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この木は自宅に近いバス停の桜。街中の1本だけど、通行人の足を止めてくれる貴重な「さくら」。

私はあたたかさにつられて、香櫨園浜をお散歩。そろそろハマユウの葉が育ってきました。

白い花・・・ハナニラだそうです。

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この鮮やかな群衆美は、黄色カタバミとか。満開でした。

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松の木や大木はどっしりと、香櫨園や西宮の浜辺の背景としてやはり絵になります・・・。

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私の関心の深い「あふち」も新緑の前で、枝ぶりの「実」がかわいい。

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自宅までの帰り道…、ご近所の植栽も個性的だ。玄関のアプローチはサクラソウで満開のお家。

すごすぎます。

 

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おや?ヒヤシンス?ではなく、ルピナスというそうです。

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そばには、ノジスミレ。

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おー、公園のそばにこんなにうつくしい「椿」見いつけた! なんて素敵💛

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ただいま…帰宅すると玄関の椿が日々ほころび、きょうは「笑顔」で迎えてくれました。

バラのよう・・・。

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今年は虫がついて、赤い椿はつぼみもつかなかったけど、白い椿がその分、3輪咲き始め

ました。ありがとう。

 

 

 

2026年、令和8年の4月1日を迎えた。元号「令和」が決まった8年前の4月1日は、犬養先生のミラクルを再び実感したことを思い出す。

今年初めてイヌカイ君が、我が家で記念日を迎えた。思えば、「イヌカイ君」は、1997年の犬養先生の最終講義の日のプレゼント、記念品として、甲南女子大学犬養先生の会(通称、タテの会)で準備、贈呈したものだ。今日、お人形ですらなんと「29歳」を迎えていたことになる。犬養先生の亡き後も、犬養人形の存在感は大きく、行事の参加や万葉旅行にも同行し、平成27年からは、犬養万葉記念館の門前で、招き猫ならぬ、招き人として明日香村、記念館を訪れる人々を和ませてくれた。

犬養先生への最後のプレゼントに、花束ではなく、先生がびっくりされるようなものを送りたいということで、すでにタテの会の会長であった私が一任されて、東京へ発注したオリジナル人形がイヌカイ君だ。多くの角度から撮った何枚もの写真をもとに完成した「イヌカイ君」は、面立ちが似ているだけではなく、衣服も眼鏡もベレーも全部別注で制作された。完成品はあまりにリアルで、それを見た人からは「人形は魂を奪うというから、犬養先生の寿命を奪うもの・・・とんでもないことをした」などと言われ、疑いもなくイヌカイ人形を制作した私たちは、プレゼントどころか、それを世間に出してよいものか、怖くなって間際まで躊躇したことが思い出される。純粋に犬養先生の存在を形にしたものとして、先生にお渡ししたかったので、最終講義当日、ロイヤルホテルの壇上でドキドキしながらプレゼントしたことが今は懐かしい。怖いもの知らずの学生時代。

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犬養万葉記念館では、先生が使っておられた車椅子を記念館でも利用して頂きたいと、ご家族から寄贈されたが、こちらから使用を勧めたお客様が遠慮して使ってくださらないので、イヌカイ君を乗せて門前でお出迎えするスタイルが定着し、それだけをわざわざ記念写真として撮って帰られる方もあった。以後、看板人形として定着していた。

私の指定管理も終了し、館長は2期で退いたが、昨年秋の指定管理者の交代まで、(平成27年秋から昨秋まで)10年以上の長きにわたってイヌカイ君も記念館の「主」として活躍してくれた。ただ、今私の手元?自宅で預かっていることには複雑な思いもある。

明日香村で「犬養万葉記念館」がこれからも存続していく上で、犬養孝先生を顕彰し、犬養先生から寄贈された書物、備品を大事に伝えていって頂くことが何よりのはずで、1つのシンボルである「イヌカイ君」も大事にしていただけると思っていた。それがなんと開館のま近な昨秋、文化財課のSさんから連絡があり、「記念館の整理が終わり、顕彰会や協力会の制作の商品、備品、その他不要なものを部屋にかためておいてあるので、持って帰ってもらうか、不要なものは廃棄してください」とのこと。日も限られた中、記念館に出向くとホールの一角に「不用な品」として品物、書籍と共にイヌカイ君も置かれていたのだ。ショックだった。

