犬養孝先生の万葉歌碑を訪ねて・・・その4

立ちて思ひ 居てもそ念ふ くれなゐの 赤裳裾引き 去にし姿を
(巻11の2550/作者未詳)

4qn03c0b阪神淡路大震災から早くも20年を経た2015年。震災のあった1995年1月17日の翌日に明日香村で除幕式の行われた万葉歌碑がこれである。当時のふれこみでは100基目という記念すべき節目の歌碑と言うことだったが、後に104期目であることがわかった。

除幕式は予定どおり現地で行われることを確認された山内英正さんが、地震でご自宅が全壊し、放心状態でいらっしゃった犬養先生のもとに背広姿で現れた。ちょうど先生の安否を確認に来ていた私と出くわし、反対する私と家人を押し切って、しぶる犬養先生を連れ出し、除幕式に出かけられたが、除幕式は終わったあとだった。あとの祝賀会には間に合われて、無事を祝し大歓迎を受けられたが、あとで先生に伺うと、当日のことは全く記憶に残っておられなかった。

高松塚の壁画ではないが、女人像を思わせる赤い裳裾姿の娘子への思いを詠ったこの万葉歌。タイミングよく、つい先日「万葉のあかり」で地元の活性化に尽力しておられる岡大字の方から、犬養万葉記念館に提供して頂いた立派な万葉灯篭に書かれていた歌が偶然この歌だった。灯篭を見ながら、20年前のあの日のことを思い出さずにはいられない。

 

母の偉業に拍手!

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3月16日は母の満83歳の誕生日を迎える。直近でもある6日、初金の御ミサに一緒に出かけた。
その時に何げなく、「やっと聖書の臨書(写し書き)が終わったの。生きているうちに間に合うかどうかと思ってたけど…。」
と言ったので、びっくり。
もちろん私も母が細々と毎日少しずつつ書き続けていたことは知っていたが、「何年かかったの?」と聞くと、ちょうど30年だと言う。
ちょうど四旬節の今、ご復活を迎えるにはふさわしい出来事でもあった。
私など、聖書を通常読むこともなかなかできず(せず)、今では御ミサの朗読で使徒書や福音に与るのが精一杯。
まさに「さぼりキリシタン!!!」だ。(汗)
当初旧約は人の名前が多くてややこしくて・・・なんて言っていたが、書けない日もあったであろうが、30年間の時間、継続の力に感心している。
いろいろ自分の生きざまについて考えながら過ごしてきた母だが、80歳を過ぎてから、思うところも一入のようだ。
この書いたものは私が亡くなった時に一緒に処分してね…なんて言われたが、「もったいない!」と思う私。
今は一大事業を終えて、ほっとしているだろうが、「書くこと」は大事なこと。また何か見つけてね。
母の偉業に拍手!