三輪恵比須神社の講座(7/23)

昨年の12月から、三輪山のふもとに住まれる方々を対象として、2か月に1度の万葉講座が
始まりました。7月なのにもう境内には「萩の花」が…。
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大和の一の宮の大神神社は、桜井市、あるいは山の辺の道などで、歴史的にも特別に有名な
神社ですが、近くにある、昔は摂社であったといわれる「三輪恵比須神社」は時代とともに
経済的にも地元の活力が落ちたり、高齢化が進むとともに、氏子を中心としたコミュニテイが
揺いでいき、この地域社会を何とかしたいという方々の熱意を汲んで、「住んでおられる
その場所の重要さや、結束を取り戻す手立ての一つとして、『万葉集』に詠まれた故地である
ことから学びましょう…」と言うことで、講師を引き受けたのがそもそもでした。
2か月に1度の機会ももう4回目となり、うれしいことに少しずつ受講生も定着してきました。
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寺子屋ならぬ宮小屋ですね。
畳の和室なので、足の悪い方は苦痛かもしれませんが、神社の60畳ほどの集会所で、
楽しく『万葉集』をお話させて頂いています。
鏡女王の万葉歌碑のある桜井市の忍坂からも来てくださっており、近所からだけではなく
わざわざ来てくださる方も増えてきました。
この講義風景の写真を写してくださったのは、明日香村森林組合で活躍中の荒川さん。
前回の講座のあと、三輪恵比須神社の憩いのスペースが必要…とお願いし、すぐに作って
寄付してくださったベンチ。わたしも設置されてから、初めて見ました。
近所の老人が腰かけたり、昼食を食べていく人もあるとか…。よかったあ。
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そして、宮司の竹内さんと話すうちに、えびす神は「商売の神様」。そしてここ山の辺の道の
三輪恵比須神社は、古代「海石榴市」の商売繁盛の神様???ということで、
ピーン!!!ときた私たちは、大阪福島のTSUBAICHIを地元でTSUBAICHI市を開催する
許可を頂き、ただ今、内容の検討中です。しかし時は9月1日(土)もうすぐです!
でも考えるうちにまた、だんだん楽しくなってきて、当日何が起こるか「つらつらら…」♪
気分が良くなり、遠回りして、帰りは明日香村経由で帰宅しました。
稲淵からの棚田風景は、100選に入る通り、「美しい!」
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遠方まで、半日仕事にはなりますが、やはり万葉故地に訪れる楽しさや、気分転換とともに
自然の風景から、季節の風物詩から、パワーや元気を持ち帰れるので、私には大事な機会です。
講座が出発点ですが、「遊び心」を加えて、地元の賑わいを少しでも取り戻すお手伝いが
できたら何よりだと思っています。

