投稿

2026年、令和8年の4月1日を迎えた。元号「令和」が決まった8年前の4月1日は、犬養先生のミラクルを再び実感したことを思い出す。

今年初めてイヌカイ君が、我が家で記念日を迎えた。思えば、「イヌカイ君」は、1997年の犬養先生の最終講義の日のプレゼント、記念品として、甲南女子大学犬養先生の会(通称、タテの会)で準備、贈呈したものだ。今日、お人形ですらなんと「29歳」を迎えていたことになる。犬養先生の亡き後も、犬養人形の存在感は大きく、行事の参加や万葉旅行にも同行し、平成27年からは、犬養万葉記念館の門前で、招き猫ならぬ、招き人として明日香村、記念館を訪れる人々を和ませてくれた。

犬養先生への最後のプレゼントに、花束ではなく、先生がびっくりされるようなものを送りたいということで、すでにタテの会の会長であった私が一任されて、東京へ発注したオリジナル人形がイヌカイ君だ。多くの角度から撮った何枚もの写真をもとに完成した「イヌカイ君」は、面立ちが似ているだけではなく、衣服も眼鏡もベレーも全部別注で制作された。完成品はあまりにリアルで、それを見た人からは「人形は魂を奪うというから、犬養先生の寿命を奪うもの・・・とんでもないことをした」などと言われ、疑いもなくイヌカイ人形を制作した私たちは、プレゼントどころか、それを世間に出してよいものか、怖くなって間際まで躊躇したことが思い出される。純粋に犬養先生の存在を形にしたものとして、先生にお渡ししたかったので、最終講義当日、ロイヤルホテルの壇上でドキドキしながらプレゼントしたことが今は懐かしい。怖いもの知らずの学生時代。

260401213840611

犬養万葉記念館では、先生が使っておられた車椅子を記念館でも利用して頂きたいと、ご家族から寄贈されたが、こちらから使用を勧めたお客様が遠慮して使ってくださらないので、イヌカイ君を乗せて門前でお出迎えするスタイルが定着し、それだけをわざわざ記念写真として撮って帰られる方もあった。以後、看板人形として定着していた。

私の指定管理も終了し、館長は2期で退いたが、昨年秋の指定管理者の交代まで、(平成27年秋から昨秋まで)10年以上の長きにわたってイヌカイ君も記念館の「主」として活躍してくれた。ただ、今私の手元?自宅で預かっていることには複雑な思いもある。

明日香村で「犬養万葉記念館」がこれからも存続していく上で、犬養孝先生を顕彰し、犬養先生から寄贈された書物、備品を大事に伝えていって頂くことが何よりのはずで、1つのシンボルである「イヌカイ君」も大事にしていただけると思っていた。それがなんと開館のま近な昨秋、文化財課のSさんから連絡があり、「記念館の整理が終わり、顕彰会や協力会の制作の商品、備品、その他不要なものを部屋にかためておいてあるので、持って帰ってもらうか、不要なものは廃棄してください」とのこと。日も限られた中、記念館に出向くとホールの一角に「不用な品」として品物、書籍と共にイヌカイ君も置かれていたのだ。ショックだった。

新たな管理者と引き継ぐときに「イヌカイ君の存在」は大きくアピールし、これからも大事にしていただくようにお願いするつもりだったのに・・・、伝達する機会もないまま、廃棄処分の中にあったこと…が本当に悲しかった。もちろん、私は記念館の最終チェックもさせていただいていない。

空しい気持ちだった。「先生、おかもと一緒に帰りましょう!」と即決、帰宅した。そしてすぐにイヌカイ君の来ていた洋服一式を洗濯した。30年近くの汚れと悔しさを洗い流したい気持ちだった。そして、思わずイヌカイ君に謝った。以来、かたづけの悪いオカモの自宅に居候してもらっている。猫のはなちゃんが、時々そばでかざかしたり、オカモのエレクトーンの練習姿を背後から見てくれている。

きょう4月1日は、明治40年生まれの犬養先生なので、かぞえて119歳になられた…かな。私にとっては、学生時代から今もなお「変わらぬ年月」で、いつまでたっても過去の先生ではない。一度しかない人生で、私が犬養先生に出会えたことで、多くのことを学び、経験し、誰よりも豊かな人生を送れたことの幸せと感謝は言葉に尽くせない。先生の大好きな「ぜんざい」でお祝いすべきところ?、私はアンコが苦手なので、「桜の季節」でもあり、イヌカイ君に「桜餅」をお相伴させていただいた。

