であることを垣間見ました。人も環境も整いつつあります。
私自身がこの機会を楽しみにしていたこともありましたが、4年前に訪れた時からは
明らかににぎわいがありましたし、みいらくの遣唐使ふるさと館は「五島市」の象徴で
ある!という言葉をもれ伺い、あらためて心強く思ったことでした。
遣唐使の寄港地、万葉歌の荒雄伝説、五島の椿、そして極めつけは天智天皇の「むべ」
でしたね。
きりしたんの隠れ里として有名ですが、古代からの歴史がいっぱい刻まれた、やはり
ここは「万葉のふるさと」でした!!!
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2014年度版「猪名川万葉植物園だより」カレンダーに寄せて

つらつら椿株式会社で制作致しております、万葉花カレンダー「猪名川万葉植物園だより」
も今年で4刷目の2014年版ができあがりました。
このカレンダーの制作を思い立ったのは、それまで20余年の長きにわたってお親しく
して頂いていた、山口県下松市の万葉花写真家の岡田憲佳さんが、毎年素晴らしい
「万葉花カレンダー」を制作しておられました。
私もカレンダーに限らず、絵葉書や万葉花を網羅した文庫本や、岡田作品が大好きでした.
「岡本さん、万葉花の撮影は自然光で、朝にだけ撮影するのですよ。」と、自然に咲く
花の美しさや表情を、自然のままに撮り続けることにこだわっておられました。
そして私はいつものように、「岡田さん、今年のカレンダーはいつできあがりますか?」と
お尋ねしたのが3年前です。
お電話の向こうで「岡本さん、もう高齢になってしまって、今年から作るのをやめました。」
とのお返事にはしばし絶句しました。
その後、今年5月にご逝去の報が届き、何とも言えない寂しさがございました。
「万葉カレンダー」がもうないのだというショックと、私も毎年岡田作品を自分の作品の
ように自慢げにご紹介をしていましたので、それを楽しみにしてくださっている方々からの
お問い合わせもありました。
それが「TSUBAICHI猪名川万葉植物園だより」の制作を思い立ったきっかけです。
岡田憲佳さんのカレンダーは、もはや「芸術写真、作品」でしたが、私は恩師犬養孝先生の
ご功績のひとつである『万葉集』を身近に広めることが、万葉カレンダーの魅力、
発信力でもあったと思っておりましたので、なんとかならないものかと思いました。
幸運なことに、大先輩でいらっしゃいますが、同じ犬養先生の門下である、木田隆夫さんが、
定年退職されたのち、自宅の山林に万葉植物を植栽され、今では100種類以上の
万葉植物を愛情を注ぎながら育てておられますが、四季折々楽しめる万葉植物園として、
私たちにも公開してくださっていました。
ひょっとして万葉歌に関わる草木花を猪名川万葉植物園のご協力でご紹介できるのでは・・・と
私が手探りで制作をさせて頂いてからはや4年目となりました。
写真家でもあり、自ら印刷会社を経営しておられた岡田憲佳さんの「カレンダー」には
はるか及ばないものですが、万葉花を愛する私たちの思いを託した、また万葉歌で、
古代人が植物に寄せて詠った心情を少しでも理解して頂けるのではないかとこだわりを
持って作らせて頂いたカレンダーです。
岡田憲佳さんが亡くなられた今、「万葉発信」の遺志を引き継がせて頂いているという
自負を持って、あらためて感謝と追悼の意を申し述べたいと思います。
「岡田さん、ありがとうございました。」
そして一人でも多くの方々に一年を通じて楽しんで頂ける万葉グッズとして
お求め頂ければ、幸いに存じます。
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こだわりの「椿」の表紙は、友人の朝熊純一さんが書いて下さいました。
多くの方々のご協力、愛情のつまった作品ができあがりました。