ボランティアに思う・・・。

ごく能天気に感謝状を頂いたことが思いがけなくうれしくて、FBにアップしたところ、びっくりするくらいの反応のツリーがつき、やや戸惑っている。
ボランティア活動は本当にさまざまで、東日本大震災に関連したボランティア活動は報道で紹介されながら、継続的に私たちの目にもよく映っている。
今冬の大雪で、都会から若者が雪おろし、雪かきに馳せ参じ、若い力が役立った。
社会的なものから、身近な家族間の生活にまで、いろんな状況でボランティアの必然がある。
このたび、感謝状を頂いた今は「音楽療法もどき」でデイサービスに来ておられる方々を対象に「音楽を通じて」歌ったり、リズムをうったり、手足、体を使って表現したり…と要素を入れながらのカリキュラムであるが、やはり究極の目的は、音楽を通じて、楽しく元気が出るひとときを過ごすことに尽きる。
20名近くの人々は、それぞれに個性も違い私と気持ちが通うのに個人差があるが、それでも無理やり(笑)オカモワールドに引き込み、カリキュラムそっちのけで?自分の家族と過ごすごとく和気藹々と楽しくやっている。
私が帰る時に笑顔で「また来てね」と言われると、また皆さんが喜んで下さる時間を持ちたいと思ってしまうのだ。
その積み重ねが、あっという間の10年だった。
その前の10年は、クリスマスだけのボランティアをしていた。ピアノレッスンの生徒さんに準備していたクリスマスにお菓子と一緒に準備して、後天性重度障害児の西宮市の施設に伺い、子供たちにお菓子を渡して、ひとときを一緒に過ごす…と言う1年に1度のことだったが、この時に、考えさせられることがあった。
この施設を教えてくれたのはそこに勤めていた犬養ゼミの後輩で、健常な子どもがある日から、事故や病気で重度の障害児となった時に子供だけでなく、その親の苦悩などを聞かせてくれた。そして、日々心身ともに大変な介助仕事をしている彼女に対して私なりのささやかな支援のつもりで始めたことだった。
でも私の気持ちと裏腹に「施設」は補助や援助を受けることに慣れてしまっていて、「善意」がどこかあたりまえになってしまっていたように思う。
「私」はいつでも自己満足の奉仕であるから、見返りを求めるものではないけれど、はじめの感謝が、いつのまにかあたりまえとなり、後輩が結婚退職したのちは、次はあてにされて…と変わって行った。
私のささやかなクリスマスプレゼントをこどもたちに…という思いを届ける以前に、施設へ行くことに抵抗が強くなってしまった。ただ、とりあえずは10年は続けようと思ったし、そして終えた。
かつて母も初孫のつかさが生まれた時に、うれしさと感謝の気持ちで、教会から奉仕に行っていた療育院に寄付をしたそうだが、お礼の言葉、電話1本もなく、なしのつぶてだったことに、とてもむなしい思いだったと述懐していた。
お礼を言ってほしいと言うのでもなく、届けた善意が、「志」などについて、「施設」は慣れていて、感謝よりも当たり前になっている傲慢を感じたと言った。
私も同じような疑問を持ち、決して納得できるボランティアでなかったことが1つの教訓となった。
その後、自分の教会活動もままならぬくせに、私にできることはないだろうか…と考えていた頃、偶然、知人で聖ヨハネ学園の児童養護施設に支援をしておられた方に紹介して頂いたのがきっかけだった。そして同じ組織のミスブール記念ホームのデイサービスで「音楽療法」を担当してほしいということで、今に至っている。
そこでは、私が直接ご老人や、障害者の方々に接して、個々に励ましたり、笑顔を提供したり、コミュニケーションをもつことが、私には楽しい。
犬養先生や祖父母のことを思い出したり、また両親も十分に対象年齢なので、一緒にできればいいのに…とも思いながら、私のサービス精神も加わって、
みなさんに感情移入しながら、やっている。
2か月に1度とは言え、仕事仲間の理解もあり、私の時間が作れることもありがたいことだ。
そして、私のこだわりはここでも「万葉」。ワンポイント万葉ということで、必ず毎回、私の万葉歌を聞いて頂きながら、『万葉集』をご紹介し、魅力を伝えている。
オリジナル音楽療法も10年が一区切りと思っていたが、浅田真央ちゃんではないが、1つの目標を達成して、次回4月は約束しているが、私の去就についても次はハーフ・ハーフかな。

