「コンサート映像」が出来上がりました。
去る令和2年11月21日土曜日、「勝負の3週間」と言われた3連休の初日に「岡本三千代万葉うたがたりコンサート」を開催しました。昨年の今日、1月15日に初めて日本でコロナ感染が発覚してから1年。元号が「令和」となり『万葉集』が注目を浴びて、まさに「万葉元年」となるべく1年が、まるで冷凍保存されたまま過ぎ去ってしまったような時の移り行きを私たちは体験しました。
その中で11月のコンサートは唯一残せた万葉うたがたりの足跡でした。コンサートのタイミングは、思いがけない母の帰天があり、またコロナの規制が少し緩和した時期でもあり、悲喜こもごもな中、まさに幸運な「奇跡のコンサート」だったとも思います。
今だから話せることは、
➀きっかけは、8月14日に高岡万葉まつりの動画制作のためにうたがたり会が久しぶりに明日香村へ集まって「万葉歌」を歌ったこと。「楽しい時間」であり、「歌う楽しさ」で気持ちが解放されたひとときだったこと。
➁世間では秋のイベントのキャンセルが相次ぎ、会場のフレンテホールや、西宮文化協会からコンサート開催について声をかけて頂いたことも追い風となり、8月14日の私の心に火がついた。しかし、8月末に11月のコンサート開催の日程を決めた無謀は、ま近すぎてメンバーたちも半信半疑だったと思う。
➂8月7日に母が緊急入院したが、まさか3か月後に亡くなるとは思ってもいなかったこと。
➃規制緩和したといえ、コンサートについてはソフトもハードも背水の陣で準備を進めるたが、私は最悪「中止」は避けたかったので無観客も覚悟の上でコンサートを「DVD」に残すことはその時に決めた。(私でも最悪の場合を考えるのに、政府はコロナ危機の最悪の場合のシナリオは考えられないことが不思議だ。)余談。
➄企画は映像を最大限に使った舞台づくりとし、実際に歌の練習が始まるころには、母の様態が悪化していき、メンバーの知るところ、心配をかけるところとなった。
➅母の様子を気にかけながらの練習はメンバーに大いに気遣いをさせてしまった。そして、ひょっとして「XDAY」が重なれば最後にみんなに迷惑をかけてしまう。それを母が気遣ったかのように最後の全員練習を終えた日の夜、母が帰天した。私のコンサートを前に時間を残して母は逝った。
そんな中で、開催した万葉うたがたりコンサート「40周年記念」のステージは、無観客ではなく100名の定員で、ご来場くださった勇気あるお客様に心から感謝いたしました。そして終わってみて「どのような舞台だったのだろう」と当事者の私が観客として楽しみにしていたコンサート映像がようやく完成しました。
今回のすべてに準備不足の舞台でしたが、40年のキャリアはメンバーの実力と結束で記憶に残るステージとなりました。役者の娘たちの出演協力や、講談で「犬養孝ものがたり」を聞いていただきました。個性あふれるメンバーのソロステージの圧巻。そしてマンネリが怖かった万葉うたがたりなど、「令和2年」の唯一のステージであり、40周年の機会を映像に残せて本当によかったと思っています。
そして、コンサートにこれなかった方のためにブルーレイで映像を販売させていただきます。よろしければ岡本までお申し込みください。「万葉は楽しい!!!」このことに尽きます。われら「万葉衆!!!」