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vol.2 〜万葉の四季を歌う〜

このたび待望の「恋歌第2集」を制作いたしました。前回の作品につきまして、お聴きくださいました皆様方には、多くのご支持をいただきましてありがとうございました。
思いがけなく阪神・淡路大震災に遭遇いたしまして、私は「生かされました」が、その折りには本当に多くの方々のお励ましやご援助を賜りまして、幸せでございました。皆様方のおかげで、今やライフワークと申し上げて憚らぬ、「万葉うたがたり」もその後、あらためて活動を再開することができましたことをご報告いたしますと共に、うれしい気持ちが更に私に第2作の制作への意欲を強くかきたててくれたような気が致しております。

 「恋歌、vol2 〜万葉の四季を歌う〜」というこのアルバムは、演奏メンバーも一新いたしまして、歌曲の全体の雰囲気も前回よりは少し個性的なものに仕上がりました。
前回に引き続きまして、題字はやはり恩師、犬養孝先生にご揮毫いただきました。そして、アルバム・ジャケットには「万葉花」の写真家でいらっしゃいます、山口県下松市在住の岡田憲佳氏にご無理をお願いいたしまして、美しくて、清らかな、万葉花のお写真をご提供いただきましたことを、心から御礼申し上げます。

 私の作品のために多くの方々がご尽力くださいました。特に、私と何度も議論を重ねながらも、終始おつき合いくださいました、佐伯準一先生には、この機会を借りまして、心より感謝申し上げます。
その他お一人ずつのお名前を書き尽くすことはできませんが、これからも、多くの方々に支えていただきます幸せをしっかりと肝に銘じまして、「万葉うたがたり」がますます精進できますように念じております。

また犬養孝先生の、偉大なる業績の足元にも及びませんが、私の作った歌を聴いて、万葉集に興味を持ってくださる方が一人でも増えますことを願いながら、これからも「万葉集」を歌い、語っていきたいと思っております。



1. もうすぐ春

滝のほとりの岩場から、萌え出たわらびの「さわらび」という響きが、新鮮である。そして、しなやかで青々とした柳の様子が美しい。雪解けの自然の息吹が目に浮かぶような春の歌。待望の早春の足音が、まるで聞こえてくるかのようだ。

2. 家持爛漫
大伴家持は「花」への憧憬の強い人で、青年時代、越中在任中に花を通して、妻を恋い、望郷の思いを多く歌に託した。教養高い人だったので、この時期の歌には中国文学の影響も強く見られる。特に色彩感が豊かで、絵画的で、個性的なこの3首は、まさに家持が咲き誇らせた「花」ではないだろうか。

3. 立山の賦
大伴家持の越中三賦の一つで、賦とは漢詩の様式をいう。文人家持の新しい歌の世界への挑戦作ともいえるが、三賦とも「山」と「川」をテーマとして、山、川、そこを流れる水の清らかさをそれぞれに歌い上げている。立山の素晴らしさを称え、まだ見ぬ人のために後世に語り告げようというこの歌の通り、立山は今も日本アルプスの象徴的な山としてそびえ立ち、多くの人から憧れられている。

4. 玉藻のテーマ
川島皇子が亡くなられたときに、妃である、迫瀬部皇女の心情を思い偲んで、忍坂部皇子(兄)が詠まれたかのごとく、ご兄妹に柿本人麻呂がこの挽歌を献呈したと言われている。人麻呂は海藻がなびきあう様子を、恋人との共寝の表現として、歌によく用いている。玉藻のさまは写実的であるが、生き生きとした愛情の表現としては、なまめかしくて、現代感覚の私たちでさえも驚かされる。あまりに艶冶で、私も意訳に限界を感じてしまった。

5. 娘に
時代はめぐっても、いつの世も変わらないのは子供への親の愛。嫁に出すことの葛藤を詠んだ、父親。永遠の処女として、生来の魅力を保ち続けてほしいと願う乳母、旅立った我が子を思い遣り、空を行く鶴の群に、羽で包み込んで、私の代わりに守ってやっておくれという母親。それぞれに愛情あふれる3首を一つの歌としてまとめた。私の娘もいつか親になったとき、親子の愛を本能的に理解できることだろう…。