バレンタインの2月

2月14日、バレンタインデーがやってきた。
世間一般のクリスマス同様、イベント化、またはビジネス化されて定着し、女性から男性へ
「愛が告白できる」公の日とし、またそのしるしにチョコレートを添えて…と言う習慣が
それなりの賑わいとなっている。
しかし我が家では、弟の霊名が聖ヴァレンティヌスで、聖人の祝日としてまた祝う日でも
ある。バレンチヌスは、恋人たちの守護聖人として信仰されてきた。
また、2月14日は彼の殉教の日であり、彼の名をとって、バレンタインデーとされている。
弟にとっては、家族から「チョコレート」をもらうことは、また意義があることなのだが、
本人はおそらくそんな意識はないように思われる(笑)。
なぜなら、2月15日から確定申告の時期に入り、税理士としてはもっとも忙しい時期であるから
と言いたいのだが、なんとそのような時期に弟は再び「忙しさの中で自分に挑戦をする」
第?弾をやっていたのだ。
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先日の大雪の翌日の2月9日、武庫川で行われたハーフマラソン10キロ完走のメール!
普段から忙しいなりにランニングしているのを見かけることはあったが、10キロも走るとは!
いつの間にエントリー? いつの間に練習? なんで今の時期?とびっくりしたが、
昼下がり通信にも書いたが、その後も信念に沿ってモチベーションを保ち続けていることに?
感心した。次もあるかも。(笑)
私も刺激をされて、負けてはいられないと思ったものの、新年早々体調不良や、アクシデント
続きで、今年になってなかなか自分のペースが作られない。
ちょっと悔しいと思いつつ、私も新年を迎えた時と同じように仕切り直し…かな。

老兵は死なず…。

マッカーサーの有名な言葉で「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と、役目を果たし終えた人は、表舞台から静かに去っていくことを述べた名セリフが思い出される。
都知事選で、細川さんと小泉さんのタッグマッチは実らなかった。
前日からの東京の大雪で、最終日の選挙運動も大変だったし、当日も投票率も上がらず、過去3番目に低い46パーセントは、有権者の半分も投票をしていないと言うことなので、選出された舛添氏は本当に「当選した」「信任された」と言えるのだろうか。
選挙の投票率の低さは、有権者の無関心というのか、「選挙権」の重みを自覚していない人が多いのか、政治に我々の声が届かない無念さか、自分の1票を無駄にしている人が多い。
残念なことだ。
前ブログで「老人力」を述べたが、敗れたものの二人の「反対勢力」は、一石を投じたように思う。論評は小泉さんの集票力の衰えを指摘し、細川さんの選挙戦を批判した。
しかしきっと彼らは表舞台からは去ったとしても「信念」を曲げることなく、脱原発を訴え続けることだろう。訴え続けていってほしい。
争点が「脱原発」と言うことで、国会では「原発再稼働」についてこの期間封印していた懸案を、議決に向けてあからさまに再開した。
3月11日がまた巡ってくる。
福島の悲劇はまだ終わっていないのに、やはり政治家には「対岸の火事」なのだろう。
ともかく細川さん、小泉さんお疲れ様でした。
私の回りには70代、80代の方々がたくさんおられるので、育まれた精神と愛国心と日本人意識をしっかり学びたいと思う。
「老兵は死なず。静かに見つめることあり、消え去るべからず」と言いたいものだ。

