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令和元年(2019)年11月17日、思いがけず壱岐市万葉公園開園50周年記念イベントにお招きいただいたことがご縁になりました。
よって高校野球選抜21世紀枠で出場された壱岐高校が身近です。
部員全員が島出身者。島内中学生の3割が野球部員という「島民的スポーツ」の一つだそうです。
選手の誰かが、この万葉公園で走りこんだり、トレーニングしてるかも・・・。思い出もご紹介しておきます。

私は本当にかけがえのない経験をさせていただいた幸運に心から感謝しかありません。それも犬養先生のおかげです。

 


あと5日で忌まわしい能登大地震からはや、1年が経ちます。
「がんばれ能登」カレンダーのエールを通して、共有していきたい思いは、多くの方々の共感を得、販売から1か月もしない間に完売となりました。ありがたいことでした。しかし引き続きのご注文に100部増刷し、それもほぼ販売終了が近づきました。予定通り被災地の皆さんへと、配布をお任せしたところ、和倉では現在仮設商店街となった一本杉商店街にまず30部配布されたことを新聞に取り上げてくださり、現地の大井さんから報告がてら送ってくださいました。
私たちのことは恐縮の極みです。やはり犬養先生の故地ネットワークと歌碑パワーのおかげです。目的は能登の方々に明るい未来、予定が書きこまれることを願い作りましたが、12か月の中の犬養歌碑建立地の方々が、能登へ発信されたことを意気に感じてくださり、それぞれの地元でも積極的にカレンダーをお求め頂いたことはうれしい誤算でした。
私ももうすぐ30年目の1月17日を迎えます。能登のこれからの30年後はどうなっているだろうか、復興の進まぬ報道を見ながら心痛める日々です。
「がんばれ能登」カレンダーを作って良かった!と思います。そして皆様のご厚情を心より感謝申し上げます。

犬養先生から「歌は心の音楽。万葉びとのように一緒に歌う」ことを教わり、学生時代は犬養節でした。お薦めを受けてからは「いにしえ人の心をメロディに載せて・・・」と、自らの旋律で『万葉集』を歌ってまいりました。歌うことは伝えること。これらのCDではもう一歩踏み出して、万葉歌の豊かな心、人や故地との出逢い、みんなで歌うことの楽しさをあらためて発信したい作品となっています。

一覧でご覧いただいております通り、ジャケット写真の下にCDタイトル、挿入曲名、価格(税込み)を表記しております。
購入ご希望の方は、ホームページ右上の検索マーク右「三」をクリックして表示されたメニューの最後にある「お問い合わせ」フォームより、お客様のお名前、メールアドレス、題名には「CD購入希望」など、メッセージ本文にご希望のCDタイトル(Vol.?で結構です)と必要数、送付先の郵便番号、住所、電話番号を記載し「送信」ボタンを押してください。

ご注文を確認させていただきましたら、その旨メールを返信させていただきます。
商品送付は商品数によりますが、郵便局のスマートレター・レターパック・ゆうパケットを利用します。
お支払いは、商品代+送料実費を、指定しますゆうちょ口座振込、もしくは同封します郵便振替用紙にてお近くのゆうちょATMからのお振込みをお願いしており、その旨商品の発送とともにお支払い方法を同封させていただいております。

みなさまからのご注文をお待ち申し上げております。

犬養万葉記念館の入口に建っている、犬養先生揮毫の「萬葉は青春のいのち」と、岡本が結婚したときに犬養先生からお祝いで頂戴したアルバムに揮毫されていた「祝婚歌(巻13-3317)の2種類です。どちらも200円。

購入ご希望の方は、ホームページ右上の検索マーク右「三」をクリックして表示されたメニューの最後にある「お問い合わせ」フォームより、お客様のお名前、メールアドレス、題名には「購入希望」など、メッセージ本文にご希望の本のタイトル(萬葉は青春のいのち or 祝婚歌)と必要数、送付先の郵便番号、住所、電話番号を記載し「送信」ボタンを押してください。

ご注文を確認させていただきましたら、その旨メールを返信させていただきます。
商品送付は商品数によりますが、郵便局の普通郵便・レターパック・ゆうパケットを利用します。
お支払いは、商品代+送料実費を、指定しますゆうちょ口座振込、もしくは同封します郵便振替用紙にてお近くのゆうちょATMからのお振込みをお願いしており、その旨商品の発送とともにお支払い方法を同封させていただいております。

