信州の旅(②千曲川の歌碑)
全国に141基ある犬養万葉歌碑も、時代と共に状況が変化し、移転したり、所有者が変わったり、時には歌碑が行方不明になったこともあり、建立された場所、状況が永遠ではないことは、今までも何か所か経験がある。このたび確認のために出かけたのは長野県の千曲市の戸倉上山田温泉の温泉旅館、佐久屋さんの跡地だった。ご主人の小林さんご夫妻そろっての犬養ファンで、私も東京の会合では必ずお目にかかっていた。東歌の「信濃なる千曲川の細石も君し踏みてば玉と拾はむ」は、犬養先生のおかげで一躍「有名歌」となった。著書『万葉の旅』執筆の頃から、付近をくまなく踏査され、万葉の旅では学生をはじめ多くの人々を引率して河川敷を案内された。佐久屋さんとのご縁のきっかけも想像できる。佐久屋さんは宿の入り口に念願の犬養先生揮毫の碑を昭和61年に建立された。平成19年、犬養先生生誕100年記念イベントで犬養万葉顕彰会(会長;岡本)で東国万葉旅行を行った時に、80名全館貸し切りで、宿泊させていただいたが、今や貴重な思い出となった。
その後、温泉街の親睦バス旅行なども減り、上山田温泉も人が遠のいていったが、川沿いの土手に千曲川万葉公園があり、そこには、昭和60年に町おこしのために文学碑を数多く建て、整備拡充事業を行った時に作られた公園で、犬養先生は千曲川の中州を思わせる「中麻奈」を詠んだ、やはり信濃の東歌の歌碑を揮毫されている。佐久屋さんの後継者問題もあり、ついに廃業が決まり、宿の歌碑は万葉公園に寄贈、移設された。2年前の大雨の千曲川の決壊で万葉公園も心配されたが、無事で何よりだった。
今回もう一つの懸案は、佐久屋さんの女性風呂のタイル壁面にはめ込まれた「試し彫り」の碑の行方だった。旅館は手放された後、不動産屋さんの手によってリノベーションされ、客室を利用したマンションに変身していた。一見建物は変わらず、お風呂はどのようにリニューアルされ、そして「試し彫り碑」は残っているのかというのが今回のミッションだった。
ありがたいことにお風呂は改築工事の範囲から外れており、手つかずの倉庫のようになって残っていた。不動産屋さんの社長立ち合いのもと、確認させていただいた。「あった♥」
訪問の打診から、社長さんも貴重な(マニアックな)試し彫り碑であることを知られ、今後どうされるかわからないが、女風呂から移動してもきっと大事にしてくださることだろう。所有は会社となる。
過去、木綿山歌碑、福徳銀行辰口歌碑、高師浜病院歌碑、桜井ユースホステル歌碑など、個人で建立された犬養歌碑が行き場を失って、私たち関係者たちで移設先を探したり、行政に管理してもらえるように申請をしたり、いろんなことを経験してきた。建立された以上は、終生大事に管理、手入れまで責任を持てる確約がないと・・・と私たちも犬養歌碑が増える喜びと共に、保守されることへの思いも一入だ。千曲川万葉公園に仲間入りした2基目の犬養歌碑。恩師の佐佐木信綱先生の歌碑と同じ安住の地を得たことに今は安堵している。
信州の旅、最後は千曲川万葉公園を造られた当時の町長のご自宅へ。