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あまり「万博」には関心のない私に神様のプレゼント?
5年前からはじまった「令和の万葉大茶会」最終回のホスト地区が「明日香村」でした。初めから今回の大阪万博が視野にあったのでしょう、会場は故地「明日香村」ではなく、万博会場で開催されることとなり、外部開催はそれなりに準備に大変だったことと思います。新元号「令和」の典拠となった万葉集「梅花の宴」を茶会で再現するというこの新たな企画は、東京都狛江市開催を皮切りに2020年から始まりました。浜離宮恩賜公園でこの企画についての合意がなされ、2021年には富山県高岡市、2022年は鳥取県鳥取市国府町、2023年福岡県太宰府市、2024年宮城県多賀城市とリレー形式で開催されてきました。そしてゴールが今回でした。コンセプトとして、『万葉集』によって日本人の精神を学び、またお茶会の「茶水」は、日本の最先端技術による水素燃料電池で沸かした水を使うなどこだわりのイベントでありました。

これは、富山県高岡市の勝興寺でのお茶会の時の写真です。
さて、「2025年6月6日」は決定事項でしたが、万博会場側の告知の許可がなかなか下りず、水面下で準備が行われていたようです。それで皆さんには出演のことをお知らせできずにおりました。そしてその1週間ほど前に私に「万葉朗唱」の打診があり、それも森川村長が朗唱される歌を、私には英訳で歌ってほしいということでした。明日香村で朗唱者に私を選んでくださったことは、犬養万葉や犬養節顕彰の「顔」だからでしょう。大変光栄に思いました。実感がないうちに「英訳で」と言われ、大混乱(笑)。万葉うたがたりのキャリアから「作曲しようか?、それとも…」と瞬時に悩んだ末、英語・音楽は世界の共通語だと思い、ジョンデンバーの「カントリーロード」の替え歌で歌いました。故郷を歌う、かつて栄えた飛鳥の里を思う・・・私自身のこだわりの選択ができたと自負しています。
山口千代子先生の万葉衣装をお借りして、鵜野讃良皇女に(村長が天武天皇)大変身しています。
本日ユーチューブ公開の連絡を頂きましたので、アップいたします。

6月1日、梅雨に入る時期を心配しながら開催された植物講座ウオークでしたが、おかげさまで、さわやかで心地よい散策の一日を過ごすことができました。

このイベントの講師で、ご案内役の馬場吉久さんは、大阪大学の卒業生で学生時代から犬養孝先生の万葉旅行に来ておられました。いつしか「万葉植物」のとりこになって、多くの植物の知識を得たり、また写真を通して楽しんでおられましたが、いつしか、万葉植物博士???に。(笑)

平成12年の犬養万葉記念館開館時から、記念館独自のイベントを始めるに際し、スタートしたのがこの万葉植物野外講座です。

第1回が、平成12年(2000年)10月29日に開催された甘樫丘コース。25名の参加者がありました。その後も馬場さんの丁寧な解説と万葉朗唱。そして優しい人柄も魅力の一つとなり、先日の6月1日の第67回まで、コロナの時期以外は定期的に続けられてきました。

馬場さんのすごいところは、コースを確定するために何度も現地を歩いて下見をしてくださり、おかげで参加者には馴染の「明日香村」でも、村民しか知らないような道や、新たなコースを作成してもらって歩く「明日香村」はいつも新たな発見がある植物講座です。

今回も馬場さん曰く「50年飛鳥を歩いてきたけど、初めて案内した道だ」とおっしゃっていました。

目の前の植物をみんなで見て、知識や感想を言い合うのも楽しいひととき。そして今回は明日香村から橿原市にまたがる香久山の麓を歩きました。

参加者ももちろん初めての方もありますが、長年の常連のファンもあり、今回は24名で歩きました。

「らくいち」でお買い物したり、ソフトクリームを食べたり・・・と個々に過ごしたのち解散しました。

私は気持ちの良い日だったので、帰りはバスで移動せず、明日香村プロガイドの岡本さんと、万葉すみれの会の篠原さんと3人でまず甘樫丘の川原展望台に上り、豊浦を通り和田池のそばを通って、橿原神宮前へ。「お疲れさまでした!」わたし、終日で26000歩歩いていました!!!