TSUBAICHIネット美術館

音楽サロンですが、時々「作品展」を開催させて頂きます。
写真展や、書道展や、絵画展など、ギャラリーTSUBAICHIに変身します。
オカモサロンと言うことで、今まで私が買い求めたものや、また頂戴した作品や
珍しいものなどをホームページで、「オカモの笑倉院」としてご紹介していましたが、
HPでの掲載は途中で滞ってしまったかわりに、サロンができましたので、季節や行事に
よって展示したり、飾ったり…と自らが密かに楽しんでいます。
また、TSUBAICHIに来て下さるお客様も多彩な方が多く、お親しくなるにつれて
いろんな「才能」を聞きだす?のは、私の特技かもしれません(笑)。
昨年からTSUBAICHIカルチャーに参加して下さるNさんが、ご趣味で「絵画」を
書いておられることを伺いました。
そして、複数描かれた作品が「富士山」と伺い、富士山大好き人間の私は見たくて
見たくて「是非一度見せてくださいませんか?」とお願いしておりました。
Nさんは、素人の作品なので…と固辞しておられたのですが、私の思いを聞き入れてか、
先週思いがけず持参して下さったのです。ラッキー!
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富獄36景の「赤富士」を思わせるシーン。
新幹線から見るなだらかな円錐形の形容ではなく、なかなか立体的でゴツゴツした感じ…
と思いきや、やはり山梨県側からみた富士山の姿を描かれたそうで印象がずいぶん違います。
「なまよみの甲斐の国…」の富士山です!
そして、遠慮がちに見せて下さったその他の作品。私のために持ってきてくださいました。
涼やかな上高地の橋のあたりからの有名ポイントの風景。
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今は廃線となってしまった北海道の、愛国駅行きの「幸福駅」の駅舎。
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絵画の背景はひたすら広がる大平原だそうです。さすが北海道! 山や海が迫った
場所ではないだけに、モノトーンの世界が寂しさも感じさせるよう…。
そして、いくつか描かれた「富士山」のもう1作です。
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まさに、冠雪も陽光に包まれた、また風合いの違った「赤富士」です。青空からすれば、
夕陽かもしれません???
勝手な解釈でごめんなさいですが、ともかく「富士山」に出会えて幸せな私。
是非サロンに飾らせていただきたく、お願いして1作をお借りしてしまいました。
今サロンへ来て頂きましたら、メインの壁面に展示した「富士山」を見て頂けますよ!
Nさん、ありがとうございました。
いつか、TSUBAICHIでの個展を楽しみにしております!!!

明日香村の春

2月2日には飛鳥坐神社で、西日本の3大奇祭の一つと言われる有名な「おんだ祭」
が行われます。
神社はきっと今頃準備で大変なことでしょう。ちょっとお天気が心配ですが…。
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明日香村、大和ひいては日本の国の五穀豊穣を祈って、農耕民族の日本人の信仰と祈りの
ご神事が今も続いています。
普段は静かな境内も「福の神」にあやかりたい人々の群れでいっぱいになります。
私は毎月講座で明日香村へ伺っているので、お正月に敬意を表しにご挨拶に行ってきました。
年中咲いているという「桜」も有名ですが、やはり坐神社ではすでに桜の開花が始まって
いました。
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久しぶりの坐神社には、犬養先生揮毫の歌碑がありますが、なんと昨年2基が建立され
増えていました。
1基は、境内の階段の横に「三諸の子守歌」(オカモいわく)が…。
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もう1基は拝殿手前の桜の木の横に…。加夜奈留美神社と同じ歌?
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建立が飛鳥古京を守る会となっているのですが、この会はすでに解散して消滅した会。
今頃なんで…なんだか釈然としない感じ…。想像の域ですが、残金・浄財の還元のような
気がしてならないです…(とひとりごと)。
しかし、坐神社の見どころが増えて、大変にぎやかになりました。
そうそう、私が犬養万葉顕彰会の会長をしていた時に、会員のおひとりから申し出がありました。
それは、犬養先生と一緒に歩いた和歌山県の「糸我」の桜の枝を持ち帰り、挿し木をしたところ
植木鉢で手に負えなくなったので、明日香村の犬養先生のゆかりの場所に移植して育てて
ほしいという申し出でした。移植地に悩んでいたところ、坐神社の飛鳥弘文宮司が快く
引き受けてくださり、宮司自らの手で植え替えてくださいました。
1メートルくらいだった桜が、「糸我の桜」がこんなに大きくなっていました。
残念ながら、花は一度も咲いたことがないそうで…。どうしてかしらん???
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飛鳥坐神社の正面も整備が進み風景がより美しくなりました。
さて、明日どれくらいの方々が訪れることやら…。ニュース報道があることでしょう。
私は、サロンで加藤ヒロユキさんのラジオ番組「涙のラブレター」の公開イベントがあり、
見に行くことができません。残念!!!