みなさまからのご注文をお待ち申し上げております。

 

全国に141基ある犬養万葉歌碑も、時代と共に状況が変化し、移転したり、所有者が変わったり、時には歌碑が行方不明になったこともあり、建立された場所、状況が永遠ではないことは、今までも何か所か経験がある。このたび確認のために出かけたのは長野県の千曲市の戸倉上山田温泉の温泉旅館、佐久屋さんの跡地だった。ご主人の小林さんご夫妻そろっての犬養ファンで、私も東京の会合では必ずお目にかかっていた。東歌の「信濃なる千曲川の細石も君し踏みてば玉と拾はむ」は、犬養先生のおかげで一躍「有名歌」となった。著書『万葉の旅』執筆の頃から、付近をくまなく踏査され、万葉の旅では学生をはじめ多くの人々を引率して河川敷を案内された。佐久屋さんとのご縁のきっかけも想像できる。佐久屋さんは宿の入り口に念願の犬養先生揮毫の碑を昭和61年に建立された。平成19年、犬養先生生誕100年記念イベントで犬養万葉顕彰会(会長;岡本)で東国万葉旅行を行った時に、80名全館貸し切りで、宿泊させていただいたが、今や貴重な思い出となった。

その後、温泉街の親睦バス旅行なども減り、上山田温泉も人が遠のいていったが、川沿いの土手に千曲川万葉公園があり、そこには、昭和60年に町おこしのために文学碑を数多く建て、整備拡充事業を行った時に作られた公園で、犬養先生は千曲川の中州を思わせる「中麻奈」を詠んだ、やはり信濃の東歌の歌碑を揮毫されている。佐久屋さんの後継者問題もあり、ついに廃業が決まり、宿の歌碑は万葉公園に寄贈、移設された。2年前の大雨の千曲川の決壊で万葉公園も心配されたが、無事で何よりだった。

エレベーター

今回もう一つの懸案は、佐久屋さんの女性風呂のタイル壁面にはめ込まれた「試し彫り」の碑の行方だった。旅館は手放された後、不動産屋さんの手によってリノベーションされ、客室を利用したマンションに変身していた。一見建物は変わらず、お風呂はどのようにリニューアルされ、そして「試し彫り碑」は残っているのかというのが今回のミッションだった。

ありがたいことにお風呂は改築工事の範囲から外れており、手つかずの倉庫のようになって残っていた。不動産屋さんの社長立ち合いのもと、確認させていただいた。「あった♥」

訪問の打診から、社長さんも貴重な(マニアックな)試し彫り碑であることを知られ、今後どうされるかわからないが、女風呂から移動してもきっと大事にしてくださることだろう。所有は会社となる。

過去、木綿山歌碑、福徳銀行辰口歌碑、高師浜病院歌碑、桜井ユースホステル歌碑など、個人で建立された犬養歌碑が行き場を失って、私たち関係者たちで移設先を探したり、行政に管理してもらえるように申請をしたり、いろんなことを経験してきた。建立された以上は、終生大事に管理、手入れまで責任を持てる確約がないと・・・と私たちも犬養歌碑が増える喜びと共に、保守されることへの思いも一入だ。千曲川万葉公園に仲間入りした2基目の犬養歌碑。恩師の佐佐木信綱先生の歌碑と同じ安住の地を得たことに今は安堵している。

信州の旅、最後は千曲川万葉公園を造られた当時の町長のご自宅へ。

暑中お見舞い申し上げます。

4月に平城京のいざない館で開催された「アートと万葉歌の出逢い」万葉植物ボタニカルアート展が、巡回展示されることになり、7月16日から8月28日まで長野県安曇野市「国営アルプスあづみの公園」でただいま開催されています。

北アルプス、穂高の麓の安曇野の三郷には、母の義妹の実家があり、平成13年に叔母が亡くなってからは墓参を兼ねて、母や家族と共に2度ほど訪ねたことがありました。その後妹さんが一人で旧家とお墓を守ってこられましたが、叔母が亡くなったころからすでに失明状態で、時々出していた「昼下がり通信」も全く読めなくなったと聞き、コロナ禍を挟んで消息不通になっていましたので、このチャンスを神様に感謝しつつ、早くから予定を立てておりました。ところが間際になってから父の救急搬送や、高岡の動画朗唱準備や、体調不良(ぎっくり腰)などあらたな案件が加わり、かなりタイトなスケジュールな毎日に、ひょっとして信州行きは無理ではないかと内心あきらめムードもありました。背中を押してくれたのは、弟夫婦の支えと犬養先生の「今しかできないことをやりなさい」の言葉でありました。20日から2泊3日の旅。

