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私は万葉講座の機会を頂くようになって、定期的に伺うところと、単発的にお引き受けすることもあるが、枚方の歴史を学ぶ会は、1月に講師としてお話をさせて頂き、平成27年度に新年度にあらたまってから機会を頂き、2度目の講座を持たせて頂いた。

枚方市と言うのは、私が七夕万葉歌碑でご縁を得た交野市のお隣で、「七夕伝説」に関わる行事では、交野が原の先駆けとして、町をあげていろんなイベントを行っておられる。

犬養先生はかつての万葉カルチャー講座の先鞭をつけられた方だが、枚方市もその1つに、市民会館で始められた「白バラ?万葉教室」は、婦人会の方々を対象として長く続いた、懐かしの場所と聞いていた。

「枚方市」で話をしても、ここでも犬養先生の思い出を語ってくださる方がある。

犬養先生の撒かれた種が育っている様子に、あらためて今後の自分の責任の重さを痛感する時。

「万葉時代の楽しさ・素朴さ・優しさ」をただ伝えたいだけなのです・・・。

 

全員昨年から予定していた、7月7日の交野市の七夕まつり見学は、2011年の七夕に、交野市私部西の逢合橋のたもとに、私の拙書の万葉歌碑を建立して頂きましたオカモ歌碑を見て頂こうと企画したツアーでした。そして交野市と枚方市の間を「天野川」が流れていることから、両市では「交野が原」として、平安貴族が遊んだ遊猟地として、歌碑を建立されたり、また、地元に星や天空の伝説とゆかりある地名が残っていることから、特に「七夕伝説」でふるさと作りをしておられます。その一環でオカモ歌碑のチャンスを頂きました。私は季節ごとに出掛けていますが、見たいといってくださる方があるので、ちょうど七夕の行事でにぎわっている時にと、この日を決めたわけです。

毛利さんこの日の案内役は、もちろん交野市で情熱をもってふるさと作りにかかわってこられた、毛利信二さん。博識で、また明るく軽妙な語り口に、一躍大人気でした! せっかくなので、コースを組み、枚方市にある税務大学校にある犬養先生の「石走る・・・」の歌碑からスタート。そして観音山公園の枚方市の牽牛歌碑、逢合橋のオカモ歌碑を見て、機物神社では、境内で色様々な短冊に願い事を書き、ササにくくりつけました。また、天野川緑地の歌碑見学ののち、星田妙見宮では、ちょうど湯立神事に与ることもでき、歌碑ツアーだけではなく七夕行事そのものにも参加することができました。大変貴重な機会でした。

機物神社 帰りは桓武天皇が大事にされた、百済人をまつった百済神社を最後に、暑い夏の1日でしたが、みんな元気に楽しく散策してくださったようです。ご参加本当にありがとうございました。 途中JRの七夕ウオークの方々と合流したり、 この小さな自治体で、あちこちで七夕行事。素朴な七夕まつりめぐりに子供心に還ったようでした。 皆さんもオカモ歌碑を見てくださって本当にありがとうございましたすこしかげり気味の散策日和に感謝!

