命のともしび
11月と言うのに、まだ毎日朝顔が咲いてくれます。「おはよう、よく頑張ってるね!」と
声をかけながら、朝が始まります。
また、桔梗も花が終わったあとからあとから、新たな芽が出て、つぼみをつけ、まだ花が
咲き続けています。限られた我が家のベランダの花ですが、季節が過ぎようとしているにも
かかわらず、その生命力に驚かされながら、また、励まされながら私も元気をもらっています。
私は水をやる時に、聖歌の「命あるすべてのものに 主は食物を恵まれる…」という句が
思い浮かびます。朝、気持ちよく歌いながらの対面です。
反対に先月はじめ、我が家から50メートルも離れていないところで、バイクの死亡事故があり、
毎日その場所を通過するたび、「亡き人のこと」が思われるのです。
事故当日、私はいつもの出勤時間でしたが、まだ事故処理の最中にそこを通りかかり、
「交通事故があったのだ!」と思いましたが、道端に倒れているバイクを見て、「ご無事で
ありますように…」と祈りながら通り過ぎましたが、帰宅の時には、そこにお花が供えられ、
翌日の朝刊に、その交通事故の記事が出ていて、お昼過ぎに亡くなったことがわかりました。
30代の男性でした。
昨日の朝まで元気だった人が…と見ず知らずの人ですが、何か後味の悪い心地でした。
それから毎日現場を通りますが、事故のあとはすぐに洗い流してありましたが、その後、
1か月経っても「体液」がしみついているのか、濡れた部分の跡がそのまま残っているのです。
まるで広島の原爆のように、人がそのまま放射能で影となってしまったかのようです。
また、毎日行き来するたびに、現場に毎日供えられたお花や食物を目にしながら、私は
「命」のはかなさを思い、30代で亡くなった方を追悼せずにはいられません。
一方、「命のともしび」を燃やし続ける可憐な花たちの生命力を思う私は、複雑な思いで
毎日を過ごしています。
よし、桔梗と朝顔は、いつまでがんばってくれるかな…とエールを送りつつ。
元気をもらおうと思います。
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