明日香村の国営公園も地区が分散していますが、それぞれ管理整備は素晴らしく、今日、明日香村を訪問され、飛鳥に感動されるイメージを支えているのは、甘樫丘であり、石舞台であり、高松塚であり、キトラ古墳であり、公園財団の管理、整備のおかげであると言っても過言ではないように思います。日本の公園文化の中で特に歴史的に価値ある飛鳥、平城京も含めての奈良県をはじめ、そして安曇野は北アルプスの素晴らしい自然の保全と活用を今回見て、これからもまさに自然環境の番人であってほしいと強く思ったことでした。

さて、ボタニカルアート会場は、「あづみの学校」と言う木造で、奥には地元の古民家をそのまま模造して民俗博物館的なコーナーもあり、雰囲気のある建物の中でした。また八角?に設計された多目的展示コーナーに整然と展示された様は素晴らしく、作品の大きさの違いがあったり、いざない館では所狭しと展示された感がありましたが、とてもよい展示風景が広がっていました。訪れる人がこの特別展に気づいてくださるように、もう少ししっかり案内表示をしてほしいと思いました。

会いたかった滋子さんは独り暮らしで目が不自由な上に、ほぼ寝たきりの生活をされており、叔母が68歳で逝去しましたが、6歳違いという妹の滋子さんが82歳になっておられ、時の流れを残酷に感じました。旧家の一族が近所におられるので、助けられながらの日々だそうです。ずっと以前の便りでは「三千代ちゃん、裏木戸をたたく音がするから見に行くと熊が来てたの。怖かったわ」などと、自然の共生に驚きもしましたが、それから、10数年、旧家の娘として、家、お墓を守ることからたった一人でずっと生活を続けておられることに胸が痛くなりました。叔母のお墓は実家の坂道を上ったリンゴ畑の一角にあります。後ろ髪をひかれながら退出した後、一人でお参りしました。お花も手向けずごめんなさい。

私の最初のミッションは果たせました。安曇野は本当にいいところです。地球温暖化で、公園内も雪も積もらなくなったそうです。(以前は30センチくらい積もってたらしい)。信州りんごの産地ですが、温暖化で、桃・ぶどうなど生産の果樹の種類も増えたとか。地元を流れるからす川にはニジマスと信州サーモンが泳いでいました。地元ならではの七夕の釣りびなや、落雷から身を守る石窟など、あづみの学校の学びは楽しかったです。(まさに飛鳥の里山クラブですね。)ボタニカルアート展の盛会をお祈りしています。

 

2年前の今頃、久しぶりに犬養万葉記念館主催の万葉野外植物講座に参加した。半日飛鳥をめぐって馬場さんが「5月は白い花が多いですね」と言われたように、そのときの印象がずっと頭に残っていて、以来私の講座のキャッチフレーズにも「5月は白い花」というテーマでいろんな機会にお話をさせて頂いている。そして私が制作している万葉花カレンダーも意識して今年は5月にうまら、6月にていかかずら(いはつな)を配した。6月の講座ではていかかずら=いはつなを紹介する。
先日、FBでカミングアウトしたが、整形外科へのリハビリはいまだに続いており、相変わらず毎回違う道を自転車で散策しながら通院するのはなかなか楽しい時間でもある。そして、そして見つけたのだ! すごい迫力のていかかずら屋敷を!!! お花に出会ってから病院との往復に何度か行き来するうちにどうしても写真に収めたくなり、花の盛りも時を重ねて変化していく。私は意を決して昨日、ピンポ~ンと初めてのお宅に伺い、インターホン越しに「どなたですか?」「怪しいものです」との吉本新喜劇のようなやり取りで、恐る恐る出てこられたご婦人に「すごい迫力のていかかづらですね、あまりに素晴らしいので写真を撮らせて頂いてもいいですか? 私は万葉集講座で来月この花の歌を取り上げますので・・・」と申し上げると、快諾してくださっただけではなく思いがけない言葉が・・・。「万葉集といえば私、教養学部で犬養先生のお話を伺ったことがありますのよ。」と犬養先生のお名前が出たのだ。ご婦人は大阪大学の卒業生。そしてお年ごろからすると、私より上であろうと思われるので、阪大マドンナ時代かも。しかしこんな身近なところにも犬養先生のご縁があったなんて。感慨に浸りながら写真を数枚とらせていただいた。(私の停めた自転車も、不覚!)