次回の植物講座は9月を予定しています。ご参加の皆様ありがとうございました。

 

 

万葉植物野外講座

日 時:6月1日(日)

集 合:10時10分 (出発10時15分)飛鳥資料館(バス停付近)

コース:飛鳥資料館前―明日香奥山―香具山山麓―奈良文化財研究所 周辺(昼食)―明日香小山―雷丘―甘樫橋(午後3時頃解散)

会 費:無料

持参品:弁当・飲料・雨具・その他

申 込:お問い合わせフォームより事前申込が必要

※集合の際は、かめバスの「橿原神宮東口から飛鳥資料館」までが便利です。
(近鉄 橿原神宮前駅東口乗車 9時51分発 → 明日香村奥山・資料館西降車 10時01分着)

 

 

令和6年11月16日(土)キトラ古墳壁画館四神の館で行われた、国営飛鳥歴史公園開園50周年記念 万葉うたがたりコンサート「大和の国と韓国と」を、YouTubeからお楽しみください!
作曲・編曲 岡本三千代(キーボード) 歌唱は、万葉うたがたり会 上未歩(ボーカル) 園田知子(ボーカル) 村田道代(ヴァイオリン)
※:画像の手振れ、雑音はご容赦ください。

少しだけ

花ごよみ ~秋バージョン~

からに島

我が鞆の浦

言霊の幸はふ国へ

海のシルクロード

おきその風

明日香風

犬養万葉記念館
『万葉集』を日本国中に普及させた文化功労者、犬養孝先生(1907~1998)を顕彰した展示館です。昭和30年に阪合村、高市村、飛鳥村が合併した時に、万葉仮名「明日香」の「明日香村」を提案された名付け親でもあります。建物は大正15年南都銀行高市郡岡支店としてオープンした建物を改装して平成12年4月1日にオープンしました。

高岡万葉まつり
富山県高岡市は、古代の越中国。万葉歌人の大伴家持が国司として赴任していた時に、数多くの歌を詠み万葉集中の越中歌壇として有名な場所。犬養先生の「朗唱」が世間で定着し、万葉まつりで万葉集全20巻朗唱の会という、三日三晩続く壮大なイベントが始まり、今年でもう20回目を迎える!毎年、万葉歌手「岡本三千代」と紹介される私!(汗)

高岡市万葉歴史館
富山県高岡市にある日本一の万葉集に関する資料館。万葉関連の書物・論文は国立国会図書館以上。初代名誉館長は、恩師犬養孝先生だった。庭園もすばらしく、立山を臨み、喫茶コーナーでは、あたたかいおもてなしと、可憐な一輪の花に心がなごむ。

因幡万葉歴史館
鳥取市国府町にある万葉歴史館。
今年もヤカタノオオキミの講座があります。

「西の果て」万葉の里~五島・三井楽~
今は、残念ながら道の駅となりました。三井楽町は、遣唐使ふるさと館」を建設して、福江島を誇る古代史の発信基地であったのですが、五島市へ市町村合併されてから、輝きを奪われ、現在の観光情報では、福江島の三井楽地区で希少なレストランとして紹介されています。
無念ですね。「夢よ、もう一度!」

交野が原万葉学級
岡本三千代の講座です。2016年4月からスタートしました。 交野市の「逢合橋」の歌碑揮毫のご縁を得て、何か地元でわたしにできることがないかしら・・・と「万葉講座」の機会を切望しておりました。 交野市に軸をおいていますが、隣接した枚方市の方がアクセスも良いので、枚方市市民会館の1室で「交野ケ原」万葉学級として、開講しています。 みなさんとっても熱心にご参加くださり、講座後は会食も一緒です。