6. 七夕の歌
彦星と七夕姫の中国の伝説が、通い婚で逢瀬のままならない当時の人々にとって、心情の重なり合うところが多かったせいか、万葉集中に七夕の歌が約130首ほど詠われている。超現実派歌人といわれる、山上憶良にも12首の歌があり、歌曲ではいくつかを相聞の形式にしている。題詞に「七夕の歌」が「なぬかのよのうた」と記されており、その美しい響きはますますロマンティシズムをかき立てる。

7. 天の川慕情
天上のロマン、牽牛と織女の恋を語ったこの歌は、当時の「愛する二人」にとって、どれだけ多くの共感を得たことだろうか。障害を乗り越え、手を尽くして、やっと出会えた天の川原で、玉のように美しい手を差し交わし、一夜だけでなく、幾夜も愛し合っていたいという率直で大胆な表現が、万葉集は青春の歌集といわれる所以であろう。

8. 夏の夜の夢
ぬばたまの、暗闇に包まれた夜、「月」は万葉人の生活になくてはならないものだった。神秘的な月の光は、深い憧憬と共に、恋する気持ちも月に映しだしていった。そして「天上の海に雲の波が立ち、月の船がきらめく星の林の中を、漕ぎ出していくのが見える」ファンタジックな情景や、月をまるで人のように見立てて、「月人壮子」という言葉を生み出したメルヘンの世界が万葉時代に既にあったことが興味深い。

9. 別れたくないタンゴ
遣新羅使人の任務につき、難波を出発してからの海上の旅は至難を極める。旅は今生の別れをも覚悟しなければならない。自分の着衣の下着を互いに交換し、その下着のぬくもりを通して、お互いを確認しあう。妻の下着が垢づいてきたのを見て、時間の経過と妻恋いの思いにため息をつく夫。二人で結び合った下着の紐ですもの、直接あなたにお逢いするまで、私は一人で解きましょうか、と切なく誓う妻。下着で心魂を交わしあう当時の習慣は、庶民の自然な愛情行動だったのだろう。

10. 阿騎野寒暁
皇太子でありながら、天皇にならずして亡くなった父、草壁の皇子の追慕の狩の旅、遣児軽皇子のお供をした柿本人麻呂が、宮廷歌人として、詠んだ連作がこの4首である。特に「東の…」の歌は自然現象の歴史的瞬間をとらえた歌であるが、考証された結果、朝焼けではない「かぎろひ」のたつ時刻が旧暦の11月17日と推定された。万葉集を実体験しようと大宇陀町の「かぎろひを観る会」に毎年全国から、多くの人々が集う。まだ見ぬ幽玄な輝きを求めて…。

11. いや重け吉事
万葉集巻尾4516番目の歌。積雪は豊年のしるし。「新しい年を迎えて、やわらかな雪がさんさんと降り積もるように、よい事よ重なれ、重なれ」という歌であるが、大伴家持も晩年は不遇な境遇にあった。この歌も絶望の淵から、深い祈りを込めて詠んだと思われるだけに、家持の生涯を思うとき、万葉集の最後の歌が言霊の歌で締めくくられていることは偶然だったのだろうか。

12. 船出の時に
「男子たるもの、立派な名を立てよ。後世それを伝え聞く人も、永く語り伝えてくれるように…。」若き家持は気概を込めて詠んだ。そして、私はその歌に加えて、「熱田津で船出をしようと月を待っていると、潮も満ちてきた。さあ今こそ大海へ漕ぎ出そう。」という額田王の、大変男性的で、威風堂々としたこの歌とで、人生の船出を思わずには、いられない。万葉エネルギーの力強さに満たされて、私にもまた、今日から新たな船出が待っている…。

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