オカモの反乱!

高岡市の古城公園の本丸広場から撮った、仲秋の名月です。
月人壮士の犬養先生は、ちょっと恥ずかしげに雲間に入ったり、また
出たりと、気まぐれでしたので、見ている私はやきもきさせられました(笑)。
「光さし 走る列車を 導きつ 我に微笑む 窓辺の望月」 
先ほど帰宅しました。今頃古城公園の水上舞台では、万葉まつりのフィナーレが
行われていることでしょう。
終始気持ちのやり場のない、やりきれない思いの高岡の旅でした。
20年という朗唱の会も、犬養先生が亡くなられた後、思いがけず「私」独りで、
半分以上の11回も万葉まつりのゲストとして大事にして頂けたことは幸せだったのだ
と思います。
佐藤孝志前々市長のもと、高岡市市制100年記念をきっかけに「万葉のふるさと」作りから
観光都市「高岡」を目指して、犬養先生の誠意・人気・集客力の協力を得て、多くの事業や
試みを重ねて来られ、押しも押されぬ万葉の故地のメッカと言われる名所となりました。
犬養先生の傍で、ずっと経過や発展を見てきた私にとっては、多くの方々のご苦労や
熱意や、深い郷土愛もしっかり理解できましたし、その間犬養先生も私も共に歩んできた
ような実感があります。でも年月は、残酷でもありますね。
手探りで不眠不休で始められた朗唱の会も、20年の間にシステム化し、運営側の市役所も
異動で担当者が交替しても、民間のお手伝いの方々も含め、時間も人間も運営も滞る
ことなくスムーズで、余裕ある運びにここ数年は、感心していました。
外来の私たちはそんな高岡を素晴らしく思い、みんなで高岡に足を運ぶことが犬養先生の
意志でもあり、最大の協力であると信じて今日までいろんな形でご紹介してきました。
個人的な素晴らしい出会いも数え切れないほどで、私自身も感謝の念が尽きません。
長い信頼が、暗黙で相互の関係を深めていったことを誇りに思っています。
その私が、どうしてこんなやりきれない思いをしなければならないのか…、今は
自分を責めたり一生懸命考えています。
今回の一連の行事を通して冷静に感じたことは、20年の間に「市民のための市民のお祭り」
に変わってしまっていたことかなと思いました。
それも「市民の手による」が抜け落ち、今の私は、昨年来都合のよいことだけに利用された
のだ…としか思えなくなりました。そして私だけではなく、共に協力された仲間の中には
高岡に不信感さえ持たれた方もあります。
今回も、お約束した招待朗唱や、また新市長様との懇談も期待しておりましたし、
尊敬する高岡市万葉歴史館のご依頼で、ミニコンサートをさせて頂く光栄もありましたので、
来越しました。
でも、偶然10月3日が犬養先生のご命日でしたので、絶対に古城公園で「観月したい」と
思っていましたので、土曜の夜はちょうど恒例の「故地交流会」が催されている時間ですし、
久しぶりにお目にかかりたい方もありましたが、出席する気持ちがまったくありません
でしたので、公園で月を見ながら、犬養先生に一方的に語りかけていました。
1昨年の犬養先生のご生誕100年祭の時は、朝、谷中の墓前祭をすませ、(佐藤前々市長も
ご参列くださいました。)私は、その足で東京から高岡へ移動して、交流会にぎりぎり
駆けつけ、いつまでも犬養先生や、我々を大事にしてくださる「高岡市」や橘市長に心から
感謝を申し上げたことをなつかしく思い出します。
犬養先生、高岡市の「万葉故地」としての存在感は、今や明日香村だけでなく奈良市も
圧倒されるくらいです。本当によかったと思う反面、時の移り行きも感じずにはおれません。
先生が恒に「初恋を思うべし」と教えて下さっていた「原点」の心から、残念ながら
人なのか、目的なのか、時間なのか、何かがずれてきてしまったみたいです。
先生は、高岡市の発信、発展、経済効果のための「万葉のふるさと創り」に共感されて
協力してこられたのですよね。
いろんな行事も、日本各地から、万葉ファンをはじめとして「高岡市」に足を運んで
もらうための企画でしたね。
今や全国的に当たり前となった「朗唱」も犬養先生の「犬養節」が受け入れられたから
ですよね。
犬養先生の宣伝効果で、「高岡市」が注目されるようになったのですよね。
犬養先生が亡くなられた後、「先生がおられないなら行く必要がなくなった」と言う人も
いました。そうではなくて、「僕はもういけなくなっちゃったけど、これからもみんなで
高岡市を大事にしてね。」とおっしゃる声が、私たちには聞こえるので、仲間たちは、
毎年心して出かけていました。
でもね、先生、犬養先生の記憶が年々薄れていく現実の中で仕方のないことですが、
「おもてなしの心」を自負される高岡の方々は、いまどなたに気配りをされているの
でしょうか。自治体同士の交流なのか、来賓への気配りなのか、自己満足のイベントへ
なのか、よくわかりません。
そして私のこと。
もちろん大したゲストではありませんが、以前は担当者がおられ連絡があったり、
私の動向の把握ぐらいはされていました。でも今回は極め付けで、もはや勝手に来て、
勝手に帰ったらいいだけの存在で、(自由ではありましたが…。)気にも留められない
程度の招待者だったのだ…と鈍い私は、ようやく気付きました。
アホですね。(笑)
先生とご一緒して伺った9年間、そして亡くなられてから11年間、ご招待頂き、
素敵な思い出をたくさん作らせて頂いた幸せを感謝しています。
でもさびしいですが、1つの時代が終わったことも実感しました。
個人的には、通い続けたい故地ですので、これからは気の向いた時や、季節に寄せて
心から楽しく訪ねることにしたいです。大好きな高岡市万葉歴史館で読書もしたいですし…。
これで「高岡」をきらいになってしまいたくありませんから…。
 見上げれば 空の高みは 輝けり 我を励ます 十六夜の月 (おそ松くん!)


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