春日大社「犬養孝揮毫記紀歌謡歌碑」建立

2011年12月23日(金)の天皇誕生日、奈良市の春日大社の境内に『古事記』歌謡の歌碑が
建立・除幕された。
「万葉の大和路を歩く会」10周年記念事業で、高円山のドライブウエイ展望所に大伴家持
歌碑が建立された時に、除幕の神事をしてくださったのが、春日大社の花山院親忠宮司だったそうだ。
その折りに花山院宮司が、春日大社にも犬養先生揮毫の歌碑が建立できれば…とお願いされる
ことがあったらしい。それから、21年目にいまや世界遺産となり、歌碑建立が不可能と
思われた聖地に、来年『古事記』編纂1300年紀を前にして、犬養先生が珍しく色紙に書いて
おられた古事記歌謡
「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し麗し」 倭建命(記30)
が、歌碑となり、春日大社の境内に誕生した。
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格式高い春日大社の導きに従い、除幕の儀(神事)は、春日大社のご本殿の前の御廊で行われた。
春日大社の回廊内の特別参拝はなかなか機会がないが、このたびは鳥が翼を広げたように
延びていると説明されている御廊で、参列者全員あげて頂き、ご神事に与らせて頂いた。
春日大社でこのような場所まで入れて頂いたことに感激!
西村禰宜のこの日の為に作ってくださった素晴らしい祝詞をしみじみ聞きながら、また
巫女の舞もあり、本格的な除幕の儀礼を行ってくださったことに心から感謝だった。
私は以前、犬養万葉顕彰会会長だったので、玉串奉奠させて頂いた中の代表の一人として
光栄な機会を頂戴した。
その後、貴賓館で直会が行われたが、その時にはかつての花山院宮司の跡継ぎでおられる
花山院弘匡宮司がお顔を出してくださり、春日大社とゆかりの万葉歌2首をご披露しながら、
喜びの御礼とご挨拶をしてくださった。そして建立された大木さんに感謝状を渡された。
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大木さんは先月自宅でけがをされて治療中。建立も短期間に予定が決まってしまったそうで、
そのハンデイを抱えながらの奔走と伺っている。また除幕式には、病気療養中の奥様もご参列
くださり、ただ体調が万全でないお二人のために、ご長男が東京から車で奈良まで送って
こられた。また、歯科医のお嬢さんが、お子さんを預けて大木さんご夫妻の介助に共に
来てくださったので、ご家族水入らずとは言え、ご家族のご協力あっての建立事業だった。
本当にありがとうございました。
春日大社の御廊でご神事が執り行われたので、歌碑は祝別のみ。紅白の花吹雪が舞い、
喜びとともに、歌碑が無事除幕された。18日に山内さんの出版祝賀会の時に、今日のこの
歌碑の除幕式のことが、情報公開されたが、古事記歌謡の色紙提供者が山内さんと言うことで、
新たな歌碑の裏面には、山内英正氏の名前も刻まれ、記紀歌碑1号記念でもあるこの新碑の
建立は犬養先生からの山内さんへのご褒美?のような気がした。よかったね。
凍てつくような底冷えのする寒い日だったが、心はホットに…幸せ気分だった。
久しぶりの奈良。帰りは春日大社から東大寺の二月堂方面へ歩き、秋にオープンした
東大寺ミュージアムへ。
立派な収蔵庫?ができた…と思いきや。興福寺も中金堂を再建中。
歴女ブームとなった、阿修羅像の人気たるや凄いが、「仏像」ブームもあって奈良のお寺は
今建設ラッシュ状態?
のどかにせんべいを食む鹿たちが、世の中の流れをどのように見ているのだろうか。
聞いてみたいものだ(笑)。
さて、夜は大阪・弁天町のレストランへ。歌姫大岡美佐ちゃんとバイオリニスト村田道代さんの
共演のクリスマスコンサートがあり、ささやかなクリスマス気分を求めて、大阪へ。
犬養先生、山内さん、おめでとうございました!!! 

犬養先生、ご命日。

仕事場から出るときれいな夕焼けでした。お月さまは三日月。
いつもは車か自転車で向う犬養邸に、久しぶりに、本当に久しぶりに阪神電車の久寿川駅から
歩いて行きました。
駅舎もきれいになって変わってしまったけど、犬養先生と共に何度も歩いた懐かしい場所。
てみやげ?(お供え)の「うなぎ弁当」が、妙に楽しくて…。
時間は遅くなってしまいましたが、いつもながらに「おかもで~す。」と訪問。
床の間に神棚が設けられて、犬養先生の御魂がおられました。
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まもなく山内さんが来られ、吉本さんご夫妻と4人で楽しく談笑。
犬養先生の話も、この4人ではつい昨日のような出来事のように、話に花が咲きました。
しかし、もう満13年が経ちます。
山内さんは、つい昨日仙台の出張から帰ってこられたばかり…。
東日本の被災地で、気になる多賀城へも回ってこられたようです。話では想像以上の
被害状況です・万葉歌碑のある、市役所も建物そのものが危険で、近づけないとか。
がれきと、放置された車、人の気配のない商店街…といまだ荒廃したさまのままに
あらためてショックだったとおっしゃっていました。
宮城県に近い岩手の大船渡市。そこの復興のシンボルであるお菓子をおみやげに持って
来てくださっていました。「かもめのたまご」です。
目が悪かった犬養先生なら、本物の卵…と間違えられそうな和菓子?洋菓子でした。
お供えをしてから、さっそく「お下がり」と言って、「いただきま~す。」
犬養先生は、生涯で関東大震災と、阪神淡路大震災と、2つもの大きな震災に遭遇された
稀少な体験の持ち主ですが、それでも「生かされた」ことで、私たちに貴重な体験談を
残してくださいました。それを「語り部」として、山内さんが著作で私たちにも伝えて
くださっていますが、山内さんもまた、阪神淡路大震災で被災した当事者として、また
個人の立場から、一歩踏み出して高校の教員・教育者として、教育機関の震災対応の
メンバーとして、活動を始めておられます。
犬養先生もきっと、「山内君、頑張ってね」と応援しておられることでしょう!
犬養先生がお元気だったら、東日本大震災に何を思われたことだろうか…と思います。
日本の環境破壊は海岸線から始まりました。
その日本の海岸線に多く建てられた原発の設備。天災によって起こるべくして起きた
「人災」に、きっと黙ってはおられなかったはずだと思います。
万葉の「祝島」のニュースを見るたびに、古老が犬養先生と重なります。
今もなお、人間は「風土」とともにある現実を、私たちは実感させられています。
楽しい時間を過ごしました。先生も団欒に加わっておられたことでしょう。
今週は、高岡万葉まつりです。頑張って朗唱してきます…と誓いました。