260401142945490

私も犬養先生と出会った時の「先生の年齢」をとうに超えてしまっているが、犬養先生は70歳から80歳の10年間により多くの足跡を残された。そう思うと、私たちも頑張らなければならない。

屈託のなかった学生時代が本当に懐かしい。

犬養先生はニコンの立派なカメラで、万葉の故地以上に、私たちゼミ生の写真を撮ってくださった。今でもアルバムに多く残っているが、今の時代からいえば、大学教授が女子学生の写真をたくさん撮るこ・・・はアウトかも(笑)。よい時代を過ごせたものだ。

260401154124234

きょうは珍しく「雨の一日」だった。犬養高気圧ではなかった4月1日。

先生、明日香村の桜が満開です。今朝NHKで「石舞台の桜」が紹介されましたよ。

2026年度がスタートしました。

 

 

 

 

2025年もあとわずかとなってきました。長年続けてきた「万葉植物カレンダー」、また昨年の「がんばれ能登」カレンダーを多くの方々にお求め頂き、本当にありがとうございました。感謝の何物でもありません。万葉仲間の猪名川万葉植物園の開園を祝して、ご紹介から始まりましたオカモの万葉植物カレンダーは、プロの万葉花写真家、岡田憲佳さんの逝去された後「万葉花カレンダー」を引き継ぐものとして、制作し始めました。それも15年近く続いたことに自ら驚きを隠せません。(笑)

犬養万葉記念館の指定管理者として、関わりました10年余りは、記念館発信として「万葉情報」の1つとして私のカレンダーの制作と、馬場吉久さんの万葉植物野外講座というイベントとして、「万葉植物と万葉集」をテーマに、展開してきました。野外植物講座は、有志でこれからも続けられると思います。カレンダーは私の記念館退任と共に、一旦終了させていただいたのですが、「一つのことを終了する」決意、未練、覚悟は寂しさもありました。ところが終了することができず2025年のカレンダーができましたのは、新年に起こった能登地方の大地震がきっかけです。ご縁ができたばかりの能登中島町の机島を支える若者たちの安否や、お世話になった和倉温泉、犬養先生の歌碑も多い能登地方でもあることから、阪神淡路大震災後30年を迎える私には、いてもたってもいられなくなりました。「私たちができること」は何だろうと考えました。やはり支援の必需はまず「お金」です。また私たちの誇りは「犬養万葉」です。それで思いついたのが、犬養先生のパワーを頂いて、全国の万葉故地からのエールを届けようと、「がんばれ能登」カレンダーを思い付き、誕生しました。被災地には、わずかでしたが、カレンダーを無料で配布して頂いたり、また売り上げも一部義援金として贈りました。まさに貧者の一灯でしたが、購入してくださった全国の万葉ファンの思いが何よりの寄り添いでした。被災地の復興はまだまだ時間がかかりますが、今後も心は「能登」に向けていていただきたいと願うばかりです。

正直、犬養先生の全国に広がる歌碑をカレンダーのために季節、場所から選択しているときに、「犬養万葉歌碑カレンダー」も今後制作はできると思うだけの数、広範囲な場所、歌碑の形態など、あらためて犬養先生の偉大な功績の足跡に感心しました。犬養先生のたましひは変わらず歌碑と共にあることの確信でもありました。しかし、私もようやく個人活動の立場に戻り、決着をつけていく時期ともなりました。カレンダーが惜しまれながら終わるのも悪くない!と言い聞かせ、長年のご愛顧に感謝しながら、終了のお知らせといたします。ありがとうございました。

 

2025年10月1日に明日香村の犬養万葉記念館がリニューアルオープンしました。これからはオカモはお客様です。❤

指定管理をしてくださるのは、大和高田市に本社を置かれるリアル・スタイル社。

オカモの個人商店から、今回は会社の運営が始まります。来春1月からカフェもスタートするそうで、今は始動期間。室内はそんなに変化はないのですが、記念館当初に準備された犬養先生の部屋が復活していました。おーっ。