逢合橋のオープニングのあと、枚方の七夕まつりも案内して頂いたのですが、
京阪電車の枚方市駅から天野川沿いに交野線の線路があります。
今日・明日のみ3本に1本、交野市のゆるきゃら「おりひめちゃん」と枚方市のゆるキャラ
「ひこぼしくん」の描かれた電車が走っているそうですが、私が見たのは通常の機関車
トーマスの電車。聞けば、車内放送もトーマス君が行っていて大人気だそうです。
私も聞きたいな…。
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この天野川沿いも七夕飾りが続き、お祭りムードを高めていました。
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この天野川に沿って枚方から交野へ広がる地域を、「交野が原」と言い、平安時代には
都人たちのリゾート地として活躍し、遊猟地として、歌も多く詠まれた名所です。
そして今は、この「天野川」を中心に枚方・交野は七夕のまちとして町づくりが盛んです。
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河川の護岸工事もきちんとなされ、立派な象徴の川ですが、枚方で淀川に注ぎ込んで
おり、下記写真は、実は関西医科大学病院の9階レストランから見た様子です。
本流(淀川)に対して、手前が天野川の河口です。
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きょうの私の収穫は、実は昼食に誘って下さった鳥居さんのご案内にあったのです。
関西医科大学は数年目に枚方市に移転してきたそうです。この広大な敷地の大学と
ホテルのような大学の付属病院は、もと最盛を極めたクラボウの敷地だったそうです。
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やはり!
入り口近い小児病棟には、願い事を短冊に書かれた笹飾りがありましたが、なんと壁面に
交野が原の七夕伝説のご紹介があり、スケッチ画の額や説明板がありました。おー!
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また病院内を進むと、連絡通路の指示が「波線」になっています。
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きわめつけは、エレベーター。
天井にオブジェのような細工があり、乗った正面の壁が鏡になっていて、「天の川」の
イメージに作ってありました。
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説明を聞きながら写真を撮ったりする私とともに乗っていた患者さんが、「知らなかった」
と一緒に感心して聞いておられました。(笑)
初代の院長が、「七夕伝説」に興味を持っておられて、「遊び心?」も通じて、枚方市に
ふさわしいイメージの病院ができたとか。
市民が行き来する施設に、こうして町づくりのエッセンスも感じられることをずいぶん
うらやましく思いました。
階上から広がる景色を楽しみながら、あらためて交野が原の地形を確認できました。
明日は、いよいよ交野七夕まつりの本番で、各神社や、施設で行事が行われます。
私は、JR津田駅から12キロの七夕ウオークに参加し、逢合橋で朗唱させて頂きます。
では、おやすみなさい!

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交野市市制40周年の年度末最後の事業で、交野市に大輪の「万葉ロマン」の花が咲きました。
交野市は、大阪の北摂地域の1市ですが、枚方市や四条畷・寝屋川市などの隣接地域の知名度
から比べると、残念ながら「交野市ってどこ?」という反応が多いようです。
しかし、生駒山麓の北限に位置し、大和からくだってきた時に古代人が山沿い、あるいは
途中から淀川沿いに山城・北陸方面へ北上する「古代の道」が通っていたところであり、
平安時代には「交野が原」と呼ばれた、貴族の狩猟地としても記録に残る、歴史深い土地柄
です。
交野市の市花は、わが西宮と同じ「桜」ですが、なんと『太平記』の「落花の雪にふみ迷う
片野の春の桜がり…」の一節から、決められたとか。まさしく地元の所縁の歌から…の
格調高い選択にはうらやましい限りです。その交野市には、天野川が流れ、星田妙見宮、
星田神社、機物神社、逢合橋、など、七夕を彷彿とさせる「天上ロマン」あふれる地名・神社・
地名が実在しており、交野市は近年「織姫の里~今を紡いで、未来を織る~」をテーマに町作りを
進めてこられました。
中でも交野市民の一人である、毛利信二さんが、犬養万葉ファンであり、歴史大好き人間で
いらしたことから、「わが町交野のふるさと作り」について「万葉歌」への思いがあり、
「万葉ロマン」を発信するのに、万葉歌碑の建立に奔走されたり、私たちのコンサートの実現に
力を注いでくださいました。
昨年、私が揮毫させて頂いた逢合橋の歌碑の建立もその1つですし、何年か努力されている経過を
私もともに拝見してきましたので、何とか協力して交野市の「万葉ロマン」を伝えたい気持ちと、
長年の毛利さんの夢の実現に応えたい思いでおりましたので、ようやく今日の日が迎えられたことに、
私も大変感慨が深いです。
交野市市制40周年の記念事業ですので、「市民とともに行うイベント」ということで、
1部では、地元にお住まいの大手前大学教授の丹羽博之氏の講演会、2部では、交野市の有志の
子供たちによるキッズ・ミュージカル「交野ファンタジー2011」が上演されました。
ホームページの写真は、出演した子供たちと撮った記念写真です。
そして、3部で万葉うたがたりコンサートをさせて頂きましたが、いつものうたがたりファンの
方々に加えて、パナソニックのOB会の松愛会の方々も来てくださり、新年のご縁で、関心を
持って頂いたことをうれしく思いました。
歌は、万葉歌碑建立の記念に作った「逢合橋」や、憶良の七夕曲を中心にご紹介しました。
ちょうど、3月3日の桃の節句の日でしたので、交野市のマスコットキャラクターでもある
「織姫ちゃん」のお節句のような雰囲気もあり、織姫の里として、とてもよい機会でした。
おみやげに「織姫ちゃん」を頂き、ありがとうございました。
オカモのギャラリー笑倉院でまたご紹介しますね。
折からの春雨で、週間予報では1週間、雨のはずが、この日だけ守られた「晴天」で、晴れ女の
面目躍如! これもきっと犬養高気圧のおかげかな。
また、万葉故地で「万葉を歌うこと」が私たちの喜びですが、また新たに「交野の里」でも
足跡が残せたことは大変幸せでした。
今後も「交野」のふるさと発信に、積極的に応援、協力をしていきたいと思います。
またご一緒に交野を散策しましょう。

