続き・・・。

8月28日から3日間、現地の隣地研究バス旅行もいれて、奈良女子大学古代学
学術センターと万葉文化館との共催で、「2010年度、若手研究者支援研修会」が、
行われた。
私は、28日しか空いていなかったので、高岡の行事と、初日の特別講義を
意識して行動したのは、前述の通り…。
特別講義は、「万葉集原本への道」というテーマのもと、文部科学省教科書調査官
である万葉研究者の田中大士氏の「万葉集諸伝本の再整理」と、青山学院大学教授の
小川靖彦氏の「『書物』としての万葉集古写本~新しい本文研究に向けて~」の2題を
拝聴した。
いわゆる万葉集の研究の中でも、『万葉集』の原本がない以上、現存の写本が、万葉歌の
解釈の基本・基準となるわけであるが、特に、鎌倉中期に最終的に『万葉集』すべての
歌に訓を加えた仙覚の「訓」について、何を底本として読みとっていったかの考察を
田中先生にお話頂いた。私の関心のあるジャンルでないのだが、聞いていて、仙覚が
『万葉集』解読のために努力を重ねている姿が、具体的に目に浮かぶようで、大変興味
深く、面白かった。私の写本(類)に対する印象も少し変わった!
また、小川先生は、万葉歌を「書」として捉え、写本も意図的に歌を扱う上での表記の
変化などにより写本の性格が異なってきたのでは…等話され、万葉集研究にこのような
方向もあるのだ!と感心しながら聞かせて頂いた。
何より、「楽しいひととき」だった!
やっぱり『万葉集』って、魅力的!!! 奥が深い!!!
またしても『万葉集』に癒された…というのが、続きの顛末でした。ハイ!

誠実に深く人生を生きたい・・・上でいろいろあります。

いつもは夕方の御ミサですが、久しぶりに日曜日の9時のミサに与り、オルガン奉仕を
してきました。練習不足で、神様ごめんなさいです。
このところ、私にはモヤモヤすることばかりの中、アシジのフランシスコの平和の祈りを
しながら、少し落ち着きを取り戻せました。
「……慰められるより、慰めることを、理解されるよりは、理解することを。
愛されるより、愛することを…」と唱えながら、人生を深く生きることは、それだけ
深い問題のため息となるのだ…と感じます。
昨日、2か月ぶりに平城京へ行ってきました。あれ、富山県の予定が何もないやん?
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さすがに、宮跡を吹き抜ける風は、秋の風情を感じます。
ただ、日陰や、日差しを凌ぐ建物が少ないので、会場自体は閑散としていました。
28日から3が日、富山県の日?で、県の展示や万葉まつりの朗唱パフォーマンスがあると
言うことで、サロンのTUBAICHIも28日の案内もかねて休館し、協力体制で臨んだはずが、
日程は、29日から3日間でしたし、私も「8月の富山県の日に協力をお願い!」と言われて
気にかけていたことでしたが、結論から言えば、正式な内容案内すら頂いていないことで、
私が何の配慮も必要なかった・・・という自己嫌悪でした。
昨年の「下向の旅」以来、反省して、今年の万葉まつりもご招待を辞退し、新たな
「高岡市」とのお付き合いを考えました。犬養先生がこよなく大事にされ、私たちを
導いてくださった「高岡市」の魅力を私たちも継承して行こうと微力ながら応援して
参りましたし、思いがけず、前橘市長さんから長年の協力を「特別感謝状」と言う形で
認めて頂き、大変光栄だったことも合わせて、「高岡」に対する印象を否定したくないと、
私が新たなお付き合いをすればいいのだと自覚した矢先のがっかりでもありました。
今日から、交流館で犬養先生の「かたかご」の書や、実物大の越中国分寺址の碑などが
中心に展示されているそうです。まほろばステージでは朗唱が午前と午後で行われた
はずです。なんだか、とっても寂しい気持ちです。でも私がお節介だったのだと
自己反省しました。ただ昨日午後からなら女子大学で、若手支援のための研究会が
開催され、とても有意義な時間を過ごしました。久しぶりに「万葉集」研究の楽しさを
感じました。それで、気分転換が出来た事が幸いでした。
つづく・・・。

高岡市万葉歴史館も20才になりました!