犬養先生もきっと新たな展開を楽しみになさっていることと思います。

先生、良かったね。おめでとうございます。弥栄❤

251002150532376

6月1日、梅雨に入る時期を心配しながら開催された植物講座ウオークでしたが、おかげさまで、さわやかで心地よい散策の一日を過ごすことができました。

このイベントの講師で、ご案内役の馬場吉久さんは、大阪大学の卒業生で学生時代から犬養孝先生の万葉旅行に来ておられました。いつしか「万葉植物」のとりこになって、多くの植物の知識を得たり、また写真を通して楽しんでおられましたが、いつしか、万葉植物博士???に。(笑)

平成12年の犬養万葉記念館開館時から、記念館独自のイベントを始めるに際し、スタートしたのがこの万葉植物野外講座です。

第1回が、平成12年(2000年)10月29日に開催された甘樫丘コース。25名の参加者がありました。その後も馬場さんの丁寧な解説と万葉朗唱。そして優しい人柄も魅力の一つとなり、先日の6月1日の第67回まで、コロナの時期以外は定期的に続けられてきました。

馬場さんのすごいところは、コースを確定するために何度も現地を歩いて下見をしてくださり、おかげで参加者には馴染の「明日香村」でも、村民しか知らないような道や、新たなコースを作成してもらって歩く「明日香村」はいつも新たな発見がある植物講座です。

今回も馬場さん曰く「50年飛鳥を歩いてきたけど、初めて案内した道だ」とおっしゃっていました。

目の前の植物をみんなで見て、知識や感想を言い合うのも楽しいひととき。そして今回は明日香村から橿原市にまたがる香久山の麓を歩きました。

参加者ももちろん初めての方もありますが、長年の常連のファンもあり、今回は24名で歩きました。

「らくいち」でお買い物したり、ソフトクリームを食べたり・・・と個々に過ごしたのち解散しました。

私は気持ちの良い日だったので、帰りはバスで移動せず、明日香村プロガイドの岡本さんと、万葉すみれの会の篠原さんと3人でまず甘樫丘の川原展望台に上り、豊浦を通り和田池のそばを通って、橿原神宮前へ。「お疲れさまでした!」わたし、終日で26000歩歩いていました!!!

次回の植物講座は9月を予定しています。ご参加の皆様ありがとうございました。

 

 

記紀歌謡と万葉集 講演 阪口由佳氏

2025年度 万葉文化事業

「記紀歌謡と万葉集 ―ヤチホコの歌を中心に―」

日 時:令和7年6月29日(日)
    13時30分~(開場:13時00分)
    明日香村健康福祉センター たちばな
会 場:かんなびホール
参加費:無料(要申込)
講 師:阪口 由佳 氏

奈良女子大学大学院博士後期課程修了。博士(文学)。同志社大学・甲南大学などの非常勤講師を経て2020年から2025 年まで奈良県立万葉文化館主任研究員。現在は奈良女子大学古代学・聖地学研究センター協力研究員。古事記学会・上代文学会理事、日本書紀研究会編集委員。

主 催:明日香村
    南都明日香ふれあいセンター 犬養万葉記念館(現在休館中)

 

ここ数年、私自身の情報発信をする余裕がなく、FBを通じてご報告、発信するのが精一杯でした。3月末で、指定管理者を拝命していた明日香村の犬養万葉記念館を退任いたしましたので、ようやく本来の万葉うたがたりの活動を中心に活動を修正していこうと楽しみに思っております。

「昼下がり通信も」ストップしたままで、気になりながらの時間を過ごしました。そしてこのホームページも少しずつ書き加えて行きますので、どうぞよろしくお願いいたします。

古稀過ぎて 年齢不問のうたがたり 楽譜のフォント 更に大きく   BY ヤカタのオオキミ

犬養万葉記念館の入口に建っている、犬養先生揮毫の「萬葉は青春のいのち」と、岡本が結婚したときに犬養先生からお祝いで頂戴したアルバムに揮毫されていた「祝婚歌(巻13-3317)の2種類です。どちらも200円。

購入ご希望の方は、ホームページ右上の検索マーク右「三」をクリックして表示されたメニューの最後にある「お問い合わせ」フォームより、お客様のお名前、メールアドレス、題名には「購入希望」など、メッセージ本文にご希望の本のタイトル(萬葉は青春のいのち or 祝婚歌)と必要数、送付先の郵便番号、住所、電話番号を記載し「送信」ボタンを押してください。

ご注文を確認させていただきましたら、その旨メールを返信させていただきます。
商品送付は商品数によりますが、郵便局の普通郵便・レターパック・ゆうパケットを利用します。
お支払いは、商品代+送料実費を、指定しますゆうちょ口座振込、もしくは同封します郵便振替用紙にてお近くのゆうちょATMからのお振込みをお願いしており、その旨商品の発送とともにお支払い方法を同封させていただいております。