河内家菊水丸さん
音楽サロンTSUBAICHIで「河内音頭を聴く会」が実現し、踊る楽しみとはまた違った、菊水丸さんの「語り」の世界を堪能させて頂く機会を得ました。3回目の今年2013年は、8月30日(金)に夜の7時からですが、「去りゆく夏を惜しんで…」と菊水丸さんからお題を頂き、大手術のあとの「夏本番」を元気に乗り切って頂きたいものです。

三輪恵比須神社
桜井市三輪にある、古代最古の商売の神様で「日本最初市場の神」とも呼ばれて、売り買い商業などあらゆる産業の守護神として信仰されてきた神社です。大神神社という大和一の宮が有名すぎて、地元の住人の生活に密着して大事にされてきた古いお社ですが、住人の高齢化も伴い、人の行き来や賑わいが薄れてきたようです。危機感を持たれた有志のご婦人や、着任されてまもない竹内宮司さんらの熱意に共感して、私も昨年から「万葉講座」を持たせて頂いたり、「ふくみみ福ちゃん」の協力を得て、「TSUBAICHI市」を開催したり…と、ふるさと再考を促すきっかけ作りにいそしんでおります。これは、竹内さんのホームページです。

猪名川萬葉植物園の四季
犬養孝先生の門下生は多彩です。オーナーの木田隆夫さんは、サラリーマン生活を終えられた、定年後にご自宅の裏山と畑に、万葉集に関連する草木花を植栽されはじめ、今や押しも押されぬ私設万葉植物園として、万葉ファンに人気のスポットを提供しておられます。四季折々を即座に楽しめるブログができました。

毎日カルチャースペシャル(MBSラジオウオーク)
2012年は、3月20日に日程が変更しました。30年ぶりのリニューアルです。地図を担当されていたたまづさ(旧ウオーク万葉)も今回から撤退、私たち万葉うたがたり会も出演見送りとなり、番組の形が変わりつつあることを実感します。犬養先生や、扇野聖史さん、松田一二さんの遺志を引き継ぐべく、このイベントを一般参加しながら見守っていきたいと思います。

遊劇体
パンダ王(大熊ねこ)の住まい?する演劇集団。

 

暑中お見舞い申し上げます。

4月に平城京のいざない館で開催された「アートと万葉歌の出逢い」万葉植物ボタニカルアート展が、巡回展示されることになり、7月16日から8月28日まで長野県安曇野市「国営アルプスあづみの公園」でただいま開催されています。

北アルプス、穂高の麓の安曇野の三郷には、母の義妹の実家があり、平成13年に叔母が亡くなってからは墓参を兼ねて、母や家族と共に2度ほど訪ねたことがありました。その後妹さんが一人で旧家とお墓を守ってこられましたが、叔母が亡くなったころからすでに失明状態で、時々出していた「昼下がり通信」も全く読めなくなったと聞き、コロナ禍を挟んで消息不通になっていましたので、このチャンスを神様に感謝しつつ、早くから予定を立てておりました。ところが間際になってから父の救急搬送や、高岡の動画朗唱準備や、体調不良(ぎっくり腰)などあらたな案件が加わり、かなりタイトなスケジュールな毎日に、ひょっとして信州行きは無理ではないかと内心あきらめムードもありました。背中を押してくれたのは、弟夫婦の支えと犬養先生の「今しかできないことをやりなさい」の言葉でありました。20日から2泊3日の旅。

明日香村の国営公園も地区が分散していますが、それぞれ管理整備は素晴らしく、今日、明日香村を訪問され、飛鳥に感動されるイメージを支えているのは、甘樫丘であり、石舞台であり、高松塚であり、キトラ古墳であり、公園財団の管理、整備のおかげであると言っても過言ではないように思います。日本の公園文化の中で特に歴史的に価値ある飛鳥、平城京も含めての奈良県をはじめ、そして安曇野は北アルプスの素晴らしい自然の保全と活用を今回見て、これからもまさに自然環境の番人であってほしいと強く思ったことでした。

