終戦記念日

娘の朗読劇を観てきました。
私は内容についてあまり理解しておらず、ともかく「観劇する」目的で
予定していたが、きょうの「8月15日」をアピールしての公演だったので
思いがけず、「平和」「戦争」「原爆の悲劇」「戦禍の風化」など…
いろいろ考えさせられる1日となった。
娘が今回出演させて頂いた「大阪女優の会」は、2003年3月に始まった
アメリカのイラク攻撃を阻止をしたい、演劇人として反戦アピールを
するために…ということをきっかけで、2003年の夏から「あきらめない夏」
公演が続けられてきたようで、今回で7回目だった。
原作が漫画なので、「絵」・「画」を通して、表現されているものを
朗読劇で表現することのむづかしさや工夫を演出のキタモトマサヤ氏が
語られていたのを聞き、なるほど…と気付いた。
偶然というか、虫が知らせたというのか、8月11日の深夜3時頃、夜中に
つい電灯やテレビをつけっぱなしで寝ていた私は目覚めて、電気を
消そうとしたのだが、妙にテレビの画面にひかれて、夜中であるのにも
かかわらず、朝の5時まで見てしまったのが、この映画だった。
それもテレビ映画を見てから、娘の芝居のタイトルを知ったので、
本当にびっくりした! そして、身近な興味で、いわゆる「漫画」の
表現世界と耳からの表現世界の違和感はなかった。
そして作品を通して、純粋に「原爆投下後」の「生き様」「心の傷」
「差別」「トラウマ」などなど、考えさせられた。
折しもオバマ大統領の「核廃絶宣言」で期待も高まるが、世界で唯一
被爆した国として、いまだ後遺症に苦しみ、戦後が来ない人々を擁す
「日本」はもっと強く、もっと大きく、平和や戦争についての「悪」を
訴えるべきだと思う。核に対する反対を世界に国を挙げてもっと
表明すべきだと思う。日本の政治家は、安全に対してアメリカによる
核の傘下は必要と言うが、「悲惨な体験」を実際に肌で感じていたら、
そう主張できるだろうか。机上の安全保障論は、あまりに被爆者に
対して残酷である。非核3原則を決めた日本なのだ!
娘の芝居もいろいろ見てきたが、「演劇は非戦の力」とパンフレット
に書かれていたように、そもそも社会を語り、風潮、風刺、主義などを
言論、演劇を通して表現・主張するのは、本来の目的・意味だと思う。
演劇が単なる娯楽ではない側面を久しぶりに思い起こさせてくれた。
私が祖父や、母に聞いた「戦争」の話より、直接に朗読劇を通して
娘は「戦争」「原爆」「平和のありがたさ」「私たちの責任と使命」
などをいろいろ考えたことだろう。
女優として参加できて、よかったね。
キタモトさんの、いつもながらの「舞台づくり」のセンスにも感心
した。明日もできるだけ多くの人が観劇して、8月15日を考える機会
となってほしいものだ。明日もしっかりね!
 


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