みなさまからのご注文をお待ち申し上げております。

 

2年前の今頃、久しぶりに犬養万葉記念館主催の万葉野外植物講座に参加した。半日飛鳥をめぐって馬場さんが「5月は白い花が多いですね」と言われたように、そのときの印象がずっと頭に残っていて、以来私の講座のキャッチフレーズにも「5月は白い花」というテーマでいろんな機会にお話をさせて頂いている。そして私が制作している万葉花カレンダーも意識して今年は5月にうまら、6月にていかかずら(いはつな)を配した。6月の講座ではていかかずら=いはつなを紹介する。
先日、FBでカミングアウトしたが、整形外科へのリハビリはいまだに続いており、相変わらず毎回違う道を自転車で散策しながら通院するのはなかなか楽しい時間でもある。そして、そして見つけたのだ! すごい迫力のていかかずら屋敷を!!! お花に出会ってから病院との往復に何度か行き来するうちにどうしても写真に収めたくなり、花の盛りも時を重ねて変化していく。私は意を決して昨日、ピンポ~ンと初めてのお宅に伺い、インターホン越しに「どなたですか?」「怪しいものです」との吉本新喜劇のようなやり取りで、恐る恐る出てこられたご婦人に「すごい迫力のていかかづらですね、あまりに素晴らしいので写真を撮らせて頂いてもいいですか? 私は万葉集講座で来月この花の歌を取り上げますので・・・」と申し上げると、快諾してくださっただけではなく思いがけない言葉が・・・。「万葉集といえば私、教養学部で犬養先生のお話を伺ったことがありますのよ。」と犬養先生のお名前が出たのだ。ご婦人は大阪大学の卒業生。そしてお年ごろからすると、私より上であろうと思われるので、阪大マドンナ時代かも。しかしこんな身近なところにも犬養先生のご縁があったなんて。感慨に浸りながら写真を数枚とらせていただいた。(私の停めた自転車も、不覚!)

HORIZON_0001_BURST20210529091640256_COVER.JPG

そして、もう一つのアカデミックなステイホームをご紹介すると、
講座のグループ、交野万葉学級は大所帯であるが、会員がライン登録でまとまっていて、連絡や情報共有が大変有効に活用されている。私の個人的趣味、興味で、「白い花見つけたプロジェクト」と称して、みなさんの自宅、お庭、公園、身近な場所で「白い花」を見つけたら共有ラインでアップしましょうということで、現在「和、洋、雑草」問わず白い花を見つけてはアップするという楽しい試みを始めている。会員の皆さんも「目的」を持って歩くことと、積極的に楽しく「白い花を探す」ことの意義ある日々を送って頂いている。普段何気なく見ているものも「意識する」ことも大事だろうし、白い花たちも私たちに競って存在感を示しくくれることだろう。交野万葉学級のステイホームは素敵です!!!

 

頂いた入浴剤! ありがたや。自宅で湯治!?

もともと健康に自信のあるものは「過信」が厄介。加齢や運動不足や肥満や(私のこと)状況は変化しているのに「体力」「腕力」「持久力」などが変化していないわけはない。機械だって経年劣化や、部品の交換や、定期的なメンテナンスが必要だ。ところが・・・だ。

昨年来、私の身の回りでは次々かたづけごとがおこり、自分では無理はしていないはずだったが、ひたすらの作業は時間的制約、感情的ストレス、そして肉体的限界により、このコロナ禍の非常時であるにもかかわらず、昨年末ごろから体調が悪く、いろいろ医療機関を訪ねる機会が多くなった。内科的なことは予約診療ですむが、この度は4月4日の明日香村での講談の会の帰り道から左足に急激な痛みが走り、地面に足がつくたびに痛み、引きずってしか歩けないような状態になってしまった。ごく直前まで私の車で重量のある大きな荷物や書物を西宮から犬養万葉記念館に運び、それをひたすら運び入れたことが遠因であるように思う。痛くて痛くて歩けず、数日後地元の整形外科の診察を受けた。特別の原因はなかったようだが、強いて言えば血流のめぐりが悪いのか、また腰椎の老化が考えられるということで、その日から腰の牽引と電気治療とのリハビリが始まった。