七夕万葉歌碑

昨日、思い切って両親を連れて、再び「逢合橋」に行ってきました。
七夕まつりが終わり、町内や実行委員会の方々が、ササや、ライトアップの竹の撤去を
しておられる最中で、その道路に邪魔ながら、割り込んで駐車したせいもあり、実行委員長の
佐武さんや、事務局長の吉坂さんにもばったりお出会いしました。(汗)
準備や、あとかたづけや、暑い中本当にご苦労さまでした。
来年からは微力?邪魔かもしれませんが、私も参加してご協力したいと思います。
さて、肝心の歌碑の説明が後になってしまいました。
万葉歌は、
「彦星と 織女が 今夜逢う 天の川門に 波立つなゆめ」巻10-2040です。
作者未詳の七夕歌ですが、この歌を選ばれたこだわりがあります。
七夕歌がたくさんある中で、「おりひめの里、交野」で、「天野川にかかる、逢合橋」に
建立されることから、「牽牛」「織女」「天野川」の3つのキーワードが詠まれた歌に
絞られ(長・短歌合わせて3首あります)その中の逢合橋を思い「逢う」歌を選ばれました。
私が選んだのではなく、地元の方々の「この1首」でした。
書き下しとは言え、書きにくい文字が多くて、そうでなくても危うい即席書家の私には
大きなプレッシャーでした。
また、積極的に「絵画」の力で、各地、各所でボランテイア活動をなさっておられる真和子
さんとおっしゃるお若い素敵な画家のご協力で、歌碑を見た人が思わず微笑むような
「牽牛と織女」の絵を描いて下さり、彫りこまれました。
「絵のある万葉歌碑」は、世界でこれが初めてだそうです。…と思います!!!
犬養先生が、万葉研究者として歌碑の揮毫は「白文」にこだわられたことも納得です。
そして、万葉愛好家の門下生岡本は、これからの若い次世代に受け入れられるように、
書きしの万葉歌にしました。そして、イメージの湧き上がる「ロマンチックな絵」も
添えられた新しい万葉歌碑は、交野市の市制40周年記念の事業として建立されましたので、
私も新たな「万葉発信」のお手伝いができたことを本当にうれしく、光栄に思っております。
万葉歌碑研究家の中西さんによりますと、2050基目の万葉歌碑は、大阪府で34番目だとか。
一生に一度の幸せ体験をさせて頂きました。
両親も半信半疑! 見た後も半信半疑かも。「音楽」「万葉集」好きなことをさせてもらい、
物心ともに投資、援助してくれた両親に孝行ができたかな。
娘の人生を納得してくれていることと思いました。
    
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交野が原の万葉歌碑

天皇誕生日の12月23日、交野の星田妙見宮の参道入り口に、万葉歌碑が建立され、
除幕式が行われました。私たちのお仲間で、万葉や歴史が大好きで、わが町「交野が原」の
七夕伝説の掘り起こしと、郷土文化の発信に尽力されている毛利信二さんが、この事業にも
協力しておられたので、楽しみにしていました。
朝方、雨もあがり、山寺さんと共に、星田神社の近く、星田妙見宮へ。
交野市は新興住宅地もあれば稲田もあり、開発途上かもしれませんが、見渡すと「交野が原」
という名前にふさわしい平野の広がりが感じられます。
3年前に交野市倉治の機物神社で、たなばたの万葉歌碑が除幕されましたが、今回こうして
新たな碑ができ、引き続き地元の方々が、がんばっておられる様子を拝見することができて、
うれしく思いました。
万葉歌は、
「織女(たなばた)の 舟漕ぎ出らし まそ鏡 清き月夜に 雲立ち渡る」
                  