今年も「万葉セミナー」に行ってきました。開館20周年を記念して、セミナーも
原点へ…と「大伴家持研究の最前線」ということで、大伴家持を歴史上から、また家持の
中国文学の教養と影響を、そして万葉集の編纂の手法、人間「家持」の歌人論、今後の家持研究の
研究課題など…テーマの角度を変えて、万葉研究の著名な先生方が5人講義をされました。
「最前線」と言うタイトルに、越中万葉歌壇を作り上げた「大伴家持」を顕彰し、町を
あげて「万葉集」でふるさと作りを続けてこられた高岡市ならではの、大伴家持研究の
拠点としての自信と誇りのようなものを感じました。
私は開館の時から初代の名誉館長となられた犬養先生と足を運んでいましたので、はや
20年も経ったことに驚きと感慨を覚えます。万葉集を中心とした上代文学関連の書物や
論文の充実した図書館は、いつ伺っても、何時間でもゆっくりここにいたいと思わせる
魅力的な場所です。
私がいる時も、ちょうどあいの風のボランテイアの方が、司書の梶さんに「説明」を
聞いておられるところでした。ガイドをしながら、知識でわからないこと丁寧に教えて
もらえる市民にもやさしい図書館だと思いました。
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そうそう、JR高岡駅がいよいよ改装がすすみ、駅の様子がかわりました。
もちろんエスカレーターやエレベーターが付き、大きい荷物をふうふういいながら階段を
昇り降りしていましたが、もう大丈夫!ご年配や障害のある方も利用しやすくなりました。
ただ、デパート直行の出口がなくなり、(デパートの賑わいが少なくなるかも)一瞬
新しい出口に戸惑いました。このような変化を見届けることができたのも長年通い続けて
きたおかげ!?ですね。
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わずかな時間、あまりにいいお天気なので、美しい海、空を見たくて雨晴海岸に行きました。
 渋谷の 庭よくあらし 車並めて いざうち行かな 見つつしのばむ (れれ持)
思わず「きれい!」とうっとりした、その写真です。
海風も心地よくさわやか、鰯雲?も広がり、大阪より涼しい!「今はもう秋」の風情。
やっぱり高岡はいいですねえ。
次回は10月2日に、わがサロンから「高岡市万葉まつり」にバス旅行で訪問します。
一人でも多くの方に高岡を好きになってほしいですものねえ。自慢の万葉故地にお連れしなきゃ! 
楽しい2日間でした。

菊水丸さんの盆踊りに行ってきました。

夏と言えば、盆踊り…と漠然と「盆踊り」を捉えていましたが、
この行事を通して祖霊や死者を慰め、黄泉の世界に再び送り返すことから
はじまり、定着した行事なのですねえ。
春に叔父さんを亡くされたうたがたり会の山口ひとみさんが、初盆にふるさとへ
帰省し、故郷での精霊に対する生々しい?盆おどりの話を聞いたばかりでした。
私は、憧れの河内家菊水丸さんが、お盆を中心に「夏」、いろんな櫓で盆踊りの
音頭取りとして「河内音頭」を謡われますので、何とか一度体験したいと菊水丸さんの
予定を見ながら私のスケジュールの合うところを目論んでいましたが、やっとこさ、
サロンからも近い大阪、弁天町のオーク200というビルの広場で「盆踊り大会」が
2日間に亘って行われましたので、17日に張り切って行ってきました。
午後6時半から9時半まででしたが、周りには屋台も立ち並び、すでに前座歌手の歌に
合わせて多くの人々が踊っておられました。時間とともに人の輪も大きくなり…。
発見したことは、盆踊りは時計回りではない!(私が無知だったのかも???)
盆踊りも江戸時代以降か?郷土色が豊かになり、私たち関西人は盆踊りと言えば、
河内音頭ですが、ポピュラーな炭坑節など合わせて耳にしますが、よくよく見れば
衣装は、浴衣姿あり、法被あり、よさこいあり、阿波踊りあり、風の盆まで???
何でもありやん!!!(笑)
私も乗りやすいたちなので、仲間がいれば踊りだすのですが、今日は見学!
しかし、菊水丸さんが登場されてからは、ヒートアップ! もはや宗教(念仏踊り?)を
見ているようで、暑い中、汗拭きふき30分以上休みなく謡い続けられる菊水丸さんも
大変だと思いましたが、また、踊る別世界でひたすら踊る人たちにもびっくりさせられ
ました。あのパワーは、すごいとしか言いようがない。
それくらい「盆踊り」と言うものの、庶民性・集団力・開放感・交流力を見せ付けられた
ような気がしました。特に菊水丸さんの動員力は大きいそうです。
冷静に見ていて「アヴィニョンの橋の上で」の歌を思い出しました。
♪アヴィニョンの橋で、踊るよ、踊るよ…。♪
 櫓のまわりで、踊るよ 踊るよ 櫓のまわりで、輪になって組んで。
子供も踊る、大人も踊る、男も踊る、女も踊る、
妊婦も踊る、車イスも躍る、じいちゃんも躍る、婦人会も踊る。
親子で踊る、外人も踊る、障害者も踊る(びっくりしました…杖なしで!)
まさにこのオリジナル歌詞が、頭に浮かんできました。
盆踊りは、小学校の校庭や、公園でやるものと思っていましたが、都会のシジマが
お祭り広場と化して、多くの家族連れや、踊りたい人々が集まってくる都会の風景を
少し不思議な気持ちで見ていました。
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菊水丸さんも、汗を拭きふき、30分以上ぶっつづけで河内音頭を謡われます。
声も枯れるだろうし、この暑さは疲れも増すことでしょう。
上海万博も音頭取りとして、場を盛り上げ、きっと長時間謡いっぱなしだったのだろうな
と思いました。踊りの賑わいは、私が体感したように、上海でも目を引く盛り上がり
だったことでしょう。
謡う菊水丸さんもたいへん、経ちっぱなしで見ていた私も疲れました。
疲れを知らぬ「踊る人々」には脱帽でした。