幸いにも今は甲子園で父と二人暮らしで、またコロナ禍の自粛要請期間で私の仕事を含めた外出が制限されているので、いつもよりは時間に余裕があり、継続を要すリハビリに通院するには恵まれた時間だった。

そしてほぼ1か月ほど経過して、ほとんど痛みも取れ、普通に歩けるようになった。だから、今だから話せること・・・。(笑)

私は気楽な性格で(自覚も十分あり)、リハビリも楽しく通えた。自宅から10分ほどの距離を歩くのがつらく難儀なので、自転車で行く。そして毎回違う道を走ってみた。甲子園に住んでいても通勤路や買い物動線など同じ道しか通らない日常を送っているが、1本違う道筋は町や家並みの様子も違い、毎日新たな発見があった。また、リハビリ中、患者さんの観察も興味深いが、この頃のリハビリの医療器具は治療後、音楽で終了を知らせる。機械と共にメロディーも何種類あるんだろうと数えてみると、私の20分ほどのリハビリ時間中にも最高で5種類もの旋律を聞くことができた。面白いやん。仕事柄、それが聴音として音名で聞こえてくるのだ。そして「楽しく」通院する間に約1か月ほど経ったが、効果が表れてきたようで良かったが、私は「リハビリタイム・ちょっと散歩」が楽しくて、もう少し続けてみようと思っている。毎回340円なり・・・。

 

昨年の米寿の誕生日が最期の母のお祝い日となったが、子供、孫たちの生活リズムが合わないことを口実にみんなが集合して母との食事会すらできなかったことを申し訳なく思っていた。「米寿」という節目でもあったのに・・・。昨年は3月16日が月曜日だったので、たまたま土日を連泊した私に「私の誕生日だから2日も続けて泊まってくれたのね」と嬉しそうに母が言った一言がずっと心に刺さっていた。明日香と実家と行き来の生活で、老々介護の両親に頼られてからは律儀に3日に一度、1泊ずつの間隔で過ごしてきた。偶然の連泊がそんなにうれしかったのかと思うと、確かに実家へ帰ってきたときは夕食をして翌日の夜にまた帰る間の時間は、一緒に病院へ診察に行ったり、買い物に行ったり、美容院へ行ったり、目的があって、そのために帰宅していたようなものだった。母と自由に会話したりショッピングをしたり、二人で過ごす時間の余裕が全くなかったことが悔やまれてならない。そして私は2年前から両親には約束通り犬養万葉記念館とは縁が切れたと嘘をついていたのだ。ただ元号「令和」『万葉集』の注目で、やむなく忙しくなったのであろうと、両親ともに私を頼ることについてのあきらめの思いも少しあったように思う。そして、1年前から母のラストステージが始まっていたことを今になって気づくなんて。

今日、いろんなことを考えるうちに、落ち着かず、久しぶりに母の書斎机を整理した。「はなひな日誌」ファイルを見つけ、毎年の予防注射の接種証明書がきちんとファイリングされていた最後に、またまた母のメッセージを見つけた。「お父さんと猫をよろしくね」とは常々言われていたが、それに加えて、最後の3行に涙した。「二匹を最期までお願いします。お骨は少しだけ甲山墓地に埋め、残りはのんちゃんと一緒に家の祭壇に置いてください。」・・・と。そして、なんと母が2009年に産経新聞に投稿していた記事が残されていた。それで、はなひなが2008年夏生まれであることが再確認できた。おー、12歳半じゃん!(かなりの熟年猫になってました)

母と猫の絆は前回、湿布薬の反応で驚いたが、私にはずっとなつかなかった猫たちが「毎日顔を合わせ、食べ物を準備し、トイレをきれいにしてくれる」ことを理解したのかどうか・・・はわからないが、もう私を引っかいたり、噛んだりすることはなくなったので、ようやく「家族の仲間だ」ということに気づいたのだろうか。仲良く毎日を過ごせるようになったように思う。

はなひなを見ながら、この子たちもいつかどちらかが先に逝き、1匹になった時の不憫はあまりにつらいものがある。でも寿命も私といい勝負かもしれないな。母の亡き後、今の私のいやしは「はなひな」であり、また母を偲ぶ切ない存在でもある。

昨年はどさくさで予防接種には行けなかった。爪も切ってやらなきゃな。猫を飼いたかった母の願いに「飼いたければ飼ったらいいやん」といった手前、約束通りはなひなは任せてね!お母さん。