(巻17-3900)大伴家持の21歳の時の歌です。ひこぼしのもとへ織姫が、船に乗って
出かけていく・・・歌は、日本の七夕歌は、男性から迎えに行く歌に趣が変化したと言われており、
中国式の発想を感じます。今日で、この周辺歌碑は5基になりました。
除幕式のあと、ご神体の星石?!(織女石)は、昔、北斗七星の3つの星が落下したその
一つという伝説の石だそうで、是非にみたいと、長い長い階段を昇り表敬してきました。
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この地域が七夕に関わる機物神社があったり、天上のロマンを思わせる星田神社、星田妙見宮
また逢合い橋や、天野川などがあります。近隣の枚方には牽牛石があったり、本当に地霊に
魂が宿るならば、このあたりは天空の里とも言うべき、ロマンチックな情緒があります。
今後は、日本に伝説をもたらした中国の行事を検証したり、日本で七夕で有名な地域との
交流や、まずは地元の誇りの文化として、毛利さんはじめ、みなさんが、楽しく関わって
おられるのを拝見して、私もうれしくなりました。
来年の七夕は、是非もう一度ここに伺いたいと思いました。除幕された歌碑は星田の森にあり、
秋の紅葉、春の桜が美しい四季折々の風情に恵まれたところのようです。
毛利さんのお心遣いで、帰りに、枚方税務大学校の「犬養歌碑」まで連れて行ってください
ました。久し振りです。「石走る…」の歌碑は、御影石で反射するので、写真に必ず人が写り
ますが、うまく「桜の木」のみのアングルで写せました。
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万葉のお仲間が集い、交野市のあらたな万葉のシンボルとなった歌碑の除幕式に参列できた
ことに感謝しています。
ただ、昼食会場に携帯電話を忘れ、本日奪還してきました!(時間がないのに…)!

犬養万葉顕彰会を終えて…。

はじめがあれば、終わりがある…。
永遠に終わりがないことを祈り続けていても、容赦なく現実に向かい合わされることがある。
昨日、2010年9月25日(土)をもって犬養万葉顕彰会が解散をした。
その解散の総会は、犬養万葉の心の拠点でもある明日香村で行い、80名近くの会員が
参集してくださった。
  