1か月前の7月7日に建立された、交野市の万葉歌碑。
私のブログや、お尋ねもあり、時々みなさんが訪ねてくださっていることを知り、本当に
恐縮と言うか、しかし、そうして交野が原へ出かけてくださることをうれしく思います。
奈良での大和路を歩く会の講演後、「織姫の里、天の川星まつり」のお誘いを頂いていたので、
すぐに私は、交野へ向かいました。
会場は、歌碑の建立された逢合橋から天野川に沿って上流へ向う道筋の河川敷が、
出店や、イベント会場や、七夕飾りの工夫をされた、市民の広場でした。
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中田市長ともご挨拶できました。ドイツビールで乾杯!美味い!
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旧暦の七夕は、夏休みの最中ですし、お天気も安定していて、2日間のお祭りの設定は
正午から午後9時までの長丁場ですが、本当に暑い盛りの時間にも交野市民?たちが
多く集まっておられました。
歌碑の建立で尽力された毛利さんにご案内頂き、お祭りの内容を説明して頂きました。
七夕飾りは、川沿いの遊歩道に飾り付けられ、色とりどりで華やかです。
また、河川敷や、歩道沿いに夜のロマンチックなイベント「光・ろうそく」の準備が
できていて、川にはLEDの天の川が出現し、LEDのボールが水面を流れて行くそうです。
幻想的な、七夕イベントの演出ですね。
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またオカモが、やってます。彦星がいな~い! だって織姫の里だもん???
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今回、「七夕市」実行委員会の毛利さんに、地元の手作りの技や、個性の世界をしっかり
レクチャーして頂き、1つ1つしっかり拝見しました。おかげで、いろんなところで物品を
購入することに…(汗)。
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アンケートがありました。「あなたはいくら使われましたか?」
はがき 56円が5枚で、280円
河内ふうりん     2000円
ブリザードフラワー  1200円
ホトトギスキーホルダー1200円
シュシュ       400円
ゴム         200円
タイガースホルダ-   700円
ブレスレット      300円
合計、6280円でした。貢献しましたね!!!
でも私も歌碑が交野市民ですので…。 おかげで、すっかり日焼けしてしまいましたけど。