さて、ボタニカルアート会場は、「あづみの学校」と言う木造で、奥には地元の古民家をそのまま模造して民俗博物館的なコーナーもあり、雰囲気のある建物の中でした。また八角?に設計された多目的展示コーナーに整然と展示された様は素晴らしく、作品の大きさの違いがあったり、いざない館では所狭しと展示された感がありましたが、とてもよい展示風景が広がっていました。訪れる人がこの特別展に気づいてくださるように、もう少ししっかり案内表示をしてほしいと思いました。

会いたかった滋子さんは独り暮らしで目が不自由な上に、ほぼ寝たきりの生活をされており、叔母が68歳で逝去しましたが、6歳違いという妹の滋子さんが82歳になっておられ、時の流れを残酷に感じました。旧家の一族が近所におられるので、助けられながらの日々だそうです。ずっと以前の便りでは「三千代ちゃん、裏木戸をたたく音がするから見に行くと熊が来てたの。怖かったわ」などと、自然の共生に驚きもしましたが、それから、10数年、旧家の娘として、家、お墓を守ることからたった一人でずっと生活を続けておられることに胸が痛くなりました。叔母のお墓は実家の坂道を上ったリンゴ畑の一角にあります。後ろ髪をひかれながら退出した後、一人でお参りしました。お花も手向けずごめんなさい。

私の最初のミッションは果たせました。安曇野は本当にいいところです。地球温暖化で、公園内も雪も積もらなくなったそうです。(以前は30センチくらい積もってたらしい)。信州りんごの産地ですが、温暖化で、桃・ぶどうなど生産の果樹の種類も増えたとか。地元を流れるからす川にはニジマスと信州サーモンが泳いでいました。地元ならではの七夕の釣りびなや、落雷から身を守る石窟など、あづみの学校の学びは楽しかったです。(まさに飛鳥の里山クラブですね。)ボタニカルアート展の盛会をお祈りしています。

 

2年前の今頃、久しぶりに犬養万葉記念館主催の万葉野外植物講座に参加した。半日飛鳥をめぐって馬場さんが「5月は白い花が多いですね」と言われたように、そのときの印象がずっと頭に残っていて、以来私の講座のキャッチフレーズにも「5月は白い花」というテーマでいろんな機会にお話をさせて頂いている。そして私が制作している万葉花カレンダーも意識して今年は5月にうまら、6月にていかかずら(いはつな)を配した。6月の講座ではていかかずら=いはつなを紹介する。
先日、FBでカミングアウトしたが、整形外科へのリハビリはいまだに続いており、相変わらず毎回違う道を自転車で散策しながら通院するのはなかなか楽しい時間でもある。そして、そして見つけたのだ! すごい迫力のていかかずら屋敷を!!! お花に出会ってから病院との往復に何度か行き来するうちにどうしても写真に収めたくなり、花の盛りも時を重ねて変化していく。私は意を決して昨日、ピンポ~ンと初めてのお宅に伺い、インターホン越しに「どなたですか?」「怪しいものです」との吉本新喜劇のようなやり取りで、恐る恐る出てこられたご婦人に「すごい迫力のていかかづらですね、あまりに素晴らしいので写真を撮らせて頂いてもいいですか? 私は万葉集講座で来月この花の歌を取り上げますので・・・」と申し上げると、快諾してくださっただけではなく思いがけない言葉が・・・。「万葉集といえば私、教養学部で犬養先生のお話を伺ったことがありますのよ。」と犬養先生のお名前が出たのだ。ご婦人は大阪大学の卒業生。そしてお年ごろからすると、私より上であろうと思われるので、阪大マドンナ時代かも。しかしこんな身近なところにも犬養先生のご縁があったなんて。感慨に浸りながら写真を数枚とらせていただいた。(私の停めた自転車も、不覚!)