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平成20年10月3日の犬養先生の命日祭を最後に、私が会長を務めた第5期は終了し、
山内英正さんを代表として「犬養万葉顕彰会」は休会した。第6期を引き継ぐための
世話役や、手だてをいろいろと摸索した後の「休会」だった。
その後、休会中の顕彰会について議論・検討した結果、権威ある会をあいまいな形で消滅させる
ことは犬養先生に対して申し訳ないことだと結論を出し、解散のための準備に入った。
そして、2年後の秋の昨日、その日を迎えたのだ。
多い時には1500名くらいの会員を擁したこの会も、犬養先生が亡くなられてから以後は、脱会
されたり、亡くなられたり…とずいぶん人数も減少したが、「顕彰会」の名の通り、犬養先生の
没後、新たに入会された方や、平成19年の犬養先生の生誕百年に賛同してくださった方も
準会員として包含したので、最終的に全国で約523名の方々が、会員として名を連ねて
くださっていた。委任状も含めて有効数を確保できたので、解散決議案を出席者にはかり
ご承認頂いた。終結に向けて、役員で、企業マンで経験豊富な城山さんが、社会的に理解され、
常識的な内容で総会が進められるようにお骨折り頂き、心から感謝している。
そして、会員への約束通り、山内さん監修の生誕100年祭総括の「犬養万葉は永遠に」という
記念冊子を作成し、皆さんへの餞(はなむけ)とした。
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会場となった「かんなびホール」は、明日香村の社会福祉センターで、「太子の湯」で親しまれている
所だ。犬養万葉記念館の設立時には、事業部長であった吉田さんが、偶然所長としておられ、
当日の便宜も図って頂いた上、既に18日から3日間で終わって、既にかたづけられていた
「光のイベント」のオブジェを顕彰会の総会の参加者のために、再び展示して下さったり、
総会にも参加して頂き、ご挨拶をしてくださった。明日香村としての厚意を代表して示して
くださったことを本当にありがたく思った。
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当日は、代表者山内さんの都合で、午後からの開会になったので、午前中は有志で
「明日香村散策」を計画し、元副会長の水本さんが、下見をし、資料を作り、案内してくださった。
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役員で、犬養先生の歌碑を見るコースや、象徴的な甘樫岡など、意見を交換した後、やはり
顕彰会ならではのウオークを…と普段あまり歩くことの少ない、飛鳥駅の反対側の
古墳コースを歩くことに決めた。その後タイムリーに、そのコース上の牽子塚古墳が、斎明陵で
あろうと発表されたので、このたびの参加者もこのコースは、思いがけず興味深い散策
だったと思う。すべて運のよい運びだった。
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常に「先生、これでいいのですよね」と問いかけながらの準備だったが、明るく前向きに
お別れをすることが、「言霊」の世界なのだと思う。
会の結成時から、最後まで見届けてきた私にとって、思いがけない終末を迎えたが、
犬養先生を通して、顕彰会でいろんな方に出会えたし、多くの方に支えても頂いたことの感謝。
ひとえに犬養先生の「人徳」の賜物であり、それぞれが人生の一幕に「犬養先生」との縁の
誇りを感じておられることを私も含めて確信している。
最後まで尽力くださった、7人の侍の役員諸氏(オカモ・水本・鈴木・橋本・澤田・城山・山内)に
深く御礼を申し上げ、よい結束で最後までがんばれたことも私の喜びである。みなさんお疲れ様でした。
切なくも、でも肩の荷を下ろした1日。犬養先生、これでいいのですよね?
犬養先生、犬養万葉は永遠に…。

「犬養先生を語る」その五

サロンの近くの淀川の花火大会も8月7日に(無事終わり?)旧暦の
七夕の日を境に、秋風の吹きにし日より…の万葉歌のとおり「立秋」を迎えました。
気のせいか、少し風が立ち、一時の暑さもなごんだような気がします。
待ってましたとばかりに、車で通りがかった山間では、ひぐらしの声が聞こえ、
私は「秋」と言うと、心待ちの風情はなく、秋以降の行事や懸案を思って冷や汗が
流れます。
サロンでは、高校が夏休みと言うことで、教師の山内さんに、サロン開所当時から
こだわって開催してきた「犬養先生を語る」シリーズを再度お願いしていました。
今回はホットニュース(HPでもご案内している、茨城県下妻市大宝八幡宮に
建立された犬養先生の書による万葉歌碑)もあり、山内さんが除幕式に参列されたので、
その報告を是非聞かせて頂きたかったこともあり、サロンのプロジェクターを活用して
映像で確認しながら臨場感あふれるお話を伺えました。
私が138基目と思っていたのは誤りで、犬養先生の生誕100年祭の時期に堺と福岡県桂川町
に2基建立され、136基となりましたが、その後愛媛県久万高原と大津京に2基建立されて
いるので、実は今回で139基目と言うことでした。140基目も準備はされており…。
(内緒!)
また、新碑と合わせて、戸倉上山田温泉の「佐久屋」さんが、旅館を閉じられ、玄関庭
にあった歌碑が、千曲川沿いの万葉公園に移設されたことや、飛鳥坐神社の歌碑の敷地内
移転や、最新情報を教えて頂き、歌碑の建立に際して考えられなかった状況の変化などに
複雑な思いも残った。しかし、この暑いさなか、山内さんの行動力にも脱帽する。
ひたすら「歩く」情報収集なので、熱中症にくれぐれも気をつけてくださいね!!!
仏教で言えば、今年は犬養先生の13回忌に当たります。ちょうどお盆の時期も近く、
今回は私の中では「犬養先生を偲んで」というテーマで、皆さんに来ていただきました。
NHKのアーカイブス「あの人に会いたい」のビデオを見てから、次には、
万葉うたがたり会の歌姫、大岡美佐ちゃんによる犬養先生がお好きだった島崎藤村の
『若菜集』『落梅集』からの詩歌の名曲コンサートで、万葉旅行などを思い出して
頂きました。舞台では「初恋」の乙女の可憐な美佐ちゃんの浴衣姿が素敵でした。
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お暑い中、多くの方にお集まり頂き、ありがとうございました。
今後も「犬養先生」を特化して、サロン企画で続けていこうとおもっています。