新たな管理者と引き継ぐときに「イヌカイ君の存在」は大きくアピールし、これからも大事にしていただくようにお願いするつもりだったのに・・・、伝達する機会もないまま、廃棄処分の中にあったこと…が本当に悲しかった。もちろん、私は記念館の最終チェックもさせていただいていない。

空しい気持ちだった。「先生、おかもと一緒に帰りましょう!」と即決、帰宅した。そしてすぐにイヌカイ君の来ていた洋服一式を洗濯した。30年近くの汚れと悔しさを洗い流したい気持ちだった。そして、思わずイヌカイ君に謝った。以来、かたづけの悪いオカモの自宅に居候してもらっている。猫のはなちゃんが、時々そばでかざかしたり、オカモのエレクトーンの練習姿を背後から見てくれている。

きょう4月1日は、明治40年生まれの犬養先生なので、かぞえて119歳になられた…かな。私にとっては、学生時代から今もなお「変わらぬ年月」で、いつまでたっても過去の先生ではない。一度しかない人生で、私が犬養先生に出会えたことで、多くのことを学び、経験し、誰よりも豊かな人生を送れたことの幸せと感謝は言葉に尽くせない。先生の大好きな「ぜんざい」でお祝いすべきところ?、私はアンコが苦手なので、「桜の季節」でもあり、イヌカイ君に「桜餅」をお相伴させていただいた。

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私も犬養先生と出会った時の「先生の年齢」をとうに超えてしまっているが、犬養先生は70歳から80歳の10年間により多くの足跡を残された。そう思うと、私たちも頑張らなければならない。

屈託のなかった学生時代が本当に懐かしい。

犬養先生はニコンの立派なカメラで、万葉の故地以上に、私たちゼミ生の写真を撮ってくださった。今でもアルバムに多く残っているが、今の時代からいえば、大学教授が女子学生の写真をたくさん撮るこ・・・はアウトかも(笑)。よい時代を過ごせたものだ。

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きょうは珍しく「雨の一日」だった。犬養高気圧ではなかった4月1日。

先生、明日香村の桜が満開です。今朝NHKで「石舞台の桜」が紹介されましたよ。

2026年度がスタートしました。

 

 

 

 

お待たせしました。下記のように予定しています。
今回から任意のイベントになりましたので、会費を頂くことになりました。ご了承ください。
お申し込みは、オカモまで❤

馬場先生のもう一つの活動である全国の「万葉歌碑」の情報発信について、プロジェクトが一部成果発表されました。
前日12月6日には、奈良女子大学で、関連シンポジウムも行われます。よろしければご参加ください。

2025年もあとわずかとなってきました。長年続けてきた「万葉植物カレンダー」、また昨年の「がんばれ能登」カレンダーを多くの方々にお求め頂き、本当にありがとうございました。感謝の何物でもありません。万葉仲間の猪名川万葉植物園の開園を祝して、ご紹介から始まりましたオカモの万葉植物カレンダーは、プロの万葉花写真家、岡田憲佳さんの逝去された後「万葉花カレンダー」を引き継ぐものとして、制作し始めました。それも15年近く続いたことに自ら驚きを隠せません。(笑)

犬養万葉記念館の指定管理者として、関わりました10年余りは、記念館発信として「万葉情報」の1つとして私のカレンダーの制作と、馬場吉久さんの万葉植物野外講座というイベントとして、「万葉植物と万葉集」をテーマに、展開してきました。野外植物講座は、有志でこれからも続けられると思います。カレンダーは私の記念館退任と共に、一旦終了させていただいたのですが、「一つのことを終了する」決意、未練、覚悟は寂しさもありました。ところが終了することができず2025年のカレンダーができましたのは、新年に起こった能登地方の大地震がきっかけです。ご縁ができたばかりの能登中島町の机島を支える若者たちの安否や、お世話になった和倉温泉、犬養先生の歌碑も多い能登地方でもあることから、阪神淡路大震災後30年を迎える私には、いてもたってもいられなくなりました。「私たちができること」は何だろうと考えました。やはり支援の必需はまず「お金」です。また私たちの誇りは「犬養万葉」です。それで思いついたのが、犬養先生のパワーを頂いて、全国の万葉故地からのエールを届けようと、「がんばれ能登」カレンダーを思い付き、誕生しました。被災地には、わずかでしたが、カレンダーを無料で配布して頂いたり、また売り上げも一部義援金として贈りました。まさに貧者の一灯でしたが、購入してくださった全国の万葉ファンの思いが何よりの寄り添いでした。被災地の復興はまだまだ時間がかかりますが、今後も心は「能登」に向けていていただきたいと願うばかりです。