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そして、もう一つのアカデミックなステイホームをご紹介すると、
講座のグループ、交野万葉学級は大所帯であるが、会員がライン登録でまとまっていて、連絡や情報共有が大変有効に活用されている。私の個人的趣味、興味で、「白い花見つけたプロジェクト」と称して、みなさんの自宅、お庭、公園、身近な場所で「白い花」を見つけたら共有ラインでアップしましょうということで、現在「和、洋、雑草」問わず白い花を見つけてはアップするという楽しい試みを始めている。会員の皆さんも「目的」を持って歩くことと、積極的に楽しく「白い花を探す」ことの意義ある日々を送って頂いている。普段何気なく見ているものも「意識する」ことも大事だろうし、白い花たちも私たちに競って存在感を示しくくれることだろう。交野万葉学級のステイホームは素敵です!!!

 

奈良には「奈良まほろばソムリエの会」という任意団体があります。奈良検定の上位合格者の方々から発展して、観光ボランティアガイドをなさったり、蘊蓄や学びを出版されたり、最強の強者ぞろいの会です。そしてこのたび、10周年を記念して出された4冊目の本は「奈良万葉の旅百首」という、私たちにはうれしい「万葉歌」の詠まれたふるさとを学び歩くためのガイドブックです。思いがけず畏れ多くも「推薦文」というか、この本にエールを送らせていただく機会を得ました。私には長年万葉の旅に欠かせない、犬養先生の『万葉の旅』というバイブルがありますが、平成16年に出版社もあらたに再版したときに、地名の変更や地図の修正もしましたが、写真は犬養先生が昭和30年代に写された今や「原風景」として貴重な写真となり、時代と共に歩くための参考書としては、経験者以外はあまり現実的ではないものになってしまいました。ですから、この本は出版にあたって60名で精鋭の会員が1ページずつ担当され、個性あふれる内容となっていることが素晴らしいと思います。そして読みやすく、わかりやすい! 何よりの本が生まれました。やはり大和、奈良の万葉故地には犬養先生の歌碑も多く、記事にも犬養先生の名が時々見られることから、きっと犬養先生に敬意を表してくださり、私に「この本」のご挨拶のご配慮をくださったのだと思います。ありがとうございました。恐縮でした。

残念ながら西宮の書店にはまだ届いておらず、私が注文中に今日奈良ソムリエの会から「謹呈本」が届きました。犬養先生がお元気でしたら「いい本ができたね!」とお喜びくださったと思います。