「生きていてよかった!」としみじみ思いました。
なかなかこんなチャンスに恵まれる人も機会も少ない中で、私はやはり幸せ者です。
思いがけず、建立予定の歌碑に、私が万葉歌を揮毫させて頂いたのです。
場所は大阪府交野市、古代の「交野が原」という地域です。
今回の万葉歌碑建立もその象徴の一つですが、このあたりは、星にちなんだ名前の地名や、
伝説が多く残る「星のまち」、また「星降る里」として地域活性を図っておられますが、
機物神社などもあることから、七夕伝説のロマンによせて「おりひめの里」としても有名
です。
そしてこのたびは、交野市駅の近くを流れる「天野川」にかかる「逢合橋」のたもとに
万葉歌碑を建立されました。
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除幕式の1時間前の、橋に飾りつけられた七夕飾りの人気投票の様子です。
明日が本番なのに、こんな雨で笹飾りがかわいそうでした。幼稚園児や小学生の思い思いの
飾りが、華やかで楽しいです。お祈りごとも結構面白い!!!(笑)
天気予報通り、夕方から本降りの雨で、晴れ女を豪語する私もさすがにお手上げ状態でした。
小ぶりになっては、また降りだしたり、なかなか思わせぶりな雨模様でした。
前夜祭と言うことで、暗い中でもあり、先に除幕式前の写真です。
書の私と、歌碑に牽牛・織女の絵を書かれた、真和子さんと…。
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市制40周年記念事業でもあり、中田仁公交野市長も参列して下さいました。
どさくさ?で引っ張った除幕です。気がついたら終わってたって感じ???
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市長、実行委員長のあいさつ、丹羽大手前大学教授の万葉歌説明のあと、私は万葉歌を
朗唱させて頂きました。
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除幕が終わってから、歌碑は暗くてわかりづらいですが、ともかくそれぞれに記念撮影。
後方、私の右側が今回、私の揮毫を推薦して下さり、歌碑建立に尽力をしてくださった
毛利さんです。本当にありがとうございました。
実は、今回の顛末は、5月の末に打診を頂いた直近のことで、万葉歌碑建立が街づくりの方々
の悲願だったとはいえ、交野市の事業計画の中に入るかどうかや、建立場所の決定、申請、
認可などが、実際七夕の行事の、時間的に間に合うかどうかのせめぎ合いの中ですすめられて
いきました。
私も打診を受けた時に、地元の方を含め、揮毫候補者が多くおられる中のほんの一人だと
くらいに思って、戸惑いながらもお返事をしていたのが、本当に瓢箪から駒状態でした。
「岡本さんに決まりましたので、お願いします」と毛利さんから依頼があってから、
1週間後に提出と言う超スピード制作で、準備も練習も足りず、何と傲慢なことだったかと
そればかりが今も心残りです。
ただ、お習字は子供の頃から好きで、結婚した後まで続けていました。でも…でも…
筆を持たなくなってから、30年以上経っていました。
紙を購入し、まだ持っていた、古いお道具箱から新品の筆を取り出し、サロンで山寺さんも
帰宅した後、集中して書いたのは数日で、思ったようにも書けなかったのですが、でも
とても懐かしく楽しい時間でもありました。
私は全くの素人ですので、「書」として万葉歌の文字や和歌のバランスを、書家の岩田恭子
さんにご教示頂きました。お忙しい中をご協力頂き、本当にありがとうございました。
先生のお手本とは、雲泥の差になってしまいましたが・・・とても参考になりました。
建立の予定も微妙でしたし、私の揮毫と言うことも逡巡があって、なかなかみなさんに
前もってご連絡をすることができませんでした。
それでも聞きつけて、私の人生の歴史的行事の瞬間に何人かの方が立ち会って下さいまして、
本当にありがとうございました。
まだ実感がないのですが、「私の書いた歌碑」ができました。
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幻想的な竹に彫られた文字がライトアップされてきれいです。
終日の雨、このあと簡単なお祝い会のお食事をし、もちろん私はこの日のために作曲した
万葉歌をご披露させて頂きました。万葉うたがたりの岡本ですから・・・♪
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そして、今日は7月7日。朝からの雨…。夜は晴れて欲しい…と祈りながら、昨夜除幕された
歌碑が、7月7日に逢合橋でみなさんに見て頂く日でもあり、私も再び現地に行ってきました。
周辺を車はよく通りますが、人は少なめ。
歌碑のすぐ横に私の大好きな桜の木が植わっています。桜の季節にもぜひ来たいと思いました。
私も歌碑となって、今日からは交野市民になりました!!!
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天皇誕生日の12月23日、交野の星田妙見宮の参道入り口に、万葉歌碑が建立され、
除幕式が行われました。私たちのお仲間で、万葉や歴史が大好きで、わが町「交野が原」の
七夕伝説の掘り起こしと、郷土文化の発信に尽力されている毛利信二さんが、この事業にも
協力しておられたので、楽しみにしていました。
朝方、雨もあがり、山寺さんと共に、星田神社の近く、星田妙見宮へ。
交野市は新興住宅地もあれば稲田もあり、開発途上かもしれませんが、見渡すと「交野が原」
という名前にふさわしい平野の広がりが感じられます。
3年前に交野市倉治の機物神社で、たなばたの万葉歌碑が除幕されましたが、今回こうして
新たな碑ができ、引き続き地元の方々が、がんばっておられる様子を拝見することができて、
うれしく思いました。
万葉歌は、
「織女(たなばた)の 舟漕ぎ出らし まそ鏡 清き月夜に 雲立ち渡る」