正直、犬養先生の全国に広がる歌碑をカレンダーのために季節、場所から選択しているときに、「犬養万葉歌碑カレンダー」も今後制作はできると思うだけの数、広範囲な場所、歌碑の形態など、あらためて犬養先生の偉大な功績の足跡に感心しました。犬養先生のたましひは変わらず歌碑と共にあることの確信でもありました。しかし、私もようやく個人活動の立場に戻り、決着をつけていく時期ともなりました。カレンダーが惜しまれながら終わるのも悪くない!と言い聞かせ、長年のご愛顧に感謝しながら、終了のお知らせといたします。ありがとうございました。

 

令和7年度の高岡市万葉まつりの「万葉集全20巻朗唱の会」に現地参加してきました。

コロナ禍の時から、動画投稿に切り替え、この行事を絶えることなく続けられてきましたが、今は「ハイブリッド方式」と称して、現地参加と朗唱動画投稿との2本立てで開催しておられます。私は万葉うたがたり会として、毎年動画参加しておりますが、昨年は久しぶりにメンバーで古城公園の舞台に立ち、歌唱しました。今年は思いがけず、万葉振興会(坂本信幸代表)がバスツアーで、万葉朗唱に参加することが決まり、朗唱指導担当?でオカモに引率のご指名がありました。と言うことで、2泊3日の旅に…。

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京都を出発して、高岡に着いての最初の行事が「朗唱参加」だったため、はじめての方もありましたが、個々の練習もお任せで、ともかく衣装に着替えて出場しました。なんと時雨の演出に戸惑いましたが何のその、みなさんそれぞれに堂々と朗唱されて、一安心。

私は世話役でもあり、すぐに着替えられるようにと自分の衣装を持参したのですが、その衣装に対する反応が、「自前ですか?」「キラキラして派手ですね?」「すごいね」とか、明らかに初めて見たものに対する感想でした。以前、着替えのお手伝いに関わった人もいなくなり、朗唱担当者も変化し、もちろん参加者も変わり、もはや「万葉うたがたりの岡本」を認識してくださる人がここにはいない、寂しさを感じました。

私は単なる自前の派手な衣装を持参して出演したオバサンなのね・・・と苦笑いでした。犬養先生のおかげで先生が亡くなられた後も本当に長らく「高岡市」には大事にしていただき、私自身は「高岡旅情」という万葉まつりのテーマソングの足跡を残すこともできました。今年新市長となられた出町譲氏ともご挨拶をし、5人目の市長さんとのご縁となりました。

その間、在来線の高岡駅が立て直され、また「新高岡」駅ができ、新幹線も通るようになりました。福岡町が高岡市に加わり市が大きくなりました。勝興寺本堂が国宝指定を受け、また能登地震では伏木地方にダメージも残り、高岡市の歴史の側面史も私の一部になりました。

尾竹さんや玉井さんとの別れもあり、人とのご縁もだんだん寂しくなりました。来年はどうなるかな?と思いつつ、この高岡市の年月とともに積み重ねられた財産を大事にしていってほしいなと願います。

今年は万葉故地ネットワークの懇親会で、2年ぶりに机島の磨き上げ隊の木村代表や幾地君と出会うことができ、能登地震後、がんばっておられる様子を伺い、ほっとしました。何と今年は机島の犬養歌碑が建立されて50年とか。11月9日に祝賀会を準備されているそうです。半世紀! すごい・・・。

 

 

 

 

2025年10月1日に明日香村の犬養万葉記念館がリニューアルオープンしました。これからはオカモはお客様です。❤

指定管理をしてくださるのは、大和高田市に本社を置かれるリアル・スタイル社。

オカモの個人商店から、今回は会社の運営が始まります。来春1月からカフェもスタートするそうで、今は始動期間。室内はそんなに変化はないのですが、記念館当初に準備された犬養先生の部屋が復活していました。おーっ。