しめて、980円なり。

美味しそうなトマトでしょう!
明日香村の夢耕社で販売しているとれたてのトマトです。
今日は、久しぶりに公務で明日香村へ行って来ました。
犬養万葉記念館主催の「万葉の歌音楽祭」の第1次審査です。
ありがたいことに「万葉うたがたり」に敬意を表して頂き、審査委員長?的に
扱って頂いています。
本選は、今年の明日香村の観月会の日、9月23日です。仲秋の名月を今年は私も
明日香村で迎えられそうです。
そして、犬養万葉記念館で少しお勉強しよう!などと思っていたのですが、運悪く
休館日。残念でした。そして帰りがけに明日香村の地場産業品の購買所「夢耕社」に寄った
というわけです。
明日香村のトマトは土臭くて、夏の香りがするので、大好きです。
それで、以前、明日香村の宅配「采女の宅配便」でトマトを購入したのですが、やはり
箱で買うと早摘みで熟したトマトではないので、あの独特のうまみがありません。
それで明日香村へ来た時はもぎたてのトマトをい買うことに…。
もう季節も終わりに近くなりましたが…。
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ついでにお野菜も購入。生産者の名前がある「顔の見える」商品なので安心です。
明日香村はいろんな種類の野菜が栽培されていますが、高温・多雨で野菜の値段が
高騰している時に、このお安さ!!!!!
しめて980円でした。主婦としてはお得感あり!でした。
ということで、明日香村の1日を過ごし…。
実はマイカーを買い替えることになり、9月には新車となります。
おそらくこの車で明日香村へは最後の機会かなと思いながら走りました。
スピード違反で捕まった思い出! いつも二上山の夕陽を見ながら帰宅する感慨などなど…。
愛車とは明日香村での思い出が一杯あります。車と別れがたい思いを抱きながら過ごした
1日でもありました。