(巻17-3900)大伴家持の21歳の時の歌です。ひこぼしのもとへ織姫が、船に乗って
出かけていく・・・歌は、日本の七夕歌は、男性から迎えに行く歌に趣が変化したと言われており、
中国式の発想を感じます。今日で、この周辺歌碑は5基になりました。
除幕式のあと、ご神体の星石?!(織女石)は、昔、北斗七星の3つの星が落下したその
一つという伝説の石だそうで、是非にみたいと、長い長い階段を昇り表敬してきました。
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この地域が七夕に関わる機物神社があったり、天上のロマンを思わせる星田神社、星田妙見宮
また逢合い橋や、天野川などがあります。近隣の枚方には牽牛石があったり、本当に地霊に
魂が宿るならば、このあたりは天空の里とも言うべき、ロマンチックな情緒があります。
今後は、日本に伝説をもたらした中国の行事を検証したり、日本で七夕で有名な地域との
交流や、まずは地元の誇りの文化として、毛利さんはじめ、みなさんが、楽しく関わって
おられるのを拝見して、私もうれしくなりました。
来年の七夕は、是非もう一度ここに伺いたいと思いました。除幕された歌碑は星田の森にあり、
秋の紅葉、春の桜が美しい四季折々の風情に恵まれたところのようです。
毛利さんのお心遣いで、帰りに、枚方税務大学校の「犬養歌碑」まで連れて行ってください
ました。久し振りです。「石走る…」の歌碑は、御影石で反射するので、写真に必ず人が写り
ますが、うまく「桜の木」のみのアングルで写せました。
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万葉のお仲間が集い、交野市のあらたな万葉のシンボルとなった歌碑の除幕式に参列できた
ことに感謝しています。
ただ、昼食会場に携帯電話を忘れ、本日奪還してきました!(時間がないのに…)!

7月7日のロマンチックな天上ロマン・・・。
今年の七夕の夜空は曇っていたが、雲のベールの向こうにうっすらと
三日月だけが見えていた。牽牛の嬬迎へ舟が漕ぎ出らし!ねっ。
「七夕」は日本の風物詩としても、子供たちが、短冊に願い事を書いて
笹に結び、飾付け、楽しむ年間行事に定着しているが、大人にとっても
「七夕の逢瀬」は、心を浮き立たせる天上ロマンとして、人気がある。
交野市倉治の機物神社は、1月に私も万葉歌碑の除幕式に参列したが、
ご祭神がたなばたつめでいらっしゃるので、まさに神社のお祭りが
「七夕祭」! 一度拝見してみたくて、楽しみにしていた。
残念ながら私の都合で、午前中しか時間がなく、雰囲気だけでも
味わいたくて、ともかく出かけた。
のぼり
JR東西線の津田駅下車。神社まで徒歩15分くらい。
途中で大相撲を思い起こさせる「幟」を見て、うれしくなった。
10時過ぎだったので、境内の多くの露店は準備前。でも
近隣?のご老人たちや、祭り準備の方々で人出は多かった。
私も2枚100円の短冊を購入し、「交野が原の七夕伝説が広く語られ
町の発展と誇りとなりますように・・・」と書いて笹に結び付けてきた。
境内
境内いっぱいに立てかけられた笹は、素朴ではあるが、とても華やかで
女性の祭神に相応しいお祀りの捧げものとして、多くの人たちの思いや
祈り、願いがいっぱいにつまっていて、神様も対応されるのが
大変だろうが!?、一体感や賑わいを十分に想像できた。
夜のご神事、イベント・・・は、参加できなかったが、また次回に期待
することにしよう。
私が少し残念に思ったのは、駅からわずか15分の距離でありながら、
機物神社の近くへ行かないと「七夕まつり」の雰囲気や案内がないこと。
また、インターネットでも予定がわかりにくいこと。
水辺プラザ・星田妙見宮など広域に連携された「七夕行事」として、
ポスターや、案内板や、紹介の手段は外部の者には余計に必要だ。
地元の誇る七夕による「町づくり」を謳っておられる事もあり、内輪の
お祭りで終わらせないためにも、来年はしっかり宣伝してくださいね。
かざり
♪ささのは さらさら 境内に揺れる お星さまきらきら 金銀砂子♪