犬養先生もきっと新たな展開を楽しみになさっていることと思います。

先生、良かったね。おめでとうございます。弥栄❤

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コンサートの演奏者のラインナップです。
プログラムにはだいたい演奏者の紹介があり、プロフィール欄にもいろんな個人のキャリアや演奏歴などが記されていますが、
今回の演奏者は久しぶりの集合でも「万葉うたがたりコンサート」のレギュラーメンバーですので、個々にスポットライトを当てることを省かせていただきました。一人一人はすごい実力者なんですよ!!!ふふふ。

この4人の姫君。左側から、音楽監督兼アレンジャー兼ピアニストの砂原由季子さん。大阪音大の作曲家出身で作曲・編曲・演奏なんでもござれ! 今、同級生が大阪音大の学長さまだそうです。Oh! 甲南女子中高の後輩で、作曲をする私に、恩師の森啓一先生が紹介してくださいました。なんと、なんと世の中は不思議な縁があります。砂原さんの従妹が、ヤマハ音楽教室で、オカモの3歳児ランドのレッスンのアシスタントをしてくださっていた、砂原あっこちゃんだったなんて。驚きました。(笑)
そして、左からcelloの成川昭代さん、バイオリンの村田道代さん、弦のお二人は、私のCD制作にも参加してくださっていますし、コンサートもなりちゃんは、celloを抱えて、伊賀市の青山町の博要小学校の廃校イベントも楽しかったね・・・と。バイオリンの村田道代さんは、3枚目のCD制作からの参加で、以来いつの間にか、うたがたり会の準メンバーのように機会を重ねるうちに、ここ数年前から万葉うたがたり会の一員として、参加してもらうようになりました。バンド演奏にバイオリンの音色が入るのはとても素敵です。サウンドも格調が出ました。そして今回、私が演奏をしない代わりにエレクトーンを担当してくださったのが出納舞香さん。実はうたがたりの現メンバーで、キーボード担当の森田智恵さんが出演するはずだったのですが、病気療養中で、出演断念となり、砂原先生のご紹介で、大阪音大で電子オルガン専攻の優秀な生徒さんをご紹介くださったのです。かわいらしくて初対面の時から、バンドのアイドルとなりました。演奏の実力にも感心しました。

貴重な男性陣は、サックス・フルートの柴垣安宏さん。実は、砂原さんのご主人です。器用に管楽器を演奏されるので、CDにも参加して頂いたり、私の曲をともちゃんの歌でJAZZでアレンジ、演奏してくださったり、高岡万葉歴史館でも演奏して頂いたことがあります。衣装姿も決まってます。そして、みなさんにもっともインパクトの強かったような「武内宿祢」の再来???とのうわさの高い、パーカッションは西野欣哉さん。西野君は、彼が学生時代からのご縁です。私の記念すべき1枚目のCDの「高岡旅情」は、彼がパーカッションを担当してくれているんです。また、うたがたりの20周年記念コンサートの時にはどうしても出演してほしくて、震災後、被災されて住所がわからない西野君をさがしました。ご家族がクリスチャンだというのを聞いていたので、所属の教会に連絡をした時に、牧師さんが西野君に連絡を取ってくださったのです。彼はもう忘れてるかな。欣哉よしや=ヨシュア=イエス様のこと。名付けられたご両親の想いが偲ばれます。20周年は高岡市民会館でも開催しました。そこにもパーカッションを一式車に積んではるばる参加してくれました。うれしかったです。30周年の中の島公会堂も、節目節目の機会にお世話になりました。明るさとノリの良さと、細やかな気配りが最高! 感謝でいっぱいです。
貫禄十分のおかも
歌姫たち。山口ひとみ 園田知子 上未歩の三人です。今回は古代衣装研究家の山口千代子先生にお衣装を提供して頂きました。今まで私たちなりの衣装を準備して、ずっとコンサートに臨んできましたが、今回、歌姫の実力に見合った格調高い衣装を身に着けて舞台に立てたことは、最高の幸運だったかもしれません。彼女たちもよく似合っていました。美しかったです。
メンバー紹介は、舞台で述べた通りです。出会いや人は本当に貴重な財産です。