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そして、もう一つのアカデミックなステイホームをご紹介すると、
講座のグループ、交野万葉学級は大所帯であるが、会員がライン登録でまとまっていて、連絡や情報共有が大変有効に活用されている。私の個人的趣味、興味で、「白い花見つけたプロジェクト」と称して、みなさんの自宅、お庭、公園、身近な場所で「白い花」を見つけたら共有ラインでアップしましょうということで、現在「和、洋、雑草」問わず白い花を見つけてはアップするという楽しい試みを始めている。会員の皆さんも「目的」を持って歩くことと、積極的に楽しく「白い花を探す」ことの意義ある日々を送って頂いている。普段何気なく見ているものも「意識する」ことも大事だろうし、白い花たちも私たちに競って存在感を示しくくれることだろう。交野万葉学級のステイホームは素敵です!!!

 

2019年が暮れようとしています。明日香村の犬養万葉記念館も仕事納めとなった12月28日の今日、朝日新聞の夕刊に犬養孝先生の記事が掲載されました。平成の御代から新たな時代となった「令和」は、犬養先生が亡くなられて20年以上も経っており、犬養先生の没後建設された犬養万葉記念館も時を経て、「レジェンドの万葉学者、犬養孝」を伝えるために今はやむなく?!私が指定管理者として関わることとなった経緯もありますが、学習院の学生時代に修学旅行で飛鳥を訪問された浩宮徳仁皇太子を犬養先生がご案内されたことは有名ですが、その浩宮さまが新たな天皇として即位された新元号が『万葉集』から選ばれたこと、発表が4月1日の犬養先生のお誕生日だったこと、昭和39年発行の『万葉の旅』全3巻の下巻九州編の「梅花の宴」の1ページにまとめられたエッセイにはすでに「初春令月 気淑風和」の抜粋があり・・・と関連の連鎖が続きました。その後、5月からの令和時代となって「万葉ブーム」がおこり、『万葉集』に注目が集まりました。取材で犬養万葉記念館や館長の岡本が紹介されましたので、私もいくつかお話をさせて頂く機会を頂きました。しかし、秋には平凡社からの依頼で、「犬養孝と歩く万葉の旅」という新たな本が出版され、西宮市からは「レジェンドの万葉学者犬養孝を語る」というラジオ番組(さくらFM)で犬養先生を取り上げて頂きました。そして思いがけなく1月3日には全国放送のTBSラジオの朝の番組で壇れいさんのコーナーで犬養先生を紹介してくださるということで、打ち合わせも終わった年末、朝日新聞のスクープ記事です。犬養先生のたましひは不滅であることをまさに実感させられた思いです。(12月28日記)

 

 

平成十年夏、まほろばの会などで黛敏郎さんや犬養先生とともに講演活動を行ったり、公私ともに親しくされていた高田好胤さんが逝去された。横浜一中(神中)時代の教え子だった黛さんを前年に見送られた上、すでに心身ともに弱っておられた犬養先生がよりショックを受けられるのでは・・・と話題にするどころか、私たちは翌日の朝刊も隠して何事もなかったかのように時をやり過ごした。 ・・・つもりだったが、一ヶ月以上も経ってから「好胤さんも亡くなってしまったね」とポツンとおっしゃったのを聞いて、驚くよりより先生の悲しみの深さを知った。
その秋、入・退院されたり、自宅でもベッドの生活となられた。先生の体調が日々不安定な中、例年ならば私は犬養先生に随行して出かける富山県高岡市の万葉まつりだったが、一人で参加することとなった。出発前日に病床の犬養先生を訪ね、耳元で出かけることを伝えて心を残しての出立だったが、あとで家人の方が、亡くなられる直前まで「今、オカモが高岡に行ってますよ」との呼びかけに反応されたと聞いた。きっと最後まで心は万葉故地に向いておられたのだろう。忘れもしない、万葉まつりの二日目の午後一時半、私は高岡市万葉歴史館の屋上庭園で犬養先生の「立山の賦」の歌碑を見ていた。犬養邸から着信が入り万事休す。犬養門下では示し合わせて万葉まつりが終るまで公表しないことで平静を保っていたが、夜の「故地交流会」の会食中に、訃報を知られた中西進先生が公表され、会場中に重苦しい空気が流れた。私は万葉まつりが終わるなり帰宅し犬養先生と対面した。熊本五高の浴衣姿で床についておられた先生に、最後の最期まで付き添えなかったことを思うと今でも残念でならないが、私が高岡に行ったことを先生は喜んでくださっていたのだと信じている。そして、通夜の日、十月五日はなんと明日香村では中秋の観月会の日だった。教え子の何人かは、先生とのお別れは飛鳥で・・・と通夜・葬儀には参列せずに飛鳥で月を臨みながら犬養先生を偲ばれた。あまりにドラマチックだったが、犬養先生を送り、偲ぶにはもっともふさわしいような気がした。
昨日は、平成30年10月3日。ご自宅でもお祀りなさっていた。私たちの犬養先生は永遠です・・・。