オカモの東京日記 終わり

今日は敗戦記念日。昨日帰宅前の東京でものものしい現場に遭遇しました。
行先は永田町。
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一度行ってみたかった国立国会図書館。
「永田町」の国会議事堂の傍…と地図で見ていましたが、本当だ、あった!
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これは図書館の敷地からの光景です。
東京で過ごす時間は、私の勝手な予定に従ったものなので、連日粛々とこなしていきました。
最終、東京からの帰り際に国立国会図書館へ行って、見学と登録をしてきたいと思い…、
地下鉄半蔵門線の永田町駅から地上へあがってみると「敗戦記念日」の前日と言うこと?か、
右翼の街宣車が、口汚いべらんめえ調で、大きな騒音公害となって、まあうるさいこと。
ちょうどま上を走る高速道も、わざと徐行した街宣車が連なり、走行しているのが見えて、
そこからもマイクでがなりたてており、ひょっとして、歩いている私が狙い撃ちされるの
ではないか…とビビるほど、多くの右翼団体が終結していました。またそれに対抗するために
多くの警察官が、各交差点ごとに道路閉鎖をして、警備を行っている!
私もはじめは「何があるのだろう!」と理解できなかったのですが、そうか、明日の敗戦記念日を迎える
前夜祭みたいなものだ…とわかり、前日でもこのように大騒動となる永田町周辺を興味深く
観察、体験できました。
近くには靖国神社もあるし、お盆で永田町そのものの行政府は夏休みですが、自民党や
民主党本部もあり、政治家の靖国参拝問題にみられるように「敗戦記念日」を考える、象徴的な
場所であるのかも…。ともかく図書館に入館するまで、警察官に見守られての「おかもの
ご来館」「ご入館」となりました。えらいこっちゃ!
               民主党.jpg
図書館は耐震工事中で、大規模ですが、そうでなくても古く殺風景といってもいい建物でした。
通常の図書館とは違い、研究のため?資料入手のため?の人が多いが、要するに必要な
ものの「請求」をして図書を得るので、書架や、現物の書物が見当たりません。
閲覧場所・手続きの場所・規模も大きくて、小1時間かけて見学したつもりでしたが、よく
理解できませんでした(汗)。ただ、遠隔からも利用できるように登録しておきたかった
ので、目的はまあ達しました。
帰路もまた人がたまったり、警備中の警察官の前をすりぬけて、地下鉄へ。
まあ、気分はスリリングなひとときでした。
でも前には国立劇場もあり、ここらは「国立」の施設が集まっている場所なのですねえ。
などなど、予定通りの懸案の用事をこなして、夏休み「東京行き」は無事終了。
もちろん、谷中の犬養先生には、一番にご挨拶に行ってきました。
お墓でもっとゆっくりしたかったのですが、蚊がすごくて早々に退散。ごめんなさい。
谷中墓地の名物のネコたちも暑いせいか、あまり出会えず残念でした。
仕方がないので!?自宅の優雅なはなちゃんです。
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このくそ暑いときに、よう出かけるわ!…と上から目線でした。

オカモの東京日記 その2

筑波エクスプレスに初めて乗ったのですが、大木さんに伺うと
東京ー埼玉ー千葉ー茨城…と4県をまたいで走行しているそうですが、
「秋葉原」から「つくば」まで、快速でわずか、52分です。
犬養先生と旅した頃は、筑波山に行くのに、鉄道では土浦(だったっけ?)を回ったり、
東京駅からの高速バスに乗って、「不便だった!」と言う印象が残っていますが、
本当に便利になりました。
筑波山では「がまの油」が有名ですが、今回は筑波大学のグッズを買いました。
(いつもいろんな大学に好奇心のある私!)
だって、目を引いたのが、校章の「五三の桐葉」だったもので…(笑)
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熱中症対策で、秋葉原に帰着して、駅ビル?のAKIBAトリム店で、見つけたサーテイーワン
アイスクリーム!(全国にあるのですが…)
もちろん、チョコミントで涼をとり、一服しました。
大阪と違い、東京で「独り」で食べるのは、何とも言えずかっこよく見えません?
しかし、写メールを撮っている私を見られてしまい、かっこ悪い!(汗)
                チョコミント.jpg
そして、久しぶりに銀ブラをしました。
45年以上(ひえーっ)仲良しのタケモと銀ブラをしました。
ついバーゲンの時期でもあり、東京銀座で買い物なんやから!!!と意気込み、靴と
バッグを買ってしまいました。まあ、いいッか。
でも久方ぶりのバカンスにとっても楽しいひとときでした。女の子ですもん!
東京は次々と大きな高層ビルが建て変わったり、増えていますが、ビルの中にも木陰が
あったり、「緑」が多いのに感心します。夏のお昼なのに、外でお弁当を食べてる人も
多いのに驚きました。
東京での非日常を満喫しながら、過ごしました。

