理想的な別れ

目の前にとても悲しい、さびしい現実があるのですが、今回はまた「清々しい気持ち」まで
体験をさせられた訃報でもありました。亡くなられて、1週間後のお便りでした。
三重県名張市の夏見廃寺跡は、大伯皇女の建立した寺、昌福寺だといわれており、薬師寺縁起
には「大来皇女 最初斎宮 以神亀二年 為浄御原天皇 建立昌福寺 字夏見 本在伊賀国
名張郡」と記述されています。大伯皇女が父、天武天皇ために発願したお寺だと言われており
現在は、国の史跡となり、近くの公園に夏見廃寺展示館も建設されています。
その庭には犬養先生揮毫の万葉歌碑もあり、犬養先生の歌碑の建立にももちろん関わられ、
私とは、ひめみこの会のお世話で万葉うたがたりコンサートをさせて頂いた時に出会った、
石原弘子さんとおっしゃる素敵なご婦人が逝去されたのでした。
個人的に時々お便りをしていましたし、12月のコンサートはご主人さまの通院の日にあたり、
断念されたのですが、DVDを待ち兼ねて購入して下さり、過分なその感想も頂いていました。
それから、3ヶ月くらいでしょうか。
ご主人さまからの封書が届き、ご主人名に胸騒ぎを覚えました。
封書の中には、石原弘子さんからのお手紙とご主人のお手紙の2通が入っていました。
「前略、ごめんくださいませ。突然のご報告と御礼を申し上げる失礼をお許し下さい。」
で始まるご本人のお手紙は、自身の亡くなられたことと、これまでの感謝と、葬儀を行わず、
個々にお別れの手紙とされたことが書かれてありました。そして、正装で微笑まれ、
「ありがとう」の文字の入った素敵なお写真が添えられていました。
亡くなられた驚きとともに、見事なまでの遺志を貫かれた人生の幕引きに、石原さんの人生の
美学ともいうべき哲学を見ました。そして、それを理解し、尊重し、希望を叶えられた
ご主人さまやお嬢さまたちの優しさに、よき家族の姿を見ました。
お手紙を手に、ひたすら信じられなく、最近まで、名張の歴史の勉強会を主宰されたり、
記者生活から退かれたあとも、名張の歴史や昔話の掘り起こしや、子供たちに伝えていくために
それでかるた会をなさったり、ひめみこの会も地域の活動の1つでしたし、大変秘めた情熱と
信念を持たれて、頑張ってこられただけにあまりにあっけない事実の残酷さに、呆然とし、
残念でなりませんが、徐々に、「石原さんらしい」と思えるようになりました。
ご自分もしっかりみつめながら逝かれたその最期に、私は喝采を送りたい気持ちです。
ガンであり、死と向かい合われた苦しみもあったでしょう。その上で、覚悟と準備に、
冷静にすすめられた意思の強さにも、心から敬意を表しました。
そして、清々しい気持ちというのは、失礼かもしれませんが、さわやかにお別れできたこと
への私の感想です。
男性以上の能力・活躍でしたが、また、いつもお洒落で、女らしい、やさしい口調の石原さん
を思い出し、これからも本当にすべてを見習いたいと思います。
どうぞ安らかにお眠り下さい。でも、きっと千の風になって、お墓にもいらっしゃらない
かも・・・。千の風になって、大きな空を吹き渡ってください。
素敵な人生に、献杯申し上げます。


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