堺万葉歌碑の会、例会。

1年に一度、百舌鳥野と浜寺の犬養万葉歌碑を訪ねる日がやってきた。
今年は4月12日。
大仙公園の満開の桜を期待した日の設定だったが、あいにくの朝からの春雨で、
少し参加者が少なかった。平成8年に建立された仁徳天皇の皇后、磐姫の「万葉歌」
(巻2の85~89の5首)と、平成19年に藤井寺の個人病院から浜寺に移設された、
置始東人の万葉歌碑2つを、現在しっかり守っておられる澤田さんを中心とした堺万葉
歌碑の会の方々と歩いた。
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      椿の花で飾られた万葉歌碑。ロマンチックでした。
御陵さんからバスで、宿院へ。阪堺電車(チンチン電車)に乗って浜寺下車(終点)。
駅前の「お団子屋」さんで、花見団子や、すはま団子や、春の味覚を調達。
それだけでも幸せ気分!!!
人気のない松林だったが、りりしく存在する万葉歌碑は、絵になっている。
先生、また来ますね! と久しぶりの見学を楽しみ、帰路についた。
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犬養万葉記念館「若菜祭」にて

石舞台公園の桜です。満開の一歩手前くらいでした。
菜の花の黄色と、コケモモの紅色と、桜のピンク色が本当に
鮮やかな「春の景色」を演出していました。
それから、平成15年に植樹した「オカモ桜」も大きく育ち、きれいな
花をつけていました。ありがとうね。
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犬養万葉記念館は、犬養先生が亡くなられて2年後、平成12年の4月に
オープンしました。早くも今年で10年目を迎えます。
犬養先生のお誕生日が4月1日であることから、その時期に「若菜祭」と
言う行事として、飛鳥坐神社の飛鳥弘文宮司さんの司式のもと、記念館の
1年間の安泰といや栄を祈り、ご神事をすませたあと、きょうは和田翠先生の
記念講演、「万葉の歌音楽祭」の歴代大賞受賞者の演奏会、万葉朗唱の会と
盛りだくさんのプログラムで、10年目の佳き日をお祝いしました。
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私も久しぶりの明日香村訪問で、時間を惜しみました。
森林組合で頑張っておられる荒川さんからの情報を頂いていて、荒川さんに
ご案内を頂いて、「アントクの丘」へ登ってきました。桧隈の高松塚の犬養歌碑を
裏側から見る位置にあります。
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犬養先生の「万葉の旅」からの言葉が、木碑に書き記されていました。
吉本ご夫妻もご覧になり、また新たなスポットでのひとときを楽しんで
くださいました。
やはり心がなごむ明日香村の風景…。あり通ひ見む!

犬養万葉顕彰会旅行!