オカモの東京日記 その一

行ってきました! 下妻へ!
気になっていた、139基目の犬養歌碑。サロンTSUBAICHIの夏期休暇は
世間のお盆の時期に合わせて、3日間(13・14・15)と取らせて頂きますが、
その期間は、かえってお里帰りの混雑と重なってしまうので、少し早めに
有給?休暇をもらい、出かけてきました。
出かけた12日は、ちょうど、大阪は台風4号の影響で雨模様でしたが、関東は曇り空
で、かえって風もあり、酷暑から開放された1日でした。
建立者の大木さんが、私の急な予定に合わせて、わざわざ関東鉄道常総線の大宝駅(無人駅)
で出迎えてくださいました。
大木さんは、約10年前から万葉の大和路を歩く会に参加しておられ、その後犬養万葉顕彰会へも
入会され、毎月の旅行会や、万葉関連の行事のたびに、関西・奈良方面へ何度も足を運んで
下さっていますが、このたび私も東京からつくばエクスプレスに乗り、関東鉄道に乗り換え
現地へ伺ったことで、距離感もよく理解できましたし、時間とお金をかけて何度も足を
運んでくださることに感謝しました。
私は大宝八幡宮へは、犬養万葉顕彰会の東国旅行の下見時に、車で立ち寄ったことあるので
初めてではなかったのですが、今回「自分の足」で確認することができ、関東鉄道の
行く手に見える筑波山の山容や、周辺遥かに広がる関東平野の稲作畑に、感動しながら
旅心に弾んで向かいました。
             
大木さんの住まわれる下妻市は、常陸国ですが、大宝八幡宮はその名の通り大宝元年
つまり大宝律令の制定された701年の創建と言うことで、やはり万葉時代とゆかりの
ある場所に犬養先生の歌碑が建立された感慨を感じました。
フォトギャラリーでまたご紹介しますが、私たちが万葉旅行の下見で立ち寄ったのは、
既に大木さんによって、(坂本先生監修の)筑波嶺に登る歌の長歌歌碑が建立されており、
境内の狛犬の台座石には、大森亮尚先生の「筑波嶺」の防人歌が揮毫されています。
数年前に、万葉旅行のコース設定の途中に見学させて頂いたことがありました。
この八幡宮は、もと大宝沼(鳥羽の淡海)に囲まれた台地の大宝城の跡に建っており、
城壁に沿ってあじさい苑が作られています。前回うかがった時はちょうど紫陽花が美しい
時で、その時の印象がとても強く残っていますが、開園されて15年目の今年が今までで
もっとも美しかった…と山内宮司さんがおっしゃっていました。
ひととおり宮司様にご案内して頂いた後、私の時間の許す限り、大木さんに筑波山周辺の
万葉歌碑や、?歌(かがひ)をした場所(5説くらあるらしい)の候補地を3箇所連れて行って
くださいました。私がサロン名に「海石榴市」を謳う「歌垣」とよく似た、筑波山での行事です。
そして、ブログでご紹介の写真は「オカモ」の歌???
「筑波嶺に 雪かも降らる いなオカモ かなしき子ろが 布乾さるかも」の万葉歌碑です。
いやいや、「イナ、丘も…」とここは飯名(いな)神社の境内でした。
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横にちらりと大木さんが…。
報告事項はいっぱいありますが、本日の感想。
大木さんの書斎の窓を額縁として、「筑波山」を24時間見ることができる設計の
ご自宅に、感動!!! 大木さんの筑波山へのこだわりを見ました。
私も毎日「富士山」の見えるところに住みたい!!!!!
筑波山での楽しい一日に感謝。そうそうお昼も偶然犬養先生の好物だった「うな重」
でした。神様の計画はすごい!