少しづつ当日のお写真を頂いています。ありがとうございます。コンサート準備でもっとも頭を悩ませたのは、選曲でした。とりあえず数えたところ、万葉集の作曲は500首くらい、120数曲でしたが、万葉集ではなく、関連曲も入れると10曲以上は多いことになります。45年と言う年月から言うと、多いのか、少ないのか(笑)。
今回は、兵庫県舞台芸術団体フェスティバル参加事業という条件下で参加しましたので、テーマもおのずから「兵庫県」でありました。そこから絞って、最終的に~摂津・播磨の万葉を歌う~というテーマになりました。そして、悩んだ選曲です。
核として、「西宮」「瀬戸内の旅」ではありますが、オカモの45周年記念コンサートという機会でもあり、長年のうたがたりコンサートで歌ってきた曲も歌いたい、演奏したいと悩みました。メンバーたちが、「できるだけオカモの歌いたい曲を歌おうよ」と言う後押しもあり、コンサートのプログラムでは、プロローグメドレーとしてご紹介しましたが、なんと13曲を歌いました。『万葉集』巻1の1のKOMOYOからスタート、はじめて意訳いた万葉ソング「生駒山を恋ふる歌」→犬養先生の生誕100年記念曲「父母草」→尾竹さんが一番好きと言ってくださった「夏の夜の夢」→五島列島で披露した「海のシルクロード」→高岡市から委嘱されて作った高岡万葉まつりテーマソング「高岡旅情」→犬養先生が昭和天皇にご進講された東歌の「あなたはダイアモンド」→生駒のハイオービスで一番人気だった「吉野旅情」→唯一のさくらSONG「桜花」→飛鳥時代の唯一の万葉歌「フルフル雪」→和歌山市民会館で開催された初めての「我ら万葉衆コンサート」で、犬養先生の朗唱に引き続き発表した「鶴鳴き渡る」→平城京遷都1300年の天平祭に平城京で歌った「時雨彩色」→おかも登場に合わせて額田王の「潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」と「船出の時」で締めくくりました。みなさんいかがでしたか。
コンサート後、元MBSアナウンサーの柏木宏之さんが、「岡本さん、僕はメドレーは全部歌えましたよ」とおっしゃってくださいました。うれしい~。プログラムに掲載している曲+新曲(エピローグ)と合わせて、22曲ご紹介しました。そして、アンコールでは原点の「二上エレジー」を。今回は退場曲にサンバDEツバキを用いて、合計24曲聞いていただいたことになります。いかがでしたでしょうか。実は、楽譜上にはあっても一度も演奏したことのない曲や、宮城県涌谷町の天平ろまん館のこけら落としで大伴家持の「海行かば」の長歌をご披露したのですが、この時1回きりで、楽譜に残っているだけでもう歌を忘れてしまいました。(笑)

今は万葉講座などで「万葉歌」を新たに意識したり、読み解く中で、作曲してみたい!と思う歌も増えました。
余力があれば・・・今後も作っていけたらいいなあ・・・。

令和元年(2019)年11月17日、思いがけず壱岐市万葉公園開園50周年記念イベントにお招きいただいたことがご縁になりました。
よって高校野球選抜21世紀枠で出場された壱岐高校が身近です。
部員全員が島出身者。島内中学生の3割が野球部員という「島民的スポーツ」の一つだそうです。
選手の誰かが、この万葉公園で走りこんだり、トレーニングしてるかも・・・。思い出もご紹介しておきます。

私は本当にかけがえのない経験をさせていただいた幸運に心から感謝しかありません。それも犬養先生のおかげです。

平成22年(2010)に私の行動の一部となったオデッセイは、14年間の長きを経て、私のもとから新たに旅立っていった。
18万キロ近い距離を走り、私の強引な運転に何度も傷つきながら、そして「この車」はオカモでもあり、最も多く行き来したであろう明日香村では、車を見た人が私の訪問を確認する手段として、特別な存在感があった。万葉うたがたりのコンサートには楽器や機材を乗せ、また両親の介護中には車椅子や押し車もゆうに乗せることができた。私のため、家族のために活躍してくれた大好きな車だった。廃車覚悟だったが、オデッセイは海外での希望者が多いそうで第2の未来があると聞いた。2年前に父が逝き、父が買ってくれたこの車とも別れの時が来た。思い出をいっぱいありがとう! ありがとう私の相棒❤ 涙