昨年は、犬養先生の生誕百年を記念して、いつもの万葉故地旅行に
犬養先生の原点である「阿蘇の噴煙」を求めて、熊本の地を加え、
赤レンガの建物の残る、旧制第五高等学校や阿蘇山なども訪れました。
今年の三月末で、私が会長を務めていた顕彰会の第五期が終わりました。
ただ、07年間で行った長期旅行の万葉エリアが、1箇所残っていましたので、
旧役員有志で行うことを決め、山内英正さんを顕彰会の代表、そして講師として
今年度も「浜松万葉旅行」を行いました。
厳密に言うと、浜松、浜北、浅羽町の三箇所をコースとしましたが、平成の
大合併により、浜松と浜北が1つの浜松市となり、今回見学の犬養歌碑は
浜松市の行政区だけで7基(浅羽町→袋井市で2基)という、一つの万葉
エリアとなりました。
ここ数日、猛暑日が続いており、この季節の旅行に不安も抱きましたが、
やはり万葉ファンは普段から「万葉熱中症」ですので、免疫があるのか!?
ハードな旅でしたが、一人の体調不良者を出すことなく終えることができた
ことにほっとしています。
しかし犬養高気圧もますますボルテージを上げていましたね(笑)。
おな
浜名湖の湖北の猪鼻湖の西方にある「乎那の峯」の砂洲は、今はホテルが
建っていますが、峰がやがてひじ(砂洲)となるまで、寿命が続いて欲しい・・・と
詠う、祝賀の歌の故地。そこには犬養先生の136基ある歌碑の4番目に建立
された歌碑があり、コースはそこからスタートしました。
次に、引佐細江の澪つくし(模型)を見、吾跡川柳を見て、宿泊の舘山寺温泉へ。
今年はこの時期に花火大会がなく、団体の宿泊が可能となりました。ラッキー!
到着して食べた「いちごのかき氷」が美味しかったこと。
そして、すぐに汗を流したくて、露天風呂に入りましたが、よく晴れた空、
広がる浜名湖を見ていると明るさと暑さで、まるでプールで泳いでいるような気分
になりました。(汗)
もちろん、一品は鰻の蒲焼が入ったお食事に、舌鼓を打ちながら、大宴会。
自己紹介などをしながら楽しくひとときを過ごしました。
各地から、各世代の方々がご参加くださり、また犬養先生や、万葉集との
いろんな関わりなどを知ることができ、有意義な交流会でした。
翌日は、露天風呂で日の出を見た人も多かったようですが、早朝から快晴!
8時に出発し、浜北へ。南陽公民館、浅羽の八幡神社、浅羽図書館、そして、
お昼は浜北万葉の森公園に行き、犬養歌碑の見学を中心に、防人の歌の
ふるさとを偲びました。昼食は今回の旅の目玉とも言うべき、「古代食」を
経験しました。
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地元の「月草の会」のご婦人たちが、資料をもとに再現されたり、
また古代から今もある植物を、食せるように工夫を重ねて、新たな献立を
加えてくださった・・・などご説明も聞きながら、興味深く美味しく頂きました。
「月草(つゆくさ)」の天ぷらは、初めての体験でした。夏の献立で、
鰻の蒲焼(語源はがまの穂)は、武串に上手に形作られて、感心しました。
予約制で(食材の準備が大変!)いつでも食べることができるので、是非
浜北万葉の森公園へ行かれて、種類も充実して、よく手入れされた万葉植物を見て
犬養歌碑や桜井満氏の歌碑を味わい、古代の食事・・・とできるだけ多くの人に
足を運んで頂きたいものです。
植物は夏場で、限られていましたが、浜木綿、蓮、ひおうぎ、そして秋の七草の
女郎花、撫子、桔梗、めずらしいところではピンクではなく紫の山ぢさが
咲いていました。
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少しあわただしかったですが、次の若倭神社、麁玉(あらたま)公民館、
浜北文化センターと、きょう一日で8基の見学を達成しました。それぞれに
個性があり、石の種類や、建立地のこだわり、地域性を感じる建立スタイルや、
歌碑の意義の現状などを確認することができ、本当に密度の濃い旅となりました。
参加者のみなさんとも名残は尽きず、またの再会を願いました。
今日(28日)は、昨日と一転して全国的に天候不順で、近畿は雷雨、洪水警報の
出る大荒れの天候となりました。金澤の浅野川は氾濫、敦賀では竜巻や突風が吹き、
山内情報では、浜北(静岡)も風が吹き荒れたということだそうで、びっくりしました。
やはり私たちの旅は犬養先生に守られていたのですね。
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昨日の浜松は、37.7度と全国で2番目に暑かったそうで、私は先週の岡山も
日本で2番目の暑さと言われましたので、わざわざ選んで行っているのか・・・と
思うくらい!?(笑)。でも家で過ごしている方が、よっぽど暑く感じます。
そうそう、張り切って(いや、ドキドキしながら)出かけた前期試験は、
警報発令のため延期となり、教室の「急告」張り紙を見て、がび~ん!
試験勉強の時間を稼げたと思うべきか、ドサクサで終えたかったという本音か、
微妙なところですが(汗)、自然の変化には逆らえません。
犬養万葉顕彰会での旅は一段落しますが、犬養先生との心の旅は永遠に続きます。
参加者のみなさん、ゆっくり疲れをとってくださいね!!!
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