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明日香村の森川裕一村長が就任されてから、7年目という。来秋にははや第3期目となる村長選挙があるそうだ。時間の経過は無情なほど早い。犬養先生のご縁で歴代の村長にお目にかかっているが、特に関義清前村長には、私が晩年の犬養先生に随行して行動していたことに加えて、犬養万葉顕彰会で「記念館建設」や、村内の犬養歌碑の建立などの諸案件にもオフィシャルな交流があり、長いご縁から今でも個人的にお親しくしていただいている。

森川村長とは面識もなく、犬養万葉記念館が閉館するかもしれないという情報を得て、驚いた私たちは、犬養万葉顕彰会の役員がそろって抗議と、説明を求めて2013年冬に明日香村に申し入れをした。その時にお目にかかったのが最初である。その時の森川村長の明日香村の村づくり構想のご説明は大変納得のできるもので、村長見解としては、犬養万葉記念館はなくてはならない、使命を持った館なのだとご説明を頂き、記念館存続のための努力を求められた私たちは、大いに共鳴をし、ある意味では戸惑いを感じながら、退席したことを思い出す。その時の押しかけで森川村長には「犬養先生」に対する意識が特に強まられたのではないかと思っている。そして翌年3月、「私」に晴天の霹靂でもあった記念館の指定管理者としての打診がはじまった。村長となられて2年目のことだ。

記念館についてもアートビレッジ会場として使用してくださったり、来春は飛鳥のアーチストの展覧会「匠の会」の開催など、明日香村の公的な行事にも活用してくださるようになり、記念館運営の側面協力もあり、私たちは民間サービスの立場でそれらにふさわしい対応ができるように努力しているつもりだ。そして村長がこの館の意義を熱く語ってくださったときのような、記念館のあるべき役割を果たし、しっかり存在意義を発信していきたいと思っている。

私も年1回この時期に開かれる村政報告会に参加するようになって、今回で3回目である。そして、ゲスト講演に漫画家里中満智子さんが登場された。
里中さんのお話の中で、「飛鳥ブランド」についての言及があったが、みんな客観的な立場の者が思う「宝のもちぐされ」的課題である。たまたま最近世間をにぎわせたパワハラ問題も村長がある意味「飛鳥」であるがための注目事案となったことを残念だと語られたが、よくも悪しくも「飛鳥」は日本の明日香村なのだ。
時代の変化とともに、世代交代をはじめ、役場の新築・移転や、住宅開発・誘致、教育内容のレベルアップなどすべての面で明日香村も節目の時期を迎えておられる。問題は山積みだ。
森川村長のビジョンが実現するように、役場に従事する方の奮起を求める一方、明日香村民の理解と協力を大いに期待している。
報告会の後、里中さんとお目にかかれた。お忙しくて、今年生誕1300年記念にと依頼を受けた「大伴家持」を執筆される予定が大幅に遅れて焦っておられるそうだ。今年で70歳を迎えられると聞き、変わらぬ女性らしさとおだやかさの中に、どこにあれだけの作品群を描かれるパワーが潜んでいるのだろうと、私には少し励みになった。

森川村長の知恵・人脈・行動力がうまく発揮されることを願っている。