平城遷都1300年記念祝典に出席しました。

私は1700分の1とか。8日は午後から10月の宝塚のコープカルチャーの予定だったので、
あきらめていたのですが、関係者の方から、天皇・皇后ご隣席の機会は貴重なので、
万障繰り合わせられないか…とのお勧めに、30分開始を遅らせて頂き、平城遷都1300年記念祝典に
出席させて頂きました。朝7時過ぎに自宅を車で出発し、式典終了後には飛び出せるように
西大寺周辺は混雑しているので、新大宮の駅前に駐車しました。そして一駅電車で西大寺へ。
シャトルバスに乗るところからIDカード提示です。
さわやかな小春日和の、目にも鮮やかな快晴の空でした。
開会式まで、大極殿の見学が可能でしたので、はじめてゆっくりと味わいながら見て回り
ました。何とそこで偶然に高岡市の副市長さんの高田さんとバッタリ出会い、ほっとしました。
前日、奈良女子大学へ通学する時に大極殿の広場にテントがたち並び、万国旗がはためく
様子を車窓から見ていたのですが、なるほど、中央に大きな舞台ができており、両横には
大画面のタワーがあり、観客席から見えるようになっています。
雅楽の絵になる太鼓などが準備してあり、いろんな演出の期待を抱かせました。
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元明天皇の詔を奏上する、藤原不比等の隣のその妻県犬養橘三千代(役)です。
えっと、私は犬養門下ツバキの三千代…です。なあんちゃって!
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もと劇団四季の市村正親の大伴家持と笠郎女役のソプラノ歌手中島啓江さん。
多くの女性にマメな家持が、なぜ笠郎女があまり好きでなかったようなのは、ひょっとして
きょうの役者設定はかなり真実味があるかも(大爆笑)なんて思っちゃいました。
天皇皇后のご隣席の行事に初めて出席した私でしたが、内閣官房副長官(首相代理)
荒井奈良県知事・秋山事業委員会会長に比べて、ダントツによかったのは、素朴な言葉の表現で
背景と重みを深く感じさせる天皇陛下のお言葉でした。「平城京については、父祖の地としての
深いゆかりを感じます。」という表現には感動しました。
自らの係累についても「渡来人」の子孫であることを述べられ、アジアの渡来人のおかげで
我が国に仏教や論語をはじめ、文化や技術がもたらされたことの感謝も述べられました。
特に奈良時代の天皇の治められた故地に、平成の天皇が立たれて、その歴史を語られることの
感慨を強く感じました。
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平城遷都1300年のシンボルマーク(大仏の手)を書かれた方、せんと君のデザイナー、
遷都祭のテーマソング「ムジカ」を作詩・作曲した谷村新司氏が、紹介された後、
出演者・会場一体となって大合唱。私はちょっと24時間テレビのエンデイングみたいやん!
と思っていました。
NHKの主導で、司会者もカメラも動いていることはよくわかりましたが、この素晴らしい
セレモニーをなぜ4月にやらなかったのか!と残念です。
それも招待者だけの公開は、もったいない! せめて翌日にこのイベントの一般公開日があっても
いいと残念に感じました。祝典終了まで、一般客は大極殿へ入れません。
予定時間(12時過ぎ)に終了。私は飛び出して、徒歩で西大寺まで早足で動きましたが、砂利道は
ハイヒールが歩きにくくて、上等の靴もかかとが破れてしまいました。(泣)しかし宝塚へ
移動です。高速道を飛ばしながらジャスト予定の2時に到着。よかった!
その代わり、皆さんにはもっともホットなお土産話をさせていただけました。
そして、本日の記念品。造幣局制作の記念銅メダルです。
翌日、コンサートを控えて、疲れ果てました。やばし!


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