ねこたちと母♥

私が物心のついた頃から、家には犬や猫がいて、成人して神戸から西宮へ移動してマンション生活になってからも家族の中にいつも猫がいた。そして、「のんちゃん」という岡本家で伝説の猫が亡くなってからは、今後のんちゃん以上の素晴らしい猫と出会うことはないだろうと家族みんなが二度と飼うまいという暗黙の了解があった。しかしそれから10年以上は経っただろうか。母が突然猫を飼いたいと言い出した。そして「今から猫を飼ってもおそらく私が先に逝き、そのあと引き続き猫の世話をしてもらえるだろうか」という相談だった。私はネコ大好き人間で大歓迎だったし、ただ母の言うように後々のことはなんとかなる・・・と軽く受け流し、飼うことを決めた。(母は同時にねこの通帳を作り、飼えなくなったときにこのお金を使って世話をしてほしいと貯金も始めた。)捨てられた猫を育てようとすぐに西宮市の動物管理センターに出かけたところ、ちょうど2匹の子猫が保護されていた。当然1匹のつもりが、子猫のいたいけない様子に一匹だけが選び難く2匹とも連れて帰り、家族の仲間入りをした。命名「はな」と「ひな」。以来、両親と共に家族の一員として暮らしてきた猫たち。

私の計算違いだったのは、両親以外にはなつかず、出入りの多い私や娘には警戒心あらわで、ちっともなつかなかったことだ。私は外ネコには人気抜群なので、実家の猫たちにも懲りずにかまいすぎて、しょっちゅうひっかかれたり、かまれたり散々だった。それでも可愛くて、フォトジェニックの二匹が大好きだった。そんな中・・・母の入院から亡くなるまでの3か月のこと。

はなひな姉妹は毎日毎日母の寝室のベッドの上にいたので、母が緊急入院したのちも、半月くらい2匹は毎日母のいないベッドの上にいた。そして、9月を過ぎて異変に気付いたのか、母の寝室からリビングに出てきて「人」の姿を見ては隠れながら過ごすようになった。母がどうしても「父や猫に会いたい」と退院を希望し、10月になってようやく母が自宅へ戻った時は、直後から朝昼晩の介護ヘルパーさん、看護士さん、往診の医師など人が多く出入りして、猫たちは反対に恐れをなして寝室に寄りつかなくなってしまった。人が途切れた時に捕まえて、母のベッドに連れて行ってもすぐに逃げてしまう始末。母は「猫とも距離ができてしまったわね」と寂しそうにつぶやいたのが切なかった。母が体調がわるくなり始めた6月頃、私に「夕べ猫の夢を見たの。二匹が枕元にやってきて、長年お世話になりましたってお礼を言いに来たの。それで泣けて泣けて・・・」と話してくれたことがあった。近くぼんやりと別れの予感があったのかもしれない。
母の逝った後、猫たちはそれぞれに寝室をのぞきに行くことはあるが、今やリビングで生活することに慣れてきた。
ところが、ところが、驚くべき出来事があった。それは私が数日前ぎっくり腰になり、お風呂上りに母の残した湿布薬を張ろうとした時のこと。メントール?か独特の匂いの湿布薬を出した途端、寝ていた二匹が起きてきて、取り出した2枚の湿布薬に競うようにスリスリを始めたのだ。そして、グルグルとのどまで鳴らし始めた。(私はこの猫たちのグルグルを初めて聞いた!!!)私はもうびっくりして、何事が起ったのかと思ったがすぐに気づいた。「母の匂いだ!」毎晩神経痛の腰に湿布薬を張っていた母。そのそばで四六時中一緒にいたはなとひなの母の絆の匂いだったのだ。この子たちもどこかで母を求めていたのだ。それから毎日私が湿布を張るたびに近づいてきてスリスリが始まる。自宅療養中の母は準病室でもあったので、人の出入りだけではなく、消毒液や薬の匂いにあふれていた。もしもその時に母に湿布を張っていれば、猫たちが安心して寝室へやってきたかもしれないと思うともう後の祭りだが、あれだけ可愛がられた猫たちなのに、今の淡白さにはあきらめを感じていた私に、感動するくらい反応したはな・ひなの「母への慕い」を実感した。「お母さん、最後は寂しい思いをしたかもしれないけど、猫たちはお母さんとの絆を今頃私に見せてくれたよ」