「犬養先生を語る」その五

サロンの近くの淀川の花火大会も8月7日に(無事終わり?)旧暦の
七夕の日を境に、秋風の吹きにし日より…の万葉歌のとおり「立秋」を迎えました。
気のせいか、少し風が立ち、一時の暑さもなごんだような気がします。
待ってましたとばかりに、車で通りがかった山間では、ひぐらしの声が聞こえ、
私は「秋」と言うと、心待ちの風情はなく、秋以降の行事や懸案を思って冷や汗が
流れます。
サロンでは、高校が夏休みと言うことで、教師の山内さんに、サロン開所当時から
こだわって開催してきた「犬養先生を語る」シリーズを再度お願いしていました。
今回はホットニュース(HPでもご案内している、茨城県下妻市大宝八幡宮に
建立された犬養先生の書による万葉歌碑)もあり、山内さんが除幕式に参列されたので、
その報告を是非聞かせて頂きたかったこともあり、サロンのプロジェクターを活用して
映像で確認しながら臨場感あふれるお話を伺えました。
私が138基目と思っていたのは誤りで、犬養先生の生誕100年祭の時期に堺と福岡県桂川町
に2基建立され、136基となりましたが、その後愛媛県久万高原と大津京に2基建立されて
いるので、実は今回で139基目と言うことでした。140基目も準備はされており…。
(内緒!)
また、新碑と合わせて、戸倉上山田温泉の「佐久屋」さんが、旅館を閉じられ、玄関庭
にあった歌碑が、千曲川沿いの万葉公園に移設されたことや、飛鳥坐神社の歌碑の敷地内
移転や、最新情報を教えて頂き、歌碑の建立に際して考えられなかった状況の変化などに
複雑な思いも残った。しかし、この暑いさなか、山内さんの行動力にも脱帽する。
ひたすら「歩く」情報収集なので、熱中症にくれぐれも気をつけてくださいね!!!
仏教で言えば、今年は犬養先生の13回忌に当たります。ちょうどお盆の時期も近く、
今回は私の中では「犬養先生を偲んで」というテーマで、皆さんに来ていただきました。
NHKのアーカイブス「あの人に会いたい」のビデオを見てから、次には、
万葉うたがたり会の歌姫、大岡美佐ちゃんによる犬養先生がお好きだった島崎藤村の
『若菜集』『落梅集』からの詩歌の名曲コンサートで、万葉旅行などを思い出して
頂きました。舞台では「初恋」の乙女の可憐な美佐ちゃんの浴衣姿が素敵でした。
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お暑い中、多くの方にお集まり頂き、ありがとうございました。
今後も「犬養先生」を特化して、サロン企画で続けていこうとおもっています。

ぴあのひすとりい

先日、7月30日から3日間、奈良の佐保山茶論で武久源蔵氏による
チェンバロ・フォルテピアノという古楽器の連続演奏会(チクルス)が
開催され、鍵盤楽器が身近な私は、同じくピアニストでもある山寺さんと
二人で初日しか時間は空けられなかったが、コンサートに出かけた。
佐保山茶論という、TSUBAICHIのコンセプトに近い「応接間」感覚のアットホームな
ご自宅の会場で、貴重なめずらしい楽器を目の当たりに鑑賞できるという魅力
に惹かれて、楽しみにしていたが、実際興味深く、目と耳で満喫させて頂いた。
(フォトギャラリーで楽器写真をアップしています。)
昨日、NHKの歴史秘話ヒストリアという番組で「ぴあのすとおりい~ピアノが
語る明治・大正・昭和」と言う番組があった。
明治は、国産ピアノの開発に挑戦した元紀州の藩士、山葉寅楠と東京音楽学校
初代校長の伊澤修二(元、信州高遠藩士)の物語。
私たちが講師を務めたヤマハ音楽教室の企業名「ヤマハ」は、この姓が「おこり」
だと思う…。西洋の仲間入りをめざそうと強烈な思いでのピアノ製作の事実と
今、学んでいる奈良女子大学にある「100年ピアノ」は、「山葉カン製」と
楕円形のシールが貼ってあり、製造番号からヤマハのグランドピアノの第弐号
だと言われている。明治42年に1000円で購入されたらしい。
ふむふむ…と感心しながらつながるものを感じた。
ついでに、大正期の天才ピアニスト二人の紹介があったが、なんと神戸女学院
の人で、神戸女学院は私にとっては、ややトラウマ。
女学院のピアノ科を目指しながら…挫折、甲南女子大へ。(でも万葉と出会えたもん!)
そして、昭和は太平洋戦争中、日米両軍がピアノを兵器とし、戦場に持ち込み
アメリカは戦場で演奏する戦地用ピアノ「ビクトリーモデル」を開発したことが
驚きだが、日本は敵の潜水艦や戦闘機の音を聞き分けるための「音感教育」に
使われたと知り…びっくり! 国民性なのかなあ。
ということで、たまたま「鍵盤楽器」、それもピアノが生まれるまでのチェンバロ
フォルテピアノ、そして昨日のピアノ物語…と、関心事の話題が連鎖した。
私はジルバーマンのフォルテピアノの音に、少しはまりました!!!