4月には10周年の記念祝賀会が行われますが、私も出席させて頂き、みなさんへの感謝と賛辞を表したいと思っております。


「昼下がり通信」雑感その2. 私のきまぐれで3年ぶりに投函したにも関わらず、直後にメール、電話、そしてお便りと大変多くの方々からお返事を頂きました。一方通行でもともかく発信することにこだわったのですが、私のささやかな気持ちは宛名だけは「手書き」にしたことでした。返信は、私とのお付き合いの中での関係やお人柄を改めて知る機会ともなり、私にとって幸せなプレゼントとなりました。
この閉塞した時期であったことで、「手紙」「便り」が届くというアナログなことが、結果的に良かったとも言えそうです。
犬養先生は毎日毎日、数通の手紙、はがき、その他寄贈本など、郵便物が絶えない日常でした。しかし帰宅されるなり着物に着替え、郵便物に目を通し、寄贈本でも夕食までに斜め読みなさいます。そして「その日のうちに」お返事を書かれるのです。すべての人に・・・。
 昨年末、三重県松坂市で80年前の犬養先生の書簡が多数発見されました。お相手は田邉幸雄さんとおっしゃる万葉学者でした。取材の朝日新聞社の記者は開口一番「犬養先生はお手紙を書かれる方ですか?」と聞かれ、私は「はい、マメに書かれました」と即答し、一瞬記者が発見された書簡の値打ちに絶望感を抱かれたかもしれません。(笑) それくらい日常的に犬養先生が人間関係を大事にし、礼を重んじられたお人柄がよくわかります。多い時には犬養先生に年賀状が4000枚も届きましたが、2月末までかかってすべての方にお返事を書かれました。多くの犬養ファンがそれぞれに「犬養先生から頂いたはがき、手紙」を宝物として大事にされていることをよく伺います。その様子を私はずっと傍で見てきました。そして、その時から絶対に見習おうと決めて今日まで来てしまいました。急ぎの返信でない限り、先送りしたり、出しそびれたり・・・。私はだめだ。犬養先生のように毎日郵便物が届くわけでもなく、「相手に届いたことを伝える」それだけのことが、先生が亡くなられて20年以上経っても、いまだにまだ私はできていません。わかっているのに・・・。家族は毎年「自ら年賀状も出さずによく皆さんが三千代に出してださることだ」と感心していますが本当にその通りです。
余談ですが、犬養先生はお中元、お歳暮の令状も自ら書かれていました。帰宅されて「おかもちゃん、誰から何が届いてるか教えて・・・」といつものように座卓にスタンバイ。私が「ディオールの靴下が3足です」とか、「一保堂のお茶です」と伝えると、はがきにもそのまま、「このたびはディオールの靴下をお送りくださいまして・・・」とか、「一保堂のお茶をありがとうございました」とか、伝えたそのまま品物の中身も書いてしまわれるので、「先生、そんな具体的に書かなくても・・・」と言ったことがありますが、今から思えば、送り主は中身についても「正しく届いたこと」を知られたわけですし、結果良し??? 本当に可愛げのある先生でした。そんな先生の傍で学ばせて頂いたことはいっぱいあり、できるだけ実践しているつもりですが、唯一「相手に返信する」「感謝を伝える」ことの習慣がいまだできてない、できない私です。ずっとずっと心の奥底に感じている呵責です。
 もう一つの便りの余談は自慢話。犬養先生は私が卒業してもダジャレばかりのもあれば、旅行の仲間たちとの寄せ書きだったり、折に触れお便りをくださいました。写真はステイホームで整理していた時に出てきたはがき。ハワイからの便りです。実はその時のお土産のムームーもあり、着古しましたが今も処分できないで、衣替えのたびに出してはしまって・・・を繰り返しています。もう何年繰り返しているでしょうか。
 このたびは3年ぶりの通信で、新たな方への自己紹介となったり、旧交を温めたり、また亡くなられたり、高齢で施設に入っておられたり、転居も含めていくつかの音信不通にあい、後悔の念もありました。自分で文を書く、宛名がかける間に、大好きな人たちとのやりとりを自発的にしていきたいものです。できれば、パソコンではなく手書きでできたら・・・。
犬養山、頂上はまだまだ高く険しいです!!!
メルカリ出品のようでした。(笑)
 

マンションの夏椿、「沙羅」が咲き始めました。足元にはくちなしも・・・。令和2年ももう半分が過ぎようとしています。
昨年の6月は娘の東京での「二人芝居」公演があり、応援方々観に行きました。初めての単独東京公演だという時期に、娘が体調を崩していたこともあり、気になっていたことも事実です。何事もなく無事に終えられて本当にうれしかったです。また、犬養万葉記念館では、犬養先生を支えて後継者とも目されておられた清原和義先生の命日月である6月を選んで23回忌の記念同窓会を開催させて頂き、武庫川女子大学の卒業生の方々とも交流を深められる機会ともなりました。そして、月末には壱岐島へ行くきっかけとなったクラブツーリズムのお誘いで、テレビ東京の「旅するお疲れさま」と言う旅番組の案内人にも加えて頂き、「足柄峠」へ行きました。
令和元年の6月・・・。まさに新たな時代の始動が感じられる毎日だったように思います。容赦ない時の流れを目の当たりにしながら、この「6月」からはきっと新たな展開があることでしょう。「新しい生活スタイル」というよな表現が多いですが、私は時を取り戻せたステイホームには感謝しています。スローライフは私たちが忘れかけていた?無理やり避けていた「家族」などの人間関係を見直してくれました。日々の生活の「不要不急」を精査してくれました。「日常のあたりまえのありがたさ」をより強く感じさせてくれました。原点に返ったところから、加速度を付けてダッシュですね。まさに「初恋を思うべし」
コロナウイルスを克服して